5号館を出て

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 世界のサイエンスカフェの動向が気になる方には超有名な Duncan Dallas さんという方が、これまた分子細胞生物学方面では超有名な Cell という雑誌(Volume 126, Issue 2, Pages 227-229)に「Café Scientifique — Déjà Vu (いつか見たサイエンスカフェ:5号館訳)」というコメンタリー記事を投稿しています。

 特に驚くべきようなユニークなことが書いてあるわけではありませんが、世界中で同時多発的にカフェ・シアンティフィクの小さな火が燃え始めているという現象を読み解いています。何を根拠にしているか知りませんが、1998年にイギリスのLeedsで始まったカフェはアメリカとカナダの30を筆頭に日本、アルゼンチン、韓国、バングラデシュなど総計180になっているそうです。

 カフェの平均的規模は50名くらいで、科学者がオーガナイズすることもありますが、それよりは科学に興味を持った人によって運営されることが多いとのこと、CoSTEPと同じですね。ゲストに科学者やライターを呼んで話してもらうのですが、専門的な話をしてくれる人ならばわりと簡単に見つかるものの、今人々の議論になっているホットなテーマについて話してくれる人を探すのが困難だということは、世界中で共通のことのようです。

 場所についてもいずこも同じで、大学や研究所を避け、カフェバー、ワインバー、劇場、書店、ショッピングモールなどで行われていますが、ポーランドでは森の中で行われるカフェもあるのだそうです。載っている夕日を浴びながらのカフェの写真を見ると、我が北大の遠友夜学校と似た雰囲気を感じます。場所が変わると、議論の雰囲気が変わるということはサイエンスカフェの中味を左右する大きな条件として考えておくべきというのも、押さえておくべきことですね。

 カフェはローカルに行われ、トップダウンの全国組織や中央官庁からの指令などはないということも強調されていますので、どこかの国で全国一斉に行われた某学術会議主導のカフェなどというものは存在そのものが矛盾しているということでしょうか。逆にこういう構造ゆえに、カフェシアンティフィクは科学の宣伝や政治的利用などには使えないし、利用しようとしても聴衆の失笑を買うだけだと書いてあるあたりは、日本でもあてはまりそうです。そういう意味で、科学者のアウトリーチ活動とは一線を画されるべき存在であり、日本のあちこちで見られるような科学の宣伝のためのカフェは、ちょっと違うのではないかということでしょう。

 パワーポイントファイルが嫌われるという話は何回か聞いたことがありますが、ここにも書いてありました。その理由はただでさえ力を持っている科学者が、さらにパワフルな説得力を持つツールを持ち人々を説得する力を奪い取ることによって、できるだけ聴衆に近い水準に降りてもらうためにハンディをつけることだというふうに私は読めました。

 カフェの主役は科学者ではなく聴衆であり、議論も決して科学者ひとりを中心に行われるものではなく、どのようなことが議論になって盛り上がるかということも主催者やゲストの科学者には予想することができないものであるというスリルを楽しめる科学者をゲストとして迎えることができるかどうかが成功の鍵とも言えそうです。逆に、普段は経験することのないそのような立場に置かれたことを楽しんだ、という感想を持つ科学者も多いようです。

 インターネットの時代ですから、世界中のあちこちで行われるカフェのアイディアはたちまち世界に広がるということもあり、その日のテーマに即したケーキを焼くカフェや、音楽演奏付きのカフェ、2名さらには4名のスピーカーに参加してもらうものの、彼らには2-3分の自己紹介の時間しか与えず、ほとんど議論だけに終止するというカフェも出てきており、キャバレーやバーももはや珍しいものではなくなりつつあるようです。

 フランスで始まった生徒達によるジュニアカフェは、フランスでは100を越え、イギリスやアメリカでも増えつつあるようです。記事を読んで感じたことは、まさに「しゃべり場」があちこちの学校の食堂やカフェテリアに作られつつあるということです。しかし、残念ながらこの試みは日本では多分日の目を見ないような気がします。NHKがやってすごいと思えるようなことは、決して一般には広がらないのがこの国であると予言しておきます。

