5号館を出て

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 現時点までのところ、H2Aロケットの打ち上げは成功し、多目的衛星の放出もうまくいって、まことに喜ばしいことです。あとは、順調に目的軌道に乗り、正常に機能することを祈っております。貴重な国民の税金を投入していることと、現場の科学者や技術者の努力を考えると、やはり成功してくれるとほっとするものです。

 上がる直前までは、あらゆるニュースが口を揃えて「もう失敗は許されません」と繰り返していましたが、関係者はそれを聞くたびに胃が痛くなっていたことと思います。ひさびさにゆっくりと眠れたのではないでしょうか。本当にお疲れさまでした。

 言葉の文(あや)なのかもしれませんが、最近はテレビ・ラジオやマスコミ関係で「絶対に負けられない試合」とか「絶対に失敗の許されない打ち上げ」などという表現が耳や目につきます。

 スポーツ番組などではあまりにも安っぽく使われていて、実際に競技を行う選手に無用なプレッシャーを与えていることが気になります。先日の対北朝鮮戦のサッカーの試合はまさにそのプレッシャーが試合をダメにしてしまったのではないかと思っております。

 ロケットの打ち上げやサッカーの試合をやる人間は、誰だって成功したいし勝利したいと思っています。しかし、完璧を目指して準備した打ち上げだって失敗する可能性をゼロにすることは理論的に不可能だし、ほぼ間違いなく勝てるはずのサッカーの試合でもJ2のチームが高校生に負けたりすることは事実として起こるわけです。逆にそうであるからこそ成功や勝利がうれしいのだと思います。

 そんな中で、社会的影響力の大きなマスコミが「絶対に失敗が許されない」とか「絶対に負けられない」とかを繰り返し強調するのは、「社会的いじめ」ではないかとさえ思えます。もちろん「気持ちとしては応援しているつもりです」と居直るとは思いますが、さんざん期待を強調されたあげくに失敗したり敗北したりする現場の人間の気持ちになってみてください。

 イラクで殺されたジャーナリストの橋田信介さんの奥さんである橋田幸子さんも、今朝の朝日新聞のコラム「未来を生きる君へ 橋田幸子さんの伝言」『失敗を恐れずに』でそのことに触れています。

 「でも今の日本は、失敗をなかなか許してもらえない社会ですね。少しでもミスをすると、すぐにそれがヒステリックな社会全体の『バッシング』に変わる。だからマニュアルばかり作って、その通りの思考と行動を生活規範としています。」

 マスコミが発する「絶対に・・・ない・・・」という言葉の魔力が、日本という国全体を萎縮させているとしたら、なんとも不幸なことです。

 2月17日のエントリー「大学入試のミス」http://shinka3.exblog.jp/737774/に対してコメントをいただいたように、日本の国において絶対に失敗の許されないものの代表のように思い込まれている大学入試だって、実はやり直しがきくのです。冷静に考えるとこの世の中に「失敗の許されないチャレンジ」などというものはないのではないかと思えます。まずは、チャレンジする側が失敗したっていいんだ、という気持ちになることでしょう。

 同時に傍観者にすぎない我々が持つべきは、チャレンジする人々を温かく見守り、たとえその結果が成功だったとしても失敗だったとしても、よくやったねといたわってやれる気持ちなのだと思います。

 成功も失敗も自分のことのように受け入れられる想像力さえあれば、ちっとも難しいことではないような気もするのですが、今の社会では人々の心から他人のことを思いやる余裕も奪われてしまっているということが想像力の欠如(あるいは拒否)の原因だとすると、解決はなかなか難しいのかもしれません。
# by stochinai | 2005-02-27 23:59 | つぶやき | Comments(0)
 いつも大学の批判ばっかりしている私ですが、今日は思いっきり(?)褒めてみたいと思います。

 昨日の入学試験がJR事故の影響で2時間遅れになったために、日帰りを予定していたかなりの数の受験生が帰れなくなってしまうことになる事態を受けて、大学は急遽、航空券や、JR乗車・特急・指定券の変更や宿泊先の確保のために相談窓口を設置したのだそうです。

 しかも、1教科目の試験が終わった時点で受験生に対して、各種切符の変更の仕方や相談窓口を書いたプリントを配布したという迅速な処置があったようです。

 その時までに、北大当局は航空各社とJRに本来ならば変更不可能な受験パック旅行などを利用している受験生に対しても、無料で変更できるように交渉をしていたといいますから、なかなかの対応だったと思います。

 ホテルに関しても北大生協の協力で確保したといいますから、ほぼ完璧と言っても良いほど素晴らしい対応だったと言えると思います。

 ここからは想像なのですが、この処置に関しては事務系の職員の方々がかなりの活躍をしたのではないかと思われます。

 我々大学の教員というのは、ほとんどの人が研究には自信がありますが、教育に関しては義務だからやりますという程度の人が多いです。まあ、研究と教育まではなんとかできるのですが、それ以外のいわゆる「社会的活動」は苦手な人が多く、今回のような機転を利かせた対応というものはおそらく間違いなく事務系職員の方の主導および実働で行われたものではないかと思います。

