5号館を出て

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 広島の小学校1年生の女の子を殺害した容疑で、現場付近のアパートに住んでいた日系3世のペルー国籍の男が容疑者として逮捕されました。

 その男、犯行が行われた当時には、アパートにいたものの、逮捕されたのは三重県鈴鹿市の知人のところということですから、逃げたと思われても仕方がないでしょう。データは持っていませんが、ひょっとするとその移動がなければ逮捕状が取れたかどうか怪しいのではないかと感じました。

 現時点では本人は全面否認しているそうですし、いわゆる「直接証拠」は挙がっていません。あくまでも容疑者としての逮捕ですから我々を含めて冷静に捜査の進行を見守りたいと思います。

 日本人がペルーに移住を始めたのは1899年だそうで、日系人は現在8万人に達しているとのことです。もちろん、先日日本を離れ再び大統領選挙に挑もうとして、チリで拘束されたフジモリ元大統領のことは有名です。その他のこととしては、ナスカの地上絵やインカのマチュ・ピチュ遺跡の名前はかろうじて知っていますが、ペルーの人々がどのような生活をしているのかといったようなことについては、私はほとんどまったく知らないことを再認識しました。

 彼は昨年来日した時に、国に妻と7歳の長男2歳の長女を残してきたということですから、自分の子どもとおなじくらいの幼い子どもに手をかけるということも、にわかには信じがたい気がします。

 プロパンガスコンロの購入と、その箱が遺体を入れられていたものだということが確認されたとしても、容疑者が犯人であることを証明できるわけではありません。容疑者の身近にいる人間ならば、その箱を入手・利用することはできますので、警察は容疑者が逮捕されたからといっても油断せずに、他に犯人がいるという可能性をまだ捨てないで捜査を継続していただきたいと思います。

 白昼に起こった事件ですから、もしあのような安アパートで犯行が行われたのだとしたら、物音を聞いた人間がいた可能性も高いと思いますが、今までのところそのような報道はされていません。

 もちろん、私もこの犯行は決して許されることのできない卑劣なものだと思います。逆にそれだからこそ犯人の特定は慎重の上にも慎重に行ってほしいと思うのです。映画の見過ぎかもしれませんが、他に真犯人がいたのだとしたら現場付近の危険は去っていないことにもなるのです。

 犯人だとしたら許すことはできませんが、言葉も十分に通じない文化もまったく違う異国で、故国へ仕送りすることもままならないくらい安い月給で短期間は働いてはいたものの、今は失業して求職中だったという容疑者のことを考えると胸が痛むのです。どんなに悲惨な状況に置かれていたとしても犯行の正当化をすることはできませんが、悲惨な状況に置かれていたのだとしたら、我々は犯行とは別にそのことを考える必要があると思います。

 最近、国内で外国人による犯罪が多いという論調のニュースや評論を聞くことが多いのですが、国内で低賃金で働いているあるいは失業状態にある外国人も今の日本を支える「構成員」であることを認識し、それらの人々の動向をしっかりとつかみ、人間として生きるための最低限のレベルが日本人と同じように保証されていないのだとしたら、それは改善する必要があるのではないでしょうか。政治の責任だと思います。

 もちろん、日本人でも同じようなあるいはもっと悲惨な生き方を強いられている方々がいることも知っていますが、こと貧困に関しては同じ日本で生きている限り国籍を問わずある程度のサポートをすることが犯罪の抑止にもつながると思うのですが、どうでしょうか。ひどくなってくると、先日のフランスの外国人を中心とする暴動のようなことが起こる可能性も危惧されます。

 下流層を下回る貧困層が大量に増えてくると、日本全体が不安定になってくる不安を覚えます。
by stochinai | 2005-11-30 22:09 | つぶやき | Comments(26)

Firefox 1.5

 今メインのブラウザーとして使っている、Firefoxがバージョンアップされた1.5の配布が始まりましたので、早速インストールして使っています。

 それほど変わったという印象はないのですが、表示にかかる時間が短くなった(つまり早くなった)気はします。

 新しい機能も、どちらかと言えば表示の不具合とスピードの改良に重点がおかれているようなのですが、ついさっきまで「あればいいなあ」といつも思っていた「ドラッグ&ドロップによるタブの並べ替え」ができるようになったのは、とても嬉しいです。この機能だけのためにでも使いたくなるかも知れません。

 とりあえず、おすすめのバージョンアップと言えそうです。
by stochinai | 2005-11-30 19:42 | コンピューター・ネット | Comments(1)

あらしのよるに

 台風並みの低気圧の接近で、変に気温が高いものの、ものすごい風雨と、札幌の冬には珍しい雷も鳴る嵐をついて大学に出てきてみると、予定のゼミは2人の発表者が一人は勘違い、もう一人は急病というアクシデントが重なり、なんと中止になっていました。

 まあ、靴下やズボンが濡れた状態で寒い教室に入り、ゼミを強行して風邪を引くよりはマシかいうことで、思わず手に入った空き時間に濡れた靴下やズボンを乾かしながら、昼まで一仕事することができました。

 午後になってから、風と雨はおさまったようですが気温が下がってきた嵐の終わった夜にこれを書いています。「嵐の夜に」というと、ミシェル・ファイファーとジェシカ・ラングが出ていたアメリカの田舎を描いた暗い映画がありましたが、最近は「あらしのよるに」という絵本がはやっているのだそうですね。

 絵本がヒットしたので映画にもなるんだそうですが、内容は暗闇の中でお互いが見えないまま会話を続けて友情が芽生えるヤギとオオカミの話のようです。このお話は、ネットにおける文字だけのコミュニケーションの難しさを説明する良い教材になるかもしれません。

 ネットでは、文字(アスキー)情報だけで「会話」をしなければならないのですが、普段面と向かって会話する時には、相手の姿、表情、声の調子、さらには体温や香りなどもコミュニケーションを補完する情報として、大変な働きをします。

 もちろん絵本の話ですので、嗅覚の鋭いオオカミとヤギがお互いを誤認するなどということは実際にはあり得ないことなのですが、もしも聴覚以外のすべてを奪われてしまうと相手のことを理解するのがいかに難しいかと言うことを象徴的に教えてくれます。

 ネットのコミュニケーションに慣れるまでは、こうして文字を打ち込んでいる時には心を込めて文章を紡いでいきますので、相手もその気持ちをわかってくれるものだと勘違いしがちになるものです。

 しかし、読んでいる相手は書き手の姿形も見えませんし、電話などだと声の調子で伝えらることができる微妙な感情などはすべて消し去られたのっぺりとした文字が何をどれだけ伝えることができるのか、自分で書いた文章を1週間位してから自分で読み返してみると良くわかると思います。

 全然、言いたかったことが表現されていないことに気がついて愕然とすることが多いに違いありません。(一週間後にもOKという文章が書けたら、あなたはすでにプロです。)

 そういう文章に対して返されてくる文章もまた同じようなのっぺりとした文字情報だけです。そしてしばしばネットで起こることは、「ヤギ」を「オオカミ」だと思ってしまうことなのです。両方がヤギなのにお互いが相手をオオカミだと思ってしまう。結果はご想像の通りです。ネットで起こる行き違いの7割くらいは、こうしたアスキー情報でやりとりするコミュニケーションの特性に対する無理解から起こるような気がします。

 ならば、無用のもめ事を避けるルールのひとつが、自分たちは真っ暗闇で会話しているという自覚であるかもしれません。

 来年からは、この絵本をネット・コミュニケーションの教科書にしましょうか。

追記:2桁に収まったので、このエントリーを眞鍋かをりさんにトラックバ~ックしておきました。ふふふ。ただのアスキー文字の羅列なのですが、彼女の文章には表情と匂い(かをり)があります。これは勉強する価値ありです。みんなで、テクニックを盗みましょう。
by stochinai | 2005-11-29 22:05 | つぶやき | Comments(0)

ニュースを斜めに見る

 素直に考えると、とんでもないニュースが次から次へと飛び込んで来て、それに対して真っ正面から受け止めるだけでもなかなか大変な毎日なのですが、誰の支配も受けていないはずの我々は何ものにもしばられることなくコメントをして良いのだということを忘れないようにしたいものです。

 この世の中のすべてのことは一筋縄で動いているわけではなく、たとえ明らかな被害者と加害者がいたとしても、その周辺にいろんな利害関係者がうごめいているのが実情なのだと思います。そういう風に思えることが多いので、大きなニュースがあると敢えて斜めにひねたものの見方をするということも、場合によってはよりクールな視点を得る助けになるかも知れません。

