5号館を出て

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のんきな大学人

 さなえさんに、また(^^;)大学が的確なお叱りをいただきました。

 まずポスドク問題の議論の中で、お金に関して「予算が増えれば解決する問題が多いのだから、金の議論も燃えさかるべきなのに、なんとなく迂回している」とおっしゃられていますが、このことの理由は二つあると思っています。

 一つはおっしゃるとおり、大学人が「億がつくような研究費が手にはいるというのに、どぶに捨てても良い、武士は食わねど高楊枝だ風によそ事のように放置するのは、金銭教育が出来ていないからだろう」ということがあります。そもそも、国立大学ではお金は「定期的にいただく基盤運営費」か「申請して交付していただく競争的研究費」しか手に入らない構造になっておりまして、自ら稼いだり巨額の寄付を集めたりすると基盤運営費が削減されたりするという極めて理不尽な運用体制がとられてきたこともあり、「自分でお金を稼ぐことなどは考えないように」というのが「お上」の意図であるという現実があります。

 そういう体制が戦前・戦後と100年以上も続いてきたので、大学の人がお金に対してのんきに見えてしまう風潮ができあがってしまって、今日に至っているのだと思います。

 そんな中で、ポスドク問題も実はお金の問題であるにもかかわらず、お金の話が前面に出ることなく政治や自己責任の話ばかりが議論されているので、さなえさんとしては何とも歯がゆいということなのだと思います。

 理由の二つ目は、大学や研究をめぐる場にいる人の多く、特に研究者と言われる人の多くは、おっしゃるとおりまったく「金銭教育が出来ていない」ということあります。ですから、そういう人がいきなりベンチャーとかやっても成功しないのが当然、と私には思われます。

 そういう現実があるにもかかわらず、大学では基本的に定常的事務作業以外のほとんどすべての運営をそういう金銭感覚の欠如した我々研究者にさせているのです。これでは、どう考えても的確な法人運営ができるはずがないと思いませんか。

 卑近な例で言えば、つい先日も大学においてどのような行政文書を誰がどのように保存すべきかということを決めることを、私が求められました。そもそも行政官という認識すらない私たちが、法律に基づいて大学の中にあるどれが行政文書に当たるのかを見分けて、どのようなな文書をどのように保存すべきかなどということの判断など、到底できるはずがないと思われるのに、そういうことを要求するのが大学というところです。仕方がないので、私は過去の記録を参照しながらそれを踏襲するようなものを作り上げましたが、それが法的に適切なものであるかどうかという点に関して、もちろん自信はありません。

 これは、最近身近に起こったほんの一例にすぎません。同じように人事から予算・決算まで、すべての運用の責任が研究者に任されているのが今の大学なのです。もちろん、法人化されてから、運営主体として理事からなる役員会や運営協議会などもできましたが、もっとも末端における実務は今までどおりすべて研究者によって運用されていることは変わりがありません。

 そこで、本当に大学を変えようとするならば、大学の運営を実際に担う実行部隊を作らなければならないと思います。それによって、研究者(教育者)を不得手で不毛な大学運営から解放して、研究・教育に専念させることができるようになることと、金銭感覚を持った法人運営を行えるようになると思います。

 そのための前提となる、二つの大きな条件があります。まず政府・文科省が個々の大学が自ら稼いだり巨額の寄付を受け入れたとしても運営交付金を削減したりという、懲罰的な資金管理をやめることと、大学の教員の1割くらいを削減して運営のプロを雇い入れるということです。

 前者に対しては文科省が抵抗しそうですし、後者に対しては大学側から猛烈な抵抗が予想されます。

 しかし、ここを乗り越えずに大学が独り立ちすることは決してできないと感じています。大学も親(文科省)離れ、文科省も子(大学)離れしなければならないところにきているというのが私の判断なのですが、さてどのくらいの方に共感していただけるものでしょうか。
by stochinai | 2007-08-31 21:49 | 大学・高等教育 | Comments(23)
 東京大学が経済的理由による授業料の免除枠を来年度から広げるというニュースがありました。例えば、日経ネット「親の年収400万円未満なら授業料タダ・東大、免除枠広く」によると、次のようになっています。
 東京大学は家庭に経済的余裕がない学部生に対する授業料の免除枠を来年度から広げる。家庭の年収、構成人数などを総合的に判断して免除の可否を決めている現行制度を簡素化、年収が400万円未満なら一律に授業料全額を免除する方式に改める。国立大では初の試み。
 最近は、この経済的理由による授業料の免除が厳しくなってきていたと聞きます。身近でも、数年前から授業料の全額免除だった同じ人が、半額免除になり、さらにはまったく免除されなくなったケースというのを見聞きしており、法人化前後から全国の大学ではこの授業料免除に対して厳しくなったという印象を持っておりました。

 実際はどうなのかは知りませんが、東大でもおそらくそうだったのではないかと推察していました。今回、それと逆行するような一律の授業料免除規則を採用するということは、もちろん宣伝効果を狙ったという理由ががもっとも大きいとは思うのですが、あの東大ですらも人材の質が低下してきているというような危機感があり、それを解消するための一手段として新しい制度の導入に踏み切ったと見ることもできると思います。

 我々が大学院生の時にも、同じように貧困家庭の学生はかなり高い確率で授業料が全学あるいは半額免除になっていたのですが、その制度を逆手にとって大学院生が結婚することがかなり「流行」しました。中には「偽装結婚」もあったということですが、実際に確かめたことはありません。

 いずれにせよ、結婚すると親の収入から切り離されて「赤貧状態」になりますので、たとえ偽装でも結婚によって、2人合わせた「納税を基本とした年収」が150万円くらいになってしまうと、ほぼ確実に授業料が免除されたという「噂」を聞いております。もちろん、ひそかに両方の親から仕送りがあったという「噂」も一緒に聞きました。

 学生結婚した夫婦の年収はほぼ確実に400万円以下になりますので、新しい東大の授業料免除制度を利用するために学生結婚および偽装結婚が増えるということになるかもしれません。

 東大では、それに対する対策はすでに立てているのでしょうか、それとも少子化時代なので学生結婚を推奨するためにもこの制度を始めようというのでしょうか。

 注目していきたいところです。
by stochinai | 2007-08-30 23:57 | 大学・高等教育 | Comments(5)

光のシャワー

 今日は夕暮れのちょっと前から空のショーが見られました。降り注ぐ光のシャワーです。
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 太陽が傾くとともに、上からのシャワーがみるみる横殴りのシャワーに変わっていきます。

 これは、上にある組み写真の上のもののちょっと後で撮ったもので、雲に隠れた光源から放射される光の線が見事です。
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 太陽はみるみるうちに傾いていきます。
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 見ている間に太陽の赤みがまして、夕焼けへと突入です。
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by stochinai | 2007-08-30 23:35 | 札幌・北海道 | Comments(1)

Wikipedia版なかのひと

 なんかドッキリカメラ(若い人は知らない?)を思い出させるニュースでした。

 総務省や文科省もWikipediaを編集していた 「WikiScanner」日本版語版で判明

 Wikipediaには賛否両論さまざまありますが、やはり誰でもが辞典の作成に参加できるというところが面白さだと思います。賛否の賛も否も、そこのところを肯定的に評価するか否定的に評価するかというところで分かれてきているように思います。

 もちろん、「誰でも」と言っても、それがどこのコンピューターからアクセスしている人であるかとか、いつどんなことを書いたとか、どんな編集を行ったのかということはきちんと記録されているので、今までも利害関係者が特定の利害に基づいて編集をした場合には、それなりに話題になっていました。

 ところが、今回とんでもなく強力なツールである「WikiScanner」というものが発表され、その日本語版が出たものですから、大笑いとも言えるニュースになっています。
 WikiScannerは、IPアドレスを入力すれば、そのIPから編集された内容を一覧表示できるツール。IPアドレスと組織名を対応させる仕組みも備えており、特定の組織が編集した記事や内容を確認できる。
 つまり、「なかのひと」のWikipedia版とも言えるものなのです。
 これを利用して行政機関からの編集について調べてみると、総務省や文部科学省、宮内庁などから、行政に関わる内容からエンターテインメント関連まで、さまざまな内容について編集があったことが判明。行政に批判的な内容を削除する編集も見つかった。
 今までは、こっそりとやっているつもりでいたものが、このツールを使うと、総務省のサイトからのアクセスで行われたこと、文科省のIPから行われたこと、厚生労働省や宮内庁から行われた書き込みや編集が一覧で出てしまうのです。

 これは犯罪ではないにしても、やっぱり恥ずかしい感じになってしまいますね。「自分の利害に関係して間違ったことを書かれて、それを訂正して何が悪い」ということはあるのかもしれませんが、有無を言わせずに編集するのはやはりマナー違反と感じます。もちろん反論の機会も提供されていますし、訂正することも許されてはいるのがWikipediaなのです。

 いろいろ長々と書かれていますが、私はWikipediaに書かれているポリシーはとても素晴らしいものだと思います。ちょっとだけ転載させてもらいます。
自分のことについて、中立的な立場から書くことはとても難しいものです。そのため、ウィキペディアでは自分のことについては他の利用者に執筆を任せるのが望ましいでしょう。自分自身で編集するのではなく、記事のノートページで出典となりうる情報や、編集の提案をし、あなたとは利害関係にない人物が記事を編集するのを待ちましょう。

また、自分の関係していることの記事についてどうしても編集したい場合は、一度ノートページでご自身が記事の主題となっている本人であることを表明した上で提案を行って、合意を得てから編集することが推奨されます。ここで第三者の目が入ることによって、上に挙げたような問題点が解決されることがあるからです。

ただし、誰の目にも明らかな問題点があるときには、自分が関係していることについての記事を直接に編集することも許されます。
 さすがにウェブの老舗だけあって、ブログサイトを運営する際にもとても参考になる記述だと思いました。

 「なかのひと」にも賛否両論ありますし、私もWikiScannerはちょっと「下品」かもしれないと感じますが、ウェブ上の言動はたとえ「匿名」でやっているとしても、究極的には個人が特定されうる普通の世界と同じなのだという認識を持つ上で、教育的なものかもしれないとも思いました。

 私はあまり興味がないので、「北海道大学」からどんな編集がされているかなどというチェックはしておりませんが、執行部は気になるでしょうね(^^;)。
by stochinai | 2007-08-29 20:52 | コンピューター・ネット | Comments(0)
 「ポスドク問題:自分たちでも動きだそう」のコメント欄にポリさんという方がコメントをくださっています。

 どうやらトラックバックをいただいたようなのですが、また例によってエキサイト・サーバーの問題かうまく受け取れなかったようです。ポリさん、すみません。

 そのコメントからたどってポリさんのサイトに行っていると、「波」というタイトルのエントリーで、アメリカの生命・生物系のポスドクコミュニティのご紹介があります。

 LSJ (Life Science in Japanese) と JBC (Japan Bio Community) という二つの組織が紹介されていますので、是非ともポリさんのサイト「今日も脳天気」からたどってみて下さい。

 ポリさん、これからもよろしくお願いします。
by stochinai | 2007-08-29 14:29 | 科学一般 | Comments(1)

月食終わり

 9時すぎに皆既月食が終わり始めました。月は、4階からでも見える高さに昇っています。
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 終わるのもすごい早さです。下の写真は、5階の実験室の窓から見たものです。残念ながら、月はこの後雲に隠れて見えなくなり、月食の終わりは確認することはできませんでした。
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 夜風も涼しくなり、夏の終わりにふさわしい天体ショーでした。
by stochinai | 2007-08-28 21:29 | 札幌・北海道 | Comments(0)

皆既月食

 6時45分頃、5号館の高い階から札幌駅方面を眺めると、JRタワーの左方向にもうすぐ皆既月食になる月が目の前に見えました。クリックして、大きなサイズでご覧下さい。
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 消える寸前です。
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 ほぼ消えました。
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 下の写真は無理矢理高感度で撮ったものです。肉眼でもこういう感じで赤い月の輪郭が見えます。
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 コンパクト・デジカメでも意外に撮れるものです。
by stochinai | 2007-08-28 19:24 | 札幌・北海道 | Comments(4)

件名のないメール

 FPNに、「『件名なし』のメールを『常識』とする若者たち」という記事がありました。私は携帯メールは使っていないのですが、普通のコンピューターを使ったe-メールで携帯から発信されるメールとやりとりしていると、携帯から送られてくるメールには件名のないものが多いことは気になっていました。件名がないと、ウイルスやスパムメールとしてはじかれてしまったりもします。

 記事では、10代の若者が友達同士でやり取りする時には、「件名なし」がフツーの世界になっていると書いてありますが、私のところに10代の若者からメールが来ることはほぼ皆無であるにもかかわらず、携帯からくるものには件名のないメールは多いと感じられます。件名がついてくるものもあるので、機能としてできないわけではないことはわかるのですが、携帯だと抵抗なく件名なしメールを送れるということなのでしょうか。私がコンピューター上で使っている秀丸メールなどは、件名なしでメールを送ろうとすると、「件名がありませんが、それでも送りますか?」というメッセージが出て、件名のないメールの存在は例外的なものであることを指摘してくれます。携帯メールではそのようなマナーを促す機能あるいは「文化」はないのでしょうか。

 考えてみると、メールに件名をつけるということはいかにもビジネス・マナーではあると思います。昔、研究を始めた頃にアメリカ人と手紙でやり取りすると、たいていメールの最初に「RE: your request」などという件名が付いていて、中味を全部読まなくても何について書かれている手紙かわかるようになっていて、「これは合理的なやり方だ」と感心した記憶があります。また、そういう「ビジネス・レター」には多くの場合、「CC: Prof. Edward Skipbird」などと、同じメールのコピーが他の人にも送られていることが明示されているものでした。

 今、我々が使っているe-メールはこのアメリカを中心とするビジネス・メールの様式が受け継がれているので、私にはなじみやすかったのですが、もともとビジネス・メールなどというものになじんでいる人が少なく、しかも携帯「電話」から拡張していった携帯メールの世界が、西欧のビジネスメールではなく、いかにも日本的なそこはかとない「文(ふみ)」の世界がデジタル化されたものであると考えると、件名がないことや、あったとしてもそれがそのまま本文へと受け継がれていく文の頭だったりすることも、特に驚くべきことや嘆かわしいことでもないのかもしれません。

 携帯から送られてくるメールでは、件名がないだけではなく署名がないものも多いと感じられます。署名がなくとも、送信者のところにアドレスの他に「送信者名」が記載されていればわかるのですが、それすら

 tomato_314_suttokodokkoi_dayo@docomo.ne.jp (架空)

  などと、送信者を推定することすらまったく困難なほど楽しいものだと、お手上げです。

 この状態で、記事にあるように本文が「昨日、休んだのですが講義の資料をください」などとしか書いていない場合には、どうしたものかと一瞬悩みます。もっとも、こういうメールが来た場合には、私は巨大な講義資料のファイルを添付して「あなたはどなたでしょうか。昨日の講義とは、どこで誰に対して行われた何という講義かわかりませんので、手許にある資料を数点お送りします」という数百キロバイトのメールを送り返して楽しむことにしていますので、特に困ったり腹が立ったりしているわけではありません。

 もちろん、これは意地悪だけでやっているわけではなく、「あなたの意図はこの方法では通じない」ということを教えるための、教育的措置としてやっているわけです。しかし、メールというものが様々な局面で使われるコミュニケーションツールである以上、最低限のルールは個々人のリテラシーに期待するだけではなく、ソフト・ハード・システムとしてサポートされることが望まれます。

 要するに、携帯のメールでもデフォルトで、発信者の名前と件名くらいは挿入されて叱るべきではないでしょうか。できれば、最初の「***の**です。」と最後の「署名」も入れて欲しいところです。何も考えないで送った場合には、様式に則った丁寧なメールが送られてしまって困る人はそんなに多くはないと思うので、携帯を作っている会社には是非とも検討をお願いしたいと思います。いつも、そういうメールをやり取りしていると、だんだんとマナーも身に付くものだと思います。

 「今時の若者は」とだけ言っていても、何も解決しませんです。
by stochinai | 2007-08-27 22:28 | コンピューター・ネット | Comments(7)

北大農場の夕暮れ

 今日は農場まで出てみました。特に説明はいりませんね。
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by stochinai | 2007-08-27 19:39 | 札幌・北海道 | Comments(2)

大停電

 8月の最終日曜日は恒例になった全学大停電の日です。朝8時から午後6時までの10時間という長時間で真夏ですので、冷凍・冷蔵関係がもっとも大きな影響を受けます。各研究室では昨日の午後に大量のドライアイスを受け入れ、停電が始まる直前までディープフリーザーに保存しておき、今朝の停電開始とともにフリーザーや冷蔵庫に投入して、一日をしのぐというわけです。密閉された冷凍庫の中ではドライアイスは意外なほど持つもので、停電が終わった時点で確認してみると、いつも半分くらいは残っています。

 停電の間は、大学にいてもひなたぼっこくらいしかできませんので、ほとんど人がいなくなり学内にいるのは観光客だけという感じです。

 研究室の冷凍・冷蔵関係や連続運転している機械の再立ち上げに関してはすべて私がタッチしなくてもきちんとやってくれるのですが、私が管理しているウェブサーバーとメールサーバーに関しては、やはりちょっと気になりますので立ち上がりを確認するために停電が終わる頃に大学へ出かけました。

 ウェブサーバーは昨夜遅くにリモートでダウンしておいたのですが、メールサーバーはギリギリまで落とさずにおきたいという気持ちもあって、早朝に落とせばいいかと思って夜には落とさずにおいたのですが、なんと気が付いた時には学内ネットワークにアクセスできない状況になってしまっていました。サーバーが動いている最中に停電が始まってしまうと、最悪の場合にはファイルシステムが壊れることがあります。実際、なんどかそういう経験をしたことがありますので、今日はそれが一番の心配事でした。

 というわけで、ちょっとドキドキしながら通電再開を待っていましたら、ほぼ6時ぴったりに回復しました。この恒例行事が始まった当初の頃は、なかなか時間通りに始まらなかったり、時間前に始まったりということもあったのですが、ここ数年は時間通りに再開しているようで、技術も停電に関するソフトの面でも進歩していることを感じさせられます。

 さて、問題のメールサーバーの方ですが、電源投入してみたところ驚くほど何事もなく立ち上がってくれ、ちょっとびっくりするほどでしたが、ホッとしました。

 思えば、このメールサーバーもウェブサーバーも、大学はインターネットとつながった学内ネットワークを張り巡らせてくれただけで、後は何もしてくれなかった時代にこれでは世界に取り残されると思った我々が学科単位で勝手に立ち上げたものなのですが、今や情報基盤センター(旧大型計算機センターなど)や理学部がメールサービスやホスティングサービスをやってくれる時代になり、無理をして維持し続ける必要はないと思うのですが、サービスの移行をするためにはユーザーに対する教育及びケアをしなければならず、それをやるかサービスの維持をするかという選択を迫られるくらいなら、このままサービスを続けた方が楽という私の個人的判断で続けているというのが実情です。

 それにしても、このサーバーの管理はまったくのボランティア(無償)で無期限委託されている業務であるというところが、いかにも大学らしいですね。もちろん、いやならやめれば良いのですが、私がやめるといわゆる「情報弱者」の方々だけが被害者になってしまうという構造も、いかにも日本的だなあと思いつつも、ズルズルと10年以上もボランティアサービスを続けている私なのです。とは言っても、いつまでも続けていると私が辞める時にいきなりサービスがなくなってしまうということになりますので、ゆっくりと縮小させながら廃止しようと思っております。

 電気のなくなった大学を眺めながら考えたことがひとつあります。ほとんどの理科系の研究は電気なしにはできないかもしれないけれども、教育ならば電気がなくてもできるような気がしました。このあたりに教育の本質を考える鍵がありそうです。

 停電ひとつでも哲学的(?)にさせてくれるのも、大学の雰囲気というものかもしれません。
by stochinai | 2007-08-26 23:54 | つぶやき | Comments(7)

風わたり泥も乾きて春の草             嵐雪


by stochinai