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大学院教育振興施策要綱

 MYさんのブログ経由で知ったのですが、「“徒弟制”一掃、文科省が大学院を抜本改革へ」というニュースがありました。

 この記事のどこを読んでも、講座制の廃止と助教授を准教授にするということ以外に、徒弟制度を「一掃」するための方法が書かれていないので、私には理解ができなかったのですが、「文科省は今後5年間かけて、大学院による教育課程や教員組織の見直しを支援するなど、教育基盤の整備を進める」というところに、徒弟制一掃の秘策があるということなのでしょうか。

 同じくMYさんのブログにあるリンクをたどると「大学院教育振興施策要綱」の策定についてというものに行き当たります。どうも読売の記事はこの大学院教育振興施策要綱を評価しての論評のようですので、こちらを読んでみることにしました。

 実施機関は平成18年度から平成22年度まで、ということは今年2006年度から5年ということですね。いちいち指摘するのも嫌になりましたが、この年号はいい加減になんとか西暦一本にならないのでしょうか。政治的にはどうなのか知りませんが、少なくとも教育的・科学的には世界標準に合わせたほうが便利です。こんなところにも、日本の政治の非科学性がにじみ出てしまうのが悲しいです。

 余談はさておき今回の施策要項の柱です。
◆大学院教育の実質化(教育の課程の組織的展開の強化)
◆国際的な通用性、信頼性(大学院教育の質)の確保
◆国際競争力のある卓越した教育研究拠点の形成
 今までずっと言われ続けていたものですので、とりたてて目新しさは感じられません。

 第四からは、具体的な取組施策が書かれています。

 大学院教育の実質化は、我々の周辺でもすでに始まっています。大学院組織が変わった理学研究科では、いままではそれほどまじめにやられているとは言えなかった大学院生の講義が増加するとともに、「本当に講義をする」という意味で実質化・強化されています。大学院生の間からは、これだといつ研究をしたらいいのか?という悲鳴も聞こえ初めています。教育(座学)と研究は多くの場合、相反するものであることを現場は知っていますので、研究をしたい学生(とさせたい教員)にとってはつらい状況になってきているかもしれません。

 さらに、その件を書面化するようにという強い指示があるようです。
・各大学院が人材養成目的を明らかにすることについて、平成18年度までに大学院設置基準(昭和49年文部省令第28号)上関係規定を置く
 教員組織体制の見直しのところで、ニュースでは「07年度からは、教授の職務を助ける役割だった助教授が廃止され、新たに学生の教育や研究を主な職務とする「准教授」が新設される予定で、こうしたことを契機に教授と院生らの硬直的な徒弟関係の改善が図られることになる」と書いてあることが、この施策には見あたりません。しかし、助手が廃止されてできる「助教」についての記述があります。
・新たな職として創設される「助教」について、「専任教員」に位置づけるとともに、教員組織については、各課程の人材養成目的に応じて、各大学が自由に設計できることを平成18年度までに大学設置基準(昭和31年文部省令第28号)上明確化する
 大学院教育が学部教育と同じように、きっちりとした基準で評価され、修士・博士などの学位論文の評価基準もきちんとルール化するように書いてあるのは、大学にとっては大変ですが、学生にとっては朗報だと思います。これからは、理不尽に落とされたり、訳もわからずに学位がもらえたりというような「大学院の謎」は減ってくることでしょう。
・授業及び研究指導の内容や学修の成果及び学位論文に係る評価の基準等をあらかじめ明示することについて、平成18年度までに大学院設置基準上関係規定を置く
 しかし、これは恐らく諸刃の刃となって、大学院における研究活動が低下することは避けられないと思います。それを覚悟の上での施策提示だと信じていますので、一度決めたならばあたふたしないことを予めお願いしておきたいと思います。
・平成18年度までに主専攻・副専攻制、ジョイントディグリーなどの複合的な履修取組に関する調査研究を実施し、その円滑な実施方策等について検討する

・講義と実習など複数の授業の方法を組み合わせた授業科目が導入しやすくなるよう単位の計算方法について平成18年度までに大学院設置基準上明確化する

・修士課程及び博士課程(前期)の修了要件について、各課程の目的に応じて、修士論文の審査又は特定課題の研究など一定の学修成果の審査を課すことを平成18年度までに大学院設置基準上明確化する
 さらに今までも奨励されていたことですが、標準修業年限内に博士の学位を授与することができるようする規定を作らなくてはなりません。
・各大学院における学位授与の円滑化に関する取組や学位授与状況を調査・公表する等により、学位授与の円滑化に関する積極的な取組を促す

・成績評価基準等を明示し、当該基準に従って適切に課程の修了の認定を行うことについて、平成18年度までに大学院設置基準上関係規定を置く

 その他、学生に対する経済的支援や、若手教員等に対する教育研究環境の改善、産業界との連携、人文・社会系分野大学院の強化、大学院評価、国際貢献、など具体性ははっきりしないものの一応各方面に気を配っております。