 例えばまだアウトブレイクしていない、トリインフルエンザに対して繰り返し警報とタミフルやワクチンの備蓄を訴える記事が書かれています。もちろん、スペイン風邪以来の大きな被害をもたらす可能性が科学的に予測されているのは事実なのでしょうが、日本やアメリカ・ヨーロッパなどは当時よりも遙かに衛生状態の良い生活をしている人も多く、本当に言うほど危険なのかという、発表に対する不信感を感じます。ほんとうに予想されるような大量の死者が出るのでしょうか。

 逆に、本当にそんな危険が予測されるのだとしたら、台湾のように知的所有権などは無視してタミフルのジェネリック薬を開発してどんどん作れば良いと思います。にもかかわらず日本では、備蓄が必要量の0.5%などと言って恐怖感を煽る割には、ジェネリック薬の開発というチョイスが出てこないのはどうしてなのでしょう。やっぱり、どこかの企業を儲けさせたいということなのでしょうか。

 毎日の報道の50%くらいを費やしている耐震データ偽造問題も、例によってさほど本質的ではないところだけが繰り返し繰り返しワイドショー的に取り上げられているだけのような気がします。明らかに悪いやつらのことは、さっさと断罪して被害者住民を救済するとともに、一歩進んで同様の危険性が推定されるあらゆる建物の再検査をどんどんやっていくという方向に動かないのはどうしてなのでしょう。

 やっぱり、どこかの企業や役所が表に出てくるのを隠蔽しようとする力が働いていたりするのでしょうか。

 韓国のヒト・クローン胚問題がここへきて急に大騒ぎになったのはどうしてなのでしょう。論文を読む力のある人なら誰でも、韓国でヒト・クローン胚を作るために大量の卵が使われたことを知っていたはずなのに、その卵の提供者が共同研究者の女性だったとか、卵の提供に対して「謝礼」が払われていたということがわかったと、今までは想像もしていなかったことだと急に言い始めたのはどうしてでしょう。

 断然優位だった韓国のクローン研究をここでたたきつぶして、アメリカに研究の中心を取り戻そうというような陰謀がまったくないと言い切れるのでしょうか。韓国のクローン胚研究のスポンサーのほとんどが欧米の企業だったということと関係があったりはしないのでしょうか。

 倫理的問題がこれほど大きなことになるということは、韓国の研究者やメディアは想像もできていなかったような気配があります。しかし、共同で研究していたアメリカ人がいたのに、彼らがそんなことをやっていたとは思わなかったなどと言えるのは不思議でなりません。ここへ来て何かを隠し通すことができなくなったので、自分だけ逃げ出したというふうに思うのは私が疑りすぎということなのでしょうか。

 どんなニュースにも裏があると思います。せっかく何十万人ものブロガーがいるのですから、敢えてひねくれたものの見方をするという人間がいても良いだろうと思い、本日はニュースソースを引用することなくすねたエントリーを書いてみました。
by stochinai | 2005-11-28 23:06 | つぶやき | Comments(18)
 今朝の朝日新聞に「学生のバイト学業犠牲憂う」という北九州の大学非常勤講師の方の投書が出ていました。

 タイトルを見ると、今の学生はバイトばっかりして勉強していないということに対するお小言かと思いますし、実際「車の購入や遊ぶためのアルバイトはつつしむべきだ」などとも書いてあり、学生に対する警鐘の投書ではあるのですが、その中になかなか秀逸な経済解析(?)があってなるほどと思いました。

 「学生アルバイトは雇用主に買いたたかれている」という一言はバイトしている学生にとってもかなり響く一言ではないのでしょうか。「どのような状況にあっても、学業を犠牲にして、そのような安働きをすべきではない」という一文は、学生に対して労働者としての自覚を持てという檄文のようにも聞こえます。

 本来、学生時代というのは将来に備えて自分を作るための時間であり、そうした自己鍛錬というものはとても貴重なもののはずです。その貴重な時間のうち、たとえ1時間でもたった700円で売り渡してしまうことが本当にいいのか、という問いかけを学生は真剣に受け止めるべきではないでしょうか。

 自分を1時間研くことができるならば、それは700円もらって捨てることのできるようなものではなく、逆に1500円払っても惜しくないと言うべきものではないでしょうか。

