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ポスドクから見たダメ教員

 大学院にはいって自分で研究をするようになると、他の人の研究者としての能力を判断できるようになってきます。(それができない人は、まだまだ修行が足りないと反省してください。)さらに博士後期課程やポスドクになり、研究者としての自分の能力に自信がついてくると、自分よりも明らかに研究者としての能力が劣っていると思われる人間が、教授・准教授・助教でテニュアの職についているのを見ると、時には腹が立つことも多いだろうと思います。

 さらに頭に来るのは、「公募」と称して自分も参加したポスト獲得競争において、明らかに自分よりも業績や能力に劣ると思われる候補者が選ばれることをしばしば経験することでしょう。そのたびに、この国にはフェアな競争がないと絶望的な気持ちになることは想像に難くありません。

 もちろん、「公募」と称した募集の中には、公募という形にしなければ文科省に叱られるからという理由で形だけ公募の形態をとったいわゆる「やらせ公募」が横行していることも、なかば公然の秘密です。経済的手法などで、これだけ大学をしっかりと管理しているにもかかわらず、そういうことを文科省が関知していないのだとしたら、管理責任を問われても仕方がないと思います。

 しかし、一方では文科省と応募してくるポスドクとの間で板挟みになっている大学、それもいわゆる「地方大学」の置かれた立場を理解することも、ポスドク問題を考える上にとって重要なのではないかと思います。たくさんのコメントをいただいたエントリー「大学は、なぜ大学院生を増やしたいのか」に寄せられた「田舎教師」さんのコメントは、もちろん立て前としてはそれに対して寄せられた「そんなことは許されない」というたくさんの反論が正しいのだと思いますが(それは田舎教師さんも自覚されているようです)、単純に否定するだけでは済まない現在の地方大学の置かれた状況を反映しているような気がしますので、ここに再掲させていただきます。
Commented by 田舎教師

>40台海外ポスドク様
>地方大学で平均的なポスドクよりも業績も能力もない教員がごろごろしていますし、公募といっても形ばかりで業績の足りない身内を採用することがまだ多いです。私の知り合いの複数の教授は以前よりもひどくなったといっています。

 地方大学の教員です。仰ることはよく分かるし、その通りなのですが、ちょっとだけ現状の説明をさせてください。
 確かに古くからいる教員にはハナから業績のないひともいます。採用されたときの時代や情勢がそうだったのでしょう。しかし、多くの教員は業績があって採用されて、その後成果を上げられなくなっていっています。特に最近は。なぜか?まず週に講義を5-6コマ担当し、入試・教務・学生委員会など委員に選ばれれば必ず出る必要のあるさぼれない委員会や会議が週平均1.5回くらいあります。校費は昔は100万以上あったのが今は10-40万です。大手の大学と違って、卒業研究の指導も教授自ら真剣に手取り足取りやる必要があります。そのうちちょっとデキの良い学生は大手の大学の大学院に行ってしまい、自分のところには誰も来ないか、来ても2年間バイトにあけくれるモラトリアム組です。

 そして、論文も急速に出なくなり、着任当時は当たっていた科研費も次第に当たらなくなります。
 ここで公募で(場合によっては所属ラボのお陰もあって)すばらしい業績をもつポスドクと競っても、地方で苦労して教育と運営をしている教員は負けるでしょう。しかし、そのポスドクも慣れない教育と運営に四苦八苦しているうちに結局は前任者と同じ運命をたどるでしょう。
 そこで現場で行われているのは、公募条件を厳しくして当該内部候補しか当てはまらないような募集をするのです。これは良くないことですが、教育の質や運営の継続性を保つためにはある程度仕方ないことのようにも思われます。また、最近この状況がさらにひどくなってきたのは、定削に伴う定年後のポスト消失やメンヘル学生の指導の増加や講義実習の評価導入による負担増加など地方大学の教員をめぐる状況がさらにひどくなってきていることと関係があります。

 海外でポスドクをやって業績をあげて、今後は常勤職を得てさらに研究を推進させたいと思っている方々は、そもそも特に教育に対する覚悟が足りないケースが多いように思います。さらに、そんな劣悪な研究環境で、実際には教育(しかも相手の多くは勉強する気のほとんどない学生です)のデューティと運営のための会議に翻弄されるポジションに、それでも就きたいですか?就いた後はそうした仕事をしっかりやり続けることができますか?
 多少、挑発的な田舎教師さんのコメントですが、こんな状況の中に長いこと置かれていた人間が、研究環境としては理想的なスーパーラボで、研究以外のデューティもなく論文作りに邁進していたポスドクと研究業績だけでガチンコの競争をしたらかなうわけがないというのも、また事実だと思います。

