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国立大はお金が欲しくて定員を超過させていたのではありません

 昨日、朝日新聞の夕刊の一面トップにこんな記事が出ていて、びっくりしました。
国立大はお金が欲しくて定員を超過させていたのではありません_c0025115_1210179.jpg
 ネットでも出ていました。

 国立大の定員超過分、授業料没収 文科省、合格数抑制へ

 確かに、最近はうちの大学でも定員をオーバーして学生を入学させているはずです。しかし、それは文科省の指導によるものだとばかり思っていました。

 もともと国立大学では、教室や教員の数の問題、さらに実験などの科目では設備の問題がありますので、定員を超過して学生を取るとすぐにさまざまな問題が起こり、さらに昔は授業料収入も国庫にはいっていたので、なんのメリットもないということで定員を大幅に超過して入学を許可していたということは、ほとんどなかったはずです。

 それが、法人化されて以降だと思いますが、入学定員を割っている場合には運営交付金を削減されるという(噂?)ことで、定員割れを極度に恐れるようになっています。一方、これは最近の風潮だとも思いますが、たとえ北大に入学した学生でも1割くらいは初年度でやめてしまうと聞いています。退学のほとんどの理由は、他大学受験のようです。つまり、入学してはみたもののもう少し勉強してもう少し偏差値の高い大学へ入り直したいという学生がかなりいるようなのです。

 というわけで、入学時に定員ぴったりかあるいはちょっとくらい多くいたとしても、1年2年経つうちにどんどん減っていって定員割れになってしまうということがあったのだと思います。それに対し、例によって文科省から「強い指導」があったので、今では入学時に120%とか130%とかを確保しておかなければ卒業時に100%を維持できないということになっているのではないでしょうか。(データを目の前にしているわけではありませんので、傾向として聞いてください。)

 つまり、我々の大学に定員以上の学生がいたとしても、それは決して(某私大のように)授業料収入をねらって定員の何倍もの学生を入学させていたというのとは、基本的に性格の違う話なのです。

 それを、記事では「法人化以降、独自収入のアップを目指して合格者を増やしている国立大に警鐘を鳴らす対策だ」と書いていますが、文科省の誰かがそう言ったということなのでしょうか。「没収」という言葉と合わせて、極めて作為的な「国立大学たたき」の臭いを感じます。
 全国立大の授業料は08年度入学生から53万5800円。たとえば1~3年生の定員の合計が1000人の学部で、10年度に1~3年生の学生数が1200人いるとすれば、基準となる110%(1100人)を上回る100人分の授業料、計5358万円が取りあげられる。

 学生数1000人くらいの大学にとっての5000万円は、大学全体の予算規模からみると「小さい額」ではないでしょうか。そう考えると、今回の発表の裏には別の意図が隠されているとみるべきではないかというのが、私の感想です。とりあえず、二つは思いつきます。

 一つは、私大への学生の還流です。定員割れを起こしているたくさんの私大があるのに、国立で定員を超過して入学を許可しているのは、私大に対する営業妨害であるということを言いそうな文教族の先生がいらっしゃいそうです。

 そして、もうひとつはもっと深刻なことですが、「授業料没収」という「処分」を受けるということは大学の評価を傷つけることになります。この先、国立大学の整理統合がささやかれておりますので、その場合には「成績」の悪い大学から処分されていくということが考えられ、となると評価の低い大学が候補にされてしまう可能性もあるのではないでしょうか。定員超過してお金を稼いでいる大学というダーティな印象を整理する口実にするのだとしたら、あまりにも下品です。

 あらゆることが大学差別化のポイントに結びつけられてしまう昨今ですから、これもあながち笑い話ですまなさそうな「憶測」となりそうで恐いです。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 00:22 x
んー、stochinai先生、それは、ちょっとうがった見方かと思いますよ。
そもそも私学のほうでは前々から、定員をあまりにも超過したところには、ペナルティを課せられるという決まりがあったらそうですし。
それと、学年進行に伴って学生の数が減るからということで、定員の120%、130%入学させるというのは、良くないと思います。4年生になったときに100%になったとしても、1年生のときは、定員過剰で教育の質が低下しているわけですから。それよりも、学生さんの満足度をあげて、大学をやめさせないように、サービスを向上させることが、近道ではないでしょうか?
Commented by stochinai at 2007-12-28 00:30
 それが、うちの大学では何年か前に120%くらいの学生が入学しても教育の質が低下しないようにということで、実験設備などを増設した経緯があるのです。私も学生の数は少ない方がよいと思うのですが、「上」からは「頼むから初期の増員を受け入れて欲しい」と頼まれた記憶があります。
Commented by stochinai at 2007-12-28 00:31
 それから、大学をやめる1割くらいの学生は北大に失望してやめるというよりは、入学手続きだけはするものの一度も大学に出てこないでやめている人が多いようなのです。つまり、それを止めることはかなり難しい状況なのです。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 07:25 x
120%くらいの学生を受け入れるキャパシティがあるのであれば、設置審査を受けなおす(この辺、ちょっと良くわからないのですが…)なり、正規のルートで、そのキャパシティがあることを証明したほうがいいのではないでしょうか。
また、北大のような名門大学に一度も出てこないで、止めてしまう人が結構いるというのには、驚きですが、そういう人の数は、ある程度統計的に推測できはしないでしょうか。しかもきっちり定員内に学生数を収めないといけないということはなくて、多少あそびがありますし。あと、定員が100名以下の小規模な学部の場合は、そういう推測が難しいということで、特例が認められているようです。
Commented by habichan at 2007-12-28 10:18 x
年末で大きなニュースがなく、官僚発表ニュースが少なかったのか?夕刊とはいえトップ扱いでビックリしました。
毎年毎学期、定員ピッタリにあわせろというのは、神技としかおもえず。
私も議員先生方による横槍としか思えません。
Commented by A at 2007-12-28 12:24 x
疑問なのですが、大学院の定員は誰がどうやって決めるのでしょうか? 実のところ、定員を操作できるのであれば、このようなペナルティは回避できると思います。

ただ、むやみに定員を増やして出口問題を拡大するだけなら止めて欲しいです。一番大事なのは大学に入れることではなく、どれだけ教育できたかですからね。文科省も、入口ではなく出口で大学を評価した方が良いと思います。どれだけ学生を取ろうが、きちんと育てられるなら何も問題はないですし、授業料値上げも是認されるでしょう。むしろ、そういう大学こそがシェアを奪っていくべきなのではないでしょうか。
Commented by stochinai at 2007-12-28 12:53
 今回の問題は「大学(学部)の定員」のことですが、大学院の定員と同じく、定員を下回ることは特に厳しく注意を受けるようで、場合によってはペナルティとして運営交付金を減らされるという話を良く聞きます。一方、オーバーすることには(今までは)とても寛容で、理系大学院の修士課程ではむしろ定員を越えて取ることが「奨励」されているとすら感じることがあります。学部に関しても、少ないのはダメだけど、多少多いのは良いだろうといういうのが今までの文科省の姿勢だと考えられてきましたから、今回の「決定」に戸惑っている大学が多いだろうと推察されます。

 さて、その定員の決め方ですが、「文科省の指導の下に大学が決める」ということになっているはずです。ただし、お察しの通り教員の数に対して学生数の最低ラインは決まっていて、少な目に出すとはねつけられます。つまり、定員は大学の自由意志で決めることはほとんどできないと思います。法人化後は大学が自由に裁量を発揮できるというふうに思われている方がいるかもしれませんが、現実は逆で昔よりも文科省の指導と監督は厳しくなっています。
Commented by miw at 2007-12-28 19:01 x
今まで、定員割れするな、卒業人数を減らすなといってきていたのに、
ひどい手のひら返しですね。

たぶん、明確に”入学定員を割っている場合には運営交付金を削減する”ということは、行ってないんでしょうけど、各大学にきている本庁の人や天下り的な教職員からうわさを流さしたんでしょうね。

で、実際に定員割れしたらけずり、定員オーバーでもけずり、
旧帝大だけ残したいんだけちゃうんかと思いますね。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 21:15 x
定員については、大学設置・学校法人審議会が審査するようです。この審議会は、建前上文科省とは別組織ですが、役所の常として、文科省の隠れ蓑になっていて、文科省の官僚が実質審査しているのでしょう。ただ官僚の決められているのではなく、大学設置基準というルールに基づいて決められています。
http://www.mext.go.jp/a_menu/koutou/ninka/gaiyou.htm


大学設置審査は、事前審査ですが、Aさんの言われるように、結果的に優秀な学生を輩出できたらいいではないかということで、事後審査のほうに、現在は、力点がうつっているところ、と聞いています。
http://www.niad.ac.jp/n_hyouka/index.html
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/
chukyo0/toushin/020801.htm
(↑「はじめに」の(4)ご参照ください)

しかし、事後審査でOKなのは、一部の優秀な大学だけだと思います。世の中、怪しい私立大学もあるわけで、なんらかの最低基準をつくっておかないと、そういう私学が、適当に学生をうけいれておいて、やっぱりまともに教育できないから、廃校にしますということにもなりかねないです。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 21:15 x
こういう定員の決め方には、問題点も多くあるでしょうし、諸外国の取り組みのほうが優れているかもしれません。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 21:21 x
ただ、stochinai先生は、他のちゃんとルールを守っている大学にも配慮なさっているでしょうか?先の発言は、ルールを破るのを肯定化しているように思えます。また私学については、すでに罰則制度が実施されているのに、国立大学は、それから免れているということのほうが、おかしいとは思わないのでしょうか。

とはいえ、北大のように世間から信頼をうけている優秀な大学だったら、わざわざ定員など審査を受けなくても、おそらく自主性にまかせて良いかと思います。一方で、怪しげな私立大学もあるわけで、国によるなんらかの基準が必要です。このとき、そういう基準の対象になる必要がないような優秀な大学と、怪しい大学の線引きを行う必要があります。それがまさに、文科省が虎視眈々と狙っている大学の差別化の目的だと思います。(↓第3章3参照)
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chukyo/chukyo0
/toushin/05013101.htm

stochinai先生は、大学の差別化に対して危惧する旨をかかれていますが、日本の上位に位置する大学が、本当の自主性を得るためには、大学の差別化が必要不可欠だとおもいます。

(まあ、それこそ私学や地方国立大学の猛反発をうけるでしょうが…)
Commented by 35歳PD at 2007-12-28 21:34 x
>定員を下回ることは特に厳しく注意を受けるようで、場合によってはペナルティとして運営交付金を減らされるという話を良く聞きます。

毎回この手の話を聞いて思うのですが、実際にどなたか直接文科省に聞いたことがあるのでしょうか?また、実際にそれが理由で運営交付金を減らされたという例があるのでしょうか?

以前、一種の「都市伝説」ではないか、という話がでてきて、だったらどっちもどっちじゃないかと・・
Commented by stochinai at 2007-12-28 22:25
 実際に定員割れをして交付金が減らされたという証拠のデータは私も見たことがありませんが、大学の会議ではしばしばこの「定員を割るな」という話が水戸黄門の印籠のように出てきて議論が終わることが多く、それは私個人の経験からも言えます。ですから、たとえ「都市伝説」と言われるくらいに証拠を出せない怪しげなものに見えたとしても、会議の方向が決められるくらいの力は持っていることは間違いありません。

 また、大学院入試などで定員に満たなかった場合には、事務から指示とも言えるくらいの強い指導があって二次募集をさせられますので、単なる「伝説」では片づけられないものだと思っています。
Commented by ゑぶ at 2007-12-28 23:25 x
いくら言い訳をされても、明確なエビデンスがないのであれば、事務方のいいなりになってはいけないと思います。可能な限りエビデンスを追求するのが、研究者かと思います。
Commented by stochinai at 2007-12-29 00:45
 おっしゃるとおりです。頑張っては見るのですが、いつもほぼ1対9くらいで負けてしまいます。

