5号館を出て

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結局、先生がやらされる

 校門開放時には出入り口監視を…文科省報告書というニュースが飛び込んできました。

 もちろん寝屋川の事件への対応のことです。「文部科学省は31日、校門を開けている時は、警備員やボランティアなどを置いて出入り口を監視することなどを求める報告書をまとめ、各都道府県教委などに通知した」のは良いのですが、誰が監視するのかというと、「出入り口を開放する場合は、警備員を配置するか、教職員やボランティアが立ち会うことが望まれる」です。警備員を雇うにはお金がないし、保護者は働きに出ていてボランティアどころじゃないとすれば、やっぱりこれは先生に押しつけられるじゃないですか。

 こんなの、対応策とは言えないです。

 大学でもそうですけれども、お金と人手がない場合には、無料で使える現職の教職員の仕事が増えるだけなんです。

 そうやって、サービス残業や過労死が増えているのが日本の実情なのです。
by stochinai | 2005-03-31 21:50 | 教育 | Comments(3)

年度の終わり

 ようやく今日で「平成16年度」が終わり、明日からは「平成17年度」が始まります。

 年度の変わり目ですから、委員の任期にも今日で終わるものがたくさんあります。私は、今日まで全学教育「生物学」企画委員というものをやっていたのですが、これは今まで経験したこともないくらいハードな委員でした。

 あまりのハードさから、従来は「物理・化学・生物・地学」の中にあった「物理学実験・化学実験・生物学実験・地学実験」をくくりだして、新しい委員会を作ってもらいました。その結果、少しは楽になったのかもしれませんが、新たに実験の企画委員になった方々も大変な思いをしておられますので、今まで1人でやってきたということが奇跡(あるいは手抜き)だったと言わざるを得ません。

 この企画委員の役割は、昔「教養」と呼ばれていた「全学教育」つまり、大学に入学して来た初年度~1.5年間くらいに行われる全学の「初年度教育」における、理系の学生(理学部、医学部、歯学部、薬学部、工学部、農学部、獣医学部、水産学部)すべてに対して生物学(I、II、III)および基礎生物学I、IIという講義科目(前は実験も)を提供することです。全員が必修ではありませんが、延べ人数で最大で3000人分くらいにもなる学生のクラスと教員を割り振るのは、真面目にやったらとてもできるとは思えないようなことです。

 それを担当する数十名の先生の担当する科目と学生、そして教室の割り振りをやりました。もちろん、他の科目との調整などもありますので自分1人でできるわけもなく、原案をだして全学教育の教務係との共同作業ということになるのですが、この春から始まる講義に関しては昨年の夏から秋にかけての作業でした。

 でもまあ、ある意味で機械的にこうした割り振り作業をするだけならば、時間とエネルギーさえかければ何とかならないものでもありません。さらに、2年目ということでちょっとは慣れてきていろいろとわかるようになっていました。

 ところが、去年から今年にかけては、さらに大きな仕事が持ち上がってきているのです。その一つが18年度から始まる大カリキュラム改革です。迷走を続ける文科省が頻繁に変えた学習指導要領の最後の仕上げが成された平成15年度に高校に入学した学生が大学に入ってくるのが平成18年度で、この年に入学してくる学生は高校までに、我々の知っているいわゆる「理科」の素養をまったくといって良いほど持っていないであろうことが予想されています。それを、「18年問題」あるいは「2006年問題」と呼んでいるのですが、その問題に対して大学の初年度教育を全面的に設計し直さなければならないところまで追い込まれているというのが、今の大学の実情です。

 そして、追い込まれた結果、誰かがそれに対応しなければならないので、我々は文科省のお力を借りることなく自力で対応しますということは、法人化するに当たって北大が作成し文科省に認可していただいた「中期目標・中期計画」に書いてあるのです。文科省のしでかした不始末を、我々が尻ぬぐいさせていただくということを文科省に許可していただくというのも、なんともひどく卑屈な態度ですが、それが我々の大学の首脳陣の姿勢なわけです。というわけで、ともかく18年度問題に適切に対処するためには、少なくとも理科のカリキュラムは全面的に改定する必要があるというわけです。

