2005年 05月 04日
コミュニケーション不全
5月4日は、憲法記念日と子供の日にはさまれて評判の悪かった平日を、無理矢理に休日にするために作られた国民の休日です。何の意味もなくとも毎年コンスタントに3連休になるということから、もちろん国民の反対を受けることもなく1986年の施行以来、完全に定着しています。
ところが今の国会で、4月29日を昭和の日、5月4日をみどりの日とする祝日法改正法案が提出・審議されており、成立すれば5月4日は曜日にかかわらず毎年祝日となるのだそうです(Wikipedia)。これは、我々休む人間にとっては何ら実質的意味はないことなのですが、へぇ~という感じですね。
さらにWikipediaによれば、2009年9月21日(月)がハッピーマンデーの敬老の日になり、秋分の日が9月23日(水)になると計算されているので、その間にはさまれた9月22日が法的には国民の祝日になってしまう可能性が高いとのこと、これまた大へぇ~です。
法律を作った時に5月4日以外も国民の祝日になるという可能性が議論されていたのでしょうか。もし、そうではないのに9月に国民の祝日が「できてしまった」のだとしたら、国会の法律作りも信用できません。逆に、それも「想定内」なのだとしてら、法律関係者はすごく頭が良いと感心します。
さて、その国民の祝日にもかかわらず、私たち裁量労働制に従事する労働者にとっては、「違法な休日出勤」を強行しての打ち合わせ会議がありました。もちろん、研究上の必要から動物を飼育している以上、休日とか祝日とかを守ることは研究の放棄や中断を意味することもある訳で、どんな理由をつけてでも研究室に出てこなければならない大学院生をはじめとする研究者にとって、そうした法律など意味を持ちません。
そうした「違法行為」をすべて厳密に取り締まって、日本の生物学を壊滅させることはもちろん文科省としても望んでいるわけもなく、きつくコントロールされることはないわけですが、時折就業規則などを見て自分の行動が「違法」と言われたりすると、力が抜けることは事実です。
大学側から我々に送られているメッセージは、平日の午後10時以降から午前5時以前と休日の研究室使用という「違法行為」は見逃すけれども問題を起こさないでくださいね、ということなのだと思います。おそらく公式に質問すると、お互いの悲劇(休日出勤の否定)につながるのだと思いますので、表に出さないことでうまく動いているのだと(勝手に)解釈しています。
世の中にはこういう類の無言のメッセージというのはたくさんあり、そのメッセージを適切に発信し、受け取った側は適切に解釈することも生きるためのコミュニケーション技術なのでしょう。昔の言葉では「あうんの呼吸」とか「腹芸」とか呼ばれていたものでしょうか。そうしたことを見誤ったために起こる典型的な悲劇がセクハラやアカハラなのではないかということも休日出勤で得られた貴重な確認事項でした。
しかし、世の中の構成が複雑化してくると、その無言のコミュニケーションがうまく成立しない不全症に由来する問題があちこちで起こってきているようです。その解決策のひとつが、メッセージを明示的に発信する技術なのでしょう。今までは、個人の努力に任されていた科学者からのメッセージ発信についても、学問として扱う機が熟してきたのかもしれません。
今後はこうしたことについても、積極的に考えていきたいと思います。
ところが今の国会で、4月29日を昭和の日、5月4日をみどりの日とする祝日法改正法案が提出・審議されており、成立すれば5月4日は曜日にかかわらず毎年祝日となるのだそうです(Wikipedia)。これは、我々休む人間にとっては何ら実質的意味はないことなのですが、へぇ~という感じですね。
さらにWikipediaによれば、2009年9月21日(月)がハッピーマンデーの敬老の日になり、秋分の日が9月23日(水)になると計算されているので、その間にはさまれた9月22日が法的には国民の祝日になってしまう可能性が高いとのこと、これまた大へぇ~です。
法律を作った時に5月4日以外も国民の祝日になるという可能性が議論されていたのでしょうか。もし、そうではないのに9月に国民の祝日が「できてしまった」のだとしたら、国会の法律作りも信用できません。逆に、それも「想定内」なのだとしてら、法律関係者はすごく頭が良いと感心します。
さて、その国民の祝日にもかかわらず、私たち裁量労働制に従事する労働者にとっては、「違法な休日出勤」を強行しての打ち合わせ会議がありました。もちろん、研究上の必要から動物を飼育している以上、休日とか祝日とかを守ることは研究の放棄や中断を意味することもある訳で、どんな理由をつけてでも研究室に出てこなければならない大学院生をはじめとする研究者にとって、そうした法律など意味を持ちません。
そうした「違法行為」をすべて厳密に取り締まって、日本の生物学を壊滅させることはもちろん文科省としても望んでいるわけもなく、きつくコントロールされることはないわけですが、時折就業規則などを見て自分の行動が「違法」と言われたりすると、力が抜けることは事実です。
大学側から我々に送られているメッセージは、平日の午後10時以降から午前5時以前と休日の研究室使用という「違法行為」は見逃すけれども問題を起こさないでくださいね、ということなのだと思います。おそらく公式に質問すると、お互いの悲劇(休日出勤の否定)につながるのだと思いますので、表に出さないことでうまく動いているのだと(勝手に)解釈しています。
世の中にはこういう類の無言のメッセージというのはたくさんあり、そのメッセージを適切に発信し、受け取った側は適切に解釈することも生きるためのコミュニケーション技術なのでしょう。昔の言葉では「あうんの呼吸」とか「腹芸」とか呼ばれていたものでしょうか。そうしたことを見誤ったために起こる典型的な悲劇がセクハラやアカハラなのではないかということも休日出勤で得られた貴重な確認事項でした。
しかし、世の中の構成が複雑化してくると、その無言のコミュニケーションがうまく成立しない不全症に由来する問題があちこちで起こってきているようです。その解決策のひとつが、メッセージを明示的に発信する技術なのでしょう。今までは、個人の努力に任されていた科学者からのメッセージ発信についても、学問として扱う機が熟してきたのかもしれません。
今後はこうしたことについても、積極的に考えていきたいと思います。
by stochinai
| 2005-05-04 23:41
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