 そもそも、学生は大学にとんでもない高い授業料を払っています。国立大学も含めて年間50万円から100万円払っている人が多いと思いますが、例えば月に5万円払っているとすると月25日のウィークディの一日に2000円払っていることになります。一日に3講受けるとすると1講あたり700円くらい払っていることになります。大学の講義は1単位1時間の講義に対して2時間の予習・復習をすることを義務づけています。大学では1講が2単位の2時間分になっているところが多いと思いますので、そうすると1講あたり4時間の自学・自習をしてはじめて大学の講義1講(2時間)分の知識の伝達がされるということになっています。

 そうだとすると、毎日の3講に対しては12時間の自学をしないと大学での教育を受けたことになりません。大学における学問というものはそのくらい困難で時間のかかるものであると想定されているのです。

 普通の生活時間があるとして、大学での3講(4時間半から6時間)に12時間の自習を含めると、1日24時間のうち16時間半から18時間を勉学に費やすとすると、土日の時間を考えても大学が提供する学問を身に付けようと思うなら、大学生はとてもアルバイトなどすることはできないという「理屈」になります。つまり、アルバイトをすることによって大学時代に身につけることが期待される「学問」を身につけることが困難になるという計算が成り立つのです。

 学問というものはそのくらい身につけるのが大変なものなのです。これは本当だと思います。バイトなどせずに4年間学業に打ち込んだとしても、必ずしも全員が学問を身に付けることができないことの方が普通でしょう。

 そういうふうに考えると、大学時代の貴重な時間を、時給たった700円のために売り渡して良いのかという投書の主の意見はとても重いものだと思います。

 もちろん、様々な理由でアルバイトをせざるをしない人がいることは理解できますが、そのアルバイトをすることが勉学に打ち込める時間を売り渡すことにペイするかどうかをいつも考えていなければならないということはしっかりと受け止めていただきたいところです。
by stochinai | 2005-11-27 23:35 | 大学・高等教育 | Comments(34)
 1997年に臓器移植法が施行されてから8年経ちます。

 毎日新聞によると、26日、近畿地方の病院に窒息のため入院していた成人男性が、同日午前1時半過ぎに、臓器移植法に基づき脳死と判定されたとのことです。

 今年になって脳死と判定された例がこれで9人目だそうで、驚いたことにこんなに少ない数でも今までの年間最多なのだということです。国内での脳死判定としてはこれが41例目で、臓器提供が実現すれば40例目になるとのことです。この記事を読むと、脳死になるとほぼすべてのケースで臓器提供がなされるようにも読めますが、臓器提供の意志がなければ脳死の判定をしないということなのではないかと思います。

 私は来年早々出版される予定のある本に「これからは脳死者の数は減ることはあっても増えることはないだろう」と書きましたところ、査読をしてくださったある方が「脳死者は今後増えるのではないか」とのコメントをくださいました。医療が進歩すれば脳死に至る前に脳崩壊の進行を阻止できるでしょうし、場合によっては今までは脳死と判断されていたものが治療可能な損傷という判断に変わることもあるのではないかと思い、これからは脳死者は減るだろうと書きました。

 その判断が正しいか間違っているかは未来に結果を見なければなりませんが、臓器移植を前提に脳死判定をするようになってから8年も経っているのに、いまだに年間10人に達しないということであれば、国内での脳死臓器移植が通常の治療方法になったとはとても言えません。11月15日付のライブドアニュースによれば、100万人当たりの肝臓移植者数(なぜ肝臓なのかは不明です:stochinai)を国別に比べると、米国が42.8人、カナダが33.2人、ヨーロッパの国々はスペインの47.7人、オーストリアの41.8人をはじめ、ほとんどの国々で20─30人で、日本は4.7人ということです。

 銃の存在などを抜きにして考えると、同じような文化程度の国であるならば脳死者の発生率にそれほど大きな差がでないことが予想されますので、臓器移植の少なさは「日本では脳死判定がそれほど行われていない」ということを示しているのではないかと思います。上のニュースでも「国内の脳死で亡くなる人の数は7000 - 8000人と言われ」ていると書いています。ほとんどの方々は脳死判定を受けていないということです。

 なぜ日本で、臓器移植法による脳死判定があまり行われないかというと、それはやはり臓器移植のドナーになっても良いという人が増えていないからでしょう。

 このような状況を前にして、臓器移植を待っている患者さんに対する理解が足りないとか、脳死というものがわかっていないとか言っても、あまり状況が変化するとも思えません。