 しかし、なんといっても現在走っている21世紀COEが終わった後はどうなるかという疑問に答えている次の一文に日本中の大学の目が釘付けになったことと思います。
・平成19年度からポスト「21世紀COEプログラム」を実施し、すべての学問分野を対象として、世界最高水準の卓越した教育研究の実施が期待される拠点を重点的に支援する
 基本的に歓迎できるアイディアが示されていると思います。後は、理念をどうやって現実化していくのかというところをしっかりと見守りましょう。

 現場の教職員ばかりではなく、もっとも大きな影響を受ける大学院生諸君からの積極的な発言が、実現を監視する役割を果たすと思います。日本の悪い文化の一つとして、出る杭は打たれるというものがあり、他人からの評価が将来を決める若い人には苦しいところかもしれませんが、このIT時代ですから適度な匿名性を保ちつつ言いたいことはどんどん言ってください。
by stochinai | 2006-04-30 23:47 | 大学・高等教育 | Comments(19)
 政府は昨日28日に教育基本法の改正案を閣議決定しました。国会へ提出ということになると、政府自民公明党が数の論理で押し切ろうと思えば成立するだろうと思います。

 つまりここまできてしまったら、もはやスキャンダルや突発事故でも起こらない限り、成立を阻止することはきわめて難しいと言えるでしょう。仕方がありませんので、いま私ができることとして自民公明党は何をどう変えようとしているのかという点を整理しておきたいと思います。

 閣議決定した教育基本法改正案は、前文と18条構成で、前文と11条しかない現行法と比べるとかなり長く、「基本法」としては必要以上に細かくいろいろと書いているという印象を受けました。これだと時代の変化を受けて、意外と早く再度の改正を余儀なくされるかもしれないと思いました。そもそも「基本法」に細かく書くというのはその精神に反しているのではないかと思われ、提案した側は本当に基本法の精神を理解しているのか不安になります。

 まずは現行の教育基本法改正案を比べて見てみましょう。

 長くはなっているのですが、意図的に削除された項目があります。
(義務教育)

第4条 国民は、その保護する子女に、9年の普通教育を受けさせる義務を負う。

(男女共学)

第5条 男女は、互いに敬重し、協力しあわなければならないものであって、教育上男女の共学は、認められなければならない。

 9年間の義務教育と男女共学という基本理念を放棄するということです。義務教育は授業料を徴収しないものですので、自由競争を推進する現政権が初等教育も自己責任で行うように舵を切ったというふうに考えることもできるかもしれません。男女共学を消したという件についての議論は聞いたことがありませんでしたが、自民党の一部などに強く存在する「反ジェンダーフリー教育派」などの声が大きかったということなのかもしれません。しかし、戦後民主主義の一つの目標でもあった男女平等の柱のひとつだった、男女共学をそんなにを破棄してしまってもいいんでしょうか。

 削除された主なものはこのくらいだと思うのですが、今までの教育基本法になかったものはたくさんあります。特に、いろいろな場面における教育をこと細かに書いているのが特徴だと感じられます。

 現行法で簡単にすまされている「教育の方針」が「教育の目標、生涯学習の理念」と5倍くらいのボリュームになっています。
現行法
(教育の方針)
第2条 教育の目的は、あらゆる機会に、あらゆる場所において実現されなければならない。この目的を達成するためには、学問の自由を尊重し、実際生活に即し、自発的精神を養い、自他の敬愛と協力によって、文化の創造と発展に貢献するように努めなければならない。

改正案
(教育の目標)

 第2条 教育は、その目的を実現するため、学問の自由を尊重しつつ、次に掲げる目標を達成するよう行われるものとする。

 1 幅広い知識と教養を身に付け、真理を求める態度を養い、豊かな情操と道徳心を培うとともに、健やかな身体を養うこと。

 2 個人の価値を尊重して、その能力を伸ばし、創造性を培い、自主及び自律の精神を養うとともに、職業及び生活との関連を重視し、勤労を重んずる態度を養うこと。

 3 正義と責任、男女の平等、自他の敬愛と協力を重んずるとともに、公共の精神に基づき、主体的に社会の形成に参画し、その発展に寄与する態度を養うこと。

 4 生命を尊び、自然を大切にし、環境の保全に寄与する態度を養うこと。

 5 伝統と文化を尊重し、それらをはぐくんできた我が国と郷土を愛するとともに、他国を尊重し、国際社会の平和と発展に寄与する態度を養うこと。

(生涯学習の理念)

 第3条 国民一人一人が、自己の人格を磨き、豊かな人生を送ることができるよう、その生涯にわたって、あらゆる機会に、あらゆる場所において学習することができ、その成果を適切に生かすことのできる社会の実現が図られなければならない。