 カフェシアンティフィクは、科学振興のために考え出されたものではありません。科学者と普通の人が普通に話し合う場として生まれたものです。著者は、世界中で雨後のタケノコのように立ち上がってきたこの動きは、科学と他の文化の関係が根本的に変化し始めてきた兆候を示しているのではないかと考えているようです。

 指導者もいない、政治理論もない、将来の展望もない、PRする会社もない、そしてまったく儲からないのがカフェシアンティフィクなのです。科学は世界共通ですが、人々が暮らす場の文化はそれぞれの国に独自のものがあります。国や文化集団に独自のカフェが立ち上がってくるのは当然と言えば当然です。

 イギリスにいるイスラム教徒が始めたサイエンスカフェや、サンディエゴで始まったインターネットカフェTVと呼ばれるネット配信カフェで、現時点ではカフェシアンティフィクがない国へもカフェが浸透していく可能性も出てきていることを注目しているようです。

 科学が国家の補助だけに依存する時代は終わりました。市民の支持がないともはや科学が続けられない時代です。人々の暮らしや健康に直接関わる問題に大きく関わり始めた科学は、もはや市民の理解なしには立ちいかなくなっているのです。そうした状況の中で立ち上がってきたカフェシアンティフィクを見ていると、我々が今住んでいる社会において市民と科学者が、友人としてまた同じ人間としての立場から科学的問題について議論することができる社会になってきているのかどうかを知るためのバロメーターになるのだというのが、著者であるダンカンさんの結論のようです。

 良く整理された読みやすい評論ですので、是非原文を読んでみてください。
by stochinai | 2006-07-31 22:26 | CoSTEP | Comments(5)
 今日は午前中からオープンキャンパス行事と、それに合わせて開催された動物学会北海道支部大会の一般研究と、動物学会員を中心とした大学研究室紹介のポスター発表会がありました。

 今年の理学部オープンキャンパス行事はCoSTEPが担当する形で行われるという、ある意味で歴史的なものとなりました。午前と午後の2回に分けて同じものが行われたとのことですが、私は午前中のセッションを時々のぞかせていただきました。

 全体の司会は、我がCoSTEP代表のS先生が行っていましたが、動いていたほとんどの人は昨年度のCoSTEP修了生すなわちこ~すてっぱ~のようでした。こ~すてっぱ~の皆さんは、今日をはさんで前後に「楽しくわかりやすい科学教室」の実施中であり、おそらく不眠不休の毎日を送っておられるのだと思いますが、日頃のサイエンスカフェなどで培ったノウハウを駆使してそつなくこなしていたようです。おそらく、時間と余裕とさらにはさまざまなリソースが使える状況だったらさらに良いものにできたであろうという余力も感じられるものでしたが、初めての試みでもあり、自分たちだけですべてを行えるわけでもなく、学部長、各学科の先生、さらには各学科の学生・院生をひきたてながら、なかなかの出来だったと思います。

 何よりも、午前・午後とも200名以上収容の行動が満杯になったのを見てびっくりしました。今年の高校生は熱い。暑いといえば、なんと珍しい暑さの中で、階段講堂の空調が故障していたようで、蒸し風呂状態一歩手前だったのですが、勝手知ったる私が3階の廊下の窓をあちこち開けて歩いたのを知っている方が何人おられることか。それでも、さすがに北海道です。空調なしでも、なんとか最悪の状況は避けられたようで、非関係者の私もほっと胸をなで下ろし、高校生の質問に答えるM姫さんと各学科の学生・院生とのやりとりを楽しませていただきました。

 さて、その後1時からは昼ご飯を食べる暇もなく動物学会北海道支部役員会です。今年の支部大会の成功を確認しつつも、支部および支部大会の明るくない未来を議論したあと、私は午後の「進化するコアカリキュラム・フォーラム」の準備をして、北キャンパスの全学教育センターへと向かいました。

 センターの会場前の廊下では、すでに各学科の技術職員の方達が、さまざまな科学実験のデモを行っておられ、さすがに協働作業はありがたいものだと涙が出ました。

 こちらの会場にも続々と高校生を中心にお客様が集まってくださり、300人以上は軽くいたと思います。まあ、こちらは最後の札幌交響楽団の首席チェロ奏者の方の生演奏という目玉が用意されていましたから、予想通りの集客なのですが。