 不思議なことに、昔から大学の教員の選考においては研究業績が最大の比較されるべき対象で、そういう観点から競争をしたら、大学院を卒業するかしないかのうちに助教(助手)になった人と、博士課程をしっかりと卒業してそのあとポスドクで研究三昧していた人との勝負はやる前から着いています。そして一時期、研究業績だけをかなり形式的に最優先に人事をした時代があって、その結果教育体制がガタガタになってしまったところも多かったという「噂」も良く聞きます。

 だからと言って、「研究業績だけではなく、教育もしっかりできる人を採りたい」という気持ちで始めたのだとしても、いったん「やらせ人事」という形式の人事を許してしまうと「好き嫌い人事」などの横行を許してしまう温床にもなりかねません。

 というわけで、私は何度も言っているのですが、選考基準と選考過程を透明化することと、研究室のメンバー(特に教授)から人事権を取り上げて、もっと広い視野から人事選考をできる組織に移すことが、大学教員予備軍として存在しているポスドクをはじめとする研究者志望者の中から次世代を担う人々を正しく公平に選ぶことになるのだと思います。

 ついでに申し上げておくと、日本の高等教育と研究を守る(というよりは育てる)ためには、東大や京大という頂点大学の「裾野」としての地方大学の存在がとても大事だと思いますので、そうした裾野を健全に発展させる政策というものが施行されることを心から願っています。そうした大学では、東大や京大とは異なる基準の教員採用が行われることも「あり」だと、私は思っています。

 いずれにしても、「やらせ公募」で採用される見込みのまったくない応募者に無駄な作業をさせるような詐欺的な行為は絶対にやめて欲しいことですね(と、科研の申請書を書きながら思ったのでした)。
Commented by 40台海外ポスドク at 2007-10-29 07:26 x
stochinaiさん、毎度どうもありがとうございます。
おっしゃること全くそのとおりと思います。教育を重視した採用があっても良いとは思います。でも、中身が問題ですね。
 ただ、「地方大で教育をがんばっている実は優秀だけど業績は少ない教官」と「スーパーラボで業績を出しまくっている実はあまり有能ではないポスドク」を比較するのはミスリードを誘うフェアでない比較だと思います。業績重視といってただ雑誌のIFとかを比較することに意味はないと思っています。いいラボでボスの言うとおりにやっているだけかもしれません。IFで採用された人がダメだから、ポスドクが全部ダメのように言われるのは心外です。地方大の環境がひどいと言いますが、ポスドクの環境もいろいろです。短期間でテーマを変わりながら論文を出しつづけるのは大変なことです。
Commented by stochinai at 2007-10-29 07:54
>IFで採用された人がダメだから、ポスドクが全部ダメのように言われるのは心外です。

 そのように読めたのだとしたら、私の文章力が不足していました。スミマセン。もちろん、「そういう例があったと聞いたことがある」というにすぎませんし、その場合にも採用されたポスドクが悪いのではなく、その方のいろいろな能力を正当に評価できなかった採用側が責められるべきだと思っています。もちろん、優秀なポスドクを採用できて喜んでいるという話も聞いたことがあります。

 また、「短期間でテーマを変わりながら論文を出しつづけるのは大変なこと」というのは、まったく同感です。ポスドクを続けている人には、研究室をかわるたびに柔軟にテーマを変える能力を持った人が多いとも感じています。それにもかかわらず、「企業側」の方から「ポスドクは自分の研究にこだわる」という風説がまかり通るのですから、困ったものだと思っています。

 少なくとも、ここでは正しい情報交換を行えるように気を付けたいと思いますので、これからもよろしくお願いします。
Commented by ぜのぱす at 2007-10-29 08:03 x
> 40台海外ポスドクさん、
何処かに『IFで採用された人がダメだから、ポスドクが全部ダメのように言われ』ていますか?私にはそう読み取れる箇所がないんですが‥‥

