5号館を出て

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大学院「内部進学者」を3割未満に

 今朝の朝日新聞に、教育再生会議の提言についての特集記事が載っていました。しばらく前から、あちこちで報道されていたことなので内容的には特にニュースというほどのことでもないのですが、朝日の記事によると旧7帝大(いまだにこの呼び方が残っているということが、いかに文部科学省の大学政策が旧制度を温存しながらの、形ばかりのものであるかの証明みたいなものです)と、東工大や一橋大など「90年代に大学院の定員を増やした大学」(いわゆる大学院重点化されたところという意味だと思います)では、この方針を数値目標として「外科手術」すると言っているようです。

 こういう重点化された大学院では、すでにある数の大学院生は外部から入学してきております。東大などは、学部定員より大学院定員が1割ほど多いので、すでに何割かの学生は他大学出身者によって占められているものと思われます。こういう大学にとっては、身内からの大学院進学を3割以下にするということは、痛くもかゆくもないかもしれません。逆に、選ぶ大学院側が学生に対してより優位に立って「選抜」することを可能にさせるという意味において、今でさえも弱い立場にいる大学院生をより弱い立場に置くのではないかという危惧を抱かせます。

 今は、卒業研究で入った研究室でそのまま大学院へと進学する学生が大多数なのですが、大学院の入試というものはどこでも大学入試ほど「厳正」に行われているわけではないという事情もあって、「情」というものもありますから特に大きな理由がない限り、大学院進学を断られるというケースは少ないのではないかと思います。それが、内部からの進学者は3割以内ということに制限されると、3人に1人しか同じ研究室で進学することはできなくなり、そこに大きな競争が生じることになるかもしれません。

 また大学院生も、学術振興会の研究員に採用されて有給になるという道もあるのですが、その選考過程において、かなり「研究業績」が評価されるという事情(噂?)もあって、4年生の卒業研究からひとつの研究室で同じ研究を続けた場合と、途中でそれが変わる場合とでは、大きなハンディが生じるという事情もありますので、同じ研究室で進学できる人と、他大学へ移ってまったく新しい研究を開始した人では、大きな格差が生じてしまう可能性があります。

 そうなってくると、同じ研究室の大学院へ進学できるかできないかということは、その先の研究者としてのキャリアにとって、最初のセレクションとして機能する恐れが出てくると思います。大学院入試を大学入試並みに厳格にしない限り、この段階で同じ研究室に残れるかどうかが、指導教員の「判断」というようなあいまいなもので決まることになると、それは新たなアカハラの火種になるとともに、研究室に残れるか残れないかのサバイバルゲームが、学生同士の無用な軋轢を生みそうで不安にもなります。

 さらには、研究室の教員の力の差によって、自校出身者を入学させることのできる研究室と、それができない研究室などという悲劇も出てくるかもしれません。

 そうした現場での混乱というものを、きっちりと調査・想定して、混乱なく実施するためのインフラを整えた上で提案していただくのならば、基本的に学生がいろいろな研究室で学ぶということは良いことなので原則的には歓迎したい気分がないわけではありません。もし、本気でやるのであれば、「例外なしに」他校に進学した学生には返還免除の奨学金を与えるとか、自校で進学した学生は博士課程の学振研究員にはなれないとか、誰の目にもはっきりとわかるルールが必要だと思います。

 今でも、研究室を変わらないと学振PDは与えないと言いながらも、特別に優秀で特別な理由がある場合には認められる「例外」もあるなどということがあると聞きます。文部行政の下でこのようなことが起こっているということがあると、結局今回の提案も一部の「有力教員」の研究室は制約から逃れられるなどということになるのではないかという不信感も感じます。

 それとともに、有力大学はこの制度を「活用」して、一人勝ちの状況をさらに先へ進めて、格差がどんどん広がっていくような危惧が感じられるのですが、実は今回の提案も大学院を整理・再編するための政府の方針のひとつとして、はじめからそのつもりだということならばこうした危惧や反対意見はすれ違いということになりそうですね。
Commented by pantagruel at 2007-05-01 18:37 x
はじめまして。現在フランス政府給費留学生としてパリ大学の内の一つに留学している人文系の院生です。昨日、日本にいる父親から「旧育英会」の返還免除からもれた連絡を受け、頭の中は将来の不安と小泉構造改革への怒りでいっぱいです(メーデーに相応しい!)。奨学金問題を扱っているサイトを探していてこちらに辿り着きました。「25万人の院生が団結して圧力団体を」と書かれていらっしゃった過去ログを読ませて頂きましたが、私の留学先であるフランスではすでに現実のものとなっていて、大統領選挙でも研究と教育は大きな争点となっています。以下は、「sauvons la recherche 研究を救え」という団体のウェブサイトです。
http://recherche-en-danger.apinc.org/
でも、フランスの大学の学費って年間3〜4万円(文系の場合)なんですよ。とほほ。。。
Commented by stochinai at 2007-05-01 22:04
 こんにちは、パンタグリュエルさんですか。高校の時に習ったような気がするお名前です。

 日本ではもう死語となってしまった「学生運動」や「デモ」がフランスでは現役であるのはどういう違いなのかいつも考えてしまいます。日本では、学生や教育は「選挙の票にならない」ということで、あらゆる政治団体が真面目に取り上げてくれない伝統があります。昔からいる自民党の「文教族」というのは、私学で金儲けを考えている連中だと理解しています。「研究を救え」というのも、理解してくれる人が少ないテーマです。そちらの運動を真似たアレゼール日本という組織もありますが、なかなか広がりません。
 私が学生の頃は日本でも、大学の学費は月1000円(年12000円)でした。

 これからも、いろいろと教えてください。
Commented by 匿名ポスドク at 2007-05-01 22:38 x
こんにちは。いつも興味深く拝読させていただいております。
わたしもまさに同じことを考えておりました。結局は強いラボがより強くなり、すそ野の荒廃が進むような気がいたします。

ちょっと前、たしか経済財政諮問会議での民間議員からの提言だったでしょうか、大学の運営交付金にも競争制の導入云々、という話がありました。

併せて考えてみると、やはり政府の姿勢は、格差拡大の方向へ向かっているような気がしてなりません。
Commented by stochinai at 2007-05-01 22:54
 そういうことを考えている人たちは、本当に頭が悪いと思うのですが、今先端的研究をしているラボができたのは、それまでにたくさんの裾野があったからなのに、今先端的研究をしているラボ以外の裾野はいらない、あるいは無駄だと思っているのだと思います。

 富士山を支えている裾野を切り捨ててしまうと、富士山の頂上がなくなってしまうということを理解できないのでしょうね。そういう人が国を経営しているのだとすると、我々は国とともに滅びることを甘んじて受けなければならないのだと思いいます。
Commented by inoue0 at 2007-05-02 01:41
>大学院入試を大学入試並みに厳格にしない限り、
 ここがよくわからない。現在とどこが違うんでしょうか?私の知っている大学院入試とは、ペーパーテストだけで合否が決まるものです。面接もありますが挨拶程度ですね。
Commented by stochinai at 2007-05-02 07:31
 多くのケースにおいて大学院の試験というものは、問題の数が少なく、しかも論述式のものが多いのではないかと思います。この方式だと、採点する側の裁量によって評価はかなり揺れ動くものと思われます。現在のように、受験者の多くが合格している場合には問題が少ないと思いますが、それをもとに奨学金の免除を決めたり、将来のキャリアに響くような合否や順番を着けるのはかなりまずい状態だと思っています。ペーパーテストとすら言えないのが現状だと考えています。
 いろいろ批判はありますが、現在の大学入試は問題の数も多いですし、採点の客観性にもかなり気を遣っているので、結果にクレームが付くことはほとんどないと思いますので、大学院試験をそうした客観テスト方式にしなければ「不正」も起これば、不満も出てくると思います。
Commented by nq at 2007-05-04 12:16 x
概ね同感です。たぶん、東大では全く困らず、それ以外の2番手(東北大、阪大クラス)が一番打撃を蒙るでしょうねえ。
>もし、本気でやるのであれば、「例外なしに」他校に進学した学生には返還免除の奨学金を与えるとか、自校で進学した学生は博士課程の学振研究員にはなれない
これは効果ありそうなアイデアですね。いろいろ副作用が多いでしょうけど、優秀な者ほど外へ出る動機付けとなるので東大の一人勝ちはなくなるでしょう。それゆえ、委員の小宮山総長が賛成しないでしょうから教育再生会議からは絶対出てこない案だと思います。
Commented by sue at 2007-05-07 23:39 x
学問分野によってはさらに違う影響が出るように思います。
北大低温研が専門とする雪氷系の研究は、国内でも他大ではあまりチョイスがありません。そんな分野にも同じように根拠の無い数字が押しつけられたら学生が可哀想です。
一方、「某大の院を狙うなら学部は他大に行け」というような大学院進学の戦略?みたいなのが出てきそうで、これも憂鬱です。
Commented by adhoc at 2007-05-08 07:03 x
とにかく、諸悪の根源は「数値目標」というやつですよ。個別の事情、学生の便宜、教育費を出した親の希望を無視して、「内部進学3割以下」とか義務付けるのはナンセンスだと思います。
Commented by Aeternam at 2007-05-08 11:18 x
ここでは反対論ばかりなので、あえて異論を。

研究大学の大学院(あえて定義はしません)の設立目的の第一は、国の将来を担うような世界クラスの研究成果をあげる事です。そのような事が行われている研究室では、通常は学生にもぴか一の教育ができてるはずでしょう。日本の大学院の問題点の一つは、人材からいっても投下資金からいってもそのようになれるはずの研究室が、人的資源の配分の不合理から、そのポテンシャルを発揮できてない事です。一方学生の教育にとっても、若い時分にひと所に何年もいて、広い世界を見ないのは、絶対的にわるい事です。そして日本の慣性の強い風土を考えると、こうやって外部から強制しない限りインブリーディングの蔓延は治癒不可能です。
Commented by alchemist at 2007-05-08 16:54 x
>投下資金からいってもそのようになれるはずの研究室が、人的資源の配分の不合理から、そのポテンシャルを発揮できてない

米国に比べて投下資金が集中し過ぎて、使い切れない、あるいはまたポストドックを使いすてしているだけのように見える研究室もあるような気がするのですが・・・気のせいでしょうね、きっと。
Commented by stochinai at 2007-05-08 21:02
 Aeternamさん、そうですね。多様な意見がないのは不健全です。一石を投じていただいたことに、感謝します。

 ですから、再生会議も3割とかごちゃごちゃ言わずに、4年後から全面禁止にすると言ってくれないでしょうか。そういうことならば、私も賛成します。今のまま3割とかいうと、結局ずるいやつはすり抜けるし、人の意識を変えることはできないのではないでしょうか。制度改革は人の意識改革を伴わない限り、失敗すると思います。

 「投下資金」というと、alchemist さんご指摘の通り、日本の研究体制は、お金と人の使い方(配分の仕方)がものすごく下手だと、私も感じています。
by stochinai | 2007-04-30 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(12)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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