5号館を出て

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ブログ1周回

 気がついてみたら、今日は1月末日でした。

 思い返せば、私のホームページの小さなコラムから引っ越してきて、ブログとして公式に公開したのが昨年の2月1日だったのです。このブログのバックナンバーが一昨年の11月からありますけれども、11月と12月の分はブログとしてかいたものではなく、もとの日記から転載したものです。1月になってからのものは、ホームページとブログの両方に書いていましたがブログは公開しておりませんでした。(その時に、試験的に読者になっていただいた数人の方にはここで改めてお礼を申し上げます。)

 つまり、今日で1年書き続けたことになります。

 実はその1年前から、私のホームページのコラムでは「1日も休まずに1年中書く」と決めて、毎日書いていました。

 先日も「つぶやきさん。毎日書くと決めて(無理して)書いてないですか」と面と向かって尋ねられましたが。「はい、毎日書くと決めて無理して書いてます」というのが私の答です。

 時間がないこともあります。何を書いたらよいのかネタがないことなどしょっちゅうです。でも、毎日どうして書くのでしょう。

 自分でも良くわからず根拠もないのですが、毎日書かないと書いている自分のアイデンティティがなくなってしまいそうな脅迫観念があるような気はします。

 毎日書いていないと、読んでくださっている方と「切れて」しまいそうな怖さも感じているのかもしれません。気の小さな男です。

 また、毎日書くことが楽しくもあります。

 イヤでイヤでという気分になったことがないので、自分は書くことが好きなのだと思います。自己顕示欲の強い人間でもあるのでしょう。

 コメントやトラックバックをもらうことはうれしくもあり、また緊張もします。でもそのことで、独りよがりにならずに済んでいることにも感謝しています。そういう自信のない人間でもあります。

 毎日、一日のうちの30分か1時間をブログを書くことに費やしていることになりますが、それは私のライフスタイルからみてあまり無理がなく、またその投資(?)に対する十分な見返りを頂いている充実感があります。それは、読んでくださる方がいるという実感と、コメントやトラックバックをくださる方がいるという事実から感じているものだと思います。

 自分がここに書き、それを読んでいただける。さらには、それに反応してくださる方もいる。

 それだけでも、人間は生きていけるのではないかというふうにも思います。

 1周年にしては、くだらない感想しか書けませんでしたが、この年になってかなり手応えのあるものに出会ったというのが正直な感想です。

 明日からも、どうぞよろしくお願いいたします。
by stochinai | 2006-01-31 23:21 | つぶやき | Comments(7)

政治漫画再生計画

 新聞などの政治漫画というと、最近は描いている人にお年寄りが多くなったせいか、今ひとつ切れ味が悪いものが多くなってきたような気がしておりましたが、その状況を打破すべく、橋本勝の政治漫画再生計画というシリーズが始まっています。

 今回のお題は「株!食!住!インチキ・トリオがおどります

 笑えます。お奨めです。
by stochinai | 2006-01-31 16:12 | スマイル | Comments(0)

世界最小のサカナ

 今朝は通勤途中で、1月26日更新のディスカバリー・チャンネル・ポッドキャスティングを聞いていたら、世界で最小のサカナが発見されたというようなことを言っているので気になりました。

 日本国内でも大学への基礎数学-雑記帳さんのブログ「世界最小の魚を発見!」で取り上げられていました。こちらのネタはCNNニュース「体長7.9ミリ、世界最小の「魚」発見 スマトラ島」ですが、原著の論文が英王立協会紀要という訳がいただけません。

 ポッドキャスティングを聞いていると Proceedings of Royal Scociety と言っているようなので、さっそくネット検索してみると、簡単に The Royal Society Publishing にたどり着けました。すると、ここでは多くの論文がフリーアクセスとして開放されている上に、ニュースのところに「Proc. R. Soc. B: Scientists discover the World's smallest fish. Article freely available」とあります。

 世界中の人が自由に原著論文にアクセスできるようです。素晴らしい!

 論文のタイトルは
Paedocypris, a new genus of Southeast Asian cyprinid fish with a remarkable sexual dimorphism, comprises the world's smallest vertebrate
です。

 付けられた学名(属名)がPaedocyprisです。Cyprisがコイやフナの属名ですから、それに近いという意味ですが、東南アジアでこの属のサカナが2種類発見されて、そのうちのひとつが世界最小の脊椎動物という大発見になりました。

 成熟したメスのうちでもっとも小さいものの体長が7.9ミリ、でちょっと見にはメダカの子どものように見えます。

 頭蓋骨はほとんど軟骨のままで、まさに稚魚の形質をもったまま大人になっているようです。

 pH3という強い酸性の泥炭地に住むこのサカナは1996年にはすでに見つかっていたそうなのですが、別の既存種に分類されてしまったいたものが、今回新属として報告されたもので分類学では良くあることです。

 卵や発生や稚魚のことが書いていないようですが、手には入ったら是非とも飼育してみたいものだと思うのですが、生息域が破壊されていてもはや絶滅しているかもしれずこれ以上の研究はできないと結ばれているのが、なんとも残念なことです。
by stochinai | 2006-01-30 21:42 | 生物学 | Comments(0)

春の匂い

 まだまだ朝起きて除雪をしなければ日々が続いていますが、作業をしていても何となく気分が違ってくるようになりました。すぐに汗ばむこともそう感じさせられる一因ではあるのでしょうが、12月頃の暖かい日の感覚とはずいぶん違う感覚があります。ひょっとすると自分にも動物的に日長などで季節を感じる動物的な勘があるのではないかと感じる瞬間でもあります。

 そうなのです。雪の中で作業をしていて春を感じるのです。雪はほとんど融けておらず、まだまだ暗い空と猛吹雪の日もあるのですが、明らかに心は冬の底は過ぎたということを実感しています。

 北国では冬季になると「鬱」になる人が多いといいますが、そういう人でもそろそろ気分が戻り始める時期になってきました。去年も書いたような気がしますが、今までは北国に住んでいることを呪う気分だった人も、北国に住んでいることを感謝する時期が始まったのです。

 雪祭りはこれからなのですが、良く考えてみると雪祭りは札幌の冬を終わりを告げるお祭りなのかもしれません。

 さて話変わって、私のとっている朝日新聞で確認しただけですが、今朝の新聞ではブルーバックス「新しい高校生物の教科書」の広告が大々的に出ていました。最新刊2冊ということで「新しい化学」と並んで出ているのを見ると、なんとなく気恥ずかしい気がしないでもないのですが、同時にそれが自分と関係したものであるという実感があまりわかないのもまた実感です。

#名前にルビをふられているのにもなんだか違和感がありましたけれども、同じページの他の本でも読み間違われそうな著者にはルビが入っています。無名人の証明でもあるのでしょうが、読み間違われることを考えるとルビはありがたい配慮です。

 「発売忽ち大増刷」のポップが入っています。初刷が1万5千部とずいぶん思い切った部数を出すということで、我々としては(講談社としても)本当にそんなに出しても大丈夫なのかと心配だったのですが、幸いなことに書店レベルで支持があり、緊急重版ということで、もう1万5千部を刷ることになったようです。

 3万部といえば、ちょっとしたベストセラーの数ではないかとドキドキものなのですが、ブルーバックス広告のすぐ下に「生協の白石さん」が87万部突破と出ていますので、3万なんて売れたうちにははいらないと気を取り直しました。

 それにしても、私が今までに関係した本で専門書と言われるものは3千冊くらいも売れればせいぜいだという世界です。専門書や同人誌というものは数百からせいぜいが数千しか売れないものだと聞きます。

 大学教科書や実習書の執筆に関係したこともあります。教科書は毎年コンスタントに出ることが期待されるものですが、それとて公式教科書に採用されたとしても数百が良いところで、毎年売れたとしても何年か後には年に数十部ということになることも良くあります。実際、私が関係した大学生物学の実習書は今でも毎年数十冊ずつ増刷されているようですが、シャレのように年に2000円とか3000円とかの印税が送られて来ます。

 ところがこのブルーバックスの前に出た中学生向けの「新しい科学の教科書」は1年から3年までの3分冊ではありますが、合計で15万から20万部出ているとのことで改めて初等・中等教育の「教科書」という出版の威力に驚かされました。日本では高校進学率もほぼ100%に近いと思いますので、「高校生物の教科書」が中学の「科学の教科書」に近いポピュラリティを獲得する可能性はなきにしもあらずなのかもしれません。

 逆に言うと、「教科書」と銘打たれている本は、いわゆる普通の読み物の本とは異なる基準で購入されている可能性が高く、たくさん売れたからと言ってその内容が受け入れられたということとは違うのだということは肝に銘じております。

 とは言うものの、学校で普通に使われる普通の検定教科書とは違い、教室で使われることよりも個人レベルでの生物学読本として利用されるということを前提に売れたのだとしたら、日本人の「生物学教養」あるいは「生物学リテラシー」に対する関心の高さを評価したい気分にもなります。それと同時に、続編とでもいうべきリテラシー本を要求する層がいることも確信できる気になってきます。

 しかし考えてみると、ブルーバックスの諸作品こそがこの「教科書」の続編というべきものなのですね。
by stochinai | 2006-01-29 23:04 | 教育 | Comments(2)
 今朝のワイドショーも主題はライブドア関連ばかりでしたが、ホテルつながりということでか東横インの無断改造問題と個人的にはニュースだと思っていない一夫多妻のタコ親父関連ものと、局による特徴のないテレビでありました。

 そのワイドショーの中で流れたコマーシャルでひさびさに見たのですが、見るたびに腹が立つものがあります。ゴミの出ない引っ越しということで、特別な輸送容器を使った日通の「えころじこんぽ」という商品の宣伝なのですが、日通の人が忙しく働いている引っ越しの現場で奥さんとおぼしき人が、手伝いもせずベランダで外を見ながらキャンディーズ(30歳より若い人は知らない?)の「微笑みがえし」を口ずさんでいるのです。

 もしもし奥さん、引っ越しの時くらい手伝ってくださいよ、といつもこのコマーシャルを見るたびに思ってしまいます。とてもきれいな人で、からだつきも華奢なので力仕事は無理みたいに見えなくもないのですが、それにしても引っ越しの時に外を眺めながら歌を歌っている奥さんの図って、コマーシャルには向いてないんじゃないでしょうか。

 その奥様はとても美しい方であることはまちがいなく、調べてみると岡崎モデルズという事務所に所属するマリエスタ(MARIE-ESTHER)さんという方であることがわかりました。趣味がドイツ料理で特技がドイツ語ということなのでドイツ系と思われるのですが、出身が京都造形芸術大学で「微笑みがえし」の日本語も普通なので、ハーフなのでしょうか。どうやらそのようで、お子さんもいらっしゃる方のようです。

 それほど本気で腹を立てているわけではないのですが、思い出したので忘れないうちに書いておきます。

 さて、コマーシャル後のワイドショーでやっていた、東横インの不正改造問題は今ひとつ状況がつかめません。発覚の端緒は横浜市の条例で定められた身障者用の駐車場や客室を撤去していたことがばれたことのようですが、全国の東横インでもホテルの建物の完了検査を受けた後で、ロビーなどの改造工事をやっていたことが続々と明らかになってきています。

 「完了検査とは、建物が完成したときに、その建物が建築基準法と関連規定に適合しているかどうかを調べる検査のこと」だそうですから、検査のあとで改造が行われた建物は建築基準法に適合していると認定される前の振り出しに戻るということになるのでしょうか。

 それにしては、横浜市役所で会見した東横インの社長の態度に緊迫感がまったくなかったのはどうしてなのでしょう。

 どんなちっちゃな条例違反でも、違反は違反だから、軽く考えてはいけない。時速60キロ制限の道を67~68キロで走ってもまあいいかと思っていたのは事実。これからは60キロの道は60キロできっちりと走ると肝に銘じる。

 条例違反にしても建築基準法違反にしても、おそらくスピード違反程度の罪悪感しかないことが良くわかる発言だと思います。いずれの違反も注意かせいぜいがスズメの涙程度の罰金ということで、まわりを見渡しても普通に違反が見いだされるという実態が彼をして、これだけの余裕を持たせているのだと感じました。みんなやっているよ、だと思います。

 価格破壊とインターネット無料接続サービスで急速に売り上げを伸ばし、毎年のように続々と新しいホテルを開業しているのが東横インで、私も良く利用しています。以前は、近くにコンビニのないところだけがやっていた朝食の無料サービスも、今はどこの東横インでもやっていると思います。おにぎり(パン)とみそ汁とコーヒーくらいですが、豪華な朝食バイキングで千数百円とられる普通のホテルのことを考えると、無料でとりあえず飢えがしのげるサービスは大好評です。

 ホテルの量販店みたいなものと言えばいいのでしょうか。量販店の店舗が建築基準法に違反していたり、駐車場問題で近隣の人達とトラブルを起こすようなことと類似の犯罪なのかもしれません。

 もちろん悪いことは悪いのでしょうが、直接の被害者がひょっとするとホテルを使うかもしれない身障者の方々(この事件がありましたから、おそらくもう使おうという人はいなくなったと思います)と、メンツをつぶされた国交省というところが事件としては小さいものだと感じられるところです。

【追記】とりあえずここに「チェッカーズのメンバーを増強しよう」という建設的提案がありますので、その気になれば解決はそんなに難しくないように思えます。

 それより何より、この事件の最大の影響は例の耐震偽装事件のニュースがまたまた隠されているということだと思います。ホリエモン事件や一夫多妻事件など、ともかくワイドショー・ネタになりそうなニュースで、昨日や今日起こったことではないことがこのタイミングで次々と提供されて大騒ぎされるのって、いったい何なのかと思ってしまいます。

 こういうことが続くと、耐震偽装事件の陰にそんなに大きな黒幕がいるのかと誰しもが思い始めているのではないでしょうか。
by stochinai | 2006-01-28 18:25 | つぶやき | Comments(17)

漫画のような風景

 良くお隣の韓国の入学試験についてその狂騒ぶりを揶揄するかのようなニュースが流されますが、日本の入学試験の周辺でも負けず劣らずの異常な風景が毎年のように見られます。

 産経ウェブのニュース「センター試験で教科書ミス発覚 実教出版の高校政治・経済」によると、高校で使われている実教出版発行の政治・経済の教科書に掲載されたグラフに間違いがあったことが、入試センター試験によって明らかになったということです。

 先日行われたセンター試験でその教科書に載っているものと良く似たグラフが出題に使われ、それがその教科書のものと違っていたということが受験生からの申し出で発覚してしまいました。

 誤りがあったのは日本や米国、英国など5カ国の公共投資が国内総生産(GDP)に占める割合を表したグラフで、米国と英国を取り違えて表記していた。

 教科書は文科省の2002年度に検定合格し、04年度から使用されている。05年度の採択は約6万6000冊で、占有率は第2位の13%。

 センター試験のほうには正確なグラフが出ており、その違いが問題になっているというニュースですが、それに対する文科省と入試センターのコメントが「異常」でした。

 文科省は、「『誤りのあった教科書で学習したことで、正答を得られなかったとすれば申し訳なく、心からおわびする』とし、検定で誤記を見過ごしたことを謝罪した」と言いますが、それは逆に検定を通るということがその教科書には間違いがないということを意味していると関係者が認識していることであり、その傲慢さに恐ろしいものを感じてしまいました。

 つまり文科省が間違いであると判断する限り、どんな教科書も検定を通らないということです。そもそも、新しい発見があるたびに旧来の常識がくつがえることが珍しくもない学問の世界のエッセンスを紹介する教科書というものに、間違いがないことが期待されているということ自体が整合性のないことであり、もっと言うと異常な感覚と言わざるを得ません。

 そのような不可能を可能にしようとしている検定などという制度は一刻も早く廃止すべきだと思います。廃止すれば間違いは出版社だけの責任になり、逆にいうとそれを採用した高校の自己責任になります。大学は自己責任において、自分たちの入学試験を実施すればよいのです。

 さらに大学入試センターの姿勢も試験を作る立場になってみると理不尽なものです。
 センター試験をめぐっては昨年、国語1の問題で教科書の評論文が出題され、センターは「受験生に有利不利を生じさせた」と謝罪。今年は特定教科書に掲載された素材を扱わないように配慮してきたが、グラフや写真などはチェックの対象ではなかったという。
 
 だいたいすべての検定教科書を隅から隅までチェックして、不公平の無いように試験を作るなどという発想自体が馬鹿げています。不可能です。

 今回の件に関してのセンターのコメントが「国民に不公平感をもたれないように来年以降はグラフなども教科書と照合するように改める」と言いますが、そういうことをしながら試験を作るということになると良い試験を作ることよりも、くだらない教科書チェックという無益な作業が優先される結果、試験のクオリティが下がることでしょう。

 国立大学も法人化したことですし、もうそろそろ入試に関わることに国が口を出すこと(教科書検定やセンター試験)などというものは廃止してはどうでしょう。それこそ、小さな政府を目指す小泉改革がやるべきことではないのでしょうか。
by stochinai | 2006-01-27 22:49 | 教育 | Comments(0)
 tsurezure-diaryさんのところで知ったのですが、日本の論文ねつ造疑惑の中心人物のひとりである東京大学の多比良教授に2000年度から2005年度の間に国から支給された研究費の総額が約14億4千万円になっているそうです(たとえば中日新聞)。

 中日新聞によると、研究費は経済産業省、NEDO,文科省などから出ていますが、同じ人に重複して研究費が投下される現状はなんとかならないものかと思います。

経産省関連では〇三-〇五年度に、教授がジーンファンクション研究センター長を兼任する産総研がセンターへの研究費として九億千四百万円、NEDOはプロジェクト予算として四億二千二百万円。文科省は二〇〇〇-〇五年度に、三件の研究課題に科学研究費補助金で計一億千八十八万円。いずれも多比良教授を研究代表者として支給、合計額は十四億四千六百八十八万円に上る。

 教授に論文データねつ造の責任をなすりつけられている助手の方にも2001年から2005年までの間に、文科省の科研費が5180万円支給されているとのことです。研究は共同で行っているでしょうから、2人分を合わせると、15億円ということになります。

 まあ、最近の遺伝子やタンパク質、糖、脂質がらみの研究で、産業化も視野に入れるような巨大プロジェクトになってくると、数億円から数十億円というのもわからない額ではないのですが、そういう大きなお金をもらって研究を始めると途中でやめるわけにも行かなくなり、研究費の継続を考えるとNatureやScience、Cellクラスの雑誌に論文が出続けないと難しいということが言われてますので、データねつ造の動機は理解できないわけではありません。

 しかし、そういうプレッシャーがある中でもお金を出した側がしっかりとした監視体制を持っていれば、そうそう簡単にねつ造などできるものではありません。この事件の背景には、研究費配分の審査体制と監査体制の不備があることはまちがいありませんので、お金を出した側の責任も問う必要があると思います。

 今の事後審査体制と言えば、もらった研究費でどのくらい論文を書いたかを問うものが多いですが、それではねつ造を後押しするという逆の力になってしまいそうな気もします。それから、審査した人あるいは組織を審査するシステムが絶対に必要です。情実で研究費配分が行われているというような噂を払拭するためにも、真剣に検討すべき段階に来ていると思います。

 この件に関しては、国際的に評価される決着をつけておかないと、日本の科学界が世界から相手にされなくなるというくらいの危機感が欲しいです。

 inoue0さんからの情報によると「多比良教授の学生は全員が移籍した」そうです(毎日新聞)。研究費ももらえなくなっていたので、学生も研究できないと困るので別の研究室へ移るということなのでしょうが、大学院の途中で研究室を変わる(多くの場合はは研究テーマも変わるでしょう)というのは、かなりダメージが大きいです。単に研究室を変わるだけではなく、授業料の返還や場合によっては慰謝料なども含めて学生に対しては大学として責任を取るべきこともあると思います。

 東大と並ぶ日本の頭脳である京大でもアホな事件が起こっています。

 「集団強姦容疑で京大生3人逮捕 名門の元アメフット部員」です。京大のアメリカンフットボール部「ギャングスターズ」といえば、最近はそうでもないのかもしれませんが国立大学としては異例の日本一を争うレベルにあった名門チームです。

 あえて失礼を承知で書かせていただくと、某私立大学のアメリカンフットボール部で同じような事件が起こったとしたら、それほどの驚きがないかもしれない集団強姦事件ですが、東大に並ぶあるいはそれ以上の頭脳集団である京大の学生が、こんなアホなことをするようになるほど日本全国の大学生のレベルが下がっているのかもしれません。

 来年からは大学全入時代になるとも言われていますので、もはや東大や京大も普通の大学になってしまったということなのかもしれませんが、いくつかは特別の大学というのも必要ではないかという気がします。

 悪くいうとエリート大学になってしまいますが、教員も学生も禁欲的に学問・研究に邁進する大学がひとつくらいあってもいいのではないかと思ったりさせられるような憂鬱な事件です。

【追記】
 本日東大工学部で調査委員会の報告書が発表されたそうです。産経ウェブによると結果は限りなく黒に近いものになったようで、「多比良教授と主執筆者の川崎広明(かわさき・ひろあき)助手(37)の処分を懲戒免職も含めて検討している」とのことです。

 ニュースには書いていないのですが、メールニュースBTJ /HEADLINE/NEWS 2006/01/27 THE PRIME MAIL 第790号にこの記者会見の様子が書かれています。Biotechnology Japan Webmaster の宮田満さんの個人的意見だと思いますが、私も共感できる意見です。

 1月27日に東大工学部の調査委員会の記者会見で配られた資料には、そのため、匿名の外部研究者が、多比良研究室が提出した再試の結果を微に入り細にわたり、個人的推測も交え検証していますが、こんな議論は匿名ではなく、学会の場で、実名を明かして堂々とやりとりすべきです。まるで推理小説のような面白さですが、学問の府である東大工学部が匿名の資料として配布するのは大いなる勘違いであると思います。調査委員会は、この匿名の調査報告配布を撤回するか、誰が評価したか、実名を公表すべきだと思います。

 私も公平性や透明性を確保するために、調査や検証を行った人の実名は公開されるべきだと思います。そうでなければ、「被告」が正当に反論する機会を失うことになり、逆の不公正が行われる可能性が出てきます。宮田さんはそういう科学的検証は「学会」(この場合はRNA学会)が行うべきであると主張し、大学の仕事は以下のことであろうとおっしゃっています。私はこれにも共感します。

 これは研究プロセスに不正行為がなかったかどうかの吟味です。大学や研究機関で、不正行為が行われたのか、という判断です。大阪大学や東京大学の論文捏造事件では、トランスジェニックマウスがいなかったり、実験ノートがなかったり、明らかな研究不正行為がなされています。この不正行為と研究責任者の管理責任こそ、所属機関の調査委員会は判断すべきなのです。

 再現性に拘泥する余り、不正行為の吟味が曖昧になってはいけません。むしろ、実験ノートも生データもない論文を公表したという不正行為を確認し、果断に処分することが重要です。


 京大の事件も続報が出ています。逮捕された3人のうち1人が京都府警の調べに「数日前も鍋パーティーを開き、酒に酔った別の女性と関係を持った」と供述しているのだそうです。こんな連中は、鴨川の河原に裸で2-3日さらしものにしたら良いのではないでしょうか。
by stochinai | 2006-01-26 21:32 | 大学・高等教育 | Comments(22)
 米国から輸入された牛肉に背骨が混じっていたために、輸入禁止措置がとられたことで、アメリカ側はいちおう輸入解禁に際して日米で交わされた輸入基準の合意に違反していたことは認めつつも、21日に踊る新聞屋ー。さんが予言したとおり、逆切れ開始のようです。

 来日したJ・B・ペン米農務次官は24日、米大使館で記者会見し、米国産牛肉の安全性に関して、「BSE(牛海綿状脳症)のリスクは自動車事故よりはるかに低い。日本の消費者が適切な判断をすると信じている」と述べたそうです。(読売オンライン)ついでに、「日本では22頭のBSE感染牛が確認されたと聞いている。米国では2頭だけだ」とも言っていますが、日本で前頭検査をしていることを無視し(知らない?)、日本よりもアメリカのウシの方が健康だというようなニュアンスの愚かな見解を延べています。

 一方、彼がいうように日本国内では22頭目の感染牛が発見されたのですが、その発表が23日ですので良く調べているものだと感心しました。感染牛は「雌のホルスタインで、肉骨粉が餌として禁止される前の2000年9月1日に生まれ、北海道別海町で飼育されていた」ものだそうです。

 さらに、アメリカのおとなりカナダでも4例目の感染牛が発見されています。意外と知られていないのですが、カナダからの輸入も米国産と同じ扱いを受けていて2003年から日本への輸入が停止されていました。そして、昨年12月の米国産の牛肉とともに輸入が再開されています。しかし、先日の背骨混入事件はアメリカのものだったので、カナダ産の牛肉の輸入は今でも継続されています。

 ホリエモン事件のせいで、あまり大きく報道されていませんが、現在の日本政府の苦手な部分のひとつが外交です。しかし、せっかくアメリカに対して強く出ることのできるカードを手にしたのですから安易に輸入再開しないということが良いと思います。

 アメリカ人のBSEに対する感受性の鈍さには驚くべきものがあり、学者や医者でさえも「事故という意味においては飛行機が自動車よりも安全であるのと同じように、牛肉を食べてBSEになる確率を考えると自動車事故に会うよりも確率は低い」というような乱暴なことを言いながら平気で食べる人が多いと聞きます。もちろん、牛肉は食べませんという米国人もいるようですが、おせっかいな米国人は本気になって、我々日本人がウシの全頭検査をしていることを非科学的だと哀れんでアドバイスしてくれようとしているのかもしれません。

 しかし、我々の国が選んだ全頭検査はいわば日本の食文化であり、科学と非科学・迷信というようなレベルで議論されるべきものではないと思います。

 靖国問題については絶対に外圧で意見は曲げないという我らが総理ですから、外圧で我々の食文化を変えるなどということを決めることは絶対にしないと信じております。

 何を食べるかということくらい自分たちで決めたいものです。価格破壊という名で、貧乏人に強制的に安いものを食べさせることもやめていただけるとありがたいです。
by stochinai | 2006-01-25 20:48 | つぶやき | Comments(12)
 5号館へ帰ってきました。

 なんと途中で通った理学部ローンでは雪で壁を作り、ジンギスカンをやっている学生とおぼしき人間がいました。長年札幌で暮らしていますが、氷点下4℃くらいの露天でジンギスカンをやっているところは初めて見ました。意外と今後、はやるかもしれません。いつの時代もバカなことをやる学生は微笑ましいものです。かまくらを作ってその中でやらなかったのは、技術力のなさが原因とは思われますが、酸欠事故で死なないためには正解だと思いました。

 さて今日は、昨日の続きのサイエンスコミュニケーション・ワークショップ in Sapporo2日目「サイエンス・カフェ ~イギリスと日本の経験~」でした。その後に、札幌駅のガード下の居酒屋で行われた懇親会にも参加させてもらっていました。

 残念ながら、トム・シェークスピアさんがイギリスのサイエンス・カフェの現状を紹介し、我がCoSTEPの岡橋タキーがサイエンス・カフェ札幌の紹介をしたところまでは聞き逃してしまいましたが、その後の東北大学サイエンスカフェ、サイエンスカフェ神戸、くらしとバイオプラザ21のバイオ-カフェ、そしてカフェシアンティフィック東京からの報告は全部聞くことができました(とは、言っても時々隣に座ったCoSTEPの佐藤君と私語を交わしたりしていたのですが、、、)。

 いろいろな意図のもとに、様々なサイエンス・カフェの試みが行われていることに、正直な感動を覚えました。理科離れしていると言われる高校生をメイン・ターゲットに科学の面白さを伝え研究者へのリクルートを考えるものから、大学受験で目指す学問分野への進学に失敗し中年を越える頃になってからリベンジとして自然科学へチャレンジしてきたおじさん・おばさんに研究活動を提供しようというものまで、今後出て来るであろうものを考えるとまさにプロデューサーの数だけ多様なカフェがありうると感じました。

 そんなお話の中でいくつか印象に残ったことを書き留めておきたいと思います。

 トムさんがコメントされていたこと。カフェは講義(レクチャー)とは違うものでなくてはならない。質問に答えるのではなく議論するというスタイルにならなければ意味がない、という言葉はサイエンス・カフェ(イギリス人のトムさんはフランス語でカフェ・シアンティフィクと呼びます)の本質をズバリと突いていると思います。ミニレクチャーになりがちなカフェに対する警鐘です。

 これに関連して、バイオ-カフェの紹介をしてくれた佐々さんのお話の中に出てきた「おしゃべりの勧め」は、ずっと私の中でもやもやしていたサイエンス・カフェとミニ講演会のどこが違うのかということに解答への道筋をつけてくれる強烈なイメージを与えてくれました。

 日本人は講演をしてくれた人にあまり質問しないとか、議論が下手だとかよく言いますけれども、そんな人達でも隣の人と「ねえねえ、今の話わかった?」というような雑談や私語は活発に行います。佐々さんは、それこそが普通の市民が苦手と言われている議論や演者への質問への突破口になるのだというようなことをおっしゃっていたと思います。

 講演会での質問と回答でもなく、さらには最近サイエンス・カフェで良く見られるテーブル談話でもなく、普通の人がもっとも得意とするこの私語・雑談を積極的に利用していくことで、今までは想像もできなかった幅広いコミュニケーションができるはずだというお話に、私はカフェという世界の光が見えてきたような気がしました。

 講義や講演会ではタブーとされている、私語や雑談にポジティブな意味を付与する意見には生まれて初めて出会いました。佐々さんとは、懇親会でも隣に座らせていただき、3月に「ホンモノのサイエンス・カフェ」をやるぞと意気込んでいるSalsaさんと3人でかなり盛り上がってしまいました。

 もう一つの収穫は、サイエンスカフェ神戸がすごいという発見でした。実に自然体でカフェを運営しておられる伊藤さんは、特に意識して所属する神戸大学を背負っておられるわけでもなさそうで、数人の仲間と市民のネットワーク作りとしてのサイエンスカフェを運営しておられます。特に今後の展開に対する展望が素晴らしく、市民とのネットワークができたら、彼らが調査・研究活動するところまでサポートしようということを想定しているのは、本当にすごいと思いました。

 もう一つ、神戸のお話で共感できたのは、その柔軟な姿勢です。普通、サイエンス・カフェなどをやろうとする時にはついついターゲットとする対象の年齢や社会的位置などのことを考えるものですが、伊藤さんは中高年が多い現状に対しても淡々とそれを受け入れて問題視する気配すらありません。これもまた、カフェを運営するにあたって大切な姿勢だと思い知らされたものです。

 バイオ-カフェもカフェ神戸も基本的に小さな催しであり、参加者同士が横の方向に打ち解けやすいという共通点があるように思いました。カフェのコミュニケーションのポイントにひとつはこの「参加者同士が仲良くなる」ということなのかもしれないと思ったのも、今日の収穫でした。

 サイエンスという接頭語が付こうが付くまいが、良いコミュニケーションが行われるためには良い人間関係が前提になります。冷製に考えると、そんなことは当たり前のことなのですが、ついついサイエンスという言葉の魔力にだまされて忘れがちになっていることを反省しました。サイエンス・カフェは規模が大きすぎたらダメなのかもしれません。

 そんなこんなで、今回のワークショップでも実にいろいろなことを学んだのでした。

【追記】
 科学コミュニケーションブログさんからの情報で、くらしとバイオプラザ21ワークショップの詳細な報告がアップされたことを知りました。すごく詳細ですので、是非ともご覧下さい。
by stochinai | 2006-01-24 23:57 | CoSTEP | Comments(6)
 ポスターがなかなかいいんです。縮小してしまったのでもとの雰囲気がちょっと損なわれているのですが、この色合いはいかにもイギリスっぽくて気に入りました。さすが、CoSTEPの看板デザイナーの作品です。
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 何にもお手伝いできないでいて心苦しかったのですが、枯れ木も山のにぎわいで一人でも多い方がいいかも、ということで「サイエンスコミュニケーション・ワークショップ in Sapporo ―イギリスと日本の現状と展望―」の1日目のワークショップを聞いてきました。(参加ではなく、聞いてきたというところが、いかにも「お客さん」の態度ですね。すみません。)

 今日はトム・シェークスピアさんと渡部麻衣子さんの講演を中心にしたワークショップでした。

 プログラムではトムさんの演題は「市民法廷とOrdinary Ethicsプロジェクト」でしたが、実際に話されたものは「Methods of science engagement: the Newcastle esperience 1999-2006」となっていて、彼が実践しているプロジェクトの報告が主なないようでした。

 印象に残ったのは、大学院のマスターコースだけではなく専門家として働いている人達に、教育しつづける「生涯教育」のプログラムのことと、アートと科学の融合についてです。アートの「曖昧さ」と科学の「厳密性」をどういうふうに調和させて融合するんだろうと疑問に思っていたところ、質問する前に彼は「アーチストは科学を非常に批判的に見てくれる良い友達だ」という説明をしてくれました。

 知ったかぶりの半専門家よりも、シリアスなアーチストの方が我々の科学を冷静に批判してくれるかもしれないというイメージはとても新鮮で、意外な説得力を感じました。

 続いてはNPO法人市民科学研究室の渡部さんからの、活動報告です。こちらもポスターでは「市民科学とかかわる」となっていますが、本日の演題は「市民科学研究室の活動」です。

 私はこの市民科学研究室については、ほとんど無知だったのですが、驚くほど多彩な活動を精力的に進めておられる団体だということがわかりました。

 すごいところは、とりあえず自分たちで研究を始めてしまっているところです。もちろん、理系出身者や現役の大学院生もいてある意味で「専門家」もいると言えないこともない人もいるのですが、その幅広いテーマ設定から基本的には素人が素手で研究を始めているようにも思えました。

 彼らのキーワードは「リビング・サイエンス」です。リビング・サイエンスとは「生活者の視点に立った科学知の編集と実践的活用」というふうに難しく説明されていましたが、要するに生活する我々にとって科学技術とは何なのかと考え直そうということのようです。

 そこで打ち出されている科学技術は、以下のように定義されるようです。
生活の必要としての科学技術
生活をより良くする手段としての科学技術
生活への驚異としての科学技術
生活の中の楽しみとしての科学技術

 科学技術と生活を結びつけると、ついつい最初の3つのような視点になりがちだと思うのですが「楽しみとしての科学技術」があることで、私は彼らを信頼できる気分になりました。科学者には研究そのものが楽しみでやっている人が多いものです。彼らが科学は楽しみになることもあると言うことで、科学者との敷居が一気に低くなるような記がしました。

 トムさんと渡部さんの主張の根底にあるものは、市民と科学者が自由に批判もしあえる「良い友達」になることだと感じました。

 イギリスも日本も科学技術コミュニケーターは「行けてる」と思いました。

 明日は、イギリスと日本各地のサイエンスカフェからの報告があります。行かなきゃ。
by stochinai | 2006-01-23 22:49 | CoSTEP | Comments(3)

ふと咲けば山茶花の散りはじめかな        平井照敏


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