 さらに、現行法では触れられていなかった、大学、私立学校、家庭教育、幼児期の教育、学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力、についていちいち書いているのが気にかかるところです。
 (大学)

 第7条 大学は、学術の中心として、高い教養と専門的能力を培うとともに、深く真理を探究して新たな知見を創造し、これらの成果を広く社会に提供することにより、社会の発展に寄与するものとする。

 2 大学については、自主性、自律性その他の大学における教育及び研究の特性が尊重されなければならない。

 (私立学校)

 第8条 私立学校の有する公の性質及び学校教育において果たす重要な役割にかんがみ、国及び地方公共団体は、その自主性を尊重しつつ、助成その他の適当な方法によって私立学校教育の振興に努めなければならない。

(家庭教育)

 第10条 父母その他の保護者は、子の教育について第一義的責任を有するものであって、生活のために必要な習慣を身に付けさせるとともに、自立心を育成し、心身の調和のとれた発達を図るよう努めるものとする。

 2 国及び地方公共団体は、家庭教育の自主性を尊重しつつ、保護者に対する学習の機会及び情報の提供その他の家庭教育を支援するために必要な施策を講ずるよう努めなければならない。

 (幼児期の教育)

 第11条 幼児期の教育は、生涯にわたる人格形成の基礎を培う重要なものであることにかんがみ、国及び地方公共団体は、幼児の健やかな成長に資する良好な環境の整備その他適当な方法によって、その振興に努めなければならない。

(学校、家庭及び地域住民等の相互の連携協力)

 第13条 学校、家庭及び地域住民その他の関係者は、教育におけるそれぞれの役割と責任を自覚するとともに、相互の連携及び協力に努めるものとする。

 どうでしょうか。なんかいちいち書かなくてもいいことまでうるさく書いているという気がしないでしょうか。何をたくらんでいるのかわかりませんが、言わずもがなのことを父母や家庭に押しつけているのは子どもの教育をますます「自己責任」の範疇に押し込めようとしているふうにも読めて、これじゃあ少子化に歯止めはかからなくなるだろうという「空気」が感じられるのはわたしだけでしょうか。

 最後にダメ押しのように、公共投資に税金を投入しやすいようにするオマジナイも書かれています。
(教育振興基本計画)

 第17条 政府は、教育の振興に関する施策の総合的かつ計画的な推進を図るため、教育の振興に関する施策についての基本的な方針及び講ずべき施策その他必要な事項について、基本的な計画を定め、これを国会に報告するとともに、公表しなければならない。

 2 地方公共団体は、前項の計画を参酌し、その地域の実情に応じ、当該地方公共団体における教育の振興のための施策に関する基本的な計画を定めるよう努めなければならない。

 読めば読むほど「基本法」として最低限の理念だけを格調高くうたいあげた現行法に比べると、今目の前にある問題を解決しようというような「すぐ使える法律」を目指しているような品のなさが感じられます。

 まあ、政府としては次に控える憲法改正の予行演習という程度の位置づけなのだろうと思いますので、あまり本気で今後50年・100年の日本の教育を考え抜いて作ったものではないのかもしれませんが、重要な基本法が一般の法律と同じ「ノリ」で簡単に成立していくようだと、まさに日本の終わりが始まるのだろうと感じられます。

 民主党もこれを阻止できるかどうかが、野党としての存在を問われる試金石になるでしょう。もちろん、共謀罪が成立してしまったら終わりの始まりどころか、終わりが完成してしまうのですが、、、。
by stochinai | 2006-04-29 23:59 | 教育 | Comments(0)

就職お祝いコンパ

 来年の春に卒業する修士2年生2名の就職先が決まったので、それをお祝いするコンパをしました。

 あと1年先のことなのですが、大学院生の就職が決まるのは今頃なのです。

 4年生で卒業して、就職する人の多くはこれから決まります。就職活動が長引いた場合は、修士の研究や卒業研究の時間が大幅に制限されるという現実を、知っていただきたいと思います。

 場合によっては、大学院生ならば前の年の冬から次の年の秋まで就職活動が続きます。大学院修士課程のかなりの時間を就職活動で取られてしまいますので、就職が決まった場合は良いのですが、決まらなかった場合は、就職もできず修士の研究もほとんどできないということになります。こうした現状で良いとはとても思いませんので、この件に関しては文科省に責任ある対策をお願いしたいところです。

 ところで、先日のエントリー「新入生歓迎コンパ」で、新入生が4名と書きましたが、博士後期課程に入学したのも新入生なのだとしたら、学内から修士課程に進学した2名も新入生ではないかという抗議をうけました。

