5号館を出て

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よその学会でのシンポジウム発表

 今日は夕方からシンポジウムで英語の発表をしました。私が所属している学会ではなく、シンポジウムのためにお呼びがかかったのです。最近の傾向なのですが、国内で開催される学会でも英語での発表が推奨されるようになってきています。

 もちろん日本国内で行われる学会ですから、多くの場合95%以上の参加者は日本人です。それでも、最近は大学院の留学生やポスドク(博士研究員)には外国人も多くなってきていますので、特に海外からの参加者というわけではなくとも日本語があまり得意ではない人が国内の学会に参加していることは、そんなに例外的なことではなくなってきています。

 とは言え、だからといって英語で発表すればすべて解決するのかという疑問は残ります。

 まず第一に、私を筆頭に英語でさらさらと人に通じる話をできる人はそうそう多くはありません。第二に英語を聞いてすんなりと話を理解できる人もそうそう多くはありません。実際に話をしなから感じていたのですが、そもそも自分の言いたいことが通じているのかという点に関して、はなはだ疑問なのです。さらに外国人といっても、英語の不得意な外国人もいますから、ほんとに英語でいいのかとも思います。

 欧米などの外国で、ほとんどの聴衆が英語を理解するという点に関して不安がない場合には、こちらが一所懸命になって相手に理解できる英語を話す努力をすると、相手が理解しているのかどうかはかなりわかるものですが、今回のシチュエーションのような場合には自分がどんなに努力をしようと、聴衆がその英語を理解してくれているかどうかが全然わからないのです。

 話をしている時のこの不安感は普段はあまり感じることがありません。日本人を相手に英語で話してみると、いつもは相手が日本語を理解できる人間であるという信頼感があるせいで安心して話ができているのだということが良くわかります。理解されていないとわかった場合でも、その理由は日本語が通じていないからではないと思えます。コミュニケーションの最大のポイントの一つは相手が自分の話をどのくらい理解しているのかを理解することであるということも良くわかりました。

 不自由なコミュニケーション手段を使うことによって見えてくることもあると感じた25分間でした。

 それでも、発表が終わった後には、座長の方々の暖かい「さくら」の質問を含めて英語で質問されてみると、自分のつたない英語でも通じていたのだとなんとなく感動してしまいました。

 いろいろありましたが、シンポジウムの後は主催者の先生がなんと祇園の「まさに京都」というお店で懇親会を開催してくださいました。この学会は脳や神経や行動の研究をしている方が多いので、懇親会でも普段はあまり聞くことのできないそちら方面の話をいろいろと聞かせていただいて、とても楽しく勉強になりました。

 奇遇なことに、この学会でもっとも忙しく活躍なさっている方のお一人である仙台通信nosumiさんの研究室でポスドクをしているMさんと近くの席になりました。仙台通信さんは、昨日も今日も明日も大忙しのようです。

 私は、早々に涼しい北海道に逃げ帰ろうと思っています。
Commented by kojigami at 2006-07-20 12:55 x
ここ数年、stochinaiさんが参加された某学会には出席していませんが、数年前から発表が英語指定になり、その意義には常々疑問を感じていました。内容を理解できるできないという点も問題ですが、そもそも英語が得意ではない日本人の英語を聴くことが、早口なアメリカ人の英語を聴くことよりも遥かに大きなストレスになる、という点も私にとっては大きな問題なような気がします。メリハリ、抑揚の無い英語というのは、英語圏の人にはほとんど聞き取ってもらえない、という点からしても発表者にはもう少し英語を鍛錬してもらいたいと思っている次第です(自分がそのようにしゃべれるかと問われると返答に困りますが・・・)。できないのなら、いっそやめてしまってもいいのではないかとさえ思ってしまいます。この辺の議論は、小学生からの英語教育に関して、いずれ問題になってくるような気もします。にわか仕込みの教員が、中途半端な(特にブレスの重要性について)英語を教えることが、後々どれだけのハンディキャップになるのか・・・。この国の英語(実際は米国?)コンプレックスの悪い例な気がします。
Commented by stochinai at 2006-07-20 20:58
>そもそも英語が得意ではない日本人の英語を聴くことが、早口なアメリカ人の英語を聴くことよりも遥かに大きなストレスになる
 まったく同意いたします。日本人の下手な英語を聞くときに感じる違和感はある種の「恥ずかしさ」なのかとも思っていたのですが、この一文に出会って膝を打ちました。まさにストレスだったのです。
>できないのなら、いっそやめてしまってもいいのではないか
 そうだと思います。無理してやる意義はどこにあるのか、不思議に思います。いまうちにいるポスドクのネイティブの元ボスの方が、スライドやポスターがしっかりと英語で説明されていれば、話す言葉など関係なく中味は理解できると言っていたそうですが、これは「下手な英語は聞きたくない」というコメントのような気がします。個人的に話す場合にはブロークンでも十分通じると思うのですが、口頭発表となるとはなはだ怪しい気がします。
>英語(実際は米国?)コンプレックスの悪い例
 かなり共感する意見です。
by stochinai | 2006-07-19 23:59 | 科学一般 | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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