 脳死になった時に、自分のからだを苦しんでいる患者さんを救うために使って欲しいという気持ちになるかどうかは、子どもの時からどのような社会でどのような教育を受けて育ってきたかということで決まるのではないでしょうか。家族の気持ちも同様だと思います。

 今、日本では教育の荒廃が叫ばれています。法律で臓器を提供することを推奨しているだとすれば、臓器を提供するのは善良な国民ということになるでしょう。そうした善良な国民を育てるには最低でも15年から20年かかると思います。

 臓器移植法などという法律ではなく、子ども達を育てる教育環境そのものを15年から20年計画で変える取り組みをすることだけが、進んで臓器提供の意志を持った子供達ひいては大人を育てることができると思います。

 別に、意識して臓器提供の意志を持った人間を育てる必要などないと思います、単にしっかりとした社会的責任感を持った人間を育てるということがそこにつながっていくのだと思います。

 くるくる方針の変わる小手先の改革の継続などではなく、しっかりと未来を見据えた息の長い一貫した政治を始めなければならない、引き返せないポイントに来ていることを感じます。
by stochinai | 2005-11-26 18:10 | つぶやき | Comments(6)

なんとR30さん

 私のブログで1時間に100以上のページビューがあるなどということは結構めずらしく、たいていの場合は、時事ネタのエントリーを書いた後に一過性に起こることです。

 しかし今日は昨日のスロー・ブログ宣言以降エントリーも書いておらず、それにもかかわらずオーバー100PV状態が、4時から7時まで4時間も津波のように続いているものですから、なんだこれとちょっと心配しておりましたら、原因はR30さんのところにあったようです。

 それほど会心のものではなかったこんなエントリーなのですが、R30さんが戯れに引用などされるものですから、どっと押し寄せた方が約500人。

 せっかく来てくださっても、がっかりされたのではないかと、そればかりが心配です。

 田舎芝居が全国紙の評論家に「こんなのもあるよ」って取り上げられたような気分で、もちろん光栄の行ったり来たりではあるのですが、なんとも気恥ずかしい思いでもあります。

 なんだかうかつなことは書けなくなるような緊張感が漂ってきます(ウソ、^^;)。

 というわけで、今後もスロー・ブログで行きますね。
by stochinai | 2005-11-25 21:54 | つぶやき | Comments(0)
 nature (24 November 2005) Volume 438 Number 7067 に免疫の進化に関する久々のヒット論文が載っていました。

 群体ボヤの一種のウスイタボヤ(Botryllus schlosseriが主人公です。このホヤは、写真で見るとわかるように、放射状に見えるかたまりにある一枚一枚の花びらのようなものが個虫と呼ばれる一匹で、それが群体を作っているので群体ボヤと呼ばれます。

 このホヤの群体は植物が芽を出すように殖えていくのですが、海の中で隣の群体とぶつかりあった時、その二つの群体が癒合したりしなかったりすることを、私も公私ともにとてもお世話になった渡邊浩さんという方が、40年くらいも前に伊豆下田の臨海実験所で発見しました。彼が使ったホヤは同じ群体ボヤですが別種のミダレキクイタボヤ(Botryllus primigenusでしたが、癒合と非癒合が遺伝子で支配されており、2倍体の個体が同じ遺伝子をひとつでも持っていれば癒合し、両方とも違う場合には癒合しないということを見つけたのです。つまり、AAとAAおよびABは癒合するが、AAとBBは癒合しないということです。

 しかも、その後の研究から癒合しない時にはホヤの血液細胞がお互いの組織を攻撃しあうという、まさに脊椎動物で見られるような細胞性の「免疫反応」のようなことが起こるということもわかり、脊椎動物の祖先の姿を現代に残しているこの原索動物に脊椎動物の原始的な姿が残されているのではないかと、内外から注目を集めたのです。

 しかし、残念ながらこの仕事の分子生物学的解析はアメリカのWeisimanらを中心とするグループにさらわれて今日に至っています。渡邊先生のお弟子さんのひとりである齊藤さんが下田でがんばっておられるのですが、機関銃に竹槍ではやはり大変です。