 たしかにその通りです。

 というわけで、今年の我が研究室への新入生は、卒業研究生が2名、修士課程(博士前期課程)入学が3名、博士後期課程が1名の6名ということになります。

 おわびして訂正いたします。

 それにしても、多いですね。彼らをきちんと送り出す責任の重さをヒシヒシと感じます。
by stochinai | 2006-04-28 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 海外で臓器移植手術を受ける日本人が増加しているというニュースを受けて、23日に「移植臓器の売買はどうしていけないのか」というエントリーを書きました。たくさんのコメントといつくかのトラックバックをいただき、この件(移植医療)についてはまだ決着がついていないという感を強くしました。

 日本国内で脳死者からの移植は完全に合法的ですし、すべてが国の管理下にありますので、臓器売買とか、不当な高額医療費の請求とか、移植を受ける患者の不当な選別や貧富の差だけによる移植拒否などは基本的にはないだろうと信じています。しかし、法律が施行されてから10年近くも経つのに臓器を提供した脳死者の数が41件にとどまっているのは、この法律が国民に支持されていないことを示しているのではないかと感じたことが、あのエントリーを書くきっかけでした。

 もともと私は生物学を研究していて、その中でも発生学や免疫学(といっても、扱ってきた動物は主にカエルでした)を中心に研究してきました。そして、到達した結論のひとつがヒトを含む動物は生物学的に臓器移植を拒否するようにできているということです。植物では種を越えて接ぎ木をしたりすることも可能ですので、ちょっと事情がちがうかもしれませんが、動物はそのからだのなかに他の種はもとより、他個体の細胞が入ることを拒否するしくみを持っています。

 今日は、そのことについて書いてみたいと思います。

 地球上に我々の先祖となる生命体が生まれてから、30数億年たつと言われています。その間にたくさんの生物が絶滅していますが、地球上のすべての生命が滅び去ってまた新しい生命が誕生したとは考えられていません。つまり、現在地球上にいる我々ヒトを含めたすべての生物は、生殖し進化してできた最初の生命体(細胞)の子孫ということになります。我々の先祖をたどっていくと、30数億年間一度たりとも死んだことがないからこそ、我々が今ここにいるのです。

 つまり、生命は生きた状態を続ける生命としてしか連続できないのです。

 基本的に有性生殖するあらゆる動物は卵から発生します。卵はメスが作りますが、オスの作る精子によって受精することで発生を開始します。受精卵はメス由来の遺伝子(ゲノム)とオス由来の遺伝子を1セットずつ持った、たったひとつの生きた細胞です。もちろん、その前の卵も精子も生きた細胞です。受精卵はその後、細胞分裂を繰り返して、胚とよばれる時期をへて、だんだんと大人の形になっていきます。これが発生です。我々を含めてほとんどすべての動物は「個体」という単位で生きていますが、個体を作っているすべての細胞はたって1つの受精卵が分裂してできた子孫の細胞です。別の言い方をすると、我々のからだを作っている細胞はすべてが受精卵に由来するクローン細胞だということです。

 生物は子孫を作らなければ死に絶えてしまいます。子孫を作る細胞は卵や精子という生殖細胞です。我々が卵や精子を作って次世代の子どもを作ることだけが、生命が存続する手段というわけです。しかし、たとえ卵や精子が受精卵となり、次世代の子どもとして生き延びたとしても我々のからだは一代限りで死んでしまいます。運良く子どもとなって生き延びた、1個ないし数個の細胞以外の細胞は死に絶えてしまうのです。

 我々のからだを作っているすべての細胞が死に絶えた(つまり我々が死んだ)としても、その細胞と同じ遺伝子を持ったクローンの生殖細胞から卵または精子が作られますので、我々が死んだとしてもその遺伝子は次の世代へと受け渡されるのです。

 このように、生物学的あるいは進化学的に考えると、我々のからだは生殖細胞を通じて次世代へ遺伝子を受け渡していくための乗り物にすぎないと考えることもできます。その乗り物は自分が死んでも、自分の遺伝子を次世代に伝えてくれるクローンの生殖細胞を大切に保護し、子孫を作ることで自分の持っている遺伝子を残すことができるのです。

 ミツバチの働きバチが子どもを生まずに女王の生んだ卵を育てる場合も、女王蜂の生んだ卵には働きバチの持っているものと同じ遺伝子が受け継がれるのと同じような状況だと考えることができます。

 いずれの場合も、一代限りで死んでしまうからだを作る細胞や子どもを生まない働きバチが自分を犠牲にしているように見えても、実は自分の遺伝子を次世代に残すという生物(生命)の連続性を保証するという目的は達成できているのです。

 ところが、もしもからだを作る細胞と生殖細胞がクローン同士でなかったらどうなるでしょう。犠牲的に働いたからだの細胞の遺伝子は次世代に受け継がれず、そこで生命の連鎖が絶たれてしまうことになります。

 そうしたことを防ぐために、動物はそのからだを構成する細胞のすべてを受精卵に由来するクローン細胞だけで作り、そこによそものの細胞が入ってくるのを防ぐしくみを持っています。そうした働きを担っているもののひとつが「免疫」だと考えることができると、私は思っています。

