5号館を出て

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ロップイヤー・ラビット

 連休の谷間の月曜日ですが、なんだか最近は曜日感覚がはっきりしなくなっています。いけないことだと思っています。スローに生きなくちゃ。

 今朝、大学へ来てみるとゴミ捨て場付近の芝生の上に野良ウサギがいて、のんきに草を食べていました。

 長い耳が首の下まで垂れている南方系の顔をしているので、北海道にいるエゾノウサギであるはずもなく、冬が近づいて捨てられてしまったペットではないかというふうに見えました。

 なんとなく全体に汚れており、少なくとも数日間はこのあたりをさまよっていた感じがします。研究室の学生などにメールで連絡をしておきましたら、午後になって自分でもウサギを飼育しているM本と、自分でも赤ちゃんを飼育(?)しているT尾のふたりが、ウサギを発見・回収してきました。

 意外とというか、当たり前というか人に良くなれていて、飼育室に入れたら暖かいのか(外は夜は零下になります)、うつらうつらと眠ってばかりいます。お腹も空いているらしく、どんなエサでも良く食べます。美男子ではないですが、愛嬌のある顔をしているので、そのうちもらい手も見つかるでしょう。

 さて、今日は痛快なニュースが入っています。朝日のチリ大統領、ブッシュ氏警備担当者に激怒 晩餐会中止にと、毎日の米チリ夕食会:米側の警備強化要求で「格下げ」にをご覧下さい。

 よその国に来てまで、自分の国でのやり方をゴリ押ししようとするアメリカのやり方に、南米チリの大統領が怒りまくって「あんたの歓迎パーティは中止!」と宣告したのです。

 貧乏でもプライドの高い国の政治家は、やっぱり違いますねえ。中道左派政権だからという説もありますが、そんなことではなく独立国はどのようにすべきかということを心得ているように思えます。

 こういうのを「普通の国」というのであって、戦争ができる国とか徴兵制がある国とかになることは、決して普通の国のあるべき姿だとは思いません。

 まずは、国際的プライドの回復からやりましょう。K泉君。
# by stochinai | 2004-11-22 17:26 | つぶやき | Comments(0)

AO入試

 これは22日になってから書いています。

 北大理学部でも21日に、生物科学科、化学科、地球科学科AO入試の二次選抜が行われました。

 普通の入試ならば来春まで進路が決まらないのに、今の時期に入試が行われて決まるとすれば、残りの高校最後の生活をかなり充実したものにできるに違いありません。もちろん、無駄に過ごしてしまう可能性もないとは言えませんが、意志のある人にとっては、大学進学が確約されての数ヶ月、読書をしたり自由な勉強をしたりと、普通ならば受験勉強最後の追い込みのつらい時期を、有意義に過ごすことができるに違いありません。

 でも私は、前からAO入試ということに違和感を感じておりました。

 AO(admission office)が、大学入学者を決めるというのはアメリカでは古くから行われていることのはずですが、入試があるという話はほとんど聞いたことがありません。

 高校生は、自分の高校までの業績(勉強だけではない)を大学のAOに送り、大学のAOでは送られてきた資料と独自に調査して集めた情報で入学を許可するかどうか、あるいは奨学金を出すかどうかなどということを審査してくれるという制度だと理解しています。

 たとえAOがやっていても、一発勝負の「試験」をやるのなら、一般入試とそれほど大きな差があるとは思えないというのが、私の疑問の出発点です。

 もちろん、一般入試よりも試験科目が極端に少なく、プレゼンテーションや面接試験なども取り入れられているでしょうから、一般入試とは異なる人材が合格する確立も高いと思います。それはそれで、評価できる事柄です。

 なぜ試験をやるかというと、やっぱり大学側のリソース不足なのだと思います。アメリカの大学のAOは、どちらかというとプロスポーツ球団のスカウトのようなものを想像すればわかりやすく、大学に入りたい人間と言うより、大学が欲しい人材を捜し出して、入学をお願いするための組織だと聞いています。

 それをやるためには、人とお金と時間が必要で、たくさんの専門の職員が全国の高校を歩いて回って、大学で欲しい人材を発掘して歩くことをやらなければならないと思います。

 今の日本の大学の進学者選びでは、ほんの数名の教員が持ち回りで入試委員(要するに、教育研究の合間のパートタイム業務です)をやっているのが現状ですから、試験をせずに人材を見つけるなどということはとうてい不可能なのです。

 ですから、名前としてはAOがやるのに「入試」という形を採らざるを得ないという現状は理解できます。しかし、大学教育を根底から変えようと思うのなら、入試を全廃してAOが責任をもって入学者を選び出していくという制度に変えるということも真剣に検討して良い時期がきていると思っています。

 北大は国立大学法人なのですから、納税者である国民の皆さんは意見を言う権利があります。入試制度に関しても、採る側の論理ではなく受ける側の論理を主張してください。とは言っても、大学のホームページにご意見メールコーナーすらないのも、問題ですよね。
# by stochinai | 2004-11-21 17:26 | 大学・高等教育 | Comments(0)

まっとうな意見

 今朝の朝日新聞の「声」欄に、しごくまっとうな意見が載っていました。

 愛知県の64歳無職の加藤さんという方の「派遣の議論はまず総括から」です。

 イラク派遣延長の議論の前に「この1年間、どれだけの税金を費やし、いかほどの人道支援ができたか、その実態をきちんと総括した上で延長の是非を問うべきだ」という意見です。

 先日の某国首相の「自衛隊が活動しているところが非戦闘地域だ」という答案が0点または1点ならば、この人の意見には95点以上をあげたいと思います。非の打ち所がほとんどありません。

 「どんな成果があったのだろう。給水ダムはできたのか。水道施設は完備したのか。住民の生活道路はどう整備されたか。病院や学校はどれだけできたか」などは私も是非とも知りたいところです。

 もっとも、失敗した政策の成果などについて政府が発表したがらないのもわかるので、こうしたデータの公表はジャーナリズムおよび野党の責任なのでしょう。

 最近の野党やマスコミは自分でデータを集めるということがきわめて苦手のようで、政府の発表するデータをもとに意見を言ったり、提言をしたりすることが多いので、政府がデータを選択して発表する状況ではまさに赤子の手をひねるようにもてあそばれているように見えるとまで言うと、言い過ぎでしょうか。

 それにしても、今回の投書のようなきわめてまっとうな意見が国民の声として政治を動かす力になることが感じられない昨今の日本の状況を考えると、投書する人もあまり力が出ないかもしれません。

 まあ、新聞の「読者の声」そのものも、新聞社が意図的に作っている「記事」であるという声もあるので、読んでいる方でもこれは国民の声と言うより、作られた新聞の記事のひとつとして現実感なく読んでいるのかもしれませんね。

 う~ん。なんだか、四方八方閉塞感が漂いますね~。
# by stochinai | 2004-11-20 17:27 | つぶやき | Comments(0)

今日二つ三つ朝顔の通り道          稲畑廣太郎


by stochinai