 こういうことがあると、大学というものを動かすのに事務という存在がいかに重要であるかがはっきりするのですが、普段は大学というものの主役は教員・研究者であると思われているフシがあります。フシだけではなく、大学の運営方針を決めているのは教員を中心とした教授会や評議会です。今のところ学長も教員ですから、大学の運営は教員がやっていると言っても良いと思います。

 そして、去年まで公務員だった国立大学では、文科省から定員削減の命令がくると、まずは事務職員を削減するということを続けてきましたから、教員の減り方よりも事務系職員の減り方はずっと早かったのです。

 その結果、どんなことが起こってきているかというと、改めて言うまでもないことですが、会計処理や備品や薬品の管理などのさまざまなサービスを、教員自身でやらざるを得ないということになってきています。しかも、我々が自分でやると何がなんだかわからないだけではなく、時間もかかるし間違いも多いということになります。その分、研究や教育に割く時間も減ってしまいます。

 まさに、我々教員が自分の首を自分で締めているということなのですが、そういうことがここまで来てようやく気がつき始めたというところも間抜けな話です。

 人員の削減をしなければならなくなった時に、誰を削減するかということを決める組織が教員だけで構成されているといういびつな運営体制をとっている限り、教員と事務職員のどちらが優先的に削減されるかなどということは、中学生でもわかることだと思います。

 法人化した大学をうまく運営していくためには、事務系の職員も経営に参加していくしくみにしていかないと、単なる差別の問題だけではなく効率的な運営というものも期待できません。

 どうせやるなら徹底的にやってみませんかね、北大だけでも。
# by stochinai | 2005-02-26 23:59 | 大学・高等教育 | Comments(0)
 今日は北大でも入試の2次試験がありました。

 運の悪いことに、朝からJRの札幌-新千歳空港間が貨物列車の故障のため一時不通になり、空路で駆けつける受験生に対する配慮から、試験時間を繰り下げる措置を午前8時に1時間、さらに9時にもう1時間と2回繰り返したため、結局2時間の遅れになりました。

 本来ならば、9時から始まって5時10分までだったはずの試験時間が、11時から7時10分までということになり、受験生は肉体的にだけではなく精神的にもかなり疲れたことと思います。

 ほんとうにお疲れさまでした。

 発表は9日の予定で、その後12日に後期日程の2次試験が行われる予定です。

 何回かいろんなところで言ったり書いたりしているのですが、受験生にも大学にも大きな負担になる、この2次試験というものはもうそろそろ止めたらどうでしょう。センター試験で成績順の振り分けができているのですから、屋上屋を重ねるような学力判定にすぎない前期の2次試験をする意味はほとんどないと思われます。

 後期試験は小論文や面接、総合問題ですから、センター試験とはかなり異なる能力を判定していると思われますので、とりあえず前期試験は願書とセンター試験での選抜、後期試験では今まで通り特色ある試験とセンター試験での選抜ということで良いのではないでしょうか。

 噂によると、今年から試験や採点にかかわる教職員の手当が廃止あるいは縮小になっているのだそうで、時間外の労働(試験監督・採点)に対しては、基本的には代休で対応し旧来のような時間外手当は特例的扱いになっているようです。

 昔は、入学試験というものは、大学にとって非常に重要な行事と考えられており、私が初めて採点業務に係わった20年くらい前には、採点にとてつもないエネルギーも要求されましたが、大学当局からの手厚い慰労もありました。昼食はもとより、数時間ごとに豪華な茶菓の差し入れがあり、夕方まで頑張って採点を続けるような事態に至った時には、特別に夕食までも差し入れられたものでした。公務員の贅沢と思われるかもしれませんが、それは採点の緊張感を維持するのにとても大切なことだったのだと確信しています。

 一方、採点にも2重3重のチェックが入り、最後の事務的点検の段階で配点の矛盾や加算のミスなどが発見されると、全員が再招集されてすべてを再点検させられた記憶もあります。ものすごく古い話しなのでもう時効だと思いますが、そのころの試験にはミスなどというものはほとんど考えられなかったと思います。

 もちろん、時間外の労働に対する手当も、適度に厚かったような記憶があります。

 それが、いつの頃からか採点には昼食がつかなくなり、もちろん夕食など出るはずもなく、大瓶のインスタントコーヒーと乾きものの駄菓子はありますが、あまり食べる気にもならないものばかりです。緊張感もだんだんと喪失せざるを得ないというものでしょう。

 その頃から、採点に対するチェックもそれまでよりは2~3割(感覚ですが)の簡略化が始まったように記憶しています。単なる偶然なのかも知れませんが、全国の国立大学で入試や採点のミスが多く報道されるようになったのも、その頃からだったような気がします。

 そして、今年からは手当も削られ代休での対応となってきました。

 わかるでしょうか。採点する人間の志気を低下させるような状況が作られてきているのです。その結果としてとはまでは言いませんが、こんな状況下でミスが多くなるのは、人情としては良く理解できます。きちんとした対価を支払うことなしに作業させようとしたら、いくら先生でもパワーが出ないものです。

 こうした「人の使い方」がきわめて下手なまま、法人化という会社的経営を始めた国立大学というものが如何に危ういものかということは、この後続々と新聞を賑わせるような結果となって出てきそうな気がして、ちょっと恐いものがあります。

 わかりますか。
# by stochinai | 2005-02-25 21:33 | 大学・高等教育 | Comments(2)

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