 文科省による大学支配は過去から一貫して「空気を読め」というスタイルで来ています。つまり、ほとんどの場合「個々の大学の希望を文科省が認めた」という形になっているので、文科省支配の動かぬ「証拠」(エビデンス)をつかまえにくいしくみになっているようです。岩国のように、国に逆らったら補助金が凍結されるというような「証拠」が出てくれば良いのかもしれませんが、そもそもそれだけの勇気を持った学長が今の日本の大学にはほとんどいなくなりました。また制度が変わりましたので(選挙がなくなった)、元の鹿児島大学の学長のような方は学長になれないという事情もそれに拍車をかけているのだと思います。
Commented by 一言 at 2007-12-29 05:21 x
「空気を読む」というのは「顔色をうかがう」ということで、学問の自滅かと。国立大は天下りをゼロにする運動を連帯して始めるべきでしょうね。
Commented by ゑぶ at 2007-12-29 09:23 x
大学事務局の部長クラスは、本省から来た人間がかつては占めていましたが、法人化後は、大学一筋の人も昇進できるようになってきたとききます。そういう意味では天下りが減っているのでしょう。

それよりも文科省が恐れているのは、経産省でしょう。 大学法人化後、経産省は大学への働きかけを強めています。大学法人化自体、経産省が画策したといわれています。文科省の天下りポストに、経産省の人間が座っているということもおこりえるかと思います。先生は、最近文科省の締め付けがつよくなったと書いてらっしゃいましたが、その裏には、こういう省庁間の競争もあるものと想像します。

ただ、経産省がこの競争に勝利したときには、直接産業に結びつかない基礎研究は、真っ先に切り捨てられるでしょうね。
Commented by apj at 2007-12-29 10:12 x
 票読みの間違いというケースもあるかと。
複数受験している学生もいるから、合格させても全員が入学手続きするとは限らない。定員ぴったりの合格者を出すと、蓋を開けてみたら1割来なかった→慌てて2次募集→時期が遅いのでもうみんな行き先が決まっている、などということもあり得る。それじゃあ、と手続きしない人は今年は何人、と票読みして合格者を出したら全員手続きしちゃって定員オーバー、ってなこともあるわけで。
Commented by 一言 at 2007-12-29 23:33 x
票読みの問題は、私学ならどこでもやっています。うちは偏差値60前後ですが、おおむね定員の3倍の合格者を発表しています。定着率検討委員会が、過去の受験生データや、予備校から入手した当該年度の受験生動向のデータを元に数時間かけて合格者数を決めています。考慮すべき変数があまりに多いので、専用のソフトも委員が開発して毎年バージョンアップしています。そうしたことを国立大もこれからしていかなければならないのでしょうね。
Commented by asteroid at 2007-12-30 00:35 x
いつも読ませていただいておりますが、今回初めてコメントします。
20年くらい昔、連れ合いが某国立大「入試総務(2年間)」をやったことがあります。その時の後期日程では、あらゆる情報を駆使し推定辞退者数を割り出して合格者数(補欠含む)に組み入れていました。apjさんの仰る通り、賭けですね。
  apjさんが仰るようなことが昔は真相に近いものだったのではないでしょうか。推定辞退者数を間違え、医学部で1名オーバーになってしまい大学内での言い訳と文部省への言い訳で上層部は大変だったと聞いています。(医学部の辞退者が出るって判断誰がしたんでしょう) また、必死に「補欠合格者」に電話をかけまくった年もあったようです。留守が続くと関係者一同胃がキリキリ痛んだそうです。追試にならなくてよかった、と嬉しそうに晩酌していた3月31日を思い出します。
  しかし、現在のことは分かりません。この20年ほどの間に文科省との間に色々あったんだろうと想像できます。五号館のつぶやきさんの仰るような、お金のことではない、組織的水増しが常態化しているんでしょうか・・・。
Commented by 現役入試総務 at 2007-12-30 18:35 x
現在、某国立大学で入試総務をやっています。
今でもasteroidさんの書いていることをそっくりやっています。辞退率は毎年変化しますし、受験生のセンター試験の点数もバラつきます。どの成績まで何人を合格させるかを上手に決めることは至難の業です。
にも関わらず、定員割れも定員超過も文科省から厳しく指導が入ります(-15%以下・+10%以上で運営交付金のペナルティ)。入試を管轄する委員会では、手続きする合格者が定員の±5%以内になるように毎年胃の痛い思いをしています。
後期試験の手続き期間の翌日が業務の結果が分かる日で、もし不足があれば、受験生の成績をにらみながら追加合格の電話を順番にひとりずつかけて意思確認をします(留守でも順番を飛ばせない)。それでも足りなければ、追加募集の案内を公開して再び入試業務を行います。場合によっては、入学式の前日にまだ1年生の名簿ができていないことさえありますが、だからといって多めに合格者を出して、手続きする合格者が定員の10%を超えてしまうことは、入試業務の失態とみなされて委員長は教授会でつるしあげられる可能性もあるのです。
Commented by 現役入試総務 at 2007-12-30 18:49 x
また、いずれかの学部の入学者数が5%以上増えると、全学共通教育の運営側(旧教養部)から、厳しいクレームが寄せられます。これは主として講義室の収容定員の関係で、特に特殊な機器設備のある教室を使う語学系や情報系のクラス時間割に不都合が生じるという現実からです。
したがって、学部の内規上も大学内の分業上においても、(定員割れはもちろん)定員超過を故意に行うことはないのです。
ただし、大学院の修士課程では確かに150%超などという事態が恒常化していました。これは定員と実情が合っていないことによるものですが、近年はこちらも「適正化」するよう文科省が厳しい指導を入れてきています。これまで黙認だったのにと思いますが、実際に指導が来ては大学としては従わざるを得ません。
こうした「入学者数の適正化」は(国立大の授業料の値上げも)、少子化のあおりを受けている私学を守るためだと聞いています。民業圧迫と言えばそうなのかもしれませんが、ほんとうに国民のためになっているのかと考えれば何とも複雑な気持ちです。
Commented by 駆け出し at 2007-12-30 19:02 x
入試で定員ぴったりで入学させたらその後学生が減っていくという件ですが,私の勤務先の国立大学では,最近二年次以降の補欠入学の制度を作るように話が進んでいます。毎年減っていく分を補っていくことができれば,入試で定員ぴったりしか入学させていなくても,そこまで学生数は減らないだろうということなのでしょう。旧帝大クラスであれば,そういう制度があれば学生が減りすぎるという問題は起こらないのではないかと思います。ただ二年次以降でも大学に入れることになると,入試の意味が減りますし,各大学間で履修単位の互換ができるようにある程度カリキュラムを統合する必要があることにもなり,それもやがては大学の合併・再編につなげられるのかなあという気がします。
Commented by 123 at 2008-01-05 10:51 x
現役入試総務の方のコメントを見ると、大学が自由な運営が出来ない様子が伝わって来ます。厳しい横並びで秩序を保って、格差拡大を防ぐのがいいのか悩ましいですね。自由にしてもいいところもありそうなものですが。
Commented by ゑぶ at 2008-01-06 20:51 x
実際に大学行政に携わってらっしゃる方の発言は、非常に勉強になります。今ひとつ教えていただきたいのですが、運営費交付金のペナルティは、具体的にはどう決まっているのでしょうか?

私学の場合は、文科省所管の特殊法人の日本私立学校振興・共済事業団が、経常費補助金の明確な基準、ペナルティを示しています。しかし国立大学の場合はインターネットで検索しても見つからないのです。

国立大学等の独立行政法人化に関する調査検討会議は、文部科学大臣に提出したその報告書『新しい「国立大学法人」像について』の中で、方針として「運営費交付金等の算定・配分の基準や方法を予め大学及び国民に対して明確にする。」を挙げているのですが。
http://211.120.54.153/b_menu/houdou/14/03/020327.
htm#07
Commented by alchemist at 2008-01-07 12:04 x
2、3年前に聞いた話です。大学院の定員充足率が一定水準を切ると、国立大学法人化で認められるようになった余剰金の次年度繰り越しが出来なくなるそうです。その時は、大学全体として大学院定員が充足していれば良いということでしたが、そのうち研究科ごとに充足しなければいけなくなるのでは・・・という風な予測が出ていました。
『修士課程では確かに150%超』という話が上で出ていましたが、人気のある研究科で定員より多く採用することで、定員割れしている研究科(人文社会系では割とあります)をカバーしていたのかも知れません。
学部の合格者数に関しては、総務部を構成する各学部代表がそれぞれの学部の事情にあわせて決めますので、担当の学部以外はどういう基準なのか良く判りません。
Commented by なるへそ at 2008-01-07 16:27 x
う〜む、ここはalchemistさんのような偉い国立教授、一言さんのような私大教授、大学事務部のプロから、うぇふさん、apiさんのようなずぶの素人(失礼)まで、いろいろ来てておもしろいですねえ。
Commented by pgr at 2008-01-08 00:48 x
バイオ系は社会的ニーズがないわりに学生の人気高いのはなぜですか?バイオの学生・先生を減らして、医学部の学生定員増やせばいいのにと思うのですが、無能なバイオの教員が反対しますか。
学生を人でなしにすることしか出来ないバイオ教員には、自らの保身をする資格はないと思います。

高校生(18歳)
Commented by ゑぶ at 2008-01-08 00:55 x
alchmist先生には、失礼かもしれませんが、どうもペナルティが大きすぎて、俄に信じられません。「一定水準」とは、ここで問題になっているような入学者数の推測誤差程度ではなくて、もっと大きな、たとえばまさに入学者が途絶えようとしているような減少に対してのペナルティならば合点がいくのですが…。

「入学者数の適正化」は、教員のほうは、事務からの強い指示だとといい、事務のほうは、できないと教員につるしあげられるといい、わけがわかりません。結局、文科省のたくらみということなのでしょうか。
Commented by alchemist at 2008-01-08 10:43 x
話は聞いたのですが、余り興味がなかったのでうろ覚えです。定員の2割とか3割とかの不足で問題視される・・・というふうなことではなかったかと存じます。そちらの仕事は任期が来て今は外れていますので、現状は良く判りません。

学部の入学者数に関しては、それぞれの学部に任されていますので、個別のことは判りませんが、医学部歯学部については定員を厳守するように文部省から強い指示があります。asteroidさんの上げられた医学部で一名オーバーで大騒ぎになった理由はそういうことでしょう。それと、医学部の入学辞退者は時にあります。時々やってくる1年生が後期で繰り上げ合格したと言ってました。
Commented by 寝島 at 2008-01-08 11:09 x
医学部は国家試験は殆ど合格なので、入学定員が医者の人数ですから、この入り口の完璧な統制でお医者さんの人数を制限しないといけませんからね。ここを外すと、日本医師会から文科省関係者もきついお灸を据えられるのでしょう。

バイオのポスドク問題も、原理的にはこの手法で解決できますよね(笑

日本生化学者協会という全能の組織を作って、資金を集め、議員を推薦して、ドクターコースの定員数とアカポスの欠員数をぴったり同じにする強い圧力をかける(笑
もっともこんなことすると研究の活力がなくなって、バイオでアメリカの後塵を拝するようになるでしょうが。

あ、そんなことせずとも、もうなってるか(爆笑


Commented by alchemist at 2008-01-08 12:13 x
医師数を抑制しているのは、医師会ではなくて医療費を安く上げたい厚生省ですよ。1970年頃に立てた数値目標(人口千人に医師2人)を墨守しているので、30年余りすぎた現在では先進国としては最低レベルの医師数になってますけれど。
文部省が医学部歯学部の定員管理にウルサイのは学生さん一人当りの経費が嵩んでいるからだと説明を受けています。
Commented by pgr at 2008-01-08 20:39 x
ああ、やっぱりバイオ教員ですね^^
論点も定まらず、根拠になるのは伝聞か推量ばかり。

なぜバイオのような必要性の乏しい分野にこれほど多くの学生・教員・設備が投じられているのかを素人にもわかるように説明してほしかったのですが・・・
Commented by 寝島 at 2008-01-08 22:41 x
>医師数を抑制しているのは、医師会ではなくて医療費を安く上げたい厚生省ですよ。