 で、アメリカのグループは地道に研究を続け、分子生物学と遺伝学を組み合わせた実験を10数年続け、ついにこの癒合・非癒合を支配している遺伝子をクローニングした結果、それが脊椎動物で臓器の拒絶反応を支配しているMHCという遺伝子に相当するものであるという論文が出たというわけです。

 その遺伝子が、予想通りというべきか驚いたことにというべきか、MHCと同じように免疫グロブリンと相同な構造を持っている細胞膜上に飛び出た分子だということですから、これはnatureに出ないわけはありません。

 同じ号のnatureには、この方面(比較免疫学、免疫の進化学)の大御所のLitmanによる解説も載っていますので、興味のある方は是非とも読んでいただきたいのですが、残念なことにやはりそこにもこの研究の起源となる群体ボヤの癒合・非癒合現象を発見したのは日本人であるとのクレジットは見あたりませんでした。

 確かに、Weissman達はこの現象の重大さに気がつき、遺伝学と分子生物学を地道に10数年かけてやり遂げたことはとても偉いと思います。しかし、これはやはりオリジナリティの高い研究を評価してサポートを続けてくれるアメリカという国の研究支援システムと、世界的にはやっている研究を輸入して最先端の研究をしている研究室を手厚くサポートする日本の研究支援システムの違いが根にあり、その結果として日本で始められた研究がアメリカで決着を見るという今日の姿につながったような気がして残念に思います。

 Weissmanと言えば、医学系の幹細胞研究でも第一線の人ですが、そういう人がホヤの研究に手を出すところに日米の違いを感じます。お金がある程度ふんだんにある日本の医学系の最先端研究室のようなところで、ホヤの飼育に10数年もかかるような研究をやらせてくれるところがあるでしょうか。

 研究というものに対する歴史だけではなく、何か越えがたい差を感じるエピソードだと思いませんか。
by stochinai | 2005-11-25 21:27 | 生物学 | Comments(16)
 昔「スローなブギにしてくれ」という小説があって、映画にもなり主題歌もヒットしたことがありました。私は小説も読んでいませんし、映画も見ていませんが、南佳孝の歌った主題歌「スローなブギにしてくれ」は結構気に入っていました。

 ちょっと前まで、スローライフとかスローフードという言葉もはやり、現代の人々はいつもスローにあこがれていることがわかります。

 オルターナティブなジャーナリズムや批評・論評活動を指向している人が多いブログの世界にはもちろんスローなライフスタイルを是とする人が多いに違いないと、私はなんとなく思いこんでいました。

 今年の夏頃に書店で「スローブログ宣言!」という本を見つけた時にも、スローとブログはなじみの良い言葉なのだと直感的に感じた記憶があります。(ちなみに、この本は日本におけるブログ創世記を記録した貴重な文献だと思います。)

 そんな中、「踊る新聞屋-。」さんがRSSを駆使して超高速でやりとりされるブログの現状に苦言を呈しておられます。

登録するブログが日に日に増えてくれば、見出しを確認するだけでそれなりの時間がかかってしまうのだから仕方ないのだけど、これじゃ、毎朝届く新聞数紙がひたすら山積みされていくのと同じじゃないか。

テクノラティの「今、最も検索されている話題」を見ても、ほとんどは、マスコミが“議題設定”した話題がほとんどだったりする。
 ブログの一極集中というかブログ・スクラムみたいだ。議題設定権、いまだマスコミにあり…って感じ。

 耳が痛いですね。

 なぜ、と言われても困るのですが、私のブログは「毎日書く」と決めて運用しています。たった一人の個人がそんなにたくさんのネタを持っているわけもなく、どうしてもその日あるいは数日前にマスコミが取り上げたニュースに関連したことを書くことも多くなっています。

 私個人としてはそれはそれで良いのだと思っていますし、消えるものじゃないのだからどんどんためていっても問題ないという意見もその通りだと思います。

 ただ「新聞屋-。」さんが心配しておられるのは、そうやってマスコミの提供する話題に振り回されて、非常に移り気で忘れっぽいマスコミの報道に引きずられるように、マスコミの熱が冷めたらブログでのコミュニケーションもおしまい、ということが起こってやしませんか、ということだと思います。「議題設定機能をマスコミから解放せよ(笑)というか、ニュースの価値基準はもっと幅があっていいのではないかということ」はまったくその通りだと思います。