もし、私が見逃していたら失礼。そうなら、それは私も心外ですが。

それはさておき、私も、stochinaiさんの意見に(基本的に)賛成です。

(その『思い』が、実は、大きな勘違いなのかもしれないけど)『自分よりも明らかに研究者としての能力が劣っていると思われる人間が、教授・准教授・助教でテニュアの職についているのを見る』から、自分でささっと自分に見切りをつけて転身出来ずに、いつか自分もと、いつまでもダラダラと止めるに止められないでいる状態というのもpostdocが溢れている原因として有り得るかなぁ、とも思いました(自分も含めてです)。私は、いつも、刀をpipetmanに置き換えて、postdocと浪人のイメージがダブってしまいます。いつか、俺もと‥‥。すいません、脱線しました。


Commented by ぜのぱす at 2007-10-29 08:07 x
> 『IFで採用された人がダメだから、ポスドクが全部ダメ』

私が、書き込んでいた最中に、既に、stochinaiさんが対応済みのようですね。
Commented by 40台海外ポスドク at 2007-10-29 08:12 x
いえいえ、こちらこそすいません。ちょっと表現がきつかったので訂正しようと思っていたところでした。発言の場を作っていただいて感謝しております。
 もちろん、stochinaiさんがそう思っているというのではないことは明白ですが、そう取る人もいるかなと思い書きました。実際そういうこと言う人もいますし。
 ではまた。
Commented by 40台海外ポスドク at 2007-10-29 08:20 x
ぜのぱすさん

書こうとしていた事を書かれてしまいました。
>自分よりも明らかに研究者としての能力が劣っていると思われる人間が、教授・准教授・助教でテニュアの職についているのを見る』

から諦めがつきにくいというのは大いにありますね。あと公募で公正に選考されるようになるんだろうという期待もありましたね。昔は。
 最近ポスドクになった人はまだこの2つについて幻想持っているんじゃあないでしょうか。
Commented by 一言 at 2007-10-29 09:22 x
いわゆる「やらせ公募」の問題ですが、本当に文部科学省が、人事を公募するよう圧力をかけているのでしょうか?私は私学勤務ですが、そういう圧力の話は学内でまったく聞いたことがありません。第三者評価を受けるための委員会業務にも携わっていましたが、大事なのは人事の「透明性」であって「公募制」ではないはずです。ネットや口コミで「文科省にしかられるから公募の形をとる」とよく聞きますが、ほんとうにそういう「指導」がなされているのか疑問です(国立大学にだけそういう「指導」があるのでしょうか?)。特に、「内部昇進を偽装するための公募」などというのは第三者評価を低くするだけの愚行でしょう。報告書に「公募した結果、内部者を採用した」と書くよりは、「研究教育業績に基づいて内部昇進させた」のほうが、人事の透明性がはるかに高いですから。
Commented by 言い訳 at 2007-10-29 19:55 x
一言さんへ

国立大学は各法人ごとに中期目標・中期計画を定め、運営している(させられている)のはご存知かと思います。中期目標の「3 人事の適正化に関する目標」では、中期計画として、「3 教職員の人事の適正化に関する目標を達成するための措置」を定め、「○任期制・公募制の導入など教員の流動性向上に関する具体的方策」を記述するよう指示されています。内容が不十分と判断されれば、書き直しが命じられます。

他方、学位授与機構の認証評価では、「基準3 教員及び教育支援者」の「観点3-1-⑥: 大学の目的に応じて,教員組織の活動をより活性化するための適切な措置(例えば,年齢及び性別のバランスへの配慮,外国人教員の確保,任期制や公募制の導入等が考えられる。)が講じられているか。」が評価項目になっています。
Commented by 言い訳 at 2007-10-29 19:56 x
(続き)

このような形で、公募制や任期制を導入するよう圧力がかけられているのです。これらの評価に戦々恐々としている立場の弱い大学ほど従順に従うより他なく、原則公募を掲げているところもあります。現場レベルでは内部昇任としたい人事案件でさえも、大学の上層部から評価対策として公募にするよう指示があるのです。やらせ公募は良し悪しは言うまでもありませんが、そうせざるを得ない状況があるのも事実です。
Commented by 一言 at 2007-10-29 20:57 x
言い訳さん、どうもご教示ありがとうございました。

