5号館を出て

shinka3.exblog.jp
ブログトップ | ログイン

ゴジラとの戦争

 地震と津波と原発事故による放射線源の拡散という三重苦を見ていると、ゴジラというものが実在したのか、という感覚にとらわれます。
c0025115_209985.jpg
 from Wikipedia public domain (PD-Japan-organization)

 私がまだ物心もつかない頃に公開された映画ですが、その後何度もテレビで放映されたはずで、いろいろな場面が記憶に残っています。Wikipediaによれば、「『ゴジラ』が初公開以後、劇場以外で上映されたのは1967年(昭和42年)、NHK総合でのテレビ放映が初だった」と書いてありますので、それかあるいはそれ以降にものを見ているに違いありません。

 ゴジラの特徴として、「原水爆実験で蘇生したこと」、「海から来たこと」、「やたらと建物を壊すこと」そして「口から放射能を帯びた白熱光を吐くこと」などが、子どもだった私の心にくっきりと刻まれていることを、今でも確認することができます。

 そう考えると、これは明らかに原爆で敗戦を迎え、その後アメリカの核爆弾実験で被曝したマグロ漁船「第五福竜丸事件」など、世界で唯一の被曝による死者を持つ日本が生んだ、反核映画であり、ゴジラはそのシンボルだったのだということが、今更ながらわかります。

 そして、今眼の前に海から来た津波と地震によって破壊された東北地方の被災地と、さらにその被害を日々拡大している福島原発の様子を見ていると、これはゴジラによる襲撃以外の何ものでもないという感慨に襲われます。

 この映画の後、たくさん作られたゴジラ映画では「反核」の思想は骨を抜かれ、単なる娯楽怪獣映画になってしまいましたが、私はゴジラと聞くたびに「放射能を吐く、制御不能の怪物」という意味で、原子力発電所が事故を起こすとゴジラが現れるのだと、ずっと思い続けていました。

 そして、残念なことがそれが現実のものとなってしまいました。

 ゴジラの映画では、自衛隊がゴジラと戦い、ゴジラは最後は海へ戻って行くことで平和が戻って来るということになっていたような気がしますが、今の日本の自衛隊は大量の放射性物質を吐き続ける原発と戦う準備はできていません。

 もちろん、東京電力を中心とする「部隊」は村の消防隊程度の力しか持っていません。日本が敗戦直後に、本土決戦に向けて一般市民に「竹槍」を持たせて戦わせようとしたことを思い出させる光景です。

 こんなきれいだった福島原発が、いまやがれきになってしまっています。
c0025115_20343546.jpg

c0025115_20402751.jpg
 もはや、竹槍でなんとかなる状況ではないと思います。一刻も早い国際防衛隊の協力を依頼すべきではないでしょうか。
Commented by ぢゅにあ at 2011-04-13 23:21 x
こちら(アメリカ)でも放射能の脅威を「ゴジラ」に例えているニュースが結構ありました。さらに新聞の1コマ漫画では地震、津波、放射能をキングギドラ(3本首の怪獣)に例えているものまでありました。意外にアメリカでは「ゴジラ=核の脅威」が浸透してるようです。
「ゴジラの論理」という本で、ゴジラの登場は戦後の復興の証と書かれていたのを今でも覚えています。戦後の焼け野原が復興し、破壊するものができるまでゴジラは現れるわけにはいかなかった、というものです。逆説的ではありますが、映画の中のゴジラが出没できるほどに被災地が復興することを願っています。
Commented by 傍観者 at 2011-04-14 06:36 x
小松左京の「日本沈没」とかを見て育ったので災害大国である日本でしか生きていけない「気弱な日本人」であることは自覚してたんですが
でも今回の原発事故は人災の感も強いので悔しい気持ちも大きいです。

アメリカでは福島で頑張る作業員をHEROESとして報道しているようですが世界的にヒットしたドラマ「HEROES」の日本人超能力者の
世界のために献身的に働く姿とダブらせているんじゃないかと思うのは勘ぐり過ぎでしょうか。

経済大国になって目標を失っていた感もある日本ですがこれからは防災国家を目指すのがいいいのではないかと思ったりしています。
by stochinai | 2011-04-13 20:41 | つぶやき | Comments(2)

ふと咲けば山茶花の散りはじめかな        平井照敏


by stochinai