厚生省、製薬業界、医師会、これらは一心同体の利益共同体ですよね。医師の数を自由市場に任せて増やすと、すぐに医師過剰になって価格競争から値崩れで、医療費全体では微増か微減か微妙なところでしょう。実際歯学部の定員は需要を遥かに超えて増えたので、いまや歯医者あまりで、貧乏歯医者の境遇はバイオのポスドクと良い勝負かも知れません。
Commented by netori at 2008-01-08 22:47 x
それはそうと、人口千人に医師二名というのは、社会全体としてとても効率的な良い数のような気もします。弁護士もそうだし、役人の数もそうですが、日本の公共サービス部門の専門職の人数の少なさは、そのうちアメリカ辺りの経済学者にまた一度注目され持ち上げられる気もします。

で、その少ない医師免許持ってる人間の中から、診療の現場に一度煮立たないで、こうして生命科学の研究やってる酔狂なのが幾人もいて、状況を更に悪くしてるわけで。。。。
Commented by inoue0 at 2008-01-09 00:17
寝鳥さん、寝言は寝てから言ってください。
>医師の数を自由市場に任せて増やすと、すぐに医師過剰になって価格競争から値崩れで、
 それはどこの国の話ですか?日本をはじめとして、大半の先進国では医療価格は公定価格です。
 自由価格で医師過剰でも、診療価格が値崩れしている国なんかありません。米国は、むしろ、自由競争の結果、価格が上昇している。市場の失敗の好例です。
 新書レベルでいいから、医療経済の本の1冊でも読んでから発言してはいかがですか?2時間で読める。
「医療の限界」(小松秀樹)
Commented by inoue0 at 2008-01-09 00:23
>で、その少ない医師免許持ってる人間の中から、診療の現場に一度煮立たないで、こうして生命科学の研究やってる

 臨床なんて、いくら技術を向上させても収入が増えるわけでなし、馬鹿馬鹿しくてやってられない、むしろ研究の方が自分の「名誉」となるだけましであるということですよ。
 一体、日本の医療価格の具体的な数字を知っているんですか?再診料は診療所で710円、病院570円です。自己負担じゃない、報酬の実額がそれだけなんです。
 それでも、医師免許を持っている人間の8割は臨床をやってます。これほど労働力化率の高い業界は他にない。どこが不満なんですか?
Commented by netori at 2008-01-09 00:31 x
はあそうですか。医療経済の専門家がそういうならそうなんでしょう。では聞きますが、貧乏歯医者物語というのはなんなんでしょうか。医師に関しても同じことが起きませんか?歯科医師の経済学はなにか全く別なんでしょうか。

「不満」って別に不満は無いですよ。だから日本の医師はすばらしいと、いってるじゃないですか。本気でそう思ってますヨ。
Commented by inoue0 at 2008-01-09 00:42
 歯科医師が苦境なのは、診療所に比較して患者数が足らないから。「医師過剰で値崩れ」してるんじゃないですよ。
 しかも、その「過剰」を言われる歯科医師だって、実は過剰とは言い切れない。歯科治療を満足に受けられずに、見るも無残な状態になっている人が低所得者には大勢います。3割自己負担の激安医療ですら受けられないんです。かれらにきちんと医療扶助を支給するなら、まだまだ歯科治療の余地はあります。
 歯科医師が生活のために推奨している自費診療よりも、そちらの方がずっと大事なのですが、なにせ政府が金を出さないもので。
Commented by netori at 2008-01-09 01:21 x
>診療所に比較して患者数が足らないから。
って結局供給過剰ってことですよね。

供給が過剰になったとき価格が自由なら値崩れするし、価格が規制で高く保たれると患者が治療あきらめて医院はがらんどうって事だろうと思います(初歩の経済学書丸写しですが)

だいたい事情が飲み込めてきましたが、厚生省のやっていることは、医師数を極端に少なく保ち供給を制限した上、人為的に価格を低く抑えて、結果は医院に人が死ぬほど来て、医者が文字通り働き過ぎで早死にする、と。

合理的には、今の規制価格を保ったまま患者数に見合うまで医師数を増やせば(たとえば2倍くらい?)、バランスが保たれ、患者は待たされないし医師も早死にしない。ただし医療費はたとえば2倍になる、と。

