5号館を出て

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忠臣蔵

 さっきカエルの水換えをしながら、横でかかっていたテレビを見ていたら(うちの研究室の動物飼育室にはゴミ捨てから拾ってきたテレビがあります)、忠臣蔵をやっていました。

 毎年、年末になると忠臣蔵と、ベートーベンの第九と、紅白歌合戦というのが日本の年末の風物詩となっていますが、12月の討ち入り(14日)の日までに間に合わせようと、今から数回の連続ものでやろうというのが、この番組なのでしょうか。

 もう、何回も見ている討ち入りのシーンなのですが、吉良上野介の首を切り落とす話になって、ちょっと考え込んでしまいました。

 もちろん、先日イラクで首を切り落とされるという、現代の我々からするとかなり「残酷な」やり方で命を奪われてしまった香田さんのことが頭をよぎったからです。

 考えてみれば、日本でもほんの300年前(討ち入りは1702年)までは、首を切るなどということが平然とあるいは誇り高く行われており、(これを言うとまた大騒ぎする勢力もいそうですが)第二次世界大戦(ほんの60年前です)においてすら日本軍はあちこちで首を切るという殺し方を普通にやっていたと聞きます。

 しかも、忠臣蔵の場合などは切った首を戦利品のごとく、誇らしげに持ち歩いていたのではなかったでしょうか。

 2004年という時代において、首を切るという「処刑」を行っているザルカウィといういう人間に何の弁解も許されるはずはないと思うのですが、我々の国だってついこの間まで同じようなことをやっていたということを考えると、そうそう偉そうなことは言えない気がします。

 ついでに思い出してしまいましたが、アラブやチェチェンの抵抗勢力が良く使う「自爆テロ」という作戦だって、日本軍が発明したのではないかと思っています。

 私が子どもの頃は、半ば英雄として半ば犠牲者として「神風特攻隊」や「人間魚雷回天」の話を見聞きしたものです。敗戦の色が濃くなってきた日本軍が自爆攻撃というものを始めた話は、雑誌やテレビや映画などで繰り返し繰り返し、語られ続けていたように思います。

 自分の命を落とすことを前提に相手にダメージを与えるという攻撃方法は、欧米人には理解ができないため、大いに相手を威圧したものだと、日本人の勇ましさ(あるいは愚かしさ)の象徴として教えられたような気がします。

 日本人がやったら「特攻隊」で、アラブ人がやったら「自爆テロ」というのでは、なんともアンフェアだという気がしてなりません。こういうのをダブル・スタンダードというのでしょう。
by stochinai | 2004-11-05 17:53 | つぶやき | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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