うちの私学でも第三者評価団体(うちの場合は大学基準協会)の項目に公募制・任期制に関する項目はありますが、「公募はほとんど行っていないが、云々」ですみました。「云々」のところが合理的であれば問題ないということでしょう。もちろん昇任人事で公募をかけたことなど一度もありません。また、私の所属する学部では採用公募を始めたのも最近のことですし、一度も偽装公募はありません(適任者不在で流したことはありましたが)。任期制についても「任期制は教員の身分を不安定にし、研究を阻害するばかりか、学生のゼミ指導への悪影響も大きいので採用していない」という正論を報告書に明記しましたが、全く無問題でした。

国立大学は上層部が変におびえて誤導しているのではないでしょうか?そういえば、法人化の際、私学では考えられない不合理で教員に不利な勤務制度にしてしまった国立大学がいくつもあり、びっくりしたことを思い出しました。
Commented by きゃういん at 2007-10-29 22:21 x
日本の大学の人事の昔ながらのやり方は、時代遅れで、辺境の国立大あたりでは、教員の質は酷い物です。

これはポスドク問題とは無関係にそうで、ある意味でポスドク問題より国の学問に取ってずっと深刻な事態です。

条件が悪く忙しなど党と言い訳がいくらでもあるようですが、同じ条件でも「より才能のある教員」を採用できれば、事態は改善されます。何が「より良い教員」かはいろいろあるでしょうが、現状はそんな話ではないのは、だれでも知っている事です。質の低い教員が一定数集まると、自分たちの安楽の為、質の低い教員を好んで選ぶという事になります。

このような機関で、良い教員を集める手は、1)お金を掛けて条件を良くする事、2)教員選考をご当地の現教員から取り上げる事、しかないですが、現状では両方とも、あまり現実味が無いですね。地方の大学が腐って切り捨てられていく流れの一環なのでしょう。

Commented by きゃういん at 2007-10-29 22:30 x
これは結局、このような場所の教員のポストが、アカデミックポジションではない、一種の中等教育教員職になってしまっている、という事です。

ポスドクからすれば、ただでさえ狭まっている市場が、もっと狭くなっているということなので、とても残念な事ですが、学界全体で一致した意志を持って取り組まない限りどうにもならないでしょう。
Commented by 田舎教師 at 2007-10-29 23:09 x
コメントを取り上げていただき恐縮です。

きゃういんさんのひとつめのコメントはややオーバーだと思います(当たらずと言えども遠からずという点はあると思いますが・・・)。ただし、ふたつめの中等教育教員職になってしまっていることは、その通りです。大学が大衆化・ユニバーサル化しているのですから、大学が教育の場である以上、そうならざるを得ない現実があります。だからこそ、エントリー本文でもご指摘いただいているように、異なる基準での採用や昇進があるべきだというのもその通りです。現状でも、研究大学と教育大学に分かれ、また同じ大学の中でも研究教員と教育教員に分かれていっているように見えます。教育的には良いのかもしれず、税金の使い道としても正しいのかもしれませんが、その代わりに研究者の流動性は薄れ、ポスドクの就職先もますます狭くなることになります。また、大きな大学のプロジェクト研究ばかりが増えて、研究の多様性も小さくなることも考えられます。大事の前の小事かもしれませんが、日本の学問的基盤という点では大いに憂えて然るべき問題かと思います。
Commented by 田舎教師 at 2007-10-29 23:14 x
「やらせ公募」について現状を補足します。大学では空きポストがなければ人事はできないことが多いのですが、学部全体で教授ポストに余裕があると、その分野に空きポストがなくても昇進人事の場合ができる慣習のある大学や学部があります。このとき、何年も聞き分けの良い助教授として教授たちに可愛がられたひとがご褒美に教授にしてもらうような温情人事が行われてきた悪しき歴史があるようです。これは猿山のボスを生み出す温床にもなってきたこともあって、「昇進人事はせずに完全に公募制を導入せよ」と上層部が言うのも、ある意味ではひとつの画期的な改革でした。しかし、実際にはその分野には空きポストもなく、したがって講義科目も空いていないのですから、外部からより良い人が採用されてしまうと、学部内で別の人事に使うはずだったポストを消費してしまうばかりか、同じ科目を教える人がダブってしまいます。一部の医学部などには、教授選に出て敗れたらその大学を去るというルールがあるケースもあるようですが、一般的には職探しは難しいうえに訴訟になった場合は勝てません。
Commented by 田舎教師 at 2007-10-29 23:16 x
それで「やらせ公募」になることがあるのです。ただし、他のひとにできるだけ迷惑をかけないように、研究分野や講義課目を絞ったりして当てはまる応募者が少なくなるようにする「配慮」もされます。ただし、あまりにも応募者が少ないと上層部から「公募が成立していない」と言われてやり直しを命じられますので、外部から本命にやや劣る5人程度の応募があるのが理想的ということになります。もっとも、最近では内部でもこうしたことに対して若手を中心に反対意見が強まっており、ある程度以上のきちんとした業績がないとはじめから昇進人事の開始を認めなくなってきているなど、自浄作用も働いてはいます。
Commented by 極論ですが at 2007-10-29 23:30 x
旧帝大、少なくとも東大京大あたりは、民営化もとい私学化して文科省から独立する気概があってもいいような気がしますけどね。
Commented by きゃういん at 2007-10-30 01:08 x
地方大学でも、ごく稀にですが優れた研究をして、東京や世界でも認知されてる人がいます。しかしそういう方は大抵場合、そのうち大都市の大学に移っていかれます。

