5号館を出て

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 私がもっとも注目しているブログの一つ、ガ島通信さんが衝撃のエントリー「いろいろ考えた末に会社を辞めることにしました」のだそうです。

 フリーになって職探しだそうですが、家族の方から「就職先を決めてから辞めるならまだしも無責任すぎる」「甘い!」と厳しく言われましたと言いながら、(笑)などという突っ込みも書けていらっしゃるので、理解はされているのだと感じました。

 理由などはおいおい書いていただけるのだそうで、楽しみ(?)にしていますが、まあガ島さんの今までのエントリーを見ていると、納得のできる理由はあるんだろうなあ、と勝手に想像しています。

 余計なお世話ですが、そんなに大量の軍資金もないでしょうから、早く勤め先が決まるといいですね。

 フリーになるつもりはないとのことですから、まずは警察問題で頑張っている北海道新聞や愛媛新聞などにアプライしてみてはいかがでしょう。松山も良いところでしょうが、札幌も良いところですよ。もし、札幌にいらしたら一杯おごります。(でも、どっちも景気の良い都市ではないですね。)

 ともかく日本にとって必要な人ですから、一日も早い就職活動の成功を心から祈っております。
# by stochinai | 2005-03-04 15:11 | つぶやき | Comments(3)
 何気なくニュース・サーフィンしていたら、えっ!?というニュースに出会いました。

 「ニッポン放送の役員を除く238人の社員のうち217人が3日、『社員一同」として「フジサンケイグループに残るという現経営陣の意思に賛同し、ライブドアの経営参画に反対します』とする声明を発表した」とのことです。

 たとえば「人を殺してはいけない」とか「自然を大切にしましょう」とかについて、238人に意見を聞いたところ、217人が賛成したというのならわかります。あり得ることだと思います。

 しかし、今回の問題のように世論でも意見が割れていることに関して、ある集団で90%以上の人が同じ意見というのは、どう考えても気持ちが悪いと思います。

 しかも、その会社の社長が特定の意見を持っていて、今回の「社員の総意」がその社長の意見と同じというのがますます気持ちが悪いです。

 最後のところに事実の見える文章がありました。(記者の良心でしょうか?)「ニッポン放送には労働組合がなく、50年を超える同社の歴史で初めての社員総会を2日午後6時から開き、全会一致で声明の発表を決めた」というところです。

 つまり238人のうち、賛成しなかったのはこの社員総会に(たまたま?)出ていなかった人だけということなのでしょう。つまり、反対意見はゼロということです。

 この総会では反対の声がでなかったということになります。冷静に考えると、出せなかったということでもあると思います。

 投票をしたとは書いてありませんので、この「全会一致」も「反対意見はありませんか」とか「こういうことで良いですか」と訊いて拍手かなんかで賛意を問うたか、あるいはそれすらなく「異議なしと認めます。よって全会一致で可決します。ありがとうございました」という、我々が良くお目にかかる典型的な「シャンシャンと手打ちをする日本の会議」だったのではないかと想像されます。

 誰が見ても、これは会社によるやらせと思えるでしょう。だいたいが、200人を越える従業員がすべて社長と同じ意見を持っている会社なんてあるはずがないと思います。

 いわば踏み絵の形で反対を封じた上で、「社員の総意」をでっち上げるために行われたと思われる大政翼賛の「社員総会」は、不当労働行為にならないんでしょうか。弁護士さんの意見を聞きたいものです。
# by stochinai | 2005-03-03 20:17 | つぶやき | Comments(10)

生物の合目性

 ばかぼん父さんのエントリー「生物」の原則で、「生物」についての感想を述べておられます。

 「生物分野は、なじみの少ないモノの名前が多く出てくるので、暗記モノと思われがちだが、実は一貫した大原則が存在している」という視点は、生物学をやっているものとしては、とてもありがたいものです。

 暗記物などと言われていたのは、生物学をきちんと理解していない受験生と、生物学を理解していない出題者がたくさんいた過去の物語だと思っています。

 もちろん今でも、そうした過去を引きずっている例はたくさんあるのだと思いますが、少なくとも生物学の学問の現場では、進化の原則はかなり普遍的なものとして理解されるようになってきています。

 「生物の身体は環境に適応するように長い時間をかけて進化してきているから、合目的にできている」という感想は、そんなに間違っているとは思わないのですが、合目的にできているはずの生物のからだがいろいろな不都合を持っていることもまた事実です。

 たとえば、直立して2足歩行するようになったヒトが、そのために腰痛や難産を抱えるようになったのは、どうみても良いことばかりの「合目性」だけでは説明できません。同様に言葉を話すようになったヒトが、喉の奥で気道と食道を共有しているために、お年寄りが餅を喉につまらせてしまう事故が起こるようになっていることも困ったことです。(言葉を話せないチンパンジーや赤ちゃんはものを食べながら息をすることができます。)

 「その仕組みがいつ頃出来たのかによって違うので、ややこしいことになる。そのややこしさが『面白い』」という指摘はまさに生物学のおもしろさを言い当てているのだと思いますが、そのおもしろさを楽しむことと、試験で正しく答えることが同義ではないことが悲しいことです。

 技術的には「素直にありのままを見て、どうしてだろうと考えれば、正解になるようにできている」という現実の試験問題に対する対策もそこそ事実でしょうから、まずは試験をクリアしてもらってから、その先で生物学を楽しんでもらえれば文句はありません。

 でも、やっぱり試験が学問をゆがめていることは否定できませんね。困ったもんだ。
# by stochinai | 2005-03-02 22:35 | 教育 | Comments(2)

今日二つ三つ朝顔の通り道          稲畑廣太郎


by stochinai