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小説「めぐりくる春」

めぐりくる春
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 いわゆる「従軍慰安婦」を主人公とした小説です。週刊金曜日に連載されていた時から、梁石日(やん そぎる)が書いている連載小説「めぐりくる春」のことは知っていましたが、出版する側の都合でペース配分される連載ものが苦手ということもあり、それにもまして戦争に翻弄される女性の問題というテーマが重たすぎるということもあって、ほとんど読んではおりませんでした。

 そんな私に「宿題」のように、出版社から本が送られてきたのは、もうずいぶん前のことになります(編集部のAさん、ありがとうございました)。この小説の内容はある程度知っていましたから、封筒を開けた時にその中に書かれているはずの悲惨な内容とは対照的に、穏やかで暖かい雰囲気の表紙を見てちょっとショックを受けたことを記憶しています。(チマチョゴリの美しい女性と紫の花をあしらった表紙はとても素敵だと思いました。)

 梁石日という人については、実は小説は読んだことがありませんでした。しかし、映画「月はどっちに出ている」という、在日朝鮮人と出稼ぎフィリピン女性が出てくる映画は見ており、在日の彼らのしたたかさと明るさとなによりもその強さを感じさせられた時に、その原作を書いたのが梁石日という人だという記憶が残ったのだと思います。

 それからしばらくして、こんどはビートたけしが主演した作者の実の父をモデルにしたという自伝的小説を映画にした「血と骨」という映画を見て、かなり衝撃を受けた記憶があります。

 これらの映画から受けた梁石日という人の印象は、自分たちの同胞である朝鮮人のことも美化せず、包み隠さずストレートに表現する作家ということでした。在日朝鮮人の作家などが「日本語」で何かを書くときには、日本人が悪役で、朝鮮人は抑圧される側というステレオタイプの描かれ方になっていると、こちらとしてはまったく受け入れる気がしなくなるものですが、彼らが自らをありのままにさらけ出してきた場合には、ついつい説得させられてしまう力を感じます。

 そんな作家である梁石日の書いた「めぐるくる春」ですが、彼は男性ですからいわゆる従軍慰安婦として駆り出された朝鮮人女性のことを的確に描けているかどうかは正直言って良くわかりません。従軍慰安婦というと、すぐにそんなものはなかったとか、いや実際にあったとかいう事実確認論争が起こってしまうものですが、私はその実態も知らないまま中学生の頃から「従軍慰安婦」という言葉は知っていました。その頃は、そのような役割を負わされた日本人の女性がいたのだと思っていましたが、この小説によって(やはり)占領下の外国人女性達もそのような役割を強制されたということが納得できる気がしました。

 もちろん、これは「小説」ですからここに描かれたことは、何一つ「史実」ではないのだと思います。逆に、そのことで、不毛な「あった、なかった」論争が回避されるのだとしたら、ある意味で小説こそが「真実」に近づくためのもっとも良い手段なのかもしれないという思いもします。

 正直言って、日本が朝鮮を侵略して自分の国にしてしまい、さらにはそこに女性を強制的に軍隊とともに行動させるという内容を読み進むのはかなりつらいものがあります。しかし、「戦争」というものはこういうものなのだという気持ちにさせられることも事実です。

 これが、過去に本当にあったことかどうかということではなく、戦争になればこういうことが起こるのは当然だと思わされることこそが、こうした「戦争小説」の意味のひとつなのだと思います。

 主人公の彼女が自分の親族であるかもしれないと思いながら読むとほんとうにつらくなりますが、憎むべきは「日本帝国の軍隊」ではなく、「戦争そのもの」だという気持ちになると思います。

 是非読んでください、とは言いにくいのですが、こんな時代もあったのだということを知ることができる数少ない貴重な「よすが」のひとつであることは間違いなさそうです。
by stochinai | 2010-11-22 19:36 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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