もともと才能があまり無く、従順に雑用を処理する人は間違いなく最後まで残ります。そしてそのような人が教授となり、大抵の場合大いばりで場を腐らせます。また若い頃研究業績を上げておられて採用された人でも、テニュア職にあぐらをかいて「校務」以外何もしなくなる場合も非常に多いです。多くの大学で公開されている研究業績をみると、採用されて以降文字通り「ただの教育官僚」になってしまう人の多さに暗澹とします。テニュア制度で守られた大学教授は、自己研鑽を怠ると途端に腐敗して、自分の周りの小さな世界で小専制君主に、構造的になり易くできているのです。「教育に専念」といくら言い募っても、このような腐臭を発する構造からは、良い教育が生まれる筈は無く、狭隘さ、偽善、窒息しそうな形式主義、権威に盲従する奴隷精神のみが広まるのは見易いところです。

オーバーと言われますが、現場から現在進行形のの報告です。







Commented by papa at 2007-10-30 07:20 x
地方大学工学系の教員を20年以上している立場からコメントさせていただきます.人事において,研究面での評価をする場合に一番問題となるのが,応募者の真の業績を見れる専門家が少ないということです.自分の分野だと論文は少なくても内容的にすぐれて,センスがあるというのは評価できるます(昔,ある大御所が,小さくても良いから他の人の考えないきれいな結果を出すのを論文を書く上でのモットーにしていたといってましたが,私もそのとおりだと思います).他分野だと,IFや論文の数で評価せざるを得ないことになってしまいます.私の知っている少ない例で,そうやって採用された研究所出身の方(若手よりも年配の教授)の一部は,教育に対する配慮が欠けているようです.また,すでに,地方大学の教員である方々には,逆に研究に対する信念を疑わざるを得ない方も結構います.結局,若い頃からの研究のセンスのなさがその後の研究に対するドロップアウトと教育に対する熱意の消失を招くのかもしれません.
Commented by papa at 2007-10-30 07:39 x
地方大の採用基準を大手を変えるという件ですが,若手を採用する際には,教育を主にするのは,やめたほうがいいかと思っています.その後が長いので,全く研究をしない大学になってしまいかねず,危険です.IFや論文数に依存されず,業績は少ないが,センスのある若手を取ることが地方大学の生き残りに必要と思っています.以前の人事でセンスのある人がたまたまいらっしゃったのですが,結局,多数決で論文数の多い人(研究室で連名で書いているので,本人メインはそんなに多くはありません)に決まったことがあります.その方は,人格的には良い方なので,学内ではうまくやっているようですが,いかんせん,論文を書こうとしません.学生の卒業や修了試問を聞いて感じるのは,そのような先生方のテーマは,あまりにお粗末なことがあるのです.すごく悲しいことです.
Commented by 40台海外ポスドク at 2007-10-30 08:33 x
papaさんのご指摘すごくよくわかります。採用基準だけ決めて、採用そのものは外部の専門家も交えた委員会にゆだねると言う形には出来ないものなのでしょうか?面子の問題でしょうか?
 若手の採用では教育を主にするのは良くないというのもおっしゃるとおりだと思います。
Commented by M at 2007-10-30 10:11 x
いっそ旧帝大教授の停年を55歳、地方大の教授は55歳から原則外部採用にして、人事交流を促してはどうですか。その場合地方大の准教授、助教の行き場がなくなるので、その様な職は技術支援員か教育専門職にしてしまうとか、、。
Commented by papa at 2007-10-30 10:23 x
Mさんへ:
>いっそ旧帝大教授の停年を55歳、地方大の教授は55歳から原則外部採用にして、人事交流を促してはどうですか。

