5号館を出て

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博士の就職

 いつもBostonから日本の後輩博士・ポスドクの応援を続けていただいている島岡さんから、「20%ルール」をきっかけとして盛り上がっている議論に対して、建設的な提案が寄せられています。
議論の焦点は広義での当事者:「ポスドク」「研究室主催者(教授)」「大学」「企業」「政府」の誰にどういうようにアプローチするかである。
 上記のコメント欄には、「現場」からの具体的報告やさまざまな「当事者」の意見が出てきており、たとえ自己満足と言われようとここでの議論が有益な情報を提供くれていることは間違いないありません。そして、私も議論の最後の方で書いたように、就職したい博士・ポスドクが自己研鑽やさまざまなスキルアップを図ることは当然としても、それだけでは解決は不可能らしいことも議論の中で明らかになってきています。

 そのような議論を眺めた上で、島岡さんはまず大学・大学院に提案しています。 
 米国に比べ企業の中途採用の難しい日本では、理系大学のPh.D./Postdocに対する就職支援機能を高めることは非常に重要である。個々の研究室レベルではなく大学のカリキュラムとして体系的に行うできであると思う。個々の研究室では「研究の方法」を全体のカリキュラムでは「仕事の方法」をトレーニングし、「事務」で就職支援をする。
 仙台通信さんがやはり上記の議論を見て、「これではやっぱりアクションにつながらないなあ……」とおっしゃっていますが、島岡さんの提案は具体的に実現できるものだと感じました。私は、これを文科省が推進しているグローバルCOEの教育活動の一環として動き出すことが適切ではないかと感じています。>全国でグローバルCOEを提案しようとなさっておられる方々に提案いたします。

 今までの(今でも?)大学院は、どうしても研究後継者を育てるというポリシーで教育が行われてきたために、指導する研究者と同じような狭いアカデミズムの領域に閉じこもることが推奨されてきたと思います。ところがここへ来て、そういう教育を受けてきた人が受け入れるキャパシティを越えて量産されて来たため、本来の受け皿ではないところへアプライしても受け入れを拒否されるという事態が今のポスドク問題の一側面なのだと思います。

 というわけで、これからの博士教育は非専門の一般キャリア教育をかなり充実させることが要求されていると認識しなければいけません。そうなってくると、20%ルールどころか専門研究の教育が30-40%で、残りの60-70%はジェネラリストとしての博士を作るという教育を行わなければならないということになります。

 とここまで書いてきて気がつきました。ちょっと前に「教育再生会議」から、自分の大学から進学する大学院生を30%以下に抑えるというルールが提案されたことがありますが、この30%というのは研究の後継者として教育すべき人数を頭に置いていたのではないかということです。ただの偶然でしょうか、それとも文科省の側でも70%くらいの大学院生は、研究後継者としては「余剰」と考えているということなのでしょうか。

 数字というものは、いろいろと想像力をかき立ててくれますね。
Commented by 結論はすでに出ている at 2007-07-28 16:52 x
前にもコメントをさせていただいたものです。

>ところがここへ来て、そういう教育を受けてきた人が受け入れるキャパシティを
>越えて量産されて来たため、本来の受け皿ではないところへアプライしても受け
>入れを拒否されるという事態が今のポスドク問題の一側面なのだと思います。

そうなることは、大学院の定員が増え始めた10年ほど前に分かっていたはずです。大学の先生方はその間、何の手も打たなかったのでしょうか?この問題は「最近はじまった」かのようにおっしゃる方も多いようですが、すくなくとももっとずっと前くらいからは危惧されていたはずです。


Commented by alchemist at 2007-07-28 17:15 x
重点化の始まった頃に、学内で反対したことはあります(学部の同窓会新聞で、特集記事が載っていたりします)。
学部の運営者側の答えは「重点化すると研究室あたりの予算が増えるから、我慢して欲しい」でした。どこかに書きましたが、一年ほど前に文部省サイドから教えられた事実は「大学院を持っている学部は文部省としては最大限の予算を出しているので、重点化しても予算が増える余地は最初からなかった」です。一方で7年ほど前の教授会で「今は重点化の途中で新設ラボの設置に予算がかかっているから大変だけど、重点化が完成すれば楽になるから」という学部長の説明を聞いたことがあります。重点化すれば予算が増えると学部長も信じていたみたいです。どこかで、情報がミスリードされていますが、震源地が判りません。
大学院重点化で、それまで定員管理がウルサクいわれていなかった大学院の定員充足が文部省からしきりと要求されたこと、一方で就職氷河期の緊急避難先として大学院が学生さんに利用されたことが、現在の状態を招きました。
例え大学院定員の大幅増があったとしても、就職氷河期でなければこんなことにはならなかったのではないでしょうか。
Commented by alchemist at 2007-07-28 17:19 x
大学でいて判ることは学部増設にしても、大学院増設にしても大学のイニシアチブで始まることではありませんし、学生さんのニーズにあわせてのことでもありません。
こんな風にしたら有利かも・・・という、暗黙の誘導がどこかから来て、現場の大学がそれに合わせて動いているような感じです。実際にどんな誘導があるのか、あるいはそんなものはないのか私には判りませんが、全国一斉の教養部の廃止、全国一斉の学士入学の採用、全国一斉の大学院重点化、などなどを見ていると、どこか大学の外にコントロール能力を持った場所があるような気がします。
Commented by informatics at 2007-07-28 18:56 x
10年先も読めなかった基礎系の大学教授が得意げに長期的な視点を語るのは実に笑える。
Commented by A at 2007-07-28 19:53 x
島岡さんの話で一番重要なのは「アカデミアで生み出す知的価値は・・・中長期的にはどんな人材を生み出したかによって評価される(べきである)」と言うところではないでしょうか。研究業績に走った今の体系では、学生やポスドクは労働力でしかありません。教え育むべき対象である彼らを使い捨てとして大量消費しているだけなら、教育機関の看板を下ろすべきです。少なくとも院生の受け入れは止めた方が良いでしょう。
そもそも、研究後継者を育てると言うこと自体まやかしですね。何人もの院生、ポスドクを抱え込んでも、全員を後継者にすることは不可能なわけですから、大半は研究室から出て行くことになります。この出て行く人間に、どのようなトレーニングをし、どのような人物に育てたのか、と言うことを研究室、大学院、そして大学の評価にすべきです。これまでに在籍した「全ての」人間の進路、現在のポジションと言うのを公開すれば、進学する人や、文科省、ひいては企業の人間も、その研究室が生み出す社会的な価値を認識するでしょう。ここから逃げては大学院に未来はありません。
Commented by 結論はすでに出ている at 2007-07-28 19:55 x
>大学でいて判ることは学部増設にしても、大学院増設にしても大学のイニシアチブで始まることではありません

とおっしゃるのであれば、今回のポスドク問題もほうっておけばよいではないですか?「私たちのせいではない。全部私たちではない誰かのせいだ」と。それでよいのかと伺っているわけです。
Commented by 結論はすでに出ている at 2007-07-28 19:57 x
>教育機関の看板を下ろすべきです。

ご意見に同意せざるを得ません。どうする大学?
Commented by 元ポスドクB at 2007-07-28 20:00 x
Alchemistさんのような良心的で誠実な先生がわざわざ来ていただいて、内情を話していただいてるのに、そんななんとかチャネルのような「つるしあげ」をしても生産的でないですよ。こんなとこで大学教授たたきをしてもポスドク問題の解決にはなりません。
Commented by 元ポスドクC at 2007-07-28 21:10 x
もっとエライ先生を叩くべきだろうけど、そんな人はネットに出てこないからね。
Commented by alchemist at 2007-07-30 10:11 x
>今回のポスドク問題もほうっておけばよい
できる(できた)ことは30年前のオーバードクターの頃と変わりません。自分の面倒見れる能力を越えて院生の入学を断る、です。実際に、ウチのラボは相手を見て断ったり、中退して就職したりの道を進めることもあります。ただし、ヨソのラボがたくさん院生を入学させているからできることで、もしヨソのラボの同じ方針で動けば、定員割れということで文部省からの予算が減らされることになるでしょう。
もう一つできる(できた)ことは流行に踊らされてニーズの見込めない大学院は作らない、ということでしょうか。ラボヘッドになれば反対して潰すことは可能ですので、関連する大学院新設案の一つは潰しました。
個人としてできることはこの程度です。
Commented by 結論はすでに出ている at 2007-07-31 08:29 x
>個人としてできることはこの程度です。

大学の先生は「皆さん」そうおっしゃいます。いやalchemistさんお一人を責めるわけではないです。 
ただ、日本における「大学」とはなんなのでしょうか?大学が「ベンチャー企業の集合体」的であるのならば、個々の先生方にもっと権限があってもよいのですがそうでもなさそうですし。かといって足並みそろえて大学としてなにかを打ちだそう!というわけでもなさそうだし。
教育機関なのか研究機関なのかそのバランスやビジョンも不透明だし。ポスドク問題の本質は、社会における大学の立ち位置の不明瞭さとは無関係ともおもえないわけです。
Commented by alchemist at 2007-07-31 10:19 x
そうでしょうね。恐らく我々の育ち方が(日本でもアメリカでも)研究室を行動単位としていて、学部とか大学に関わることがほとんどない(少なくとも准教授まで、ということは教員の過半数)というあたりに原因があるのでしょう。結果として、私のように大学を転々とした場合でも、学部の枠と関係なく研究上の付き合いがアモロファスに広がっている(広がりの先は良く判らない)というのが大学なんでしょうね。そういう不定形な所は研究をする上では非常に都合が良いのですが、組織で動くのは苦手ということになるのでしょう。稀に、坂田昌一さんのように優れた方が研究室からはじめて学科、学部へとリーダーシップを広げてゆくことはありますが、普通の教員にとっては学部の予算編制の決まり方すら良く判らないことが多いのではないでしょうか。
米国の大学でも運営サイドと研究サイドは担当者が別で、研究者はラボの中だけを見ているし、強いと言われる学長の権限も研究室には入ってこないと思いますが。
by stochinai | 2007-07-28 15:52 | 科学一般 | Comments(12)

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