 移植医療を行う時にみられる免疫による拒絶反応は、もともとはこうしたからだを構成するすべての細胞のクローン性(正統性?)を保証するための正常な反応です。つまり、生殖細胞とことなる遺伝子(ゲノム)を持つ細胞を移植されることを動物は拒否するのです。

 しかし科学の発展によって、ゲノムの型を合わせたることで免疫反応をだましたり、薬剤によって免疫のしくみを抑制し拒絶反応を抑えることができるようになってきました。生物学的・進化学的にみてどうあれ、臓器移植によって個々人を延命することができる技術を医学が開発してしまったのです。実際に延命を望む人あるいはその家族にとって、そうした技術にすがりたくなるのは当たり前のことだと思います。

 私は生物学者としては、移植手術の生物学的無意味さや反自然性を説くことはできますが、実際に移植以外では救えない患者さんを前にして何が言えるのだろうと思います。

 医療技術が開いてしまったパンドラの箱としての移植医療と、それに付随して起こっている様々なケースについて考えるたびに、手にしてしまった技術の罪深さを感じずにはいられません。

前のエントリーにトラックバックをくれた皆さんに、トラックバックを送らせていただきます。
移植臓器の売買は人身売買
海外で臓器移植、法施行後522人(厚労省)臓器売買も?
医者はなぜ諦めないのか

【追記】
 コメント欄にありますが、47thさんのブログサイトにノーベル賞を受賞した経済学者による移植臓器売買論についての紹介記事があります。
Beckerが語る臓器移植論 (1) [ 2006年04月29日 ]
 本気で臓器売買を肯定するというよりは、思考実験することにより議論を整理したいという趣旨だと思います。今回の私の問題提起も同じような気持ちから出発しています。
 続編もあるようなので楽しみにしたいと思います。

 続編が出ております。
Beckerが語る臓器移植論 (2) [ 2006年04月29日 ]
Beckerが語る臓器移植論 (3・完) [ 2006年05月01日 ]

 さなえさんが臓器移植に対して、続々とエントリーを重ねておられます。ある意味では「頑固」と思えるまでに「こころ」の問題にこだわるさなえさんの立場は、こういう論争においてとても貴重だと思いますし、合理的ではないという理由で切り捨てることこそ間違っていると思います。私とは意見が違う部分もあるのですが、さなえさんに敬意を表してここにエントリーをまとめてリンクさせていただきます。

2006年04月25日 医者はなぜ諦めないのか
2006年04月29日 臓器移植について
2006年05月01日 通りすがりさんへのコメント-臓器移植について
2006年05月02日 さらに臓器移植について

 ついでと言ってはなんですが、三余亭さんのところにも重要なエントリーがたくさんありますので、ここでまとめてリンクさせていただきます。

移植臓器の売買は人身売買
移植臓器の売買は人身売買 その2
「息子の腎臓を2000万円で売った」といううわさが立った
「再開された臓器売買をめぐる論争」という論文。
by stochinai | 2006-04-27 21:33 | 生物学 | Comments(12)
 朝日コムのニュースです。「神戸大教授、実験データを捏造 特許出願取り下げ」というものですが、一般の方々から見ると「またか」という程度であまり感慨はないかもしれません。

 大学の中にいるものとしても「またか」という感想は同じなのですが、どんどんと大学や科学者の信頼がゆらいでいくことに関しては、実際にそうなのだから仕方がないと思いつつも「やばいな~」と感じています。

 今回は工学部で起こったことで、最近立て続けに起こっていた生物科学系ではないのですが、同じような状況で起こり明らかになってきたことがいくつかのキーワードからわかります。

 内部告発、特許、2年間分計9千万円の助成金、産官学の連携

 研究者個々人の資質もさることながら、システムそのものを考え直す必要に迫られていると感じます。

【追記・訂正 2006/5/11】
 このエントリーを書いた時点で、私も特許申請に虚偽や空想がはいっているのはまずいのではないかと思っていましたが、それは誤解でした。特許申請はアイディアだけでもいいので、科学論文のように実験で証明した事実を添えて提出する必要はないようです。

 だとすると、この先生は内部抗争によってはめられたということになるようで、それはそれで十分に大学の醜聞と言えそうです。
by stochinai | 2006-04-27 19:40 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 毎日新聞の関連会社から、毎日新聞読者会員組織「毎日フレンド」に加入していた全会員の個人情報6万6千人分が流出したそうです。

 こういうニュースを聞くと、またウィニーかと思いますが、今度の事件はそれとは別のファイル交換ソフト「Share(シェア)」というものにウイルスが感染したのが原因ということです。

 毎日新聞はこの手のニュースが得意だという噂は聞いていたのですが、毎日新聞には「サイバーテロ取材班」というのがあるのだそうで、ネットを監視したり、ネット上に流出しているファイルを探したりしているとのことです。ということは、彼らもウィニーや今回のシェアを使っているということになると思われますので、彼らこそ危険な存在ではないかと思っていました。

 幸い(?)、今回の情報流出は「サイバーテロ取材班」からではなかったようですが、そこから何かが漏れるのも時間の問題と思っているのは私だけではないと思われます。

 素人の私には良くわかりませんが、今のウィニー騒動に対する対策(ウィニーを使わないようにしましょうと呼び掛けるだけ)は何か間違っているような気がするんですが、どうなんでしょう。
by stochinai | 2006-04-27 15:49 | コンピューター・ネット | Comments(0)
 久々の動物写真館です。

 今までにも、何度かご紹介したことのあるミステリークレイフィッシュが順調に増殖中です。

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 現在、全長5ミリくらい。あちこちに里子に出しましたが、まだ60匹以上はいると思います。

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 いちおうクリックすると大きくはなりますが、はっきり見えるようになるわけではありません。小さいものですから、スミマセン(^^;)。
by stochinai | 2006-04-26 20:30 | 生物学 | Comments(1)

平成遠友夜学校

 北海道大学の前身、札幌農学校では近隣にいた教育を受けることの困難な貧しい子どもや勤労青年のために無料で開放された「遠友夜学校」というものがありました。1894年に開かれてから、1944年に閉鎖されるまでの50年間に、1100人以上の卒業生が、北大の教員や学生のボランティア活動による教育を受けて巣立っていったということです。

 その古き良き伝統を現代に甦らせようと、バンカラ懐古趣味の博物館長のFさんを校長に学生ボランティアたちが去年から「平成遠友夜学校」を始めました。なんといっても、場所が最高で北大の北キャンパス、エルムトンネルの東入り口付近の北側にたっているガラス張りの遠友学舎です。

 今日は私のかつての教え子の一人でもあり、平成遠友夜学校の主催者の一人でもあるYIさんだったということと、講義のテーマが「進化の大爆発―カンブリア紀の生物―」と、私のお気に入りでもあるということから、小雨の中をはるばる南キャンパスから出かけて行きました。参加者の多くはシニアの方だったようですが、終わり頃になって気付いてみればCoSTEPの特任教員が3名もぐりこんでいました。科学技術コミュニケーションという点から見ても、やっぱり気になる存在なのですね。

  講演は彼女の研究の専門分野ではないにもかかわらず、小学生時代にNHKスペシャルで魅惑されたカンブリアの不思議動物たちの愛情あふれる紹介から始まって、進化のメカニズム、地球環境と生物の大絶滅とその後の爆発的種分化について、オーソドックスな話を興味深く、しかも手際よく話してくれました。特に、エディアカラ動物群からカンブリア動物群が出現してきた過程を、凶暴な捕食者の出現とそれに対する防御体制の進化というストーリーでまとめたところは、会場に対して少なからぬインパクトを与えることができたように思います。

 さらに、最近翻訳本が出た「眼の誕生 カンブリア紀大進化の謎を解く」という本で述べられている「光スイッチ説」にも言及するなど、なかなか意欲的・精力的に勉強してきていながらも、非常にわかりやすい講義をしてくれたと思います。(成績を付けるとしたら、最高レベルの「秀」をあげましょう。^^)

 また、この手の講演会では良く出てくる、講演内容とはあまり関係のないたくさんの質問にも、多くは的確にまた手に余ることに対してもきわめて誠実に対応していたのが、とても好感が持てました。また、彼女はかなり負けず嫌いと見え、長い質疑応答に疲れてきたこともあったのでしょうが、うまく答えられなかったものに対しては「次回の遠友夜学校までに宿題として調べてきてお答えします」とまで言っておりました。質問した方もその時までには忘れてしまっていることでしょうが、会場から好意を持って受け止められていたようです。

 さらに、私がいるのを知っていながら、決してこちらに振らなかったのも偉かったと思います(私が答えられるとも思っていなかったのかも?)。私としては、少しはヒヤヒヤしながらも、彼女にならすべてを任せても大丈夫だという気分で、安心もしながらお手並みを拝見しておりました。

 上にも書きましたように、会場にはシニアの方が多く、質問もおじいちゃん・おばあちゃんが大学院生の孫に訊いているといった雰囲気で、学問的な「真実」を聞きたいというよりも、会話そのものを楽しんでいるように思えるところもとても良かったと思います。

 こうしたところに集まる市民の方は、もちろんある種の勉強として学問の話を聞きにくるのですが、何度聞いてもわからないレベルの高い最先端の話をわからないまま聞きたいというわけではもちろんなく、彼らに通じる言葉や論理で話してくれることを期待しているのだということがヒシヒシと伝わってきました。

 質問に対しても、定説でバッサリと解説されるのではなく、汗をかきながら苦吟しながら一所懸命答えてくれる「孫」先生との対話を心から楽しんでいるようでした。

 これこそが、市民と学問をつなぐもっとも効果的なスタイルのひとつですね。

 先週日本中でいっせいに行われた、学術会議の先生たちによるサイエンスカフェは、これとはまったく違って、ほとんどが最先端の研究の超高度なお話が多かったのではないでしょうか。そういう場では、きょうの会場にいたシニアの皆さんが感じたような素朴な質問などできないような雰囲気のところが多かったのではないかと(勝手に)推測しています。

 学生や半分素人ながらその分野に強い興味を持った人(コミュニケーター)が、一般の市民の方にどうやったらこういう話を伝えることができるのだろうかと、一所懸命勉強して伝えるのは、自分の専門の話しかできないような専門家が話すのより数倍コミュニケーション・パワーを発揮することは、先月のサイエンス・カフェ札幌「今さら聞ける!?DNA」でのSalsaさんの「DNA基礎講座」でも証明されたことです。

 いろいろなサイエンス・コミュニケーションがあって良いのだと思いますが、市民の側に寄り添い双方向性を重視するなら、コミュニケーション能力の低い科学者よりも、優れた科学コミュニケーター自身による科学コミュニケーションの方がhるかに有効だという思いに自信をもった、今日の遠友夜学校でした。

 主催者・講演者の皆さん、お疲れまでした。
by stochinai | 2006-04-25 21:38 | 大学・高等教育 | Comments(6)

働くコーステッパー

 最近あちこちで、CoSTEPの修了生はどうしていますか、という質問を受けます。第一期の修了生が出たので、要するに彼らがどういう職に就いていますかという意味だと思います。

 CoSTEP修了生(名付けてコーステッパー)の多くの人は、大学院生だったりすでに職を持っていらっしゃる人だったりしますので、その方たちの多くはもとの研究室や職場に戻って、身につけた科学技術コミュニケーション・スキルを有効に活用していると思います。その一部は、新しく開始された修了生の勉強会を覗いてみるとうかがい知ることができます。

 M姫さんのようにはっきりと目に付く形で北大の創成研のコミュニケーターとして活躍しておられる方もいらっしゃいますが、目につかないところで活躍しておられるかたの方が多いと思います。

 ライティングなどでは、すでに原稿料や謝金という形で賃金が発生しているケースもあると聞きますが、CoSTEPの修了生が中心となった企画が「商品」となって発売されたということは、結構なニュースと言えるかもしれません。

 私も少しずつは情報をもらっていたのですが、全体像はあまり把握しておらず、また商業ペースで発売されるものの情報をうかつに漏らすわけにもいかず少なくともウェブ上では情報を出したことはありませんでしたが、今回その仕掛け人ともいうべき方のブログで公開されておりますので、こちらでも宣伝させていただきます。

 北大のリエゾンオフィスで働くS副部長さんの記念すべき実用化第1号になったのが「楽しくわかりやすい科学教室 in 北海道大学」というJTBとコーステッパーの共同企画商品というわけで、21日に発売開始になったようです。(JTBのサイトを見ても、まだ発見できませんでした。)

 エントリーによると、この企画が成功した陰にはSさんの涙ぐましくも巧みな努力があったようで、私もCoSTEP関係者としてこの成功を心から喜びたいと思います。

 そこまで大変だとは私も認識していなかったのですが、㈱JTB→㈱北海道TLO→リエゾン部→創成研Mさん→CoSTEP S教授→A先生→北大副学長→北大事務局という連鎖が一カ所でも切れていたらこの企画はボツになっていたのだそうです。

 もしボツになっていたら、いかにも旧帝大の大学らしい硬直した話として語り継がれることになったかもしれませんが、今回は逆にその鎖が見事につながったということで、北大という大学の意外な柔軟性を示すものとしての伝説になるのかもしれません。

 いずれにせよ、私としてはコーステッパーが公式にお金を稼ぎながら、身につけた科学技術コミュニケーション・スキルを最大限に活用できる場ができたということを素直に喜びたいと思っています。

 そして、この企画を成功させてくれたリエゾンマンのSさん、および北大リエゾン部に拍手を送ります。

 さらにもうひとつ、こうした情報を内部から公開してくださったSさんの行動は、秘密のベールに閉ざされがちな大学というものにきわめてさわやかな風を吹かせてくれるものとして、素直に感動しています。

 願わくは、こうした活動を含め大学の風通しをよくしてくれる個々人の活動を大学が暖かく見守ってくれることを期待します。

 北大もなかなかやるじゃん!
by stochinai | 2006-04-24 21:30 | CoSTEP | Comments(6)
 昨日のニュースですが、海外で臓器移植を受ける日本人が増えていることが厚生労働省研究班から報告されたという記事がありました。