 与えられた20分という時間で、生物学の予備知識のない人にも生物学の神髄をわかっていただきます、などという大見得を切って始めた「ゼロからわかる生物学」ですが、予想通り時間が足りず、時間内で終わるために後半を半分くらいはしょってしまいました。聞いておられた方は、看板に偽りありと思われたかもしれませんが、ご不満の方は是非とも北大に入学してください。私が責任を持って、アフターサービスをさせていただきます。

 それでも、会が終わったときにひとりの女子高校生が「生命は生命からしか生まれないのだとしたら、最初の生命ができたというところが納得できません」という素晴らしい質問をぶつけに来てくださったのには大感激。来年、是非会いましょう!

 私の生物学を除いても、北大の全学教育は素晴らしいと思わせるフォーラムでした。あまりの素晴らしさに総監督のA藤先生が、「北大の教育がすべてこんなに素晴らしいと思ってもらっては困ります」などという泣き言(?)をおっしゃっていたのがご愛敬でした。でも、自分でいうのもなんですが、北大のコア・カリキュラムは結構すごいです。

 さて、最後はお待ちかねの石川祐支さんの「バッハ・無伴奏チェロ組曲第1番」の生演奏です。講演者の役得で、かぶりつきで堪能させていただきました。

 少しだけ雰囲気をお分けします。この曲は舞踏のための音楽だということを聞いたことがあるのですが、私が今までに聞いた中でもっともダンサブルな躍動感を感じた演奏のひとつだったような気がします。

 生演奏は、動作・表情なども含めて音楽だなあと感じさせてくれます。

 くやしいですが、演奏を聴きながら思ったことは「芸術の前で科学というものは、なんと無力なのだろう」ということです。
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 すごい一日でしたが、この演奏のおかげですべての苦労が吹き飛んでしまいました。

 その後は、動物学会支部大会の懇親会で思いっきりビールを飲んで、一日の終わり方としては理想的だったと思います。

 明日は、高校生の一日体験入学がありますが、こちらは大学院生にお任せで、お手並み拝見といく予定です。
by stochinai | 2006-07-30 22:45 | 教育 | Comments(4)

いまさら国語を重視って

 今朝の朝日新聞の見出しを見て、思わず目をこすってしまいました。
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 ここへ来て、あえて国語を学習の基本に位置づけると宣言するということは、日本の初等・中等教育では、今まで国語が学習の基本とはされていなかったと言うことなのでしょうか。そんなことを認めてしまっていいのでしょうか。

 オンラインでも読むことができます。「国語、学習の基本に 次期指導要領、言語力を重視」です。

 読んでみても何を言っているのか良くわからず、まさに国語力に問題があるような気がするのですが、引用してみます。
 文科省によると、国語については、全体として「言語力の育成」を目指す。小学校段階から、対話や報告、要約、説明など言語の「技能」を確実に身につけ、さらに「活用」して思考を深めることを目標にする。さらに、高校の国語では、「文章などを理解し、論理的に考え表現する能力の育成を重視する」科目を新設する案も出ている。

 思考力の向上に向けては、国語を基本に見直したうえで、他教科についても議論していくことになる。
 だいたい文科省に限らず「**力」という言葉を使っている場合には眉につばをつけた方が良いことが多いものです。老人力という不滅の言葉もありますが、ほとんどのケースにおいてきちんと定義できないものをごまかす時に使うのが「**力」です。

 今回も言語力と思考力という言葉が登場しており、大安売りの様相を呈しています。

 さらに、おそらくこの記事を書いている記者の及川健太郎さんも文科省が何を言いたいのかよくわからなかったために、やたらと括弧付きの引用になってしまっているのだと思われます。 
「論理的な思考力」
「言語力の育成」
言語の「技能」(を身に付け)
(その技能を)「活用」して思考を深める
『考える道筋』
 いずれの言葉も、単語としては日常的によく使うことのあるものですが、冷静に考えてみると言おうとしていることがなんなのかがはっきりしないものばかりです。具体的に国語の授業時間数を増やすとかいう話ならばわかりやすいのですが、いったい何とどう変えたいのか良くわかりません。