 来年から始まるその新しいカリキュラムづくりの基本的設計をしたのが、16年度だったというわけで、とんでもない時に委員になったものです。

 さらに「秀」評価及びGPA制度の導入という、これも中期目標・中期計画に書いてしまってあった約束があります。「学士課程に『秀』評価及びGPA制度を導入し,修学指導等に積極的に活用するよう努める」と書いた以上、それを実現しなければ6年後にマイナスの評価を受け、いろいろなところで大学として文科省から否定的な処分を受けるに違いないと、大学当局は信じておられるようです。つまり、やらなければなりません。

 その新しい評価方法に対応するための検討もやらされておりました。「秀」評価及びGPA制度というのは、海外の大学では普通にやられていることなのだそうで、大学を国際標準の存在にするために必須のものなのだそうです。北大では今までは、優良可という3段階の合格評価と、不可および不履修という不合格の評価しかありませんでしたが、それを秀優良可という4段階の合格評価に変えるということは、実はそれほど簡単なことではありません。

 そうしたことについての完璧な対応ができた上で、明日からの新学期を迎えられるのであれば大したものなのですが、当然のことながら我々のような非力な人間が少数で、しかも限られた時間の中でできたことなどはたかが知れているというのはどなたでも想像に難くないことだと思います。

 そういうわけで、私は任を解かれてせいせいした気持ちはあるのですが、今年・来年と起こるであろうカリキュラム上の混乱を予測しては、それほどすっきりとした気持ちではいられない年度の大晦日なのでありました。
by stochinai | 2005-03-31 20:51 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 またまたシバレイさんのところで、重要なニュースが出ています。イラクで働きたければハローワークに行け???って、どういう意味だろうと読んでみると、ぶっ飛びました。

 元ネタは2005年3月28日(月)「しんぶん赤旗」のようです。「職業安定所に求人票 働く場所は戦地イラク 月50万円以上 元請けは隠す」は、とても衝撃的なニュースだと思います。

 記事によると、「二月二十三日、ハローワーク長崎が『就業場所』を『イラク』とする求人票を公開しました。長崎市内の会社からの求人でした。」

 「それによると、仕事内容は『土木工事の手元作業(水道工事、学校建設工事等)』。 ・・・・・・・・・・・・ 賃金は月に『五十万円~六十万円』。イラクまでの旅費、宿泊費は会社が負担し、保険については『元請け会社が民間保険へ加入する』としています。」

 他の求人では「給与は二週間で七十万円。イラクで二週間仕事をしたら、一週間は日本に戻るサイクルで、交通費・食費・宿泊費、作業服も発注者持ち。パスポートを取得することが条件でその経費も発注者が負担する」というのもあったようです。

 あれれっ?こういう仕事は自衛隊がやっているんじゃなかったでしたっけ??それにしても給料がいいですね。危険手当ってやつでしょうか。

 シバレイさんのページには、サマワ郊外の学校の修復現場の写真が出ています。「『自衛隊が修復している』とサマワの市役所で聞いて行ってみたのだが、実際に働いていたのはイラク人労働者達だった」とのこと。そうでしたか、自衛隊は働くんじゃなくて雇用をする側だったですか。だったら、数人で良くないですか。武器もなくてもいいんじゃないでしょうか。

 外務省は、日本国民に対してイラクからの退避勧告を出していますけれども、自己責任で行く人までは止めないということで、公営の職業紹介所でこういう求職があることには、特に指導したりしないんですね。不思議です。

 それにしても、大手マスコミはどんなにおもしろく重要だったとしても、赤旗のスクープ記事なんて追っかけないということなんでしょうか。ケツの穴が小さすぎません?
by stochinai | 2005-03-30 20:30 | つぶやき | Comments(2)

スロージャーナリズム

 いつも情報提供と問題提起をいただいている「ネットは新聞を殺すのかblog」に、参加型ジャーナリズムの実験として、「スロージャーナリズム」をテーマとするブログ・ニュースサイト「慢報」が立ち上がるとの情報をいただきました。

 参加型ジャーナリズムへの一つの試案と実践というアイディアにも共感できるし、それを早速実践なさるということにも敬意を表したいと思います。

「ゆっくり考え、じっくり書く」ことの重要さを表す言葉として、
「スロージャーナリズム」を提唱したい。


 この2行は、私の琴線を確実に刺激してくれたのですが、つぎの一言で冷水を浴びせられた気持ちになりました。

「スロージャーナリズム」を掲げた記者OBたちによる発言の場が「慢報」である。

 こんなところにまで、古き良きマスコミ仲間の団結をひきずらなければならないものなのでしょうか。

 残念!

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

追記:実は、「慢報」のMAOさんから素早く、ご丁寧なフォローをいただきまして、この件に関しては(予想通り)私の脊髄反射による早とちりだったような気がします。私も、MAOさんの言動に信頼を寄せておりましただけに、ちょっと感情的に乱暴なエントリーを投げてしまったことをお詫びしたいと思います。

 「慢報」の志はとても共感できるように思えますので、こらからは(おとなしく)楽しみに待たせていただくことにします。

 始動の暁には、私の持っている武器は歩兵銃だけなのでほとんど力にはなれませんが、できるだけの援護射撃はさせていただきたいと思っております。

 これからも、よろしくお願いいたします。
by stochinai | 2005-03-29 20:18 | つぶやき | Comments(5)
 数日前に、娘さんを探している方がいらっしゃいますと書きましたが、解決したようです。

 「さきほど、つぐみは無事に帰宅しました。

 大事にならなくて、ほんとうに良かった。
by stochinai | 2005-03-29 12:16 | つぶやき | Comments(0)

結局、不起訴

 2月2日に「やられ損」というエントリーを書いたのですが、予想通り盗撮疑惑で逮捕され、処分保留で釈放されていた司法修習生は、嫌疑不十分で不起訴処分になったようです。

 だいたいが、エラそうに「不起訴処分」という言いぐさはなんということでしょう。処分保留の時にも思ったのですが、検察には間違いを犯したら誤るという小学生にもわかる当然の行動をとるだけの常識(良識)はないのでしょうか。

 処分できるだけの証拠が集まらなかったので、とりあえず保留にして釈放しますという言っていた時点では、また後で証拠を集めて必ずや起訴するので任せておいてください、というニュアンスを感じることができなくもなかったのですが、「不起訴処分」って何ですか?

 起訴して有罪にするだけの証拠も自信もないので起訴できません、ということではないのですか。もし、そうだとしたら誤ってください。不起訴処分ではなく、誤認逮捕であることを認めるというのが筋だと思いますが、検察の世界ではそういう常識はないのでしょうか。

 警視庁の話として「法と証拠に基づき適正に捜査を遂げ事件を送致した。処分結果についてはコメントする立場にない」のだそうです。証拠がないから起訴できなかったのではないのでしょうか。コメントする立場にある人は、誰でしょう。

 責任者、出てこいという気がします。

 先日も、東北大学の助教授の方がセクハラ疑惑で自殺されましたけれども、それも刑事や民事事件で結論が出た後の話ではありませんでした。

 判決が出るまでは無罪として人権を保障するというのが法治国家の原則だと思うのですが、最近のこの国の司法のやり方を見ていると疑問を感じることが多いのです。

 こんな状況だと、誰でもがいつでも警察や検察の思うがままに疑惑をかけられ、裁判をへることなく「社会的に抹殺」されてしまう可能性があります。

 こんな状況を放置しておくと、行政や司法あるいは立法に対して自由に批判することが保証されるという民主主義の基本中の基本がおびやかされることにもなりかねません。

 こうした問題を自分のこととして、警察・検察そして司法をしっかりと監視しておかなければ、誰も何も言えない社会になってしまいます。

 小さなことにも、いちいちチェックを入れるためにもこうしたブログを活用していきたいと思います。黙っていると、ここまで弾圧の手が伸びてきそうな気がしませんか。
by stochinai | 2005-03-28 21:31 | つぶやき | Comments(3)

テレビに出る

 すでに2週間前から決まっていたことではありましたが、さすがに昨日の夕方になって放送時間を迎える頃には何とも言えぬ落ち着かない気分でした。自分のメールの署名欄に放送番組名と時間を書くなどと、恥ずかしげもなく宣伝をしていたくせに、放送が近づいてくるとあちこちに宣伝していたことを後悔する気分にもなっていました。

