5号館を出て

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 秋から始まる科学技術コミュニケーター養成ユニットの講義計画構想ができつつあります。

 もちろん、これから決まる特任スタッフが中心となって多くのカリキュラムが構成されることになるのですが、それ以外にも様々な現場で活躍中の方をお呼びして非常勤講師となっていただく多くの方々の他に、私を含む我々北大に散在するスタッフもそのお手伝いをすることになっています。

 特任のスタッフや非常勤の講師の方々の詳細はまだ発表できる段階ではありませんが、非常に期待のもてる陣容になること間違いなく、正直にいうと「教育」側で参加することになっている我々のほうですら、何かを教えてもらえるのではないかとひそかに楽しみにしているくらいです。

 そんな中で、専門以外に科学技術コミュニケーター養成のために私ができることなどあるのかと思っておりましたが、カリキュラム編成スタッフの方から「ブログ・コミュニケーション」というテーマで何かやってみろという指示がありました。

 ブログなどという、まだまだ定義すらもはっきりしていないメディアによるコミュニケーションですらも積極的に取り込んでいこうというのが、このユニットによるプロジェクトの特徴であり、「何か新しいこと something new」が立ち上がっていきつつある現場の空気のようなものを感じさせてくれるところでもあり、そんなのできるのかと思いながらもなんだか楽しい気持ちになりました。

 さて、いわゆる「サイエンス・コミュニケーション」に対する大きな勘違いの一つが、それを単なる広報活動だと思っていることです。科学が正しく人々に伝わっていないから、科学技術に対して市民の正しい理解が得られず、時には過剰なる信頼があるかと思えば、異常とも思える反科学的運動が起こってしまうので、そうしたことを防ぐために科学する側(科学者)あるいは科学させる側(行政)から市民に対してわかりやすく科学技術を伝えることがサイエンス・コミュニケーションなのだという理解は、おそらく50点以下しかもらえない解答です。

 我々が考えるサイエンス・コミュニケーションとはあくまでも双方向性を持ったものです。科学者が自分の伝えたいことを一方的にわかりやすく伝えるだけではなく、科学者に対しても市民が科学について知りたいと思っていることが伝えられるということが非常に大切です。科学者が知らせるべきだと思うこと以外に、市民が知りたいと思っていることを知らせる。場合によっては、市民が知りたいと思っていることがまだ研究されていないこともあるかもしれません。その場合には、新しい研究テーマが生まれることになります。

 ともすると科学者は自分の興味のおもむくままにテーマを選び研究しがちですが、そのテーマを設定する時に多くの市民が知りたいと思っていることを情報として与えられることが研究テーマの決定に大きな参考になることは間違いありません。科学者とて人間である以上、多くの市民が知りたいと思うことを自分の研究で明らかにできることに大きな満足感と誇りを得られるものだと思います。予め市民とのコミュニケーションをとることができるならば、そうした情報を考慮しながら自発的に研究テーマを決めることができることができるというメリットがあります。こうしたシステムができあがると、研究の自由と市民の権利を研究が開始される前に予め調整する場にもなり得ます。

 こうした科学者と市民の情報流通を促進する道具の一つとしてブログの持つ潜在能力は、想像以上に大きなものになるかもしれないと、日々ブログしていて思います。

 科学技術コミュニケーションとブログという「講義」(私としては受講生とワークショップ形式でともに学んでいきたいと思っています)では、そんなことを考えながらどのように実践していけるかということを考えてみたいと思っています。まだ中身について何も考えてはいませんが、ちょっと楽しい夏休みの宿題かもしれません。
 
# by stochinai | 2005-07-17 23:56 | 大学・高等教育 | Comments(14)

今日の庭

 ことしはナツツバキがたくさんつぼみを付けています。毎日のように咲くのですが、一日でボトリと落ちてしまいますので、木全体が満開になることはありません。「花の命は短くて」を地でいく花です。
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 ベリーが色づき始めました。食べてもぜんぜんおいしくない実ですが、透き通った美しさに、何度見ても息をのみます。北海道では昔から、これによく似た緑の大粒の実をグズベリと呼んでいますが、グースベリーがなまったものだと思います。こちらは近縁のレッドカラントだと思います。
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 ひっそりと咲くドクダミもなかなかいい味を出しています。
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# by stochinai | 2005-07-16 16:27 | 趣味 | Comments(0)

朝日新聞自殺特面

 今朝の朝日新聞に、異常に多くなって高止まっている日本人の自殺に関する3人の方の論評が載っています。

 すでに語り尽くされた感はあるのですが、読むたびに心が痛むので、一部を転載しておきます。

 芹沢俊介さん

 「緊張度の高い社会は自分のことで精一杯で他人に構ってはいられない。自己責任の考え方もある。さらに自分が他人に救いの手をさしのべなかった分、自分が苦しくなった時には助けて欲しいという声を上げられないという悪循環が起きている。今は甘えを全否定する社会なのだ。」

 全員が落ちていく救われようのない悪循環というのは、宗教関係でいうところの末世、末法、ハルマゲドンということに似ているでしょうか。納得がいくとともに、とても恐ろしいと感じます。

 これを読んで、自分で書いた「デフォルトがいじめ」と通じるものを感じます。

 「だが、『もういいではないか』と誰かが声を上げなければならない。」

 そうだと思います。でも「誰か」ではなく、声を上げられることのできる状況にいる人すべてが、小さくても構わないから声をあげましょう。みんなで始めることが大切だと思います。私もこれを書いていることで、聞いていてくれる人がいることを信じて、小さな小さな声を出しているつもりになっています。

 高橋祥友さん

 「『自殺予防なんてできるのか』『死にたいと言っているのに止める権利があるの』。そんな発言を時折耳にする。

 自殺を『自由意志で選んだ死』と見る人は多い。だが25年間精神科医をしていても百%医師を固めた『覚悟の自殺』や『理性的な自殺』は見たことがない。」

 「その意味で自殺は『強制された死』と言える。」

 自殺を強制する社会の一員でいて、心安らかでいられる人はいないと思います。社会を変えるのは我々ひとりひとりの責任です。
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# by stochinai | 2005-07-16 16:05 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai