5号館を出て

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 11月19日のCoSTEP演習「ブログ・コミュニケーション(1)および(2)」を取りたい方がいらっしゃいましたら、自分のブログを作っておくと楽だと思いますので、是非ともそうすることをおすすめします。

 実はまだあまりというか何も考えていないのですが、ブログ実習を出席代わりにしようと思っています。

 受講生の方は、どうせ課題は自分のブログからつぶやきブログにトラックバックするくらいだろうと思っているかもしれませんが、ブログの大御所(アルファ・ブログと呼ばれている方々)にコメントあるいはトラックバックをして、レスポンスを取ってくることなどが課題になる可能性もありますので、甘く考えないでおいたほうが良いと思います。

 とりあえずは無料のブログサービスを利用するのが簡単だと思いますが、もちろん自分のサーバーにブログを立ち上げるなどという素晴らしいものも大歓迎です。

 それから講義室(北海道大学情報科学館3階スタジオ型多目的中講義室だと思います)は100人くらいは楽に入りますので、履修届を出していようがいまいが当日は勝手に遊びにきてください。実習も、そのまま実践ということになると特に私が大変になるわけでもないと思われますので、課題がでましたら適当に参加していただけると楽しいと思います。

 まずは予告編でした。よろしくお願いします。
by stochinai | 2005-10-31 23:09 | CoSTEP | Comments(0)
 内閣改造が発表になったようです。

 我々ともっとも関係の深い文部科学大臣は小坂憲次さんという方だそうです。政治に疎い私には顔は見たことがあるかも知れない、という程度の認識しかできません。

 しかし、明日からの我々の生活に直接関わってくる可能性の高い大臣ですから、さっそくホームページに行ってみました。

 政策を紹介するページに、「教育政策」という項があります。えっと驚きました。文部科学大臣になろうという人の教育政策全文が句読点を入れて、462文字しかありません。しかも政策らしい政策と言えるのは次のところでしょうか。

自立する強さと、他人への思いやりあるやさしい心を持った、バランスの取れた人間教育を目標にして、(1)独立心と自分の考えを他人に理解させる能力を育てる教育。(2)個性を大事にして、創造性を豊かにする教育。(3) 家庭と地域(社会)と学校が協力して進める教育。に改めるべきだと思っています。

 そして最後にひとこと「要約すれば、幾つかの道の中から、独自の勉強の仕方が選択できる方式を導入すべきだと考えています」とのことです。

 高等教育に関する言及はないようですし、これまでにも特に教育科学政策関係の仕事をなさってこられたようでもありませんが、今までの教育政策は必ずしも正しくなかったという認識をしておられる方のようです。

 小泉総理の目玉公約のひとつである「米100俵の精神」を是非とも実現されるよう、よろしくお願いいたします。

追記:
 もうひとかた、科学技術担当相に松田岩夫さんという方がおられましたが、この方のホームページを見る限りは、どのような方なのかまったくわかりませんでした。競輪関係者なのでしょうか。

 こちらも、科学技術政策のことをよろしくお願いいたします。
by stochinai | 2005-10-31 19:16 | つぶやき | Comments(9)
 寝る前の数分から10分くらいを寝酒と一緒に読んでいたのでなかなか読み進めなかったのですが、出版元から直接通信販売で購入した「ブログ・ジャーナリズム[300万人にメディア]」の中で、ネットは新聞を殺すのかの湯川さん・ニュースの現場で考えることの高田さん・ガ島通信さんの対談の部分(第一部 ブログ・ジャーナリズムの可能性)はようやく読み終わりました。

 お三人の考え方などは、日頃から読ませていただいていた通りのことが多く、新しい発見がそれほどあったということはないのですが、さすがに長い時間をかけた対談のを起こしたものだと、随所に「まとめ」フレーズが飛び出してくるので、とても勉強になります。

 ブログ・コミュニケーションを考える上で参考になるコメントを抜き出してみます。

(高田)もっと身近な部分で考えると、ブログは現実に影響力を発揮しはじめていると思うのです。例えば、身体障害の問題を語り合うブログとか、街づくりをどう進めるかを考えるブログとか、そういう小さな範囲のブログは山のようにあります。分野も地域も、それぞれに限定されていますが、限定されているからこそ、限定された範囲内では影響を持っているのだと思います。

(湯川)アクセス数の多いブログはマスメディア化されるわけだけど、アクセス数が少ないブロガーでもオピニオン・リーダーになりえると思うのです。

(湯川)「釣り」も一歩間違えば「炎上」につながります。でも炎上しないようなブログは面白くないですね。ブログは炎上してナンボの世界だと思うのです。しかし、炎上したからといってブログを閉鎖して逃げたらだめです。


#それにしても、炎上を乗り越えて淡々と続けておられるブロガーのすごさには舌を巻きます。精神的強さだけではなく、運営のテクニック、さらには誠実さといった総合力が鍵だと思うのですが、ご本人からどうやって炎上を乗り越えたかというような話を聞いてみたいと思います。

(高田)参加型ジャーナリズムというと何か国政の大問題を語るようなイメージをする人がいますが、私はもっと小さい、身の回りで日常的に感じたことを大事にすべきだと思うのです。・・・・・参加型ジャーナリズムとは、「自分のこの声をいろんなところに広げたい」という欲求の集積だと思います。

 昨日のエントリーであまり深く検討していない思いつきを書いて、mikamiさんに捕捉補足していただいたジャーナリストとコミュニケーターという言葉遣いの正しさはさておいて、この本にタイトルにあるように「ブログ・ジャーナリズム」という言葉に何となく感じる違和感も「ブログ・コミュニケーション」と書き直すとしっくりくるように感じる私の感性を説明してくれるようなコメントが高田さんと湯川さんから繰り返し発せられているのを読んで、我が意を得たりという気がしております。

 ブログにしてもあまりにも大量の読者が参加することになって、たくさんのコメントやトラックバックがついてくると、とても個人の力ではすべてに対応することができなくなります。ということは、ブログの持っている双方向性というものが生かせないということになってしまいます。私もすべてのコメントとトラックバックに「丁寧に」対応しているという自信はないのですが、少なくとも5号館はまだすべてをきちんとチェックできる規模に収まっています。

 きめ細かな対応ができるサイズは人によって異なるので一概には言えないと思いますが、あちこちのブロガーの方がおっしゃっているように一日に1000PVくらいまでの規模が限界なのかもしれません。それ以上になると、すべてのコメントやトラックバックをチェックできなくなることもありそうです。それができないということはコミュニケーションの不全を意味しますので、ブログが炎上する可能性も高くなるでしょう。

 書いたものを一方的に読んでもらうだけで、それに対する反応をきちんとメンテナンスできないのだとしたら、形式的にはブログの形になっていてもそれはもうブログとは呼べないのではないでしょうか。もちろん、それでもなおコメントとトラックバックができるようにしておくことで「ブログとして機能できる可能性」を残しておくことはできるのですが、読者の感じる疎外感はマス・メディアのそれと同じものになるでしょう。

 ブログ・コミュニケーションにおいては、最小単位となるそれぞれブログの規模は大きくなりすぎないことがポイントのひとつのような気がしてきました。コミュニケーションがうまくいく単位をコミュニティと呼ぶならば、コミュニティとしてのブログの規模には自ずから限界があるということでしょうか。

追記:
 さなえさんから、ブログ・コミュニケーションという言葉にコメントを頂いております。「良い言葉だと思う。コミュニケートすること、それがブログの特質なのだから」って、まったく同感です。
by stochinai | 2005-10-30 23:59 | CoSTEP | Comments(5)

粥川準二さんの講義

 今日はもぐりの聴講生として、CoSTEPの講義「科学技術とメディア」の科学技術ジャーナリズム II を聞いてきました。

 今日の担当はフリー・ジャーナリストの粥川準二さん。扱っているテーマが生殖医療やクローン人間など、比較的私の興味範囲と近いこともあって是非ともお話を聞きたいと思っておりました。

 講義の前半は、粥川さんの取材テクニックの披露が中心でした。私は、いままで何回か取材されたことはあっても取材した経験などないので、取材する側がどういう気持ちでこちらの話を聞いているのかが良くわかって、なかなか興味深いものでした。おだてられたり、誘導されたりしていたんだなあ、と思い出して妙に納得できるところもありました。

 粥川さん自身の経歴をめぐるお話を聞いていると、やはりフリーのジャーナリストということで、何から何まで自分でやってこられた苦労がそこここに感じられて、その上で蓄積されたノウハウを受講生に惜しげもなく(実は本当にすごい企業秘密的なところは隠しているのかもしれませんが)、教えてくれているようでした。

 というわけで、とても優しく誠実な方のように思えましたが、立花隆批判のあたりからジャーナリスト魂というのでしょうか、前半の後輩達に優しくアドバイスしていた時にはあまり感じられなかった「攻撃性のようなもの」もチラチラ見え隠れして、けっこう話は盛り上がってきたと感じたのですが、時間がたりなくてスキップで駆け抜けてしまったのはちょっと残念でした。

 本題と関係ありませんが、ビデオの実物投影装置の調子が悪く、白い紙に書かれた文字が飛んでしまっていたのはちょっと気の毒でした。あの機械は次回の使用までに調整しておく必要があります。講演会の時に、しばしば感じることですがハードウェア・ソフトウェアの不調で話が中断されると、講師の方にも聞いている側にも大きな損失感が生まれます。こういうところのトラブルをあらかじめ回避しておくようにするのもコミュニケーターの役割ですね。

 講義が終わってからの質疑討論は、講義時間外で自由参加ということになりましたが、聞くだけではなかなか我慢できないおしゃべりな私にとってはありがたい時間でした。

 私と同じ苗字の方が質問されていた、フリー・ジャーナリストの倫理綱領はないのかというのはなかなか鋭い指摘だと思いましたが、フリー・ジャーナリストは個人個人で自分自身の倫理綱領を持っており、すべての責任は自分で取っている、というのが粥川さんを含むフリーの方々が置かれた現状だと感じました。大変だと思いますが、それはそれでなかなかカッコいい生き方とも思えます。

 最後に、今日の講義および質疑討論にインスパイアされて、私が勝手に思いついたジャーナリストとコミュニケーターはどこが違うのかという件について、ちょっとだけ書き留めておきます。まったくの思いつきなので、後になって取り消すかもしれませんが、要するに知らせる相手の規模が違うのではないかということです。

 マスコミやいわゆるジャーナリストという人々は、知らせたい内容を手にしたらあるいは作り上げたら、それを整理した上で、「多くの人達」に情報を流します。そのために、「大規模なメディア」というものが必要で、逆に言うとそうしたメディアなしにはジャーナリストは存在し得ないように思えます。つまり、新聞や本、テレビ・ラジオで行われる「発信行為」をする人がジャーナリストということになります。

 それに対して、コミュニケーターは特に大規模なメディアは必要とせずに、小さな単位の相手にむかって何かを知らせる存在ではないかと思ったのです。会場では、「直接民主主義」みたいなことを言ってしまいましたが、草の根の伝達員というようなイメージです。相手が少なくしかも身近にいるというのが、コミュニケーターの行うコミュニケーションの特徴で、それだと相手からの反応に対しても細かに対応できます。

 そういうふうに定義すると、ブログはコミュニケーターの道具なのかもしれないという自信がわいてきます。もちろん、万単位の読者を持つような大きなブログはジャーナリズムそのものと区別できないものとなりますが、何十人から何百人の読者しかいない中小規模の普通のブログは、我々コミュニケーターにとてもなじみのよいメディアではないかと感じています。

 これから、粥川さんを囲んで夕食会ですので、あまりまとまっていませんが投稿してしまいます。

追記:
 今日の講義の参考文献は、すべてがここにまとめられています。

追記2:
 さらに、関連サイトはここにまとめられています。やっぱり数は力ですね。みんなでノートをとれば、とても役に立ちます。
by stochinai | 2005-10-29 17:56 | CoSTEP | Comments(25)

共同作業用の黒板

 高校生の頃、放課後の教室で何人かで黒板にゴチョゴチョと書きながら、学校祭の企画を立てる相談などをした日のことを思い出します。みんなで勝手に書いたり消したり、線を引いたり、色分けしたり、グループごとにマルで囲んだりと、気軽に共同作業ができるところが黒板の良いところでした。

 インターネット時代になって、別々のところにいる人が、時間と空間を気にせずに共同で文章などを作り上げる道具としてWikiという便利なものがあります。ところが、このWikiというのはものすごい高機能そうなのですが、かなりのコンピューター使いにならないと使いこなせないもののように(ちょっと触ってみて)感じました。

 メールを書くことくらいしかできない素人にでも、もう少し簡単に使える同じようなソフトがないものかと思っていましたところ、知の冒険 @ Windfallさんが、「編集作業を効率化するWriteboards」ということで、まさしく私が望んでいたようなソフトのフリー・サービスを紹介してくれています。

 本家は外国のサイトで英語版(?)しかないのですが、中味は日本語をしっかりと受け止めれてくれますので、十分使えます。

▼writeboard.com
http://writeboard.com/

 ここにアクセスして、新しい「黒板」の名前とパスワードそれに自分のメール・アドレスを入れるだけで新規の黒板ができてしまいます。驚くほど簡単です。

 もちろんひとりで使うこともできるのですが、何人かで共同作業するためには、ここで共同作業者を招待するために、その人達のアドレスを入れるとメールで招待状とパスワードが送られるようです。

 適当な文章を入れては推敲を繰り返すたびに、旧バージョンが保存され後で比較することも簡単にできます。コメント欄もあるので、何時誰がどういうふうに直したということも記録できます。

 しかもRSSリーダーに対応しているので、新しいバージョンが保存されるとリーダーが知らせてくれます。

 自分ひとりでちょっとだけ使ってみた感じではなかなか楽しいものです。しかも、使える黒板の枚数が無制限(一つずつのアドレスが異なるという欠点はあるのですが、、、)でまったくの無料というのはなかなかのものだと思います。

 特定の仲間だけの秘密掲示板としても使えますし、文章を書かなくても企画会議もできますし、工夫次第でちょっとおもしろい使い方もできそうです。

 新しもの好きのネット・フリークにはおすすめのサービスです。
by stochinai | 2005-10-28 21:30 | コンピューター・ネット | Comments(0)
 CoSTEPの若手研究員である岡橋タッキーさんのブログが、だんだんと調子を上げてきているようです。

 昨夜のエントリーは「インテリジェント・デザインは学校で教えられるべきか」というものですが、このインテリジェント・デザイン(ID)なるもの、日本人にはあまりなじみのない言葉および考え方です。冒頭に簡単な説明があります。

インテリジェント・デザインは、生命の起源をなんらかの知性(インテリジェント)をもったものが創ったと主張する考え方らしい。一般に進化論は通説のように考えられているが、アメリカではインテリジェント・デザインを学校で教えてもいいのか、ということで大激論になっている。

 日本では想像もできないことですが、これをめぐって連邦裁判まで行われているそうです。

 IDと言えば、私はいつも幻影随想さん疑似科学・似非科学・トンデモカテゴリーで勉強させてもらっていたので知ってはいたのですが、生物学を専攻しているものとしては神の存在を前提とする生命論とは、まともに議論をする気分にはなれませんでした。

 でまあ、そういうのもあるんだなあという程度でいつも横目で見ていたのですが、岡橋さんのブログで紹介されているフラーという人(岡橋さんの先生?)の考え方を見て、ちょっと目からウロコが落ちたので、ここに書き留めておきます。

 「フラーの主張は、インテリジェント・デザインもひとつの科学的学説と認められるので、学校でも教えられるべきだ」と書いてありますが、岡橋さんによると彼の真意は「科学の営みのなかでもマイノリティ(この場合、インテリジェント・デザイン)を迫害してはならない、ということ」とのこと。これは、まったくその通りだと兜を脱がされた気分です。

 たとえどんなにおかしいことを言っていても、少数派でも、相手が科学の枠組みで話をしようとしているのなら、科学者としては受けて立たなければならないということに聞こえます。岡橋さんの解説は素晴らしいです。

つまり、ここでフラーはインテリジェント・デザインが正しいから、それを擁護しているのではなく、むしろ、進化論もインテリジェント・デザインも「誤りうる」可能性がある科学的学説のひとつとして考えるべきだといっているのだと思う。その方が、議論が生まれ、新しい考え方や学説が生まれる可能性があるのではないかというワケだ(と思う)。

 私は個人的には、進化論が正しくIDはアホな考えだとは思いますが、たとえそうでも論争が成立しているうちは、紳士的に議論をしなさいと諭されているような気がして、なんだか心が穏やかになれたような気がします。

 科学史や科学哲学を研究している人って、仙人みたいな超越感があって素敵ですね。私なんかまだまだ、すぐ熱くなるし、喧嘩するし、、、、、。

 これと直接の関係はないのですが、幻影随想さんのところに、ごくごく身近なところで起こっている私たちが考えるところのトンデモ科学関連の話題が載っていました。「水からの伝言札幌襲来」という話で、例の水に優しく話しかけるときれいな氷の結晶ができあがるという「説」を信じて広めようとしている人が札幌でイベントをやるということのようです。

 まあ、低温科学研究所という雪の結晶では世界的な研究所がある北大の真ん前で、彼らの研究をまったく無視したような理論を広めるイベントがやられるのを黙って見逃していて良いのかという意見もあるようなのですが、上にあるフラーの考えを聞いてしまった後だと、「まあいいか」というような気分にもなる私でありました。
by stochinai | 2005-10-27 16:55 | 教育 | Comments(23)

サイエンスネットカフェ

 セキュリティ&コンサドーレ札幌さんのところで、「サイエンスネットカフェなんてどうかな?」というエントリーが立てられました。

 響きは良いですね。インターネットカフェとサイエンスカフェのハイブリッドのようにも聞こえますが、セキュリティ&コンサドーレ札幌さん(長いですね、sapporokoyaさんでいいのかな?)は、日本にはカフェの文化がないのでサイエンスカフェは定着しないのではないかという意見に対して、「じゃあ日本でそのような場がないかと考えてみると……あるじゃないですか、ネットの匿名掲示板が」とおっしゃいます。

 実は私も同じようなことを考えていて、ブログはサイエンスカフェになるんじゃないかと思っていたところなのですが、sapporokoyaさんのお考えはどうやらリアルタイムのカフェをネット中継しながら双方向で盛り上がろうというアイディアのようです。

 たとえば、発表する人はリアルタイムにキーボードを打ちながら画面や声で(TVとかラジオとかストリーミングとか)登場します。で、たとえば2chの実況板のようなノリの掲示板に、発表者自らが降臨。 発表の合間に、もし可能なら発表しながら、文字通り聴衆との双方向の対話が成立するかもしれません。

 これだと、確かに距離の壁は乗り越えられますが、時間の壁が立ちはだかります。私はせっかくネットでやるのだったら時間の壁も乗り越えるカフェをやりたいと思うのですが、どうでしょう。

 基調報告として、ブログエントリーやポッドキャスティングでテーマを発信して、それに対してコメントやトラックバックでちょっと息の長いカフェを開催できたらと思っています。

 ホンモノのサイエンスカフェやsapporokoyaさんのネットサイエンスカフェだと、時間や距離の制約で参加できないという人も、サイエンスブログカフェなら気軽に参加できるのではないでしょうか。

 魅力的な(コメントやトラックバックをたくさん誘発できる)サイエンスネタのエントリーが書けさえすれば、今すぐにでも始められますよね、サイエンスブログカフェ。

 ・・・・・

 ブログの性質上、仕方がないのかもしれませんが、最近ブログに欲しい機能として、読者の方からの問題提起に対する受け皿のことを考えています。

 ここを読みにいらしてくださっている皆さんの中には、私に対してあるいはここのブログという環境に対して、何かを投げ込んで反応を見てみたいと思われるテーマをお持ちの方がたくさんいらっしゃるのではないかと推測しています。だとするならば、そういう方から「お題」を頂いて私が宿題のようにエントリーを書き、それをもとにコメントやトラックバックでカフェしてみてもおもしろいかなあ、などと思っているのでした。

 どうでしょうか。
by stochinai | 2005-10-26 21:02 | CoSTEP | Comments(3)

ブログ・エシックス

 「ウェブログ・ハンドブック―ブログの作成と運営に関する実践的なアドバイス」という本があります。レベッカ ブラッド (著), Rebecca Blood (原著), yomoyomo (翻訳)という翻訳本の原著はこちら

 とても真面目な本で、逆に言うとちょっと退屈な本なのですが、いちおう「ウェブログのバイブル」とまで呼ばれている本のようなので、ウェブログについて語る機会を持つことになった私は、お勉強のために買いました。しかし、なかなか読み進めないでおります。

 そんなおり、昨日たまたま読み進んだところに「ウェブログの倫理」(第6章 ウェブログのコミュニティとエチケット)というパートがあり、著者が考えるウェブログ倫理規定の最低ラインが6項目上げられているので、これは書き留めておきたいと思いました。

 そしてなぜか、このパートの原文がネットで公開されていますので、つたない訳とともに引用しておきたいと思います。

 1. Publish as fact only that which you believe to be true.

 自分で真実だと信じられることだけを「事実である」と書くこと。

 2. If material exists online, link to it when you reference it.

 ソースがウェブでアクセスできるところにあるのなら、引用する時にはかならずリンクを張っておくこと。

 3. Publicly correct any misinformation.

 もしも間違いを書いてしまったのなら、オープンな場で訂正すること。

 4. Write each entry as if it could not be changed; add to, but do not rewrite or delete, any entry.

 どんなエントリーも変更できないかのような形にしておくこと(実際は書き換えが可能なので、あたかも変えることができないので、こういうふうに訂正を加えましたという「形」にしておきなさいということ)。つまり一度書いたエントリーを、訂正したり、削除したりすることなく、「加筆」という形でバージョンアップすること。

 5. Disclose any conflict of interest.

 自分自身が利害関係をもっていることに関することを書く時には、かならずその件(株をもっているとか、原稿料をもらっているとか、雇われているとか、、、)を明らかにした上でエントリーを書くこと。

 6. Note questionable and biased sources.

 情報源に関して、問題がありそうだったり、特別な思想・指向を持っていることがわかっているのならば、その件についても必ず言及した上で、情報を転載すること。たとえ自分としては情報の内容は大丈夫だと思っても、一般的に知られていない情報源からの引用の際には、情報源に関するコメントも付けておかないと、後で情報の「隠蔽」を非難されることになるかもしれません。

 4,5,6については、ついつい破ったり、忘れたりしていることがありました。今後は気を付けたいと思います。

 訂正も消して直すのではなく、取り消し線を使っているブログがあるのはそういうことだったのかと、いまさらになって納得したりしています。

 まだまだ修行が足りません。
by stochinai | 2005-10-26 17:40 | コンピューター・ネット | Comments(2)

大がかりな冬支度

 昨日のGripBlogさんの衝撃的戦闘宣言から一夜明けて、私はまだどういうふうにサポーターとしてお手伝いできるのか見当もつかないでボーっとしているうちに、FIFTH EDITIONさんからはかなり具体的な提案というか現状分析が提出されています。FIFTH EDITIONさんって、普段からかなり考えているということが良くわかります。すでにブレインとして役に立ってる!

 ・・・・・・・・

 さて、話はまったく全然変わって、私の町内近辺のことです。東区には伏古公園というかなり大きな公園があるのですが、その隣にレンタルの市民農園があったのですが、この春からは貸すのを止めていました。どうしたんだろうと思っていたら、冬を前にして工事が始まりました。こんなものを作っていたのです。
c0025115_2205544.jpg

 写真の説明を読むと、下水道の一部をプールのように開放して、そこに除雪で集めた雪を投入して融かす設備のようです。施設の内部は下の図のようになっています。
c0025115_2214410.jpg

 これは、今までになかった発想かもしれないと感心しているところです。家庭から出てくる排水は、冬には湯気をたてていますので、その熱を融雪に使うというのは悪くないアイディアです。

 気温や投入する雪の量の問題もありますので、ひょっとすると必ずしも成功しない試みかもしれませんが、こういう省エネ的な冬対策にはとても好感が持てます。頑張れ、札幌市。

 雪つながりで、もうひとつ話題をお知らせしておきますと、今朝の朝日新聞に出ていたのですが、今度の雪祭りで真駒内会場から引っ越してくる予定になっている東区の「サッポロさとらんど」会場にスポンサーが見つからず、大規模な雪像や滑り台を作るのが難しい状況になっているそうです。

 担当者によると「市民の手で(中規模な)滑り台はできても、大雪像は作れない」とのことですが、ここいらで大雪像主義から脱却をして、子どもが作ったり壊したりして遊ぶ雪祭りということにしてしまっても良いのかもしれません。すぐ近くにはモエレ沼公園の大きな山(そのまんま巨大な滑り台になります)もありますので、東区奥座敷を大雪祭りランドにしてしまうことで、そんなにお金をかけずにできずにやれると思うのですが、どうでしょう>札幌市さん。
by stochinai | 2005-10-25 22:15 | 札幌・北海道 | Comments(1)

ものすごい行動力

 先の選挙ですい星のごとくに登場し、招待をもらったわけでもない自民党のブロガー会見に無理矢理入れてもらって、誰よりもたくさん質問し、誰よりもたくさん情報を公開してくれたGripBlogの泉あいさんが「取材をお休みします」というエントリーを書いています。

 あれだけ突っ走ってくれば、そりゃあ燃え尽きることもあるでしょうし、お疲れさま少し休んでくださいというような気持ちで読み始めてみると、内容は全然違いました。

 確かに、お金もなくなったし、精神的な不安も蓄積してきたということはあるようなのですが、今の状態を続けていっても未来はないと感じたようです。が、そこでただ落ち込んでしまうのが我々で、泉さんは逆に燃え上がったようです。

今後、私のようにインターネット上で取材活動をしていく人がいても、お金になる仕組みが社会になければ続けていくことは難しいでしょう。
その受け皿はないものだろうか。
この1ヶ月間、私は、インターネット上で収入を得られる仕組みをずっと考えていますが、既存のものではどこにも見当たりません。
そして、ひとつの結論に達しました。
ないのなら、自分で作っちゃえばいい♪
私のように学歴やスキルがなくても、修行を積んでジャーナリストになれる仕組みを持った報道機関を作るんだ!


 なんという前向きな人なのでしょう。

 泉さんほどの行動力があれば、フリーランサーとして大手の出版や報道の下で働くことも可能だと思われるのですが、どうやら今のジャーナリズムのあり方に対案を出そうと考えておられるようです。

 報道メディア設立プロジェクト(草案)は、今は市民とジャーナリストを隔てる壁があり、「お互いがお互いの立場を必要と知りながら、交わることのない壁を作り続けている日本の報道の現状」を嘆き、インターネットというしかけを使って「ジャーナリストと市民がいつも双方向で意見や情報を交換できる『議論の場』を」作ろうという呼び掛けです。

 この草案の中ではかなり具体的な組織の提案までされており、私のような素人がさらりと読んでしまうと「なるほどできたらいいかも」と思わされてしまうところもあるのですが、GripGlogさんのところにコメントを寄せられているプロの報道関係者の方々の中には懐疑的な方もいらっしゃる(多い?)ようです。

 が、私はブログを書いている市民として、泉さんのこの情熱には心を動かされる何かを感じます。

 お手伝いできることがあるのなら、サポーターになりたいと思います。日本のオルターナティブ・ジャーナリズムの中に生まれた泉あいという「宝」を育てることができないのなら、我々の存在は無になってしまいそうにも思えます。

 既存のジャーナリズムにおられる心ある方、および新しいジャーナリズムの誕生を願っている「市民」の我々が、ある意味ではつたなく危なっかしい泉さんの情熱を形にするために力を貸す時が来たのではないでしょうか。

 いま必要なのは彼女の動きを止めることではなく、情熱を前に進めるための建設的な提案なのだと思います。
by stochinai | 2005-10-24 22:17 | つぶやき | Comments(1)

風わたり泥も乾きて春の草             嵐雪


by stochinai