 がまあ、時間がくれば大地震でもない限り、予定通り粛々と放送は行われるのだろうと覚悟はできたつもりになっていましたが、やはり落ち着かない気分のまま放送時間を迎えたのでした。

 私は「プロ」として講義や学会発表などで聴衆を前に話をすることにはある程度なれている自信もあります。もちろん眞鍋かをりさんとの撮影の時には、それなりに上がったりはしたのですが、その前日のタレントさんなしの録画撮りの時などには、自分でも意外なほど落ち着いていたつもりでいました。

 それを考えると、最終的に発表されるものを完成させる場に自分が直接にかかわれなかったことが、今回の異様な緊張感の理由のひとつであろうと思っております。

 学会や講義や講演会などでは、構想から材料集めシナリオ作りもすべて自分でやった上で、自分が演じます。そこでは、最後の瞬間である現場でお客さんの雰囲気を見ながらシナリオを書き換えながら演じることができるのです。

 この、最後の最後まで変更し続けることができないという状況は、普段はまったくあり得ない状況なので、とまどいを感じただけではなく最後にできあがるものがどんなものになっているのかがわからないという不安がつきまとっていたのだと思います。

 実は、この番組の最終的なシナリオの形ができあがって見せていただいたのは、放送の3日前でした。録画撮りの時にシナリオらしきものはありまししたが、せりふはすべてアドリブでしたし、その場でディレクターの方が変えていくというようなこともあったように思います。つまり、この番組では番組そのものと並行してシナリオが作られるという進行を取っていたようです。

 できあがった「最終シナリオ」を見ての率直な感想は、「さすがにNHKはレベルが高い」というものでした。何回かのインタビューと電話やメールでのやりとり、そして1日半の撮影をもとに、不要な情報をどんどんそぎ落として本質的に大切なことだけにシェイプアップして、中学生でもすんなりと理解できる10分か15分のストーリーに要領よくまとめ上げた手際には、正直に驚きました。

 もちろん、100%諸手を挙げて大賛成ということばかりではなく、ここはこういうふうに表現したほうが良いのではないかと申し入れたところもないわけではないのですが、NHK側の「受け手にわかりやすい表現にするために、ご理解願えないでしょうか」という姿勢に説得されてしまいました。

 最終的には95点くらいの出来になっていたと思います。(150点という声もあるにはあるのですが、、、、)

 我々が常日頃相手としている対象は、専門家であったり大学生であったりと、ある意味ではかなりのインテリジェンスを持った人々であることが多いのですが、今回のような放送の場合にはそのように対象を高く設定することはできないと言うことがよくわかりました。そして、そういう視聴者を対象にしたときのコミュニケーション技術もいろいろと教えてもらった気がします。

 そう言えば、先日「博物館市民セミナー」というものをやらせてもらった時に、今回のNHKの放送を作る過程で教わったことを知っていたら、もう少しましなものになっていたかもしれないということも思いました。

 科学を市民に伝えるということも、我々科学者の義務の一つだと思います。その義務をまっとうするためには、かなりのコミュニケーション技術が必要であるということは、漠然としながらですが日頃から思っておりました。しかし、実際にこのような場面で叩かれると本当に勉強になりました。

 今まで、ここでNHKのことを取り上げた時には、何かと非難めいた話題が多かったのですが、NHKが蓄積してきたコミュニケーション技術や能力などを考えると、これは国民の財産であることは間違いないと思います。国民のものであるというであれば、もっともっと利用していかないと損だという感想も持ちました。

 どうやって、本当に国民のものにしていくかということがNHK改革の目標になって欲しいものです。

#言語学研究室日誌さんから、別のエントリーにTBいただいたのですが、こちらをお返しにTBさせていただきました。(こっちのほうが、あってますよね>言語学研究室日誌さん)
by stochinai | 2005-03-27 23:59 | 科学一般 | Comments(2)
 「踊る新聞屋-。」さんが忙しさの合間を縫って精力的にエントリーを書いてくれています。これは踊る新聞やさんの今日のエントリー「正規兵はゲリラにはなれない」に刺激されて書いているトラックバック・エントリーです。