 そういうことで、前にフラスコさんから提案のあった「スロートラックバック」宣言を再確認しませんか、ということなのだと思います。大賛成です。フラスコさんのエントリーを読んでみると、まんざら私も関わっていないところから話が始まっており、この提案自体はブログのロングテールという特徴をブログを(読む人ばかりではなく)書く人間も意識しましょうということだと思います。大賛成です。

 「新聞屋-。」さんのところで紹介されている「スロー・ネットライフのすすめ」にも強く共感しました。

 私も「スロートラックバック」に一票入れます。の~んびり行きましょう!
by stochinai | 2005-11-24 16:02 | コンピューター・ネット | Comments(0)
 「科学・技術と人間の倫理」という演習タイプの講義で、学生と一緒に抗がん剤イレッサについてのケーススタディをやっています。

 イレッサという抗がん剤は、特定の肺がんに対しては夢のような抗がん効果があるということで、世界に先駆けて日本で認可された珍しい抗がん剤でしたが、その後報道などで取り上げられたように副作用によりたくさんの死亡例が報告され問題になった薬です。アメリカのFDA(食品医薬品局)は昨年12月17日にイレッサには延命効果がなかったと発表しましたし、今年の1月4日には販売元であるアストラゼネカ社がヨーロッパ各国に出していた販売のための承認申請を取り下げています。

 そういう状況であるにもかかわらず、日本では依然として使用が継続されている背景には、日本での臨床試験結果からこの薬が、非小細胞肺がんのうちの腺がんを持つ非喫煙者の日本人女性がそれ以外の西洋人よりも有効率が高いという(中間)結論が出ているからなのだそうです。

 分子生物学的な解析から、この薬が働く標的(攻撃する対象)と考えられている細胞膜上の受容体タンパク質に遺伝子変異をもつ患者さんでは、イレッサが約85%の確率で有効性を示すということが報告されました。不思議なことに上に挙げた日本人の非喫煙者女性の腺がん細胞でこの遺伝子変異が起こっている例が多いということのようです。

 ここまでわかっているのであれば、がん細胞の一部を採取して分子生物学的解析を行って変異が確認された患者さんにだけイレッサを適用すれば良いと思うのは、生物学者の能天気というものかもしれません。

 特にこのケーススタディを意識していたわけではないのですが、今日DVDで「天国の青い蝶」という映画を見ました。私は、この映画を子どもが出るお涙頂戴ものというふうな先入観を持っていたので、なんとなく見そびれていたのですが、他にあまり見るべき映画もなかったのでセカンド・チョイスという感じで借りてきたものです。

 最初に「この映画は実話を元につくられています」というクレジットが出たので、そうそうとんでもないものにはならないだろうと思っていたのですが、脳腫瘍で余命3~6ヶ月と診断された男の子と母親が死ぬ前の思い出作りとして、昆虫学者に頼んで中南米(撮影はコスタリカ)のどこかに金属光沢を持つモルフォ蝶の採集に出かけるという話です。

 最後には意外な方法で手に入れることができたモルフォ蝶を逃がしてやるところで終わるのですが、なんとおまけに男の子の脳腫瘍が自然消滅したというコメントが付いていました。

 確かに、余命数ヶ月から数年と診断されたがん患者さんで、民間薬や自然食品、生活改善あるいは宗教活動などによりがんが消えた、あるいは何年も生き続けているという話は時々聞きます。

 手術や抗がん剤でも直すことのできないがんが、それ以外の方法で「確実に」直せるということはあり得ないと思いますので、民間薬や自然食品、生活改善あるいは宗教活動などにより直った場合には、そうした努力がなくても治るといういわゆる自然治癒というものなのではないかと思います。

 この自然治癒というものはそうそうあるものではないでしょうが、事実としてあるのだとしたらその生物学的メカニズムを是非とも知りたいです。自然治癒はお金儲けにつながる研究ではないので製薬会社などは手を出さない分野だと思いますが、もしも自然治癒力を高めたりできるのだとしたら、再生医療に匹敵する未来のがん医療になると思います。

 考えようによってはバカバカしい、そんな夢みたいな研究をやっても良かったのが昔の大学だったはずなのですが、おそらく今の大学にはそんな研究をやる場所は残されていないような気がします。

 とても残念です。
by stochinai | 2005-11-23 23:53 | 生物学 | Comments(14)

日の暮の背中淋しき紅葉哉            小林一茶


by stochinai