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山形大学の人事は利益相反のルールを犯していないか

 学内での選挙で破れたにもかかわらず、前文部科学事務次官が山形大学の学長に「天下り」することが決まりました。

 もともと大学構成員が投票する「学長選」は、「意向投票」と呼ばれているはずで、少数の委員からなる「学長選考会議」が学長を決めるための「参考」にするだけのものなので、たとえ選考会議が意向投票と異なる結果を出したとしても、手続き上の違法性はないのだと思います。

 法人化されてから、冬の時代に突入した国立大学が、やり手の学長などを頭に立ててなんとか生き残りを図ろうという意図から、監督官庁である文科省の官僚を学長に据えるという作戦はとてもわかりやすいものです。全国の大学で、ヨダレを流している人達がたくさんいる様子が目に浮かぶようです。

 今回の学長選では4人が立候補したのですが、前文部科学事務次官というとてつもない強敵の存在に、他の3候補は公示後に候補を一人にしぼって一本化を図り、見事に選挙では378票対355票で勝つことができました。ところが、14人のメンバーからなる学長選考会議では天下り候補に10票がはいったそうで、圧倒的な勝利に終わりました。負けた側からみると、絶対に納得できないだろうとは思います。

 どんな手を使ってでも大学が生き残ることを目標としている山形大学の「経営陣」が、新しい学長に大学の生殺与奪権を持つ組織の出身者(しかも、ついさっきまでそちらにいた)にすることで、文科省の内部情報を手に入れるだけではなく、今後文科省が大学運営をするにあたって、「先輩」が天下った山形大学に有利な取り計らいを期待して、今回のような強引な結果になったのだと思いますが、たとえ学長を選ぶプロセスに違法性がなかったとしても、そもそもの民主主義行政の基本ルールに反するという重大な間違いを犯しているような気がしてなりません。

 文科省では、大学に運営交付金の他に、科学研究費補助金やグローバルCOEや特色ある教育プログラムなどといった教育関係の特別経費を配分しています。運営交付金は、どこの大学にも学生数などに応じて一律に配分されているので問題は少ないと思いますが、最近は「競争的資金」と称して多くの予算が選抜過程を経て、採択されたところだけに配分されるようになっています。今後の大学の生き残りにとって重大な意味を持っているその配分を決める官庁である文科省の官僚のトップが、ほぼ現役のまま配分を受ける側の大学の学長に収まるというのは、どう考えてもアンフェアな状況が到来することが予想されると思います。

 そもそも、山形大学が彼を学長にしたのは、フェアに闘っていたらもともと金と力のある旧帝大などにかなわないので、アンフェアな状況が来て山形大学に有利になることを期待してのことだと思います。そもそも、旧帝大などと闘わされること自体がアンフェアなので、自分たちにもアンフェアなことをする「理」があると思っているのかもしれません。

 もしも、山形大学にとってアンフェアに利益がもたらされることがあれば、それはその他の大学およびひいては日本の国に対しては不利益になります。

 つまり、この人事はやはり民主主義の原理・原則、日本という国の体制(民主国家ですよね?)に反することになるような気がしてなりません。

 株式のインサイダー取引が厳重に取り締まられているのと同じように、大学を競争状態に置くのでしたら、その監督をしている人間が大学に天下るということは、同じように取り締まられなければならないことにならないはずです。文科省の高級官僚としては引く手あまたの天下り先ができて、うれしいということになるのでしょうか。文科省と大学法人にも天下り防止法を適用しなければなりません。

 もしも、日本中の大学が一斉に同じようななりふり構わぬ壮絶な競争を始めたら、日本は終わりですね。
Commented by 橋本昌隆 at 2007-07-27 23:51 x
最低な話で、ホントにいやになりますね・・・
Commented by s at 2007-07-28 00:35 x
地方大学にいる先生がカッカするのはわかりますが、「もともと金と力のある旧帝大」にいらっしゃるstochinaiさんが、そんなに熱くなる必要はないのでは?
Commented by ぜのぱす at 2007-07-28 05:25 x
最近、新潟大学で、やはり、選挙では負けていた候補が最終的に逆転で学長になって、裁判沙汰にまでなった事例がありましたが、今回の件は、それとは、また、異なった趣を呈していますね。
Commented by black at 2007-07-28 08:41 x
大学の自治なんて言われた時代もあったようですが、もう終わりですね。地方国立大は文科省官僚の天下り先と化するわけですね。山形大も安易な発想で情けない。
Commented by M at 2007-07-28 11:22 x
地方大の活性化は難しい問題です。旧帝大の植民地と化して、有力若手を旧帝大から受け入れて教授で返すという、熊本大モデルくらいしか考えつきません。
Commented by apj at 2007-07-29 03:20 x
雑談板の方に書いたような、「医学部が重粒子線治療施設を作りたかった」という事情があります。受け皿の学内ベンチャーも既に出来ている。
http://atom11.phys.ocha.ac.jp/bbs01/showthread.php?mid=24172&form=tree
 他の学部には、ごく最近まで何も知らされませんでした。医学部出身の現学長が勝手に選挙日程を2ヶ月遅らせて(学内規則違反)、結城氏を押し込んできました。
 学長選考会議のメンバーは、受け皿ベンチャーの代表が入っています。
 でもって、先にその手の施設を作った群馬大は赤字必至で、現状で出している大学病院の黒字なんか施設維持費で簡単に吹っ飛ぶそうで。
 単なる天下りなら(悪いことではあっても)利益は期待できるわけですが、今度のヤツは赤字しか期待できないというところがこれまでの天下りとは趣を異にします。
Commented by taketombow at 2007-07-29 10:41
今回の学長選挙選挙結果