 1997年の臓器移植法施行後に日本国内で行われた脳死者からの臓器提供が41件にとどまっている一方で、心臓、肝臓、腎臓の海外渡航移植を受けた患者が少なくとも522人にのぼるとの調査結果だそうです。もっともこの数は、海外で移植手術を受けた後で帰国し、国内の医療機関で術後の治療を受けている人から聞き取り調査をして得た結果ですので、手術後も外国の病院で治療を続けている人などを入れるともう少し増えるのかもしれません。さらに、手術が失敗して帰国できなかった人などもいるのかもしれません。

 いずれにしても、脳死者からの臓器提供を受けて移植することができるようになったにもかかわらず、国内では臓器の提供が圧倒的に少ないという現実を反映した結果だと思います。そうした事実を受けて、今の国会に以下のような臓器移植法改正案が2つ出されています。

 一つは、河野太郎衆院議員(自民)が主にまとめた案で、現行法と異なり、脳死を一律に人の死とする。また、本人の拒否がない限りは家族同意だけで臓器提供を認める。

 もう一つは、斉藤鉄夫衆院議員(公明)が主にまとめた。脳死を臓器提供の場合に限って人の死とする現行法の枠組みを維持し、本人が意思表示できる年齢を現行の15歳以上から12歳以上に引き下げる。

 両案とも親子や配偶者に対する優先的な臓器提供を新たに認める点では一致している。

 いずれも、臓器提供に対するハードルを低くして、よりたくさんの臓器が移植手術に提供されるようにという意図からの改正案ですが、たとえ両方が成立したとしても国内での臓器提供が劇的に改善するように思われません。

 ということは、今後も海外で移植を受けようとする人が増えることが予想されますが、なぜ海外での移植が問題視されるのでしょうか。

 記事によると、心臓移植に関しては「昭和59年から平成17年末までに103人。渡航先は、米国85人、ドイツ9人、英国7人などで、医師の斡旋(あっせん)・紹介がはっきりしていた」のに対して、肝臓移植では221人が海外で移植を受けているのですが、渡航先が明らかになったのはわずかに101人しかありません。しかも、その国別内訳は「米国42人、豪州30人、中国14人」と、心臓移植が欧米だけなのに対して、近場のオーストラリア、中国がいきなりたくさん出てきます。しかも、心臓移植以外の臓器に関していうならば、死体からの移植であるかどうかもはっきりしていません。腎臓移植では「ほぼ半数が中国で、フィリピン、米国が続いた」ということです。

 朝日の記事によると、生前の罪を臓器提供で償うべきだとの考え」によって死刑囚の臓器提供がある中国について「提供しない場合は葬式を行うことができないなどの状況があ」ったり、インドなどでは「腎臓1個の提供で4人家族が10年間生活できたり」などと、ボランティアではなく半ば強制されて臓器の提供が行われているという実態も報告されています。

 臓器移植を医療として認めていながら、臓器提供に相応の謝礼を払うことを認めないという日本国内での対応に問題はないのでしょうか。逆に臓器を提供することが、文字通り生きていくために必要なお金を売るために自分の臓器を合法的に売ることができる国があるとしたらそれを止める根拠はどこにあるのでしょうか。

 「医療に貧富の差があってはならない」「健康がお金で買えるようなことはいけない」というような倫理観でしょうか。しかし世界を見渡してみると、こうした倫理観は完全に破綻している現実があるのは誰でもが知っています。

 そもそも臓器移植という医療そのものが非常にお金のかかる医療ですから、お金が無い人には受けられません。保険が利くとしても、保険制度がしっかりとした国でなければたちまち保険制度そのものが崩壊してしまうでしょう。日本の保険制度はかなりしっかりしているとは思いますが、新しい移植医療が誰でもどんどん保険で受けられるかというと、まったくそのようなことにはなっていません。

 実行することが困難な倫理観あふれる法律を作って、その結果国内の患者さんを救えないというのはやはりどこかが間違っているのではないかと感じます。さらに、その法律の抜け穴を通って金儲けしている人間も見え隠れします。 記事によると、肝臓・腎臓の移植ともに「渡航移植の紹介・斡旋者を患者が病院に明らかにしないケースが目立った。特に腎臓移植に多く、中国で移植を受けた患者の場合には75%に達した」ということから、ますます怪しげな雰囲気が漂います。

 きれい事を前面に押し出して犯罪や被害者を増やすのではなく、実際に困っている患者さんをどのように救っていくのか、あるいは外国とのつきあいをどのように行っていくのかという難しい問題があることはわかりますが、このままでは水面下での動きがどんどん増えていくばかりではなく、場合によっては国際問題にもなりかねないと危惧されます。

 とりあえずは「斡旋(業)者」なるものの実態を公開していただきたいところです。
by stochinai | 2006-04-23 23:55 | つぶやき | Comments(29)

今日二つ三つ朝顔の通り道          稲畑廣太郎


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