旧帝大だからいいというものでもないし,地方大だからダメという一律の区切りはダメではないでしょうか.旧帝大でもセンスのない人は多いし,地方大准教授,助教でもセンスのある人はいますから.
Commented by M at 2007-10-30 10:50 x
papa様
もちろん、地方大准教授も別の地方大や旧帝大教授選に出られますので、どうなるでしょうか。他にも、教授、准教授、助教、全ての職で、内部昇進禁止(同一大学内別学部も駄目)、というのもありかもしれません。
Commented by A at 2007-10-30 11:32 x
若手には3年とか5年の任期をつけているのですから、教授も10年程度経ったら(生涯に一回は)転勤することを義務づければよいのでは? いつまでも同じ大学にいて同じ研究を続けていても、たいして大きな発展は無いというのは5、60代の教授を見ていれば分かると思います。まぁ、家とか買ってしまっている人はちょっとかわいそうですけど。
 それとやはり地方大学の活性化というか、大学間の格差を埋めるためには給料に差をつけるとか、独自の教員評価の基準をさだめる(むろん公開する)などして、人材を集めると共に大学に特色を出していくと良いのではないでしょうか。横並びのシステムで学生を偏差値順に配分していったら、学生の能力分だけ格差が出て行くのは仕方ないですね。素材を生かすか、きちんと伸ばすか、そういう所にメリハリを付けるだけでも違うと思います。
Commented by apj at 2007-10-30 13:00 x
 評価以前に、募集の段階で、給料いくらもらえるのか明示されてないのって大学くらいのものではないですか。世の中の普通の仕事は、時給いくらとか月給いくらとか、募集の段階で全部明示してますよ。まずは、給料を示して公募できるようにならないと、競争にならないでしょう。
 ウチの教員でも、外から移ってきたら給料大幅ダウンだったとぼやいてたりしますもの。公募の時に給料が出てなかったから、思ったより差が大きかったのだとか……。
Commented by 転勤 at 2007-10-30 14:58 x
給料も税金で賄うのでいくら差をつけるといっても自ずと大したことはできません(しかも地方大学ほどお金もない)。10年で転勤というのもそれ自体は悪くないのですが、同じような分野の空きポストがあるかどうか・・・。もしなかったら、50過ぎて(業績が悪くない場合でも)リストラになるかもしれず、そのような職が若者の憧れになるはずもなく。
敢えて大胆な提案をするなら、各大学の人事権を文科省に移してしまい、大企業や国の官庁と同じように全国レベルの転勤制度を導入すればよいのでは?
たとえば、A大学にはB大学に適任のX教授がいて、B大学にはA大学に適任の、しかし同じ分野のY准教授がいても、今の制度では入れ替わることは不可能です。でも転勤制度があれば、1枚の転勤命令書で可能です。研究でも教育でも運営でも、客観的にてこ入れが必要だと判断された大学に全国のどこかにいる適切な教職員を配置することも容易いと思います。
いかがでしょうか?
Commented by 地方大は at 2007-10-30 15:57 x
今後基本的に地域の知的拠点になるしか道はないんですよ。そのためには地方に腰を据えて教育やコンサルや研究をやってくれる人材を中心にするしかない。
Commented by サイエンスは at 2007-10-30 16:22 x
地方に特有の種について調べたり生態学的研究をするなどの一部を除いて、サイエンスは世界中でユニバーサルなものです。どこの世界に地域の物理学や地域の数学、地域のアメリカ文学や地域の刑法がありますか。それに完全に地域に特化したら、流動性もへったくれもありません。
Commented by こちらのコメント at 2007-10-30 16:30 x
http://shinka3.exblog.jp/7183356
Commented by alchemist at 2007-10-22 18:59 x
州立大はland-grant法による設立経緯もあるのか、地元優先ですね。酪農学の場合、この州ではどのような品種をどのように肥育すれば一番儲かるかまで答えなければ教授失格になるから日本の国立大学とは全く違うと牧畜関係の仕事をやっていた父から聞いた記憶があります。