> 見事に選挙では378票対355票で勝つことができました。ところが、
> 14人のメンバーからなる学長選考会議では天下り候補に10票が

を、部外者の立場から見て奇異に思うのは、”学外からの突然な天下り”なのに、なぜ大差がつかなかったのかということです。半数近い賛成票が示した意思は何だったのでしょうか。表に現れない特別な事情でもありそうな気がします。
Commented by apj at 2007-07-29 14:36 x
 一応中の人なので説明します。
まず、今回の学長選挙の結城氏の獲得票の大半は、医学部の組織票によるものです。医学部は病院を抱えているので、病院の職員と医学部がまとまるだけで半数近くの票になります。
 次に、学内候補の一本化が遅れたため、他の候補に数十票が流れたということがあります。もし、一本化できていたら、さらに数十票の差がついたはずです。
 工学部、農学部、理学部はおそらく学内一位の候補を推しているはずです。人文学部は学内の別の候補を推すのではないかと言われていました。
 事務系は結城氏を推したようです。また、地域教育文化学部は、もっぱら保身のために結城氏候補に鞍替えしました。これは、教員養成を主目的にしても教員になれる人があまりに少なく、存在意義を問われるので改組して教員養成は主目的ではないことにし、教育職大学院を作ることを公約に掲げたのですが、資格審査を満たせる教員が少なすぎて単独では大学院を作れそうにないという情けない状態だそうで、学部を取りつぶされないために勝ち馬になりそうな候補にあらかじめ取り入ったのではないかと思われます。
Commented by nq at 2007-07-29 15:28 x
>文科省と大学法人にも天下り防止法を適用しなければ

大学法人化に文部省が有効な抵抗をしなかった理由の一つは、国立大学法人理事という天下り先の創出になるという見通しを持っていたためといわれていますね。文部科学省官僚にとって大学法人化は「成功」しているのでしょう。(本来の「行政改革」の一環としては、見事なまでに巨大な不幸率もとい不効率を生み出したとてつもない大失敗でしょうけど)