 ここのところ、プロのジャーナリスト(マスコミ屋さん)正規兵とブログ・ゲリラがネット上で敵味方のはっきりしない戦いを繰り広げている雰囲気があります。確かに敵味方ははっきりしないのですが、ゲリラの方には正規軍の存在意義を評価する意見がほとんどないのに対して、ブログをやっているプロの方々の中はブログをはじめとする新しいメディアに対する評価が真っ二つに分かれていることが、とても興味深い現象です。

 逆に見ると、このことこそが旧ジャーナリズムが崩壊あるいは大きな変化を受けつつあることの証拠と言えるのではないでしょうか。

 旧体制の現役メンバーでありながらもネット上に姿を現し、ブログ上に散在する多くのゲリラ兵を「正規兵に比べて、力のないものばかりだ」と嘆いていらっしゃる方が、ゲリラ兵ばかりではなく身内からも攻勢を受けています。

 アンシャン・レジームから、ネットの世界に乗り込んできて失望している人たちの気持ちも理解できないわけではありません。私を含めて、ネットの世界でブログを書きつづっている人たちの多くは、プロのジャーナリストから見るとあまりにも稚拙で、一次情報へのアクセスも弱く、「なんでこんなやつらによって、優秀な正規兵によって固められた旧体制が壊されなければならないのか」という怒りとも脱力感ともつかない感情が湧くのは当然とも思えます。

 しかし、そこで大切なのは正規兵とゲリラの力を比較して、「これなら俺たちは負けていない」と判断することではなく、「なぜ、こんなゲリラに俺たちが殺されなければならないのか」さらには「なぜ、こんなゲリラに俺たちが殺されているのだろう」という現実を直視した危機感ではないでしょうか。

 正規兵の人たちの大きな勘違いのひとつがここにあると思います。新聞やテレビなどの旧メディアは、ブログがあろうとあるまいと遅かれ早かれ壊れていくべき状況に追い込まれているのです。つまり、ブログが出てきたせいで旧体制が壊されてきているのではないかという判断が、完全に間違っているのだと思います。実は話は逆で、旧体制が壊れてきているからこそ「何の力もないように見えるゲリラ」が正規兵の理解を越えた驚くべき力を持っているように「見える」というのが実情なのではないかというのが私の意見です。

 その状況の中で、ゲリラ兵には力がないのだから、俺たち正規兵が負けつつあるように見えるのは幻覚にすぎない、いや絶対に負けることはないだろうなどと叫んでも、状況を変える力にはならないということをアンシャン・レジームにいる力を持った上官の皆さんはしっかりと認識していただきたいという気がします。

 また、踊る新聞やさんは「正規兵はゲリラになれない」とおっしゃっていますが、そんなことはありません。ガ島さんのように、本当のゲリラになった元正規兵もいらっしゃいますし、アホな上官を後ろから撃つことができれば現役の正規兵と言えども立派なゲリラの同士です。

 いずれにせよ、アンシャン・レジームが崩壊し、新しいシステムが作られつつあるのが現状であり、その状況の中で自分はどうするのかが問われているかというのが動かしがたい事実だと思います。正規兵であれゲリラであれ問われていることは同じです。

 状況が味方すると、いくら力のある正規軍でもゲリラに負けることもあるのだということを、まだ記憶に残るくらいつい最近も、我々はベトナム戦争で教えらたではありませんか。同じように今、新聞社や放送局がブログに負けることだって十分に高い確率を持った可能性のひとつだと思います。

 状況を見誤らないこと。難しいことですが、それがキーワードだと思います。
by stochinai | 2005-03-26 23:59 | つぶやき | Comments(2)
 君が代問題:斉唱時に不起立、都立高教員ら50人処分へ--都教委というニュースを聞いてなんとも暗い気分にさせられました。

 まだやっているのか、というのが正直な感想です。もちろん、東京都の教育委員会やそれを監督する立場にある都知事のことです。教育に関しては、もっと大切なことがたくさんあるんじゃないですか。先生を君が代や日の丸にひれ伏させると、何が良くなるんですか。いじめがなくなるんですか。学力低下に歯止めがかかるんですか。小学校襲撃事件がなくなるんですか。ニートが減るんですか。