これを超えて本当の自由参入市場にしてしまえば、やはり今の規制価格では患者の数が足りないという、歯科医院状態になると推測できますね。

で、国家財政と医療の「効率」を、国民の健康や医師の幸福より上においた厚生省は、今の状態ーー人為的に少ない数の医師に人為的低価格による医療提供を強いるーーを選んでいる、と。

Commented by netori at 2008-01-09 01:30 x

考えてみれば中央官庁のお役人なんかもそうですし、また人為的に「低賃金」に押さえられている世界的輸出企業の「エリート社員」なんかも構造は同じですね。

そうだとすると、「自由競争による小さな政府」モデルとは異なった「規制による小さな政府」のモデルとして、やはり冗談でなく、スティグリッツあたりが日本の医療を褒めだすんだと言う気がしてきました。

「人間を幸福にしない日本と言うシステム」っていう呼び方をする人も出るでしょうけども。というか、もうオランダ人に居ましたね。
Commented by inoue0 at 2008-01-09 10:08
 いや、あんまりわかってないと思う。

 日本医師会は、現在は医療政策決定に関しては影響力なんかありません。事後承諾させられているだけで、なにか提言してもぜんぜん聞いちゃもらえない。
 業界団体としては、看護協会の方がずっと政治力強いです。
Commented by 寝島 at 2008-01-09 12:02 x
んじゃせっかくなんで、サミュエルソン級の初等医療経済学でもやってみましょうか。まず横軸を価格、縦軸を人数として需要(患者数)供給(医師数)いれます。患者数は右下り、(左でサチるからたぶん上に凸)、一方医師数はある価格で0から始まって右上がり(多分竿所は下に凸で途中から上に凸)。で両者の交点が「市場均衡」でこの価格が「自然な市場価格」、ここでの医師の人数が「自由市場での必要人数」です。そしてこの点と原点を端点にしてx、y軸を含む四角形の面積が総医療費です。

いま公的価格統制があるとします。これが市場価格より大きいと医師余り(かつ貧乏人には医療なし)状態で、医療行為は患者数できまります。統制価格が市場価格以下に設定されてれば医師不足、病院はいっぱい状態で、医療行為は医師数で決まり。

最初の医師余りで、総医療費は自然状態より増えるか減るかは、患者数曲線の傾きが−1より大きいか小さいかによりますが、大凡で言ってあまり変わらない。後の方の医師不足では総医療は激減です。

一方価格は統制せず医師を「市場の必要人数」以下統制すると、価格は市場価格より上がるカルテル状態です。

Commented by 寝島 at 2008-01-09 12:27 x
で、次に現に行われているように、価格も医師数も公的に統制されているとどうなるか。

A1)価格が市場価格以上で統制されてると、医師数を少々統制してもまだ供給が需要を上回り医師が余り、診療行為はその価格払える患者数で制限されて、これは数の統制無いのとほぼ同じ。

A2)価格が市場価格以上で統制されて、かつ医師数もその価格での需要以下に制限されると、診療行為は医師数で制限されて、患者があふれ医師は忙しい。総医療費は数と価格の制限次第で均衡点より小さく出来ます。

B)価格が市場価格以下で統制されて、かつ医師数もその価格での供給曲線以下に制限されると、患者はあふれかえって、医師は絶対的に不足で死ぬほど忙しく、それなのに「自然な市場報酬」すら得ていないことになります。総医療費はもう大削減。

A2)とB)は似てますが、価格統制をやめたときにどうなるかで区別できます。A2)だと価格上昇小幅、B)だと大幅に上がります。当然ながら価格人数両方統制はずすと、2)だと価格低下、B)だと上昇です。

inoue0さんの状況説明から推測できるのは、歯科に関してはA1)状態、医科に関してはB)状態だろうと考えられる。

と、概略こうです。
Commented by pgr at 2008-01-09 16:28 x
>寝島

感情的でひとりよがりな書き込みに夢中になるところは
幼稚としか言いようがないですね。

バイオ教員にはこの程度しか期待出来ませんか。

高校生(18歳)
by stochinai | 2007-12-27 21:47 | 大学・高等教育 | Comments(45)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai