5号館を出て

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本当の指導者

 今朝の朝日新聞経済欄に出ていた連続記事「未来を語る(7)」に気持ちの良い発言がたくさん出ていました。「若者に希望はあるか」という問いかけに、世界最小の歯車を作ったことで有名な樹研工業の社長、松浦元男さんが答えて「心配無用、潜在力高い」というタイトルのついたインタビューが出ています。

 その歯車はあまりに小さすぎて、まだ使ってくれる会社がないというようなことを聞いた記憶がありますが、売れるか売れないかとか、もとが取れるか取れないかとか、そんなこととは無縁に仕事や開発をやらせてくれる楽しくやりがいのある会社のようです。

 「今の若者は能力が高い。僕らが5年かけて覚えたことを1年で覚えてしまう。ただ彼らの身の回りには情報があふれ、どうしたらいいか決められないだけだ。僕ら年寄りの役割は、彼らが潜在能力を発揮するためのチャンスと動機を与えること。」

 この会社の採用は、先着順で無試験なのだそうです。年寄りが自分たちの基準で、面接や試験をやったって何もわからないどころか、かえって大切な人材を落としてしまうことを心配しているとのこと。10分や20分の面接なんかやっても何もわからない。人の真価を理解するには1年から2年かかると、なんとも心の広い人です。

 社員には会社のクレジットカードと携帯電話を持たせて、好きなだけ使わせているのだそうです。そこまで信頼されると、確かに悪いことはできないでしょう。何から何まで、今の「常識」と反対のことをやって成功しているようです。

 「人の仕事をチェックしようとすれば、チェックする人をチェックする人が必要になる。自己責任でやる方が効率的だ」と、大学を含め今や日本中で行われている業績評価の欠点についても見事に突いています。競争や業績評価をする際に、もっとも問題となる「評価する人間のチェック」のことまで考えての上での判断ですから、単なる能天気親父ではないようです。

 評価する人間や組織をきちんと評価するという、とても大切なことを日本の多くの組織ではまったく行っていません。前にとある学会で開かれたお役人と語る会で、私が文科省の人に科研費の審査員を審査してはどうかと質問した時、その人は即座に「そのようなことをするつもりはありません!」と、きっぱり言い放ったことを今でもはっきりと覚えています。文科省周辺で行われている競争や評価というものがかなり危ないものであることは、どうやら官僚側でもわかっているらしく、この発言は「つつくと危険」ということを言っているのだと確信しました。

 リストラに対しては「会社を辞めさせられた社員、取引を打ち切られた企業の社員はそんな仕打ちをした会社の製品を二度と買わなくなる」と、冷静です。

 定年に対しても「作る理由がない。毎日顔をつきあわせて働いてきた仲間は兄弟のようなものだ。還暦の日に失業なんてむごい」と、人間的です。

 こういう会社が繁栄しているのは、とてもうれしいことです。

 今ではとても珍しいと言われてしまうでしょうが、おそらく20年くらい前までは日本の会社のほとんどが、この社長さんと同じような経営方針を採っていたと思います。それが、不景気とグローバリゼーションのダブルパンチの中で次々とアメリカ的(?)経営方針(競争と評価と差別、リストラ)を採用して今日に至ったというわけなのでしょう。

 この社長さんを見ていると、フリーターやニートと呼ばれる人たちを生んだのが、それをもっとも嫌悪している現代の主な会社経営者や政府そのものだと思えてきました。そうだとすると、彼らは単にしっぺ返しを受けているだけということなりますね。
# by stochinai | 2005-01-08 18:18 | 教育 | Comments(0)

さざんか満開

 2年がかりで丹精したサザンカが、お正月頃から次々と咲いています。

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# by stochinai | 2005-01-08 15:51 | 趣味 | Comments(0)

学力低下と愛国心

 あまりにもアホらしいのでほったらかしておこうと思ったのですが、天下の読売新聞の社説に問題があるのに指摘しないというのも、国民の義務放棄という気がしますので、書きます。というより、だんだんと腹が立ってきたというのが本音です。

 1月5日付・読売社説です。「[『戦後』を超えて]「『ゆとり教育』の“呪縛”断ち切れ…基本法に新たな針路」」というタイトルのものですが、完全に論理が破綻していると思います。

 まず、全体のロジックですが、学力低下がはっきりしたというのが起承転結の起です。そして結となる、その対処法が教育基本法の改正で、特に「愛国心」を「教育の目標」に書くと、学力低下(や学校の「荒れ」、少年非行:これは前を承けずにいきなり出てくる)に、「じわじわと効能が表れる」のだと主張しています。

 学力低下問題を入り口にしながら、その解決策に愛国心の育成を持ってくるなどという論理展開は、オカルト以外のなにものでもないと思います。

 まあ、気持ちはわからないでもないです。教育関係の問題ならば、出発点はなんでも良かったのでしょう。それが今は、たまたま学力低下の問題が大きな話題になっているので、自分が普段から主張したかった教育基本法の改正に結びつけたかっただけなのだと思います。

 論理のねじ曲げ方、をもう少し見てみましょう。

 「学力低下がはっきりした → ゆとり教育は間違いだった → 文科省が反省して、改善を図ろうとしている」と、ここまでは問題はないと思います。しかしそこでいきなり、学力向上などはどうでも良くて「今必要なのは、戦後六十年で教育が失ったものを取り戻すべく、まず「ゆとり教育」の四半世紀と決別することである」と高々と宣言してしまうのです。

 戦後60年で失ったものは愛国心だというのでしょうが、学力が低下したので国を愛する心を植え付けなければならないなどという「論理」は、足に泥が付いたので顔を洗いましょう、と言っているのと同じようなトンチンカンだと思います。著者の方の日本語および論理の学力が、低下しています。子ども達を責められません。

 問題はこのようにきちんとものごとを論理立てて展開することのできない人が、日本の知性を代表すると考えられる新聞社の中枢におられるというこの状況のほうだと思います。そして、それが印刷されてしまうことをチェックできない新聞社の体制も大問題だと思います。

 自分の主張したい愛国心教育を、学力低下問題から導入するなどという姑息な手段をおとりにならずに、なぜ国を愛することが大事なのかを素直に主張なさればよろしいかと思います。ストレートに主張して人を説得することができないのであれば、社説などはお書きにならないほうがよろしいと思われます。
# by stochinai | 2005-01-07 23:47 | 教育 | Comments(3)

風わたり泥も乾きて春の草             嵐雪


by stochinai