 中央教育審議会が2月に、「言葉は確かな学力をつくるための基盤で、国語力の育成はすべての教育活動を通じて重視する」という報告をしたことを受けて検討を開始したという記事なのですが、国語力がないと指摘されたのは国語ではなくて数学や理科の文章を読み解く能力や、文章で説明する能力だったような気がします。

 初等教育で国語をしっかりと身に付けられるかどうかが、その後の他の学問を理解するための大前提となると思いますので、初等教育に英語を取り込むなどということを言わずに国語の学習時間を増やすということなら賛成したいと思います。あえて「国語」と呼ぶ必要はないと思いますが、論理的に読んだり書いたりすることを学ぶ科目を高校で新設するということにも賛成です。

 しかし、ゆとり教育で授業時間数を削減してしまっている現状では、新しいことをやろうとするとまた何かを犠牲にしてしまうということになるのではないでしょうか。

 何かをやろうとするたびに、力関係で科目ごとに時間を奪い合ったりすることや、また数年ごとにコロコロと指導要領を変えることはここらでやめましょう。その上で、教育全体を見通して何十年か変更する必要のない(あるいは、いったん決めてしまったら何十年かは変えることのできない)基本方針を作って、あとは現場に任せるという方式が今よりは絶対にましです。

 昔から言われているように、教育制度はいじればいじるほど悪くなるものだと実感しています。
by stochinai | 2006-07-29 23:58 | 教育 | Comments(16)
 今日から明日まで、北海道大学・東京大学・京都大学・琉球大学の生物多様性関係の21世紀COE4拠点の合同公開シンポジウムを開かれております。

 生物の多様性ということが大切だということは、少なくとも言葉の上では理解されるようになってきていると思いますが、多様の度合いが我々の日常感覚からは想像もできないほどであることと、多様性そのものがなんらかの経済的価値を生み出すものではないため、地球温暖化などと同じように「大切なのでしょうが、我々とは関係のない話」という扱いを受けることが多いという状況はほとんど変化していないと感じます。

 「パンダを守れ」とか、「トキが絶滅する」とかいうふうに具体的に特定の種(しかも、ある程度ビジュアルに魅力的である必要があります)が指定されて、何とかしましょうという話になれば、ムーブメントとして募金が集まったり、研究所建設の話しが具体化したりということにもなるのでしょうが、全国各地に多様性保護センターを作ろうという提案が出たなどという話は聞いたことがありません。

 こういう催しをやる度に、多様性や自然史研究をやっていくことが国民の支持を得られるようになるためには、我々の普段の努力が必要だと通説に感じます。実際に話を聞いてみると、素人の方々にも分かってもらえるおもしろい話が多いのですが、今の時代お金に直結しない話はおもしろいと思ってもらえても、ポピュラリティを得るところまでにはまだまだ先が遠いと思います。

 さて、6時半から大学の南にあるセンチュリーロイヤルホテルというところで懇親会でした。せっかくの花火大会の日なのですが、高層のスカイレストランではなく、窓のない3階の宴会場でしたので、音も聞こえない静かな懇親会でした。それでも、沖縄・京都・東京からいらした方々には涼しい札幌を味わっていただけただけでも来た甲斐があったと思っていただけるとうれしいところです。

 懇親会が終わって、歩いて大学まで戻ってきましたが、静かな大学構内で写真を撮ってみようという気になりました。南門から理学部までの短い距離ですが、こうして写真にしてみるとやはり美しい大学ですね。

 まずは、大学の南門から南の方向を見た写真です。JRの高架の向こうには道庁があります、左の明るい建物は駅前のヨドバシカメラです。
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 そこから南門を入ったところにある守衛所です、昼間は車の受け付けをやっています。
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 この建物の右にクラーク会館に続くゆるい下りの道路があります。道路の右は中央ローン、左には来客の宿泊施設「エルム会館」があります。
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 そして、道の先にあるクラーク会館。
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 北大を南北に走る中央道路です。左が理学部(博物館)、右は文系長屋です。数年前に、北大内で痴漢や恐喝事件が続発したころに、学内の街灯が整備されてからはとても明るくなり、絶好の夜の散歩コースになっています。
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 私はここを左に曲がって理学部ローンを斜めに横切り、博物館(旧理学部)の裏にある5号館へと戻ってきました。

 久しぶりにゆっくりと眺めてみましたが、やっぱり北大は美しいです。
by stochinai | 2006-07-28 23:26 | 大学・高等教育 | Comments(7)

大通りビアガーデン

 CoSTEPのOさんからお誘いを頂いて、前期の授業の打ち上げに大通りで開かれている札幌夏祭り納涼ビアガーデンに行って来ました。

 納涼といっても、札幌は日が落ちると涼しくなり特にがんばらなくても十分に涼しくなるのですがそこはそれ、夏を味わいたいと思う気持ちも人一倍強い北国のことです。

 今年の新企画はビールのタワー型サーバーなのだそうで、確かに見た目は派手なものがあります。
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 容量は4リットルなのだそうで、直径はジョッキとほとんど同じなので、ジョッキに注ぐとぐんぐんビール柱の水位が下がっているのが、楽しいと言えば楽しいです。
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 5時頃から7時頃までという予定ではじまった慰労会ですが、大方の予想通り閉店の10時まで粘ってしまったのでした。

 今日の札幌の最高気温は29℃でした。思い返せば、まだ今年は30℃を越えていないのではないかと思われ、本州の暑い夏を送っておられる方から見るとなんと贅沢な夏の夜の過ごし方だと叱られるかもしれませんが、タワーのビールが次々に空になっていきながら、札幌の短い夏の夜は更けていくのでした。
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by stochinai | 2006-07-28 00:11 | CoSTEP | Comments(2)
 そもそも株取り引きということが情報戦である限り、どのくらいインサイダー情報を手に入れられるかということが勝負の分かれ目になるのではないでしょうか。株で、確実にもっとも大きく儲けることのできる情報がインサイダー情報であることは、我々素人が考えてもわかります。

 それでいながら、株取引を「公正に」行うためにはインサイダー情報を利用してはならない、あるいはインサイダー情報を手に入れてしまった人は株取引をしてはいけないというルールは、ゲームの世界ではない現実の世界で成立すると考えるということがとても信じられないというのが、常日頃私が株などの取り引きに対して持っている印象です。

 ですから、毎月のようにインサイダー取引で逮捕・摘発された人のニュースを聞いても、白けた気分です。

 インサイダー情報を手に入れたら絶対に勝てるということが分かっているのですから、正気な人間であるならば何とかしてインサイダー情報を手に入れようと努力するはずです。「絶対にもうかります」という勧誘をする人間が耳打ちするのはいつでもインサイダー情報です。

 普通の人間であるならばインサイダー情報を提供されて、これで資金さえ用意すれば何百万、何千万さらには何億円儲かると言われて心が動かないはずはありません。もちろん、なんの関係もない人からそのような情報がもたらされた場合には99.99%以上詐欺だと思いますからそんな話しには乗りませんが、何か偶然が重なってあるいは自分の仕事の関係で株で儲けることができるインサイダー情報に接することになってしまったらどうするでしょう。

 ほとんどの人は、お金の魔力に負けてしまうのではないでしょうか。

 村上世彰にしても、ホリエモンにしても、さらには日本銀行の総裁ともあろう人でさえも、インサイダー取引の誘惑には勝てなかった(というか、積極的に乗っていった)のですから、バレさえしなければ大丈夫と思っている人がほとんどというのが株の世界なのではないでしょうか。

 そんな世界で、時折思い出したようにインサイダー取引で何人かをしょっぴいたとしても、原理的にインサイダー取引で儲かるというしくみが変わらない限り空しく思えます。

 村上さんが記者会見で、「儲けちゃいけないんですか」と声をひっくり返しながら叫んでいたのを見て、私は「詐欺のようなことをして儲けちゃいけないんじゃないですか」と、心でつぶやいていたものです。

 小泉改革とやらで、首相は「努力したものが報われる社会を作る」などとおっしゃっていたようですが、その言葉と村上さんやホリエモンの姿がダブって見えてきます。マネーゲームをすることが努力だなんて言えるんでしょうか。

 逆に、ここ数日話題になっている「ワーキングプア」こそ、努力してるのに報われない層と言えるのではないでしょうか。

 小泉さん、辞める前に自分の公約「努力した人が報われる社会」になるような制度をひとつくらい残していってください。
by stochinai | 2006-07-26 22:24 | つぶやき | Comments(5)

私大の定員割れ

 各紙がいっせいの報じているようですが、今春の入学者数が定員を割った私立の4年生大学が、去年よりも10ポイント以上増えて40%を越える222校になったということです。

 数字だけを見てもピンと来ませんが、産経新聞のこのグラフを見ると、状況の深刻さがひしひしと伝わってきます。平成13年からなんとか持ちこたえて来た定員割れがここへきて支えきれずに一気に増加したのでしょうか。来年に向かって、かなり不安という気がします。

 記事には書いてありませんが、グラフの中には定員50%未満の学校数も出ており、平成12年ころから20校前後あるようです。学生が半分以下しかいない大学というものを想像することもできませんが、そこまで減ってしまったのならば早々に閉鎖するべきではないのでしょうか。

 おかしなことも書いてあります。「4年制大の入学定員は440335人で、2.1%増となる一方、志願者は294万8621人で2.2%減った。18歳人口の減少で受験生が減っているのに、大学や学部の数は増加。受け皿が大きくなっている」というのは、どういうことなのでしょう。少子化が進んでいることは明らかで、数字的にも出ているのにそれに逆行するような定員増あるいは大学や学部の新設などを認可している文科省としては、自由に競争させてつぶれるところは勝手につぶれるにまかせる自由競争をさせているということでしょうか。

 しかし、そのように崩壊していく大学に実際に在学している学生にとっては、非常に迷惑な話です。卒業するまではなんらかの方法で勉強を続けられるように補償するのは、大学を認可した文科省の責任でもあるでしょう。

 そもそも大学といえども私企業である限り、儲かるから開校したり学生定員を増やしたりするのだと思います。そのからくりの陰には、文科省が出している補助金があるのではないかと疑うのは数字に明るくない私の誤解でしょうか。

 同じく産経のこの記事には、「大学の収入において、学生の納付金は7割以上を占めており」と書いてありますので、残りの3割のうちのかなりの額が補助金によってまかなわれているのではないでしょうか。

 補助金の分配を決めている日本私立学校振興・共済事業団が昨年度に交付した補助金の総額は3239億円だそうです。

 同じ記事の中に「学部ごとの在籍学生数や財務状況の情報をインターネットなどで一般公開している学校に対して補助金を増額させる方針を決めた」と書いてありますが、この記事をそのまま素直に読むと、補助金を出している事業団は今までそれらのデータを把握していなかったということでしょうか。

 私としては、その放漫な補助金の出し方のほうにあきれております。

 国立大学の運営交付金は毎年減らされているのですが、こうした補助金はどうなっているのでしょう。私立大学には文教族と呼ばれる国会議員が付いているという噂も聞いたことがあります。情報公開をするだけで補助金が増額されるというのは、何か変じゃないでしょうか。
補助金増額の条件は(1)財産目録、貸借対照表、収支計算書、事業報告書などの財務状況(2)学部別在籍学生数(短大や高等専門学校は学科別)-の2項目について、インターネットや誰でも入手可能な印刷物で情報を積極的に公表していること。10月ごろに調査を実施する予定。
 甘すぎませんか。
by stochinai | 2006-07-25 22:11 | 大学・高等教育 | Comments(10)

ゼロからわかる生物学

 今度の日曜日のオープンキャンパスに合わせて、文科省採択による「教育改革支援事業特色ある大学教育支援プログラム」(読むと息が続かないので、普段は「特色GP」と呼んでいます)に採択された課題「進化するコアカリキュラム」の報告を兼ねたフォーラムを開催することになりました。

 その日は、北大中でオープンキャンパス行事を行っていますので、各学部や研究所でお客さん(主に高校生とその父兄、そして一般市民の方々)の奪い合いになり、ひとつの会場にそれほど人が集まらないのではないかと予想されてはいるのですが、そうでありながらもついつい人を集めたくなるのが悲しい(?)性で、我々のフォーラムではキラーコンテンツとして、札幌交響楽団の首席チェリストの石川さんに「無伴奏チェロ組曲」の生演奏をお願いすることとなりました。

 もちろん、我々の特色GPプログラムでは、こうした音楽家との連携授業や各地にある研究フィールドで実地体験をしてもらうということを実際に行っており、その一端をご紹介しようということで石川さんをお呼びするわけです。

 大学へはいったばかりの1年生に対して行われる全学教育(昔は「一般教養」と言って嫌われていたものです)として行われるコアカリキュラムでは、理系科目としては一般の理科(物理・生物・化学・地学)が開講されています。

 「特色GP」の中で、理科では高校までの理科教育が削減された2006年問題に対応するために、高校での履修を前提としない教育プログラムを作るべく努力してきました。その結果、作られたのが理科の基礎科目(生物ならば基礎生物学)と、自然科学全科目を融合した自然科学基礎実験という科目で、いずれも今年から本格的に始動しています。

 高校生や一般の方々に、こうした大学における初年度教育を紹介するということは、全国的に見ても珍しいのではないかと思いますが、大学に入学したばかりの学生が最初に受ける洗礼である全学教育の一端を、高校生のうちに垣間見ておくということは意味のあることだと思っています。

 と、いつも偉そうなことばかり言っているものですから、当日のフォーラムで基礎生物学のデモ授業をやる羽目になってしまいました。与えられた時間は20分です。その時間内に、基礎生物学の神髄を伝えるというとんでもないミッション・インポッシブルになってしまいました。

 当日のプログラムを読んでみると、(私が書いたものなのですが)「大丈夫かいな」という壮大なことが書いてあります。
生物学デモ授業「ゼロからわかる生物学」

 人間がヒトという生物であること、毎日食べるもののほとんどが生物であること、すべての生物が地球というひとつの生態系の中で関わり合いながら生きていることなどについて、ほとんどの人は深く考えることなしに感じることができるはずです。基礎生物学では、そんな実感とともにゼロから始めて、生命科学の最先端まで皆さんをお連れします。
 できるかどうかはわかりませんが、こう書いてある以上詐欺にならない程度の授業はやらねばと思って、今日1日無い知恵をしぼっていました。もちろん、まだ終わりません。

 いずれにせよ、当日は「無伴奏チェロ組曲」までのつなぎと割り切って、一席お伺うということになるのですが、できるところまではあがいてみることにします。
by stochinai | 2006-07-24 23:32 | 教育 | Comments(0)
 特にものすごく見たかったというわけでもないのですが、脳が疲れていることもあり娯楽作ということで「宇宙戦争 WAR OF THE WORLDS」と、ダコタ・ファニングつながりで「マイ・ボディガード MAN ON FIRE」を借りてきました。

 「宇宙戦争」は予想どおりのつまらなさで、半世紀も前のSFを現代によみがえらせようというのであれば、その間の科学の進歩を大々的に取り込んでいかなければ、とても鑑賞に堪えうるものにはならないと思うのですが、そのブラッシュアップを怠ったとしか考えようのないひどい脚本でした。

 そのひどい脚本に、信じられなようなお金をつぎ込んだ、お金をドブに捨てたとしか言いようのない映画でした。トム・クルーズが大根役者であるというのは周知のことで、それはそれで良いのですが、ダコタ・ファニングもせっかくの才能を生かす場面がなく、ひたすらに叫んでいただけなのでした。とはいえ、アメリカの女優が成功する資質として、素晴らしい叫び声が必要であるという(私が作った)法則があるので、これくらい叫びまくれる彼女はおそらく大成するであろうということは印象に残りました。

 1000円あげるからもう一回見てくれと言われても、お断りしたい映画です。

 この映画を見た後ならば、どんな映画でもマシに見えるだろうと思いますし、マイ・ボディガードはデンゼル・ワシントンが共演ですから、まさか駄作ではないと思っていたのですが、ちょっと残念という感想です。

 ダコタ・ファニングに、金持ちのお嬢さんで誘拐される役をやらせたら、あまりにもはまりすぎておもしろみがないと思ったのか、残念ながら出てくる場面が少なすぎました。もちろん、出ている間はさすがになかなかの演技を見せてくれて楽しめたのですが、彼女が出なくなってからはB級映画と言われても仕方がないものになってしまいます。

 そもそも、デンゼル・ワシントンに暗殺テロ部隊上がりの軍人や、非情な復讐鬼の役は似合いません。ミスキャストでした。R15指定と言えば、日本だと成人映画に近い扱いだと思いますが、そこまでやるかという残酷シーンの必然性もあまり感じられず、やたらと映像処理に凝ったコントラストの強すぎる画面作りも好感が持てません。

 ネタバレになってしまうので書きませんが、ラストが完全に失敗してます。

 実は悪い人ではないのだけれども、とんでもない理不尽な被害(この場合は、依頼人の女の子の誘拐および殺害?)に打ちのめされた主人公には、どんな手段を使ってでも復讐する権利があるのだと思わせて実行させるという筋書きは、日本のヤクザ映画を代表に復讐ものでは常套的なものなのですが、それだけでは単なるカタルシス・エンターテインメント映画になってしまいます。

 この映画も、最初からその手のものであると覚悟して見れば、「まあ、こんなもんか」という感想になるのかもしれませんが、それならデンゼル・ワシントンとダコタ・ファニングを使う必然性がまったくありません。というか、この程度の映画を作るのにこの二人を使うのはもったいないというのが正直な感想です。

 デンゼル・ワシントンに、今までになかった役柄を演じさせてみようという意欲があったと思えるフシもあるのですが、残念ながら成功したとは言い難です。せっかくのチャレンジならら、ダコタ・ファニングにも冒険をさせて欲しかったところです。

 ダコタ・ファニングは、将来間違いなく大物の女優になる資質を持っていますし、デンゼル・ワシントンもまだまだこれから本当の代表作を出すことになるはずですので、この映画は過去のエピソードとして語られる一編になるだろうということで、私の映画評ということにします。
by stochinai | 2006-07-23 23:44 | 趣味 | Comments(2)

秋の気配

 昨日から大通りビヤガーデンが始まり、一ヶ月にもおよぶさっぽろ夏まつりが開幕したのですが、例年通りそろそろ秋風が吹き始めた気がする札幌です。

 我が家の庭にもなんとなく秋の気配がただよってきています。つい5日前に見たホオズキの花が、なんともはや小さなホオズキへと変身していました。
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 袋の先に枯れた花がぶら下がっているところを見ると、この袋は萼(がく)が発達したものと思われます。不思議ですね。前に花を見たときには気がつかなかったのですが、下のほうに大きなホオズキもぶら下がっています。
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 赤くなったらもう秋ですね。

 さて、こちらは記憶は定かではないのですが10年ほど前に北海道開拓の村で拾ってきたおそらくミズナラと思われるドングリを植えて、出てきた芽を石づきにして盆栽風に育てています。雪で折れたり、いろいろと苦難を乗り越えてきた木ですが、何気なくみてみると、なんとどうやらドングリの赤ちゃんと思われるものが付いていました。
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 ドングリにまでなってくれるかどうか楽しみです。

 うちの庭で撮した写真はいつも植物ばかりなのですが、なかなか写真に適した動物と出会うことが少ないのは事実です。今日は久々に撮してくださいとばかりにポーズを取るおそらくセマダラコガネと思われる甲虫が、ノウゼンカズラの葉の上でひなたぼっこをしていました。
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 実をいうと私は昆虫の名前などはぜんぜんわからないのですが、そんな私の心強い見方がこの本、北大出版会から出た「札幌の昆虫」です。この虫の名前も数分で見つけました。札幌に住むならば、まさに「一家に一冊」あってよい、おすすめの本です。
by stochinai | 2006-07-22 18:10 | 趣味 | Comments(4)

風わたり泥も乾きて春の草             嵐雪


by stochinai