5号館を出て

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北海道大学における入試方式の旧体制復帰

 北海道新聞で報道されて、結構あちこちで引用されているようですので、私が黙っているのも変なので、軽くコメントをしておきたいと思います。

 北大入試 「文類」「理類」復活へ 11年度にも 学部別募集も継続
 北大はかつて「文類」「理類」など学部を横断する単位で学生を募集し、教養部所属の後に成績順で各学部に振り分ける方式を採用。その後、入学時から専門性を高めるため、「文1」「理2」などによるやや細分化した枠での募集を経て、一九九五年度に現行の学部別募集に移行した。

 予定通り一一年度から文類、理類の「大くくり」での試験導入が決まれば、十六年ぶりの大幅な制度改正となる。
 ここでも何度か触れたことがあると思いますが、私が受験した頃の北大は医進、歯進、水産類以外は理類と文類というくくりで入試が行われていました。その頃は、生物はまったく人気がなく、今では考えられないことですが、理類1200人中1000番以下でも、獣医学部や理学部生物に進学する学生が普通にいたものです。

 それが、1979年から文類は文I、文II、文III、理類は理I(数物)、理II(化),理III(生物)、に細分化されました。医歯進、水産には手がつけられませんでした。

 そして、1995年からはさらに細分化して、学部別募集になっています。学部別募集といっても、理学部などは学科による学問的分野の差が大きいため、4つの系(数理系、物理系、化学系、生物系)という事実上の学科別募集を行ってきたのですが、2006年から5重点選抜群(数学、物理、化学、生物、地学)という方式になっています。この方式では、どの重点選抜群を選んだかとは無関係に、入学後1年半の間は「理学部生という一つのプール」に入れられひとくくりの教育を受けた後に、2年生後期から学科に分属することになっています。

 昨年、この方式によるはじめての学部分属があったばかりの制度なのですが、これがまた3年後の2011年にはご破算になり、全学的な系あるいは類による大くくりの募集になるということになるようです。

 先日のICUのニュースで書いた私のエントリー「大学入学まで専攻分野を決めない」にもあるように、私は大きなくくりの入試に賛成です。ですから、今回の北大の「旧体制への復帰」には基本的に賛成なのですが、コロコロと制度をいじりまわすその軽さには、(私も制度改変の責任の一端を追うべき立場にあることを自覚した上で、自己)批判をしておかなければならないと思っています。ネコの目のような制度改革の繰り返しのために、最近の大学には常に複数の制度の下で入学した学生が共存している状態がずっと続いています。この状態の下では、全体を正確に把握している学生も教員も少なく、それに留年などが重なるともはやカオスです。

 そして、何よりも問題だと思うのは、入試制度改革がいつも学部・学科の都合(人気の低下・偏差値の低下)に原因があって提案され、実行されているように見えることです。私の知る限り、学生の教育をどうすべきかという見地から新しい制度が提案されたという記憶はまったくありません。その証拠が、今回の32年前の制度への復帰ということにはならないでしょうか。記事にも書いてあります。 
北大は○七年度、大学全体の入学者に占める道外出身者の割合が初めて五割を下回った。大学内で「全国レベルで優秀な学生を集めなければ、世界の研究・教育拠点としての地盤が揺らぎかねない」との危機感が強まっていることが、こうした入試改革の背景にある。
 そして、次の記述は廃止した「教養部」の復活を意味しているのではないでしょうか。
 北大は文類、理類枠で入学した学生の受け皿となる「総合教育部」の導入も検討。部内に文系や理系などのコースを置き、学生は二年進級時の成績によって所属学部を選べるようにする方向。旧教養部のように専属の教官は配置しない。
 今までの「改革」は間違ったことだったと反省し、今度こそ50年・100年使える制度を作ろうというのであれば、私も全面的に協力を惜しまないつもりなのですが、この「新しい」制度も結局グルグル回る観覧車が一周したから戻って来ただけなのだとすると、また5年10年後には捨て去られることになるような気がしてなりません。

 大学を考えるで書かれているように、「入試とカリキュラムは連動していないといけません。したがって、検討しているという『総合教育部』のような存在は必須でしょう。全学部の教員が、総合教育部に携わることになるのでしょう」ということになれば良いのですが、現実には現在でもなお引きずられている「旧教養部の教員定員と連動して動いている全学教育の集中的負担」がリセットされない限り、学生に不人気に「パンキョウ=一般教養」が解消されることにはならないと思います。

 変えるべきは制度ではなく、大学人の意識と姿勢なのですが。
by STOCHINAI | 2008-02-25 23:16 | 大学・高等教育 | Comments(0)

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