しかし、学長にまで担ぎ出すのは大学として見っとも無いなあ。トップダウン式に役所が役員を任命する理研でも理事長は研究者がなるのが慣例で、官僚上がりは副理事長どまりですからねえ。
Commented by ecochem at 2007-07-29 20:38 x
山形大学出身で地方の公立短大にいます。
学長選とは関係なく,退官した先生方と少し前に飲んだ時に「自分の学部だけでも生き残る気持ちが必要だ」という話がありました。数年前他大学で学部によって改革等に温度差があるという話も聞きました。
「日経サイエンス」2007年9月号に,日経論説委員・塩谷嘉雄さんの『やっぱり文科省立大学か』というコラムがあり,3年前に地方大はこぞって文科省官僚を受け入れるだろうとの予想だったが“まさか学長までとは思わなかった”との記述がありました。
「大学の歴史」というものをその誕生から考えたとき,将来「法人化」はどう評価されるのでしょうか。
私の職場にも遠からずいろいろな嵐が襲ってくるのでしょう。
Commented by 元ポスドクB at 2007-07-30 01:35 x
戦前は学長は中央省庁の任命制だった所が多いのではないでしょうか。ある種の条件のもとでは、これは合理的な選択です。今日でも中央に才能が全部吸収されて、地方では各分野のプロが不足して、地方分権の受け皿がないという現実があります。今回の任命も一種の才能の還流の試みと考えられない事もないです。大学の学長は功なり名を遂げた学者の名誉職から、大学行政のプロへ移行すべきだというのも正論に思えます。その場合学者出身である場合も、行政官出身である場合も、民間の経営者出身である場合もあるでしょう。今回のはその初めての試み、とおおらかに「生暖かく」見守るのがいいように思います。
Commented by black at 2007-07-30 15:40 x
>重粒子線治療施設
これが問題ですね。巨砲艦主義の時代錯誤かもしれません。赤字必至なので学長は国からというのもね、、、
Commented by 国内大学関係者 at 2007-07-31 12:37 x
国立大学でも天下り
高級官僚に限らず、自分の専門分野の成果をまとめて博士号をもらい、教員、副学長、学長になるのは、特に問題はない。省庁の各種審議会(文部科学省に限らず)では「行政担当者(トップは事務次官)」と「学識経験者(大学や民間の研究所の研究者)」が一緒に仕事をし、意欲的な行政経験者が学識経験者の指導の下、学位をとる場合もある。一種のステイタスとして学界へのあこがれもある。これが、健全な関係といえよう。しかし、文部科学省の高級官僚が、理事(事務担当者)の枠組みを超えて、教育行政といった専門分野で博士号をとらずに、副学長や学長に昇格になるということになれば、大問題である。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-07-31 12:41 x
国家I種試験に合格し文部科学省に入れば、学位または学位に相当する著作物(教育学関連)がなくとも、理事を超えて、副学長や学長になれるといった感覚が一般化すれば、大学院博士課程とか博士号、つまり自分の専門分野を極めるという根本の問題を文部科学省自体が理解していないことになる。大学生が修士課程や博士課程にいかなくても、文部科学省の役人になれば学長になれるといったことを考えるだろうから、大学は崩壊へと向かう。文部科学省の役人も他の省庁、財務省はほぼ100%の役人が外国の大学院に留学するか国内の大学から博士号をもらう役人も少なくない。なぜ、このような感覚が文部科学省の役人に全く欠如しているのか理解できない。山形大学では、医学部関係(学内の3分の1)と事務担当者を除くほとんどの教員が猛反発をしたようである。最近の情報ではいわゆる文部科学省のノンキャリア組(審議会等でもあまり話をしない)が大学の事務を経験して理事や副学長になるという。いっそうのことすべての経歴をすべて新聞で公開すべきである。ばかげていることだ。しかも給料は2000万はいかないが桁外れ。学部長を集めてっておかしいよね。
Commented by あのね at 2007-07-31 12:48 x
カネも政治力も世論の支持もない大学人がいくら吠えても無駄ですよ。まだ分からないのかね。
Commented by 教育関係者 at 2007-07-31 13:07 x
国家Ⅱ種試験に合格し内部試験によって評価されていているのであれば、少しは理事もわかるけど、大学教員以上の経歴を認められるべきでしょう。このような姿勢では、通達といって、小中高等学校の教師との関係でもおかしいことになる。校長に天下りすらないのに考えられません。
Commented by Makkurikuri at 2007-07-31 13:16
TBさせて頂きました。
決まってしまった以上、新しい学長が山形大学にとって良い仕事をしてくれる事を期待するしかありません。
しかし、ルール自体をねじ曲げた様な今回の選抜方式が通用してしまうと、世の中がおかしくなってしまうと思う訳です。
Commented by stochinai at 2007-07-31 14:30
 あのねさん、カネや政治力はあったとしても威張ったら人間としての品格が疑われます。世論の支持がないのは、大学が今まで努力を怠ってきたことのツケですから甘んじて受けなければならないところではありますが、それでもなおかつ「吠える」権利があるのが民主国家日本の原則というものです。それを踏みにじる権利は誰にもないと憲法に書いてあります。

 無駄かもしれないと思っている人は多いと思いますが、無駄なことをするのが「人間」というものかもしれません。「義を見てせざるは勇なきなり」とは孔子の言葉らしいですが、武士道の精神でもあります。
Commented by stochinai at 2007-07-31 14:35
 私は学歴がない人や博士でない人でも学長になっても良いと思っています、というかそんなことはどうでもよいことだと思います。

 私は、今回の問題はそこにあるのではなく、競争のルールを台無しにして利益誘導を狙った双方の行動だと考えています。
Commented by あのね at 2007-07-31 19:08 x
権利も結構だけど、吠えれば吠えるほど支持を失うのは左翼をみれば明らかでしょうに。まあ分かんないんだろうな。
Commented by とまと at 2007-07-31 19:55 x
意見交換の場を作ろうとして管理人さんがテーマを提示しているのに、それをけなすようなコメントのみ書き込む方がいるようですが、真面目に語り合いたい人を不快にさせ、議論の意欲をそぐだけで、意義のないことだと思います。

どなたかの意見や行動に賛同出来ないのであれば、ご自身としてはどのような考えなのかを提示すればよいのではないでしょうか。けなすだけけなして意見は表明しないというのはどうかと思います。
Commented by ねのあ at 2007-07-31 20:57 x
訳の分からない知能障害のようなコメントは、削除したほうがいいんじゃないんでしょうか
Commented by stochinai at 2007-07-31 21:11
 あのねさんのコメントも削除しません。
Commented by stochinai at 2007-07-31 21:13
 ところで、あのねさんはおいくつですか?
Commented by とおりすがり at 2007-07-31 21:56 x
博士をとらなければ学長や副学長になってはいけないという意見の意味がわかりません。ノンキャリアが理事になって何がいけないのでしょうか?学歴や経歴がない人間は頑張っても然るべき地位についてはいけないということでしょうか。新聞に投書してみたらいいんじゃないですか?賛同する人はあまりいないと思いますが。ますます大学人が世間から見放されるだけだと思います。学歴のない民間人が学長やってもいいと思いますし、元行政官だからだめだということはないと思います。
Commented by stochinai at 2007-07-31 22:12
 私も同意見です。大学の中といっても、いろいろな意見があるということだと思いますが、教員になるには博士号を持っていなければダメとおっしゃる方は、かなり多いことは事実です。私は大学内におりますが、もはやそんな時代ではないと確信しています。
 一般論としては、元行政官だからダメということはないと思いますが、文科省で権限を持っている側と近い方はダメだと思います。そこをごっちゃにしてはいけないというのが私の意見です。
Commented by 元ポスドクB at 2007-07-31 22:41 x
一般論として言えば、元行政官、特に高等教育、研究行政に携わってこられた詳しい方がいれば、それは適格者の最たるものです。今回の例がそうかどうかは知りませんが、誰かがはじめて例を積み重ねるのが大切です。「学歴のない民間人」はあまり的確とは言えませんが、学歴もあり、見聞が広く教養あふれる財界人(大勢います)ならば適任でしょう。大学人が世間から見放されているかのごとき発言がなされてますが、何をさすのか意味不明です。大学の役割の重要性、とくにプロフェッショナルな学問の研究による知の創成は、社会に不可欠で、いうまでもなく官界、実業界でもそう評価されています。日本の大学の研究水準は高く、そこから生み出される人材も、一般的に言って社会で高く評価されています。他方今回の選出方法は、あまり現代的でも透明でもなく、これは該当大学の関係者の資質や判断力に疑念を抱かせ、決して当該大学の評価を高めるものではないでしょう。Conflict of interestについては、今後もすべて衆目に晒されたなかで事が進むので、さほど心配すべき事には思えません。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:00 x
大学の役割を理解されている方が少ないことを残念に思います。

(1)法人化前
まず、法人化前は、一般的に、学長(教官)-学部長(教官)-教官に対して、事務局長を中心とする本部事務組織と学部事務長を中心とする事務組織に分かれていました。お互い協力関係もありました。この事務局長のポジションは通常文部省高級官僚(または一部ノンキャリア)が占めていました。この当時は教員組織と事務組織ははっきり分かれており、全体を学長が統括するかたちでした。学長および学部長および各学部代表の評議員各学部数名から構成される評議会が大学全体の重要な決定をしていました。本部事務担当者(事務局長が総括)はこれをとりまとめるかたちでした。これがいいか悪いかは特に議論はしないこととします。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:01 x
(つづく)
(2)法人化後
法人化以後、「事務局長」が「理事」となることが可能となり、つまり「大学役員」となり、「学部長」よりも上の立場になりました。この部分に対する懸念が少しずつ広がってきました。官界と学界との関係などからかなり違和感を多くの教員は感じていたと思います。これは、政府や都道府県等の審議会での「学識経験者(学問的な裏づけによるアドバイス)」としての役割と「行政担当者(実務的には詳しいが学問的な面のアドバイスを受けたい)」との役割分担があるからです。実務面と学問は別のカテゴリーであり、お互い尊重していたわけです。財務省や環境省等の行政担当者は自分のやったことをまとめ、学界にデビューし学識経験者として大学で教鞭をとる人も出てきました。しかし、文部科学省については「大学マネージメント」としての実務と学術的な面を区別する認識が欠如し、「理事」として大学経営やマネージメント実務担当者として「大学役員」となり、いつの間にか上司となったのです。教員全体は黙認したように関心が低かったと思います。法人化の理解もまだできあがっていなかったからでしょう。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:03 x
(つづく)
同時に役員会と経営協議会ができました。この2つがかなり権限をもつようになりました。どちらも、役員として昇格した事務局長兼「理事」がはいっており、財務関係を含めた複数の部門の統括=役員としての機能を有するようになってきたのです。その他研究や教育等の理事は大学規模によって人数は異なりますが、一般的に学部長経験者がつく場合が多いです。副学長制度を利用して、大学によっては、この役員である事務局長兼「理事」をナンバー2「副学長」に昇格させるようにしたわけです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:04 x
(つづく)
法人化前は国の機関であったので出向のかたちをとっていましたが、現在では、本省のいろんな部署(大学行政は高等教育局だけ)を経験し、次に本省の課長級(ノンキャリア)または部長職級(キャリアおよび昇格試験合格者)を経験して、文部科学省を辞めて、理事や副学長となるようになったわけです。また、本省を辞めて、国立大学法人の課長・部長職から事務局長・理事、さらに「副学長」と昇格する場合もあります。ここでも教員は鈍感であったと思います。学内の会議で事務の権限が大きくなり、最終的には、学部教授会の権限は学内の規則の上でも権限が縮小してきたわけです。全国的には、理事・副学長の文部科学官僚(ノンキャリアも含む)は各大学1名くらい、また部長職等にも複数名配置されるようになってきたわけです。つまり、天下りポストが全国にあり、多額の退職金をもらい、理事や副学長の給料も1500万ぐらいになって国民の税金が多数使われているということです。すごい税金が投入されているわけです。これも背景としてあります。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:06 x
(つづく)
今回の山形大学のケースをお聞きしたところ、学長および副学長1名(その他教員数名はおもに学部長経験者)まで文部科学省の高級官僚で占めるようになったわけです。本来、学長および副学長は、自らの分野の学問的バックグラウンドである博士号を有しているのが世界標準となります。世界標準では、大学のマネージメントでさえ博士号が存在するわけです。したがって、学長は博士号を有しているのが普通ですし大学間の国際研究交流等で当然のことといえます。文部科学省とのパイプではなく、専門分野の高い学識とマネージメント能力が問われるということでどちらも兼ね備えてなくてはなりません。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:07 x
(つづく)
元文部次官でしかも教育マネージメントの博士号または少しの著作物でもあればすべての教員は沸きあがっていたでしょう。ここまでは同じだと理解してほしいということです。あくまでも、次官職は大歓迎ですが、学長および副学長は、科学分野でも教育マネージメントでもいいですから博士号か相当の著作物(これは教員の採用条件と等しい)がなければいけないという考えの教員が医学部以外のほとんどだったということです。これは、他の大学でも同じです。また、大学設置基準を満たさない可能性もあるとの指摘もあります。ここで、法人法および大学設置基準では、学長は「学識」が求められるとあります。ここの解釈を文部科学省は「学識=(文部科学省本省の)実務経験」とかえそうなのでので大学教員は抵抗したわけです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 03:13 x
(つづく)
これは大学改革の1つであった国立大学の閉鎖性、つまり、大学の学内の政治的な力(全体のマネージメント)のみの研究をしない教員を学長にしないことにも反します。閉鎖的な環境をなくすように改革が進んでいるのに、そこに高級官僚がやってきたということになったわけです。以上です。
つまり、年金問題等の「カネ」の問題に加え、退職金後の天下り「給料」の「カネ」問題もあります。学生のための大学の問題でもあるということです。しかし、学長や副学長、学長選考会議に対して、医学部以外の教員がNOといってるのに、推薦人を学長選考会議に入れているわけですから、やり直しは当然のこと、天下りも問題なのだといっているとのことです。
Commented by 元ポスドクB at 2007-08-01 08:12 x
学長選考において、博士号と狭い意味の「業績」にこだわる事には、正直あまり意味を感じられません。将来は知らず、日本の現状では、当該候補者の学歴的意味のCVは十分に立派なもの、というのが世間一般の受け止めでしょう。

大学において行政部門が相対的優位を増している、これは憂慮すべきこと、という趣旨とお見受けしますが。官僚化硬直化した現在の行政機構が肥大化するとすれば、それは問題でしょうが、行政の実務は専門家に委任して、大学人は学問に専念し、そして大学行政に携わる場合は長期的目標を見据える役割を担う、という方向になれば、これは望ましい分業です。ここ10年の改革でできた今のところ存在する「学長のリーダーシップ」が、多くの場合未だ単なる戯画なのは事実ですが、一方で「大学人の自治」のカオスでやってきた昔に比べ、大学キャンパスが飛躍的に整備されてきたのは事実です。もっと本質的な改善が今後あると期待したいですね。
Commented by 元ポスドクB at 2007-08-01 08:31 x
天下りということで、年金問題、学長や理事の給料の多寡ETCと絡めてセンセーショナリズムを刺激するのは、メディア戦略としてはいいでしょうが、冷静な議論にはどうかと思います。

大学研究者の究極目標は、大学行政機構の階段を上り詰め学長になる事、ではもちろんないですよね。本来大学に取っては副次的事項の行政機構は専門家に委任して、それとは別に研究者のキャリアパスとして、研究の専門職に階梯をもうけ、 たとえば(米国と類似ですが)なんとかかんとかdistinguished professorとか、しかるべき報償をともなう待遇を作っていくべきでしょう。そのような人の中から、行政感覚もある方が学長となり、国政にも携わるという(ラリー・サマーズ博士のような)例が、将来日本でも現れることを期待したいです。もちろん小役人が突然大学に天下ったり、三流の学者が経済閣僚に脈略なく登用される、とかばかりにならないように注意を払いながら。。。
Commented by apj at 2007-08-01 11:29 x
元ポスドクBさん、

>日本の現状では、当該候補者の学歴的意味のCVは十分に立派なもの、というのが世間一般の受け止めでしょう。

 むしろ「あからさまな天下り」というのが、このご時世の世間一般の感覚だと思いますよ。CVの判断までは多分たどり着かない。

>行政の実務は専門家に委任して、大学人は学問に専念し、そして大学行政に携わる場合は長期的目標を見据える役割を担う、という方向になれば

 法人化の時のふれこみは確かに仰るとおりだったのですが、いざやってみると逆でして、行政の下働きまで教員がやる羽目になりつつある上、行政専門の事務の方も仕事が増えて弱っている状態です。これが、学長のリーダーシップで解決可能かというと、ちょっと無理な気がします。

>一方で「大学人の自治」のカオスでやってきた昔に比べ、大学キャンパスが飛躍的に整備されてきたのは事実です。

 具体例をお教え下さい。
Commented by apj at 2007-08-01 11:31 x
>小役人が突然大学に天下ったり、三流の学者が経済閣僚に脈略なく登用される、とかばかりにならないように注意を払いながら

 いくら注意を払ったとしても、「制度」あるいは「法的根拠」が無いと、何の効力も持ちません。「注意」だけでは何もできません。でもって、「制度」は作ったようにしか機能しないでしょう。
 良識だの倫理だのといったあやふやなものに根拠を置いていたのでは多分ダメでしょうから、立法をどうするかというところに帰着しそうに思います。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 11:42 x
>大学研究者の究極目標は、大学行政機構の階段を上り詰め学長になる事、ではもちろんないですよね。

文部官僚の究極目標は、大学行政機構の階段を上り詰め、理事・副学長になる事のような露骨な状況が、特に地方国立大学では聞きます。もちろん、大学の研究者の目的は優れた研究業績をあげて社会に貢献することであまり役職にこだわらない人が多いと思います。いわゆる雑務といいます。ただ、元ポスドクBの方は旧帝国大学の方であれば、この地方国立大学の悲惨な状況はおそらく理解できないと思います。わたしも聞いてびっくりしています。また東大では大騒ぎになるでしょう。

>もちろん小役人が突然大学に天下ったり、三流の学者が経済閣僚に脈略なく登用される、とかばかりにならないように注意を払いながら。。。

これがかなり可能性があるということなのです。
Commented by kame at 2007-08-01 12:31 x
apjさん
 一応業界人なので、教職大学院について説明します。
 教職大学院の設置基準に、「実務家教員」を専任教員の4割以上含めなければならないと定められています。山形大学だけが「情けない」わけではなくて、どこの大学でも「実務家教員」は不足しています。設置申請には学長裁量定員等の措置が欠かせません。だから多くの大学が断念し、実際に教職大学院を申請した国立大学は15しかなかったのです。
 教職大学院は専門職大学院の一種で、従来の研究中心の大学院とは全く異なる、言わば「高級な職業訓練校」のような感覚です。
 事務次官天下りに便乗してまで教職大学院に固執することを「情けない」と言うのであれば、それはその通りだと思います。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 12:37 x
再度、民主党から天下り法案の修正に関する法案を提出することは重要かもしれません。関係者は働きかける必要があると思います。参議院の臨時国会で文教委員会が開かれれば、すべてを正確に説明して、問題点を明らかにしてもらう必要があります。当初の民主党案では駄目で、一定の要件(学長や副学長の学識)を定めるべきだと思います。

一応、大学に勤める場合は、学部長からなる部分を除き、理事や副学長にしても公募も考えられます。勿論有力候補者を学内民間から出してもいいのです。このような公平性が保たれれば、民間の有力者も可能となります。教員だけ、公募だ任期制だと言い始めているのに、自分たちで大部分を縁故で埋めること自体おかしいのです。広い意味であれば、最初から結果がわかっていた今回の場合は天下りかもしれませんし、学長選挙の選挙違反について各法人でまとめるべきかもしれませんね。

私も最初はわからなかったのですが、細かく考えていくと全体像がはっきりとみえてくるのです。東大だったら、新聞の一面を使って細かい分析が行われたかもしれませんが、社会面や地方版の小さなスペースではなにもわからないのです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 12:49 x
専門職大学院の場合の教員だったら問題はありません。しかし研究科長は業績は必要となります。東京大学の公共政策大学院であれば、まずは実務家教員として採用して、研究科長には実務としては申し分ないわけですから、行政関連の学位の準備または著作物の準備をお願いするのではないかと思います。教職大学院の場合は、実績が問われるので教育学部の教員よりは著作物はうるさくないかもしれません。しかし、研究科長は必ず求められます。教え方をまとめたものを大学の紀要に書くことを繰り返せば、教職大学院の研究科長は可能だと思います。しかもこれを推進していたのが、監督官庁の文部科学省であり大学評価気候なのです。この点でも矛盾があります。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 12:56 x
大学は今はかなりの人が行きます。そこで、学生の教育水準が高まり、誇りを持って研究を進めて教育する教員にとっての環境も必要となります。

(事務長→理事→)副学長→学長を狙っているのは実は無頓着な学者でなくて、文部科学省であったと考えることができます。民間から江崎玲於奈さんが筑波大学の学長になることによって、大学に磨きをかけました。やはり大きな違いがあるということです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 13:06 x
ウルトラC的な解決の方法として、学長就任予定者に、行政関連の学位の準備または毎年の著作物の準備をお願いするような条件を表明すれば、このごたごたは沈静化するかもしれません。これはすぐわかるでしょう。これを目指して何も悪いことはないのです。学長にとってもいいことですし、外国の大学との交流協定もスムースにいくかもしれませんね。そしてすべての官僚に対して襟を正すようになることも可能になります。
ただ個々の部分は争点となっていますからおそらく難しいでしょう。
Commented by 元ポスドクB at 2007-08-01 15:39 x
「天下り」自体の是非についての、私の、というか「通常の」視点
http://shinka3.exblog.jp/6589680/
もご覧下さい。
要は、これは大きな流れの一部であって、個々の木を見てヒステリックに反応するのもいいですが、森を見て、「生暖かく」応援すべきだろうと言う意見です。
Commented by あのね at 2007-08-01 19:58 x
年齢は関係ないでしょ。権利バカの末路は共産党を見れば分かりますよ。
Commented by stochinai at 2007-08-01 20:04
 そういう言い方が「中学生」みたいなんですよ。議論をするための、丁寧な言葉の使い方を学ばないと、誰にも相手にされなくなりますよ。
Commented by あのね at 2007-08-01 20:24 x
相手にされなくて困ってるのは大学という話でしたよね。
Commented by stochinai at 2007-08-01 20:50
 はははは、そういうレベルの話ではありません。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 22:20 x
1> Commented by とおりすがり at 2007-07-31 21:56 x
博士をとらなければ学長や副学長になってはいけないという意見の意味がわかりません。ノンキャリアが理事になって何がいけないのでしょうか?学歴や経歴がない人間は頑張っても然るべき地位についてはいけないということでしょうか。。
2> Commented by stochinai at 2007-07-31 22:12
 私も同意見です。大学の中といっても、いろいろな意見があるということだと思いますが、教員になるには博士号を持っていなければダメとおっしゃる方は、かなり多いことは事実です。私は大学内におりますが、もはやそんな時代ではないと確信しています。
3> 元ポスドクB at 2007-08-01 08:12 x
学長選考において、博士号と狭い意味の「業績」にこだわる事には、正直あまり意味を感じられません。将来は知らず、日本の現状では、当該候補者の学歴的意味のCVは十分に立派なもの、というのが世間一般の受け止めでしょう。
Commented by あのね at 2007-08-01 22:28 x
駄目だなこりゃ。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-01 22:46 x
回答1)学歴論ではありません。資格審査の不明瞭さをいっているのです。

大学の教員の「免許書」に相当するのが「博士号(日本の文科系の相当の著作物)」となります。つまり、これは必須要件となります。専門職大学院教員については緩和されているようですが、研究科長は、著作物(博士相当)は必要となります。「免許書」をとって、著作物と経験の最も優れた人を選ぶというのが一般的です。学長や副学長は、自らの分野の博士号があるのが世界的な常識です。(ただ、日本では文系はこれまで博士号をださなかったといことがありますけど、優秀な研究者が世界で認められない鯨飲となっていました。)世界に通用しない大学を学ぶことは学生にとって利益がないのですか?

理事について、ノンキャリアがいいとか悪いかでなくて、役員として教員の上に立つわけで、そのための評価(内部の資格試験や等)が適切であるかが明確でないということです。学歴をいっているのではありません。このような明確な内部評価基準がが全くないのではないかということです。ノンキャリアに限らず、官僚が明確な幹部候補資格を得て役員になっているわけではないということです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 22:55 x
回答2)教員については「免許」です。外国では、博士号がなければ、国連機関でもリーダーにはなれません。学士・修士取得者は自らの分野の「免許書」をとろうとするのです。このような感覚は日本と著しく違います。
外国で在外研究で、博士号がなければ、研究者とは認められません。プレ・ドクトラル・スチューデントです。行ってみて下さい。これは、大学の行政学でも同じことです。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 23:06 x
回答3)ある学部を除く、大学教員のほとんどが反対した理由を理解する必要があります。

優れた経歴であることは認めますしすべての人が尊敬することはもちろんです。しかし、大学の学長としてリーダーシップをとるためには、文部科学省とのパイプという日本的な発想は抜きにして、先ほどいった「免許書」が世界的には必要だということです。これだけの業績があるわけだから、行政関係の著作物ぐらいはないと学長としてどうかと疑問がでるわけです。勉強不足な面もあるかもしれないので、世界の有力大学の学長で博士号がない場合も多数示してください。
Commented by 元ポスドクB at 2007-08-01 23:09 x
現在は法人化後の大学の移行期です。システムが安定するまでは、文部なんとか省のお役人のゴミ捨て場のような現実もあるでしょうし、企業のお荷物になった中間管理職の再処理場の様相を呈する場合もあります。しかし非合理な事は長続きはしません。

事実上人体実験場にされているいくつかの大学の内部の方々には同情は惜しみませんが、そのような場所でも、よい研究はしようと思えば出来ます。数年して掃除が終わり塵がおさまったとき、大学人にとって、国民にとって本当に問題になるのは、誰が上司で誰が下僚かというような、官僚的な滑稽悲喜劇ではないでしょう。

知的創意が次々と湧き出てくる、これまでにないシステムをもった大学が少数生き残って花開く事を、控えめに楽観的に信じます。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-01 23:14 x
stochinaiさん、そして元ポスドクさん、感謝します。

あのねさん。会って話をすれば失礼となるような回答はしない方がいい。
もし学生や研究者とすれば残念に思います。
Commented by あのね at 2007-08-02 01:52 x
年齢を聞くのは失礼では?
Commented by とおりすがった人 at 2007-08-02 02:18 x
国内大学関係者 様
丁寧なご説明をありがとうございました。国内大学関係者様に偏見があったと反省しております。話としては理解しましたが、やはり学歴や業績を重視する部分では府に落ちない面があります。どうしても学閥的発想にしか映らない面があり、市民の目線からは全面的に支持されるかは少し疑問です。
元ポスドクB 様
冷静な批判をありがとうございました。基本的には元ポスドクB様の意見に賛成です。「生暖かく」見守ればいいと思います。あからさまな利益誘導を行えば世間の批判を招くことは確かですし、そうなれば同じことを繰り返すのはいくらパイプや権限をもっていても不可能になると思います。
stochinai 様
ご意見ありがとうございました。最初の方にも書いてありますが、。「生暖かく」見守ればいいと思います。よくも悪くも「事後統制」が重視されるようになってきてますから、失敗した前例が出れば、stochinai 様の思う方向に進んでいくと思います。
Commented by 国内大学関係者 at 2007-08-02 06:30 x
みなさんのように、社会をよくしようという若いみなさんが多くを語ることは大切です。どうもありがとうございました。最後に利権は駄目だ経験だけでいいのではという人も実際いるのですが、この「経験」ということば、日本では癒着に利用されていると思うのです。つまり「肩書き」です。またこれにすがって生きる日本人が多い。定年すると利権が行使できないただのひとという人が多いと思います。

Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:31 x
(つづき)
いま日本は真の意味でエリートという人も少なくなりました。少数の力を持つ人が利権を行使する構造を打破しなければなりません。国民全体のことを考えなければなりません。

世界も学歴ではなく資格社会であることは事実ですが固定ではありません。経験に磨きをかけるために、「資格」をとる。これは年齢は関係ありません。米国では就職差別とは年齢問わずすべての人に機会を与えないことをいいます。日本でいうすべての分野にある資格試験、これの専門家としての免許書、称号と考えればわかりやすいですね。博士号という言葉で考えないでください。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:32 x
官僚という経験がどれほど幅を利かせているのかわかりませんが、免許書や称号というものは、かれらの歯止めのためにも有効な手段だということです。世界では、資格だけで判断するのかといえばそうではなく、意外と文書を重要視します。またCV(履歴書)ではこれらをことこまかに書く。論文と考えると本質を議論しにくくなるので、文書を用いた交流(会議録や雑誌)が多数ある。これらをしっかりと評価すればこのような癒着構造はなくなるのです。日本では比較的癒着構造を重視する人は、どこ卒、こういったことをやったとなるわけです。しかし、留学したときにショックを受けたのは、意外と高級官僚は著名な研究者のもとで勉強していることを強調したり経歴のことをいいます。あなたは何をしているのについても文書にしっかり残す文化とは明らかに違うのです。この点で学者はシビアであると考えたらいいでしょう。私たちは科学をクリア(文書で説明)にする仕事なのです。経験や実務を軽視しているわけではありません。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:32 x

私のような科学者が理論と実験を語るグループ(会議や学会)もあれば、研究者と実務家や政策担当者が一緒に語り合うグループ(会議や学会)もあります。ここに文部科学官僚は参加していないということです。


経験を評価するにも文書がなければとなるのです。これでしっかり説明できたかもしれません。ありがとう。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:37 x
官僚がそうでないというのはいいすぎでしたが、天下りといわれてもしょうがないねと思うのです。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:40 x
どうもこれまでありがとございました。さようなら。
多くの研究者が悩んでいることだけは理解してください。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 06:45 x
普通関心もなかったことでしたが、なんかおかしいと思ったら、私たちが鵜飼の鵜になっていたのです。びっくりです。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 07:04 x
私はこの前、昼休みにテレビを見ていて、鵜飼の方々が伝統を守り努力されていることに感銘を受けました。これは残していかなければならないものでもあります。

このような方々とは明らかに違います。磨きをかけるというよりは、鵜飼組合の権力闘争に力をついやしたら、観客が見ても面白くないっている感じですね。伝統の継承という点では、衰退していくことになります。
Commented by 国内大学研究者 at 2007-08-02 07:06 x
では皆さんのご活躍を祈念します。さようなら。
Commented by 情報提供 at 2007-08-05 21:09 x
民主案に大幅譲歩検討 天下り規制 新人材バンク廃止も
2007年8月3日 東京新聞朝刊

 政府は二日、秋の臨時国会で民主党が参院に提出する方針の国家公務員天下り根絶法案に大幅譲歩する修正協議を野党側に呼びかける方向で検討を始めた。(略)、民主党側に大胆に歩み寄るモデルケースとして注目されそうだ。 

 先の通常国会では、省庁による国家公務員の再就職あっせんを全面禁止し「官民人材交流センター」(新人材バンク)に一元化することを柱とする改正国家公務員法が成立。現在、官民人材交流センターのあり方などを有識者会議で検討している。

 一方、民主党は通常国会に提出し、否決された法案と同じ内容の法案を提出する方針で、天下りにさらに厳しい規制が、かけられている。政府・自民党は、このうち(1)早期退職勧奨、いわゆる「肩たたき」を禁止する(2)新人材バンクを廃止する(3)独立行政法人の職員を天下り規制の対象にする-については、民主党側に歩み寄っていいと判断した。

 ただ退職後の就職先について内閣が事前承認する制度を現行の二年間から五年間に延ばす案については、(略)、削除を求める考え。(略)
by stochinai | 2007-07-27 23:03 | 大学・高等教育 | Comments(68)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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