 ただ単に、自分たちの命令を聞かないということにだけ極度に反応して、脊髄反射してるだけじゃありませんか。

 先生方にもお願いがあります。こんなレベルの低い弾圧をする相手と正面切って闘うのはつまらないので、作戦を変えていただけないでしょうか。裁判所もあまり信頼できないのが、今の日本です。

 ニュースによると、「昨春に続き起立しなかった教員約10人は減給」にされるということです。確信を持って行動している先生は、減給などは何でもないと思っていらっしゃるかもしれませんがご家族にとってはやはりつらいものです。ご自分だけが被害を受けるなら、問題はないかもしれませんが、ご家族あるいはこれから進学などでお金のかかるお子さん達までも被害者にしてはいけないと思います。

 ここは、ひとつずるく立ち回っていただけないでしょうか。

 起立しろといわれたらまあ、いやいやながらも弾圧をされない程度に逆らいながら起立してやってください。君が代を歌えと言われたら、君が代の伴奏で違う歌を歌ってください。替え歌でもいいですし、同じコード進行の違う歌を歌っても良いと思います。抵抗勢力の中には、音楽の先生や国語の先生もいらっしゃるでしょうから、替え歌や新しい曲を作ってください。それを大きな声で歌ってやろうじゃありませんか。

 君が代を歌えという命令に背いていると言われたら、「歌詞を間違えました。すみません」と言ってやればいいのです。

 昨年は、口をぱくぱくやっているだけで声を出していなかった先生がいらっしゃったようなので、教育委員の回し者の中には声が出ているかどうかを調べるために耳を近づけて来るやつもいると聞きます。そんなやつが近づいてきた時には、できる限りの大きな声で「わ~~~~~」と叫んでやりましょう。

 どんどん処分されるような玉砕戦をやっていたら、権力にかなうわけがありません。裁判所も頼りにならない今のこの国で、権力に対抗しようとしたらゲリラ戦しかないと思います。

 シバレイさんも「高校生諸君よ、・・・・・・・卒業式の際には、君が代の代りにPINK FLOYD の名曲、“Another Brick In The Wall”でも歌ってやるといいぜ 」と呼びかけています。

 私はもう一歩、譲歩しながら「民の世」を「君が代」の節で歌うことを提案したいと思います。
by stochinai | 2005-03-25 22:10 | つぶやき | Comments(14)

二本足で歩くタコ

 グーグル・ニュースでは珍しく生物ネタ。2本足で歩くタコの話題で4つニュースが出ています。昨日に続いて、科学ジャーナリズム批評になってしまいました。

 タコが2足歩行=米・インドネシア研究チームが発見

 これはロイター配信の和訳ですが、コメントが最低です。「2足歩行には硬い骨と骨格筋が必要と考えられていたが、タコはそのどちらも持たず、今回の発見はこの考え方に疑問を呈するものとなった。」まともな生物学者は、決してそんなことは言わないと思います。

 2足歩行のメジロダコを撮影--米カリフォルニア大バークリー校など

 これは毎日新聞の元村有希子さんの署名記事で、今回の中では最高のものです。きちんとに日本人専門家のコメントも取っています。同様の記事が動画つきで、毎日インタラクティブにあります。そっちはさらにベターです。

 メジロダコ:2足歩行を撮影 米カリフォルニア大のチーム

 産経と日経は共同が配信したものですが、最悪です。共同通信はおそらくきちんと取材してませんね。ロイターのものを抄訳したんじゃないかと思われるようなものです。共同は元村さんレベルの記者ををスカウトしないと、科学記事は書けないようですね。

 コメントも「人間のような「2足歩行」をするには、硬い骨と筋肉が不可欠と考えられてきたが、それを見直さざるを得ない発見だ。」とロイターのものを丸飲み。こんなことでいいんでしょうか。

 これでは海外からの配信は必要ないですね。毎日の元村さんの活躍に、ちょっとほっとしました。
by stochinai | 2005-03-25 17:27 | 科学一般 | Comments(9)

今日二つ三つ朝顔の通り道          稲畑廣太郎


by stochinai