を参考にしてください。物理にしても数学にしても文学にしても法律にしても、その地域の発展のために活かす方法はあると思いますし、そういうことが考えられない人は地方に向いていないでしょう。流動性はただあればいいというものではありません。
Commented by apj at 2007-10-30 17:15 x
>敢えて大胆な提案をするなら、各大学の人事権を文科省に移してしまい、大企業や国の官庁と同じように全国レベルの転勤制度を導入すればよいのでは?

 旧国立大学のままなら何とかなったかもしれません。何せ全員公務員ですから、国立大学間の移動はただの配置転換扱いだったはず。
 法人化して別法人にしちゃったから、逆にできなくなったのでは。
Commented by alchemist at 2007-10-30 17:49 x
「こちらのコメント」さんのおっしゃるように、地域のことに目配りできる部分はあります。できるだけ、普遍性を失わないようにしながら、一面では地域の特性も考える、というヒトが大学で1/3くらいいれば良いのではないでしょうか(科学ですから、普遍的なことを追究するヒトが許容されて当然です)。
ナマの地域ではなくて、地域の特性を抽象化して、研究領域に生かして行くことは、数学とか理論物理とかの純粋科学を別にすればそんなに難しいことではないような気はします。
移れば移ったで、移った先の地域の特性を勘案しながらやってゆけるのではないか、と、田舎を転々として来た人間としては考えます。住みつくためにはその土地を好きになった方が良いし、その土地を好きになるにはその土地のことを調べて、その土地がどういう所か考える必要があります。都会である東京に対する田舎はそれぞれに色んな個性を持っていますので、そこから何を抽出するか考えてみることは無駄なことにはならないのでは?
私が元々田舎の人間ということがあるのかも知れませんが。
Commented by A at 2007-10-30 17:55 x
10年も教授をやれば、その後どのくらいのことが出来るのかは大体見当がつくと思います。そのころは大体50代だと思いますが、そこですっぱり引退するというのもありじゃないかと思います。確かにあと15年も働けるのに、と言うのもあるかも知れませんが、その分ポストが空いて若手が育つと考えることは出来ないでしょうか。また、それでもまだ研究がやりたいと強く思う心があるなら、研究生やポスドクとして研究を続ける人生というのも悪くないと思います。なんにせよ、退職後の年金制度などは大学独自に組んで、柔軟に対応できるように知る必要があると思います。
 もちろん、10年間で十分な業績(教育含め)のある人を欲しいという大学は多いでしょうし、みんなが10年程度で他所にで移らなくてはならないなら、空きは結構出るのではないでしょうか。それを若手で埋めるも良し、熟練の教育者を呼ぶも良し、研究第一のラボを呼ぶのも良しという所ではないでしょうか。なんにせよ、ライバルを押しのけ教授になったら上がり、あとは何しても良いというのでは活力は生まれませんね。
Commented by 地方大現職教員 at 2007-10-30 18:29 x
南国の海に面した県に有力な海洋科学科がある等、地域ごとに特色があるのは当然ですが、大学の研究と教育は、基本的にユニバーサルなものです。逆にそうでなければ学生を満足に社会に送り出せません。まあ地場産業のコンサルタント、地域の教育審議会、地元紙江への寄稿、その他の業務はありますが、基本的には「余技」ですし、そうでないと困ると思います。

よい教員のリクルートは大変ですし、地方大の教授の方がハズレが多いのも事実、終身在任権を得て数年すると井の中の蛙よろしく「ローカルな小暴君」になりがちなのも事実です。

一つの方向としては、欧州の国で見かけるような、国家的な「教授資格試験」というのを作る事もありかもしれません。教員の空きと同じ数くらいに絞った国際的水準での厳格な審査にすれば、方々で実際に見かける情実、インブリーディング等の情けない人事も少しは減るでしょう。だいたい各大学で人事にかける手間も大幅に減らせるでしょうし。。

元々は博士号が、そのようなものだった筈なのでしょうが、今では殆ど無価値な資格なので、屋上屋ですが、考慮の価値はあるはず。
Commented by 地方大現職教員 at 2007-10-30 18:41 x
しかし田舎に来てつくづく思うのは、大学の資産は一にも二にも「人」であることです。よい研究者よい教育者(殆どの場合は同じ人物)が一人居ると、自然にその周りによい人が集まりよい学生が集まります。逆に駄目な人が上に座ると、間を置かずに研究室全体が見事に腐っていきます。

ここにきている院生やポスドクの皆さんのいる大大学で、一つの学科にいくつもの研究室があって、お互いに絶えず競争している、というのは、(私もいるときは当たり前と思ってましたが)例外的に恵まれた状況なのです。

江崎先生が言っておられた事ですが、日本はミスキャストが多く本当に人材をじゃぶじゃぶと無駄にする国です。国全体で研究人材を厳選し、もり立てる制度を再設計すれば、まだまだ日本の大学は良くなる気はするのですが。
Commented by BB at 2007-10-30 18:50 x
ただし、ポスドク問題でも分かるように研究業績がある先生が学生にとって「よい人」とは限りません。江崎先生も優生学思想をお持ちのようですし、ミスキャストというのは実に難しい問題です。
Commented by 地方大現職教員 at 2007-10-30 19:17 x
例外というのはどこにでもあります。しかし実際に大学にいると判りますが、40前後くらい間で経験を積むと、よい研究者はほぼ9割がたよい教育者ですし、悪い研究者は7割がた悪い教育者です。専門学校ならいざ知らず、大学院くらいの研究教育になると、全人格が関与するからでしょう。

まあ就職の専門家、学務の実務家等として役に立ってくれる人もいますので、そういう人も補助人員として必要です。(ただしこれも実際に使ってみると、雑用の効率的処理能力も研究力とかなり相関しています)

「研究業績の優れた人」のなかには表面的な数値目標にチューンアップしたような方もおられ、最近はポスドクの競争がきついせいか、IFだの引用数だのとそういう部分に特化されてばあいもあります。このような人は学問というより社会的地位を巡る競争に興味がおありな事が多く、来ていただいた後突然何も仕事をされなくなったり、院生や同僚と問題を起こす例が多いです。一定の業績で切ったあとの、人事をやる上での主要な点は、この手の数値目標主義を見分ける事です。
Commented by 地方大現職教員 at 2007-10-30 19:23 x
江崎先生が優生学思想をお持ちかどうか、ジム・ワトソン先生が人種主義思想をお持ちかどうか、私は詳らかにしませんが、彼らが周りによい学問的感化を及ぼし、よいお弟子を育ててきた事はまぎれもない事実なので、彼らは掛け値なくよい先生です。
Commented by BB at 2007-10-30 19:26 x
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6#.E4.BB.8A.E6.97.A5.E3.81.AE.E5.95.8F.E9.A1.8C
現在の大学の諸問題も、その「よい先生」達の下に生じた事態であることをお忘れなきよう。
Commented by BB at 2007-10-30 20:33 x
http://shinka3.exblog.jp/2111241/
つぶやき先生ご自身のご指摘もあるようですね。
Commented by もう一度 at 2007-10-31 12:21 x
上のBBさんのwikiのリンクにうまくつながりません、もう一度張ってもらえませんか?
Commented by stochinai at 2007-10-31 12:32
 すみません。これもエキサイトのバグで、次の行の先頭までを選択すると隠れているところが現れてきます。あえて、改行するとこういう風になります。(お使いになるのならば、すべてつないで使ってください。)
http://ja.wikipedia.org/wiki/
%E5%84%AA%E7%94%9F%E5%AD%A6#.E4.BB.8A.
E6.97.A5.E3.81.AE.E5.95.8F.E9.A1.8C
Commented by ポスドクからみた at 2007-10-31 22:52 x
駄目教員というのは、浅薄な学問しか無い人、につきます。
それ以外の話は、だれがなんといっても結局ただの駄弁。
私は今は企業でそれなりにやってますが、恩師から叩き込まれた物事を半端にしない態度、論文を徹底的に深久代無臭感、そして何より知的廉直さを大切にする姿勢、といったものの感化は大きいと、最近またつくづく感じています。
by stochinai | 2007-10-28 23:55 | 科学一般 | Comments(42)

今日二つ三つ朝顔の通り道          稲畑廣太郎


by stochinai