5号館を出て

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「会議と書類の大学」はおとぎ話ではない【追記:種明かし】

【追記】
 mamekichiさんが、どうして大学が「会議と書類の館」になっているかの種明かしをしてくださっています。関係者および、関心のある方は必読です。でも、これを読むと大学に就職したい人が確実に減りますね。
【追記ここまで】

【追記2】
 ちょうど良いタイミングで財団法人大学基準協会発行の広報誌【じゅあ】第41号がホームページに掲載されたというメールが届きました。
 【じゅあ】第41号pdfファイル
 その9ページ目に事務局からのお知らせがあるのですが、「今の状態では提出資料作成などで大学の負担が大きいので、2009年度から適用する評価項目に対して、『細項目を382項目から約260項目に精選化』した」と書いてありました。それぞれの項目について全教員の過去何年か分の資料を要求していることを考えると、ちっとも減った感じがしませんね。
【追記2ここまで】

 「内田樹の研究室」の26日のエントリー「会議と書類の大学」を大学関係者でない方が読むと、現実をデフォルメしたとてもおもしろい「おとぎ話」に思えるのではないかと不安になりました。

 そこに書かれていることは、笑い話でも誇張でもなんでもありません。しかし、私が読んでいても、まさかこれほどひどいことはあるはずがないと思えるのです。事実を淡々と書いているだけなのに、あまりのばかばかしさに本当のことのようには思えないという、現実の大学で起こっていることであることをどうやって伝えたら信じてもらえるのでしょうか。私も、自分がその内部に身を置くものでなければ、「やっぱり内田さんは話がうまいなあ」と笑いながら楽しんでしまったに違いないと思います。

 今ならネットでも読める、枕に使われている中村桂子さんの毎日新聞の記事「私の提案:毎日新聞・大阪発行120年 JT生命誌研究館館長・中村桂子さん」くらいならば、まだ信じてもらえるのかもしれませんが、次から次へと語られる内田さんの言葉は、まさに笑い話にしか聞こえません。
来週私どもの大学ではある評価機関による実地調査がある。
・・・
文科省や大学基準協会が推進している「アクレディテーション」というのは「この大学は100%まっとうな大学です」という質保証をすることである。その質保証ができない大学は「まっとうではない大学」と見なされる。
つまり、「推定有罪」である。
だから、検査項目は無限であり、検査時間も無限になり、私たちが書かされる書類も無限に増えてゆく。
だが、大学はそのもてるすべてのリソースを「質保証」に注ぎ込んでもそれでも「これまで質の高い教育をしてきたし、これからもするであろう」という事実を証明することができない。
・・・
子どもがぴいぴい泣いているのを放っておいて、「子どもをちゃんと育てていることを証明する書類」を書いている親や、殺人事件が起きたときに、デスクにかじりついて「凶悪犯をきちんと逮捕していることを証明する仕事」を書いている警察官が不条理な存在であるということは誰にでもわかる。
だが、私たちは現にそのような「カフカ的不条理」のうちに投じられているのである。
 私の所属する部局でも「ある評価機関による実地調査」が予定されています。そこで要求されている自己評価資料の検査項目は、まさに「無限」であり、項目を読んでいるだけで気が遠くなります。しかも、この評価によって得られるものが大学の「推定有罪」であることも確信的に予感できます。

 自分を有罪にするための書類を作り続ける行為は、まさにカフカの世界そのものです。

 すべての大学が「推定有罪」になることは、一見フェアなことに思えるかもしれませんが、どんな大学も否定されるべき理由を持っているのですから、どの大学を残しどの大学を捨てるかということに客観的指標がなくなることも意味します。つまり、政府・文科省が思うままの判断をすることが可能になるというわけです。素晴らしいやり方ではありませんか。

 研究・教育に割くべき貴重な時間とリソースを、自分たちが所属する大学を「推定有罪」にするための自己評価書作成に注いでいる我々はいったい何をしているのでしょう。

 大学を評価しなければならないというのであれば、第3者機関からしかるべき専門家を大学に派遣して何年かかけて調査すべきでしょう。大学を評価するといいながら、そのほとんどのものを「自己評価」に委ねているというような大学評価方法は、とても評価の名に値するものとはなりません。その怪しいものを作るために、膨大なエネルギーと時間を注ぎ込まなくてはならない大学は、いったい何を期待されているのでしょう。

 もはや日本の大学はアカデミアと呼ぶことさえできない存在になってしまっているのかもしれません。中村さんのおっしゃるように「今のままだったら20年、30年後もノーベル賞級の業績が出るかどうか疑問」ですし、内田さんがおっしゃるように「中村先生の「このままでは日本はダメになる」という見通しに私も賛成である」に、私も一票を投じます。

 かつての「研究と教育の大学」は、今や「会議と書類の大学」です。と言いながらも、目の前にある自己評価書を作らなくてはなりません。やれやれ。
Commented by 地方教員 at 2008-10-27 22:52 x
実際には「毎日の授業では出席簿で誰が欠席し遅刻したかを管理し,授業実施報告書にて報告しなければならない」とまで書いたら,一般の方々には信用してもらえないでしょうね。
Commented by koya at 2008-10-28 01:59 x
いつも拝見しています。
工学系のJABEEや、企業で言うところの、ISO○○とかのマネジメントシステムの認証みたいなものでしょうか?
だったら(今すぐどうにかなるものではありませんが)、企業の多くがそうしているように、書類書きのプロであるコンサルをやとって、監査してもらって、指摘されたとおり書類を作れば少しは楽できるような気がします。もちろんコンサルに丸投げというわけにはいかないでしょうが、めんどくさい部分は研究者自らが頑張る必要はないと思います。
結果よりも継続的なプロセスが問われるのですから、どこの教育機関でも用意する書類は基本的に似たようなものでしょう。ニーズさえあれば、大学コンサル業がすぐにでも新ビジネスとして立ち上がると思います。(お役人の天下りの巣になるかもしれませんが)
Commented by ogaga at 2008-10-28 02:23 x
地方教員さん

私の働いている、中学生向け学習塾でも同じことをしています。
いまや大学生の教育は、中学と同じレベルにまできているということですか。
Commented by mamekichi at 2008-10-28 10:36 x
先生と、内田先生のブログは、毎日拝読しています。触発されて、評価を受ける側と、評価をする側と、両者を経験した立場で、たわいもない与太話を書いてしまいました。お暇があれば、斜め読みしていただければ幸いです。
Commented by habichan at 2008-10-28 11:16 x
学生の、自分の不勉強を棚に上げた「内容が理解できない」という評価に、知り合いが怒っていました。
書類さえそろっていれば良しとする、文部官僚にどこまで振り回されるのでしょうね~
Commented by mamekichi at 2008-10-28 12:27 x
トラックバック、ありがとうございました。私自身は、法人化前の、学部設置から大学院博士前期課程設置までの間に、実に多種多様の仕事を与えられ、最後に、外部評価と、認証評価でだめ押しをされ、体調を崩して、うつの診断が下されました。それ以来、4年半、回復は思わしくなく、現在は休職に至ってしまいました。こういう教員も、私一人ではないようで、私の先輩にも複数あります。
療養していても、今の大学の状況では、どうしても戻ってやる!という強いモチベーションがわいてきません。本務校では、大学院を昼夜開講制でやっているということもあり、また、際限なく働かされては、人生が終わってしまいかねない、と思ってしまいます。
ご同業の教員の皆様には、くれぐれもご自分のご健康を第一にされることがよろしいかと存じます。
Commented by stochinai at 2008-10-28 13:00
 mamekichiさんのお話しは、とても他人事とは思えません。私も何人もの例を見聞きしています。特に良心的な方ほど精神的に負担が強くなっているのです。
 「税金を使っているのだから評価を受けて不適切なことがあれば正すべき」という意見は常に正しいのですが、その「評価」と評価によって行われる「改革」が正しいかどうかを判断してくれる「裁判所」も欲しいところです。
Commented by suimye at 2008-10-28 15:15 x
いつも拝見させていただいております。大学の非常勤職員一年生のsuimyeと申します。皆様のコメントなど拝見いたしまして、とてもごもっともなお話。
最後のstochinai先生の意見に非常に賛同で、我々が我々の研究を評価され、研究費を決められるように、文部科学省の科学政策を我々科学の専門家が採点・お互いに議論する制度があれば良いのかもしれないと思いました。我々からの研究に関するプレゼンはあっても彼らのお仕事からのプレゼン、業績報告など一切受けた事がないように思ってしまうのですがそのような制度はあるのでしょうか(彼らも税金で政策を行っておりますよね)。もし、彼らの仕事に不適切な評価がくだされれば、我々が科研費を削られるように文部科学省の様々な運営費も削られるべきではないでしょうか。すこし論点が違うかもしれませんが、そんなことを感じました。
Commented by D at 2008-10-28 15:36 x
それは民主国家では普通、政治家を通じて行われる作業なんですけどね。
Commented by 大学側が認定機関を作るのは? at 2008-10-28 22:15 x
評価する側のロジックとしては、大学とか大学院という名称を使う以上は(法的規制・国や自治体の予算投入もあるわけだし)一定以上の水準を保つ必要があり野放しにはできない、ということだと理解しています。

このロジック自体はそれなりに真っ当だと思いますから、大学側でアクレデーション団体を立ち上げて運用し(当然、内田先生が書かれているような研究教育系の特性を前提とした評価ができるはず)、官製認定機関の介入を排除できるだけの実績を残していればよかったような気がします(部外者の無責任な書き込みでなんですが)。
Commented by 大学にはいませんが、、、 at 2008-10-28 23:01 x
大学ではない研究機関にいるので部外者ですが、、

独法化後は、省庁が強大な許認可権を握っています。大学が認定機関を作ることは、国立大学の時代なら、可能でしたが、今は難しいでしょうね。

大学評価への対応で、無意味な時間を取られるのは事実です。また、日本の未来が不安なことも事実です。これらは変わって欲しいと思います。私の職場も同様ですから。。。

ただ、敢えて言わせて貰うと、給料を貰っているのに、心の病になるほど辛いなら、大学を辞め、予備校講師など、別の職へ転職しては如何でしょうか?心の病の源も消えます。大学のポストへ就けないポスドクが見たら、贅沢な悩みに思うでしょう。職を辞しポストを空ければ、悩みも解決し、別な人が報われますよ。

もし、それを望まないなら、石にかじり付いても、頑張るべきです。既得権にしがみつくだけでは、ポスドク達に示しが付かない気がします。
Commented by 一言 at 2008-10-28 23:22 x
>職を辞しポストを空ければ、悩みも解決し、別な人が報われますよ。

その別の人も心を病み、また別の人が採用されて心を病む。
誰もが心を病む職場を目指す若者はいなくなり、
そうして知的資源は失われ、日本の高等教育と研究は衰退していく。。。
Commented by ほげ at 2008-10-28 23:29 x
面白いエントリーありがとうございます。本筋とは直接関係無いのですが、任天堂の首に縄をつけられないことというエントリーを思い出しました。
任天堂という企業に、政治家も役人も入り込めないというエントリーです。
ゲームには許認可も補助金もありません。そのため、役人の為の無意味な書類を書くこともありません。
結局、許認可や補助金でがんじがらめにされてしまえば、訳の分からない仕事でもやらざるを得ないということなのでしょう。
これから、10年後、大学で無意味な書類を書く作業は増えこそすれ経ることは無いでしょう。
よく大学の自治といいますが、多分、本当の自治とは理念ではなくて、大学自らの財政基盤を持つことに他ならないのかも知れませんね。
Commented by stochinai at 2008-10-29 00:00
>本当の自治とは理念ではなくて、大学自らの財政基盤を持つことに他ならないのかも知れませんね。
 まったく、おっしゃるとおりだと思います。ただし、商業理論で財政基盤を持つことはほぼ不可能に近いので、別のビジネスモデルが必要ですね。
Commented by M at 2008-10-29 11:55 x
昔の利権もとい理研はタカジアスターゼなどの特許や発明で、相当裕福だったと聞いています。戦後のGHQによる指導で理研光学(リコー)、理研ビタミンなどの会社は独立させられた様です。似た様に、現在の大学も自前で研究費用を捻出すべきなのでしょう。文系の方は本を書き、理系の方は何か発明、特許をとるとか。
Commented by alchemist at 2008-10-29 11:55 x
規制緩和で入り口(大学設立)を緩めて、その後の監視を強くするという一連の流れの一つなのでしょう。ここでも、入り口の監視よりも遥かにコストのかかる途中の監視のコスト負担が完全に無視されています。で、取りあえず教員や事務方の負担で何とかこなしてしまおう、となっているのでしょう。
評価室員だったときに、評価っていうのは眠っている教職員を起こせば成功なのだから、普通にやっている2/3のヒトは対象外になるように制度設計しましょう、と提案しましたが、全く相手にされませんでした。
もう一つ、評価でおかしいのは建物を立てるという計画があったとして、それを立てたら評価としては満点なんですね。立てた建物のユーザーが建物をどう評価してるかなんて、お構いなし。同じく、共通経費で入れた大型機械の利用状況を評価しようという提案も却下されました。
2年だったかの任期満了でやめましたので、今どうなっているかは存じませんが。
Commented by suimye at 2008-10-29 13:52 x
お昼休みに覗いてみました。何と言いますか、ごもっともです。
発言の責任で軽くコメントバック。
大学側が認定機関を作るのは?さんのロジックは実にその通りですね。その点を疑っている人もいなければ、評価を受けるからこそのやりがいもありますよね。
ほげさんの任天堂も面白いですね。"開発"という工学的な側面はハイリスクハイリターンの事例をよくききます。無意味な作業・制度が増えるのは、某大型家電メーカでアルバイトをしていたときに、ああ、会社も大きくなるとこんな変な制度と、体質ができあがっていくんだなあと感じていたことを思い出しました(笑。
>大学自らの財政基盤を持つことに他ならないのかも知れませんね
は、まさにと思います。私大で働いていたころ"医学部で稼いだお金がここ(基礎)にくるから、患者様をはじめとするお客さま達にいかに親切な対応をして病院運営を盛り上げよう"なんて動きもありました。
最後のalchemistさんのお話もまったく然りで、理解不能な評価指針が沢山あるように私は思います。alchemistさんの提案は実に面白いです。alchemistさんのような評価室員がまだいるということは、alchemistさんが勤めている機構(?)の懐の深さを感じます。
Commented by ??? at 2008-10-30 01:21 x
大学が独自の財政基盤を持てば、自由度は増します。社会もそれを求めています。しかし、「一般の人や企業がお金を出しても良いと思う何か」が必要でしょう。

> 現在の大学も自前で研究費用を捻出すべきなのでしょう。
> 文系の方は本を書き、理系の方は何か発明、特許をとるとか。

果たして、研究費用が捻出できるほど売れる本を書いた文系の先生はどれほどいるのでしょうか。売れる発明や特許を持っている理系の先生はどれほど居ますか?

そもそも、応用を見据えた研究で、国際特許をとった先生はどれくらいいますか?

もっとハードルを下げて、個人の教授の立場で、企業10社に10万円の寄付をお願いし、毎年100万円の寄付を継続して集められる人はどれくらいますか?

どれもいなければ、机上の空論ではないですか。
Commented by 一言 at 2008-10-30 01:25 x
>私大で働いていたころ"医学部で稼いだお金がここ(基礎)にくるから、患者様をはじめとするお客さま達にいかに親切な対応をして病院運営を盛り上げよう"なんて動きもありました。

日本の医学部で儲かっているところなんてあるのでしょうか。
医学部教育はもちろん大学病院も大赤字で、総合大学なら他学部の学費をつぎ込んで経営しているところが大部分(単科医大は高い学費で運営)でしょう。
Commented by 高等教育で稼いでいるのでは? at 2008-10-30 06:26 x
たしかOECDの研究者数統計では大学教員は平均0.5人換算で、それは教育を担当しているからだったと記憶しています。
www.mext.go.jp/b_menu/houdou/15/11/03110601.htm
ということで、社会的に高等教育は必要という前提がある(実はなかったりして)以上、その分の稼ぎを含めないとフェアじゃない気がします。逆に言うと研究(の定義にもよりますが)だけで食べていきたい人(組織)に対しては???さんのロジックは正当でしょうね。

それから、医学系については、附属病院が赤字の大要因だそうで、経営的観点のみからすれば、附属病院を大学から切り離せば、けして医学部教育そのものが大赤字ということはないようです。
medical.nikkeibp.co.jp/inc/mem/pub/series/kikou/200612/502076.html
Commented by ??? at 2008-10-30 07:55 x
では教育で、政府の資金から離れた独自の財政基盤を築くのですか?

学費を上げますか?例えば、アメリカの私立大学なみに年間で500万円とか。。
Commented by alchemist at 2008-10-30 12:09 x
米国の大学だって政府からのお金は随分入っていますよ。
私のいた私立大学では予算の1/3が寄付金、1/3が大学基金の運用益、1/3が国からのお金でした。州立大学の場合はこの大学基金の運用益の代わりに州からの予算が来るわけです。小規模ながらノーベル賞が20人以上出ているような大学でしたが、特許からの収入は微々たるもので、企業等からの寄付金の額とは比較になりません。小規模な病院も政府からの大型研究費があってはじめて運営できていました。
学費のない特殊な大学だったので、通常の私学とは少し異なりますが、通常の私学だって基金の運用益、寄付金、国からのお金で予算の3/4は賄っているのではないでしょうか?
Commented by 高等教育で稼いでいるのでは? at 2008-10-30 18:22 x
部外者なので机上の空論ですいませんが、教育(や医療)に政府資金(税金)が投入されること自体は当然の話なので、その総額が足りないという話と分配がおかしいという話があるわけですよね。で、たとえば教育バウチャーあるいは(ローンでない)奨学金みたいな形で授業料経由で政府資金を受け取るような枠組みがもし可能であれば、結果としての分配については現在の政府直轄システムよりは大学側も評価結果として納得がいったりしないですかね、と思ったりしたのですが、まあ一般人は政府よりさらに信用してもらえなさそうな気もしますね。だいぶずれた話になって失礼。
Commented by 田舎教師782 at 2008-11-01 01:46 x
内田先生の文章、いつもながら良く書けてますね。

煩瑣な形式が自己増殖して本来の目的の障害になるまでに至る、と言うのは官僚機構に普遍的な法則のようなものです。これは文科省自体もそうですし、大学組織、我々大学人自身もそうです。科研費の申請に、エフォート40%とか入れようとして、ふと考え込んでしまいました。いったい自分はなにやってんだろう、と。多分30%は教育(院生論文指導、講義、研究室運営)でしょうが、30%位は「大学の管理運営の雑用」つまりは研究教育のための間接的作業です。いや実際は30%ー20%ー50%暗いかもしれません。

私の勤める部局は10数年前に新しく出来たところで、出来て最初の3年くらいは、今思っても一種の学問の楽園で、当初は50%ー40%ー10%位でした。特に管理運営がお粗末と言う事もありませんでした。その後会議だけとってみても、委員会、委員会の部会、部会の諮問機関、諸委員会を統括する委員会、と次々増殖し、それにともなって「なんとか委員長」「なんとかセンター長」「なんとか部会長」やらが増殖し、今周りを見渡すと100人程度の組織に、40人くらいなにがしかの「長」がいます。
Commented by 田舎教師82 at 2008-11-01 01:56 x


それに伴って、本業にかける時間が減ったのでしょうか、この間科研費のデータベースに、大学の名を打ち込んでうちの部局の一覧をざっと出したら、採択数が漸次凋落しているようです。

組織が成熟して、それがある段階を超えると「ビザンチン化」が起こり、組織のヴァイタリティが失われ、活動が形式化形骸化するのは古今東西不変の現象のようです。

いろいろな理由があるでしょうが、根本は各自が「自己の責任でものを決める」という、個人的には精神に負担をかけるスタンスが失われて、「会議で決めて責任を分散する」という安全で容易な道に流れる、というミクロなダイナミクスがあるように、私は思っています。

解決策ですが、委員会その他に「サンセット条項」を導入するとか、いろいろと考えられますが、根本的には10年15年に一度、組織を再編して大掃除するしか無いと思います。
Commented by 田舎教師782 at 2008-11-01 02:05 x
これは文科省自体やJSTにも当てはまるのでしょう。JABEEなどというのは極端な、ジョークのような例ですが、こういうのには、キャリア官僚や旧帝大ボスの天下りの力学もあります。評価機構などというメタな組織、本部に行ってみれば分かりますが、居るのは官学の偉いさんの理事のおじいさんと、文部省出向のほんの数名のわかめの役人さん、それに若い秘書の女性数人と言った感じの一種の養老院で、これを見るだけで、事の本質が明々白々です。

やはりこういうのも、定期的にシュンペーターの言う「創造的破壊」を加えるしか無い気がします。
Commented by 田舎教師782 at 2008-11-01 02:26 x
思うに、ここ15年くらいのネオリベラリズム経済学というか、規制緩和、民営化、市場化、というのは、高等教育部門に関しては「逆さま」に適用されて失敗してるんではないでしょうか。

根本のところで大学というのには市場主義はなじみません。公共財生産の場としての研究教育機関は、市場に任しては育たないので、政府が規制して財政を投入して成り立たせるものだ、というのは当のアダム・スミスも当然と考えていたものです。今日の新聞に、小林益川両先生が、麻生首相と会談して「基礎研究は100年の計であって、これを国家が支援しなきゃ」と盛り上がったと書いてありましたが、心強い事です。

一方で、大学や研究機関、さらにはその管理部門の省庁を運営するミクロの現場で、市場原理による無駄の排除、競争的手法による官僚的無責任の自己増殖の防止にこれつとめるべきなのでしょう。投入とアウトプットだけを中長期的に管理して、中間の実行プロセスは事業体に任せる、という風に根本的に組織を作り直す必要があると思います。そうして複数競争させて淘汰すれば、組織の若さが可能な最大限保たれるのではないかと感じます。
Commented by きびしい意見ですが。。 at 2008-11-01 06:45 x
alchemistさんが米国の大学について書かれていますが、これはロックフェラーとかでは?日本の国立大学と財政を比較するには特殊な気がします。

> 根本のところで大学というのには市場主義はなじみません
> 政府が規制して財政を投入して成り立たせるもの

国費を使うなら、評価は当然です。評価方法に問題はあっても、かつての大学よりマシです。お手盛りの人事、いい加減な講義、いい加減な研究室運営、講座が違えば見て見ぬフリで、泣いた院生は多いです。かつてを知る人には、大学による自主評価は、説得力があると思えません。東大でも酷いもので、教授が、お気に入りの優秀な女学生を修士卒で助手にし、博士を出さず、10年以上も留めた有名な例がありますね。

休職する教員は辞めれば良い。昔の大学で教授に嫌われ消えた院生数より少ないです。評価のストレスはアメリカでグラントをとり続ける精神的負担より楽だと思います。

大学はかつての報いを受けているのではないですか?
Commented by それは「厳しい意見」じゃ無くて at 2008-11-01 10:09 x
上の論点を理解しようともしない、与太話。「大学関係者に苦しみが与えられると良い」という、単なる失敗者のルサンチマンじゃないのかな。。。
Commented by 123 at 2008-11-01 10:33 x
そうですね、ここでは「評価」は仕方ないけど、その内容とかやり方が良くなくて悪影響の方が多いような評価になってしまってるようだから、もっといい評価のやり方がないのだろうかという話だと思いますね。上の方で誰かが言ってるように「眠っている教員を起こす」方法を考えればいいのであって、全員にたくさんの雑用が増えるのはむしろ活力ダウンではというところだと思います。
Commented by 評価システムの選択肢 at 2008-11-01 11:32 x
現行の「評価」システムはどうもよろしくない、というあたりは大学業界内外でわりと意見が一致しているような雰囲気ですが、(実現可能性はさておき)それに代わる(最終的にはお金の話にならざるをえないので定量的な)評価システムとしてどのようなものが考えられるのでしょうか。
たとえば(国立大学に限れば)現状固定で「格」に応じて定額予算を毎年配分という静的な(とくになにも評価しないという評価)システムもありうるわけですけど、大学人のみなさんからしても、もっと動的なシステムがよいわけですよね。
Commented by 現状 at 2008-11-01 12:28 x
大学業界の外では、余り知られていないようですが。。

ここ10年くらいの間に、実際はすっかり様変わりして、何もしないでのうのうと暮らす地方大学の教授というのは、大分稀になりました。(60以上の人はまだ大方そうですが、もうじき消えるでしょう)大学内の経常経費だけでは、研究室の運営もままならず、「研究者」として活動するには、何らかの競争資金をとってこなければ続かないシステムに、既になっていますよ。学内競争資金もありますが、大抵はこれも学外、特に科研費をとってきたものに、いわば「マッチングファンド」として上げると言う風になってきてます。場所によっては教授にも格をつけたり、給料に差を付けたりしています。「かつてのような静的システム」は、実際にはもうほとんどないんじゃないでしょうか。
問題は実施の細部、即ち研究費の水準、監査と成果のフィードバック等です。食後の皿の食べ後だけを見る、で十分なのに、箸の上げ下ろしまで監視しても、無駄なエネルギーなのは、文科も十分わかってる筈です。


Commented by きびしい意見ですが。。 at 2008-11-02 08:58 x
> 「大学関係者に苦しみが与えられると良い」という、単なる
> 失敗者のルサンチマン

申し訳ありませんが、私はアカポスに就いています。それから、
アカポス=成功者、それ以外=失敗者
は、大学教授の本音かもしれませんが、それでは駄目です。

> ここ10年くらいの間に、実際はすっかり様変わりして、何も
> しないでのうのうと暮らす地方大学の教授というのは、大分稀に
> なりました。

確かに今の文部科学省の監査は過剰ですが、過去はなかなか消えません。評価方法の考える前に、なぜ、厳しく、評価されるのか?また、それを一般の人が支持しているのか?考える必要があるでしょう。必ず理由があります。

今は、のうのうと暮らす地方大学の教授は稀ですが、それは箸の上げ下ろしまで監視されるからでしょう。10年前の大学関係者も多く残っています。たとえば、上の書き込みで、

> 科研費の申請に、エフォート40%とか入れようとして。。

年間に複数の研究費に応募するなら、1つの申請書に40%は有り得ないです。科研費しか申請しないなら別ですが。。大学は表面的には変わっても、人は変わっていないと思います。
Commented by 前提が。。。 at 2008-11-02 11:17 x
>確かに今の文部科学省の監査は過剰ですが、
この理由は、上の方のおっしゃるように、単なる官僚主義の暴走でしょう。ここ20年くらいで、学界全体で研究費が増え、この扱いを巡って効率と厳正さの適正なバランスを模索中、というのが実情じゃないのかな。

>評価方法の考える前に、なぜ、厳しく、評価されるのか?
>また、それを一般の人が支持しているのか?考える必要が
>あるでしょう。必ず理由があります。
どこからこのような認識になるのか不明です。一般の方は基礎研究の振興を支持し、研究費の効率的使用に賛成で、官僚主義に反対ですよ。

>今は、のうのうと暮らす地方大学の教授は稀ですが、
>それは箸の上げ下ろしまで監視されるからでしょう。
これもまったく違いますね。もし貴方が赤ポスで、こんな風に感じてるとしたら、なにか苦しい立場にあるのでは(任期制とか)と勘ぐってしまいますねえ。
Commented by 前提が。。 at 2008-11-02 11:26 x
> > 科研費の申請に、エフォート40%とか入れようとして。。
普通に読んで「科研費しか申請しない」でしょう。これから「大学は表面的には変わっても、人は変わっていないと思います。」という結論が出るとは思えません。全体に、最初の書き込み見ても、今回のも、なんか激しく問題意識がずれているような気が。

官僚主義が末期的症状にまで来てて、これをなんとかする必要がある、というのは大学関係者の共通認識と思いますが、どうでしょうかね。その解決策が「大学関係者が今までデタラメヤッタんだから、もっと官僚主義の圧力をかけろ」だというのは、ちょっとどうかと。。
Commented by ホゲ at 2008-11-02 18:49 x
>>よく大学の自治といいますが、多分、本当の自治とは理念ではなくて、大学自らの財政基盤を持つことに他ならないのかも知れませんね。
この文章に関するリアクションがあってうれしいです。
結局、文科省が、許認可権限と、補助金を握ってしまえば、無駄な事務作業ではやらねばならぬのです。
解決策としては、別の金主(企業、市場)などを、狙う。もしくは、事務作業にやたら精通した人(天下り役人)を雇うぐらいしか解決策は無いわけです。
官僚主義が末期的なのは事実ですが、これから10年でこの状況が改善するめどは無いので、さっさと別の場所からお金をひっぱて来た方が、良い気がします。
Commented by mamekichi at 2008-11-02 21:54 x
いろいろと議論が展開していっていますが、精神疾患に対するとんでもない誤解に基づく書き込みもあるようですから、一言だけ。心の病になるのは、精神的な負担だけではありませんし、精神的に弱いからだけではありません。私などのようなうつ病は、過労性のものです。うつ病も、実際になってみれば、単なる心の風邪どころではなく、重症の肺炎火それ以上に苦しい状況になります。こういう点についての誤解だけは、是非避けてくださるよう願いたいものです。
Commented by ええと at 2008-11-03 02:56 x
> 普通に読んで「科研費しか申請しない」でしょう。

研究費の応募は、年に1度の科研費だけですか?
厳しいご時世に、お気楽ですね。
Commented by 一言 at 2008-11-03 23:51 x
分野によっては科研費くらいしか学外の競争的資金はありませんが。
Commented by それでは at 2008-11-04 02:50 x
分野を変えたらいいのでは?
企業やアメリカの研究者は、お金を取るために、大きく研究分野を変えますよね。
Commented by alchemist at 2008-11-04 12:13 x
きびしい意見ですが。。さん
授業料収入がない点は特殊です。荷造りをして手元に本がないのですが、Tu先生が勤務しておられたコロラドの州立大学の財政状況に触れられていたと存じますが、政府からの資金がかなり入っていましたし、基本構造としては変わらなかったように記憶しています。それ以外の大学については、残念ながら資料を持ちませんが、州からの資金あるいは大学基金の運用益、寄付、国からの資金というのが大学運営の大きな柱になっているのは共通ではないでしょうか?
もちろん、米国は強烈な格差社会ですので、研究などできないような大学も多いでしょうし、その場合は事態が異なるでしょうけども。
Commented by alchemist at 2008-11-04 12:54 x
それと、私も評価は必要だと考えています。ただ、評価を動かすための予算も人員配置もない状態で、総花的な評価をやることには疑問を持っています。改革をするにせよ評価をするにせよ、コスト(ヒトおよび資金)は必要となります。そのコストをゼロとして改革も評価も可能であるという幻想に基づいて施策が決定されています。ということで、現場では限られた資源しかないのですから、総花的な評価に資源を投入するのは馬鹿げています。各部局で2/3程度は対象外になるような基準を作って、1/3程度の対象者に「あなたは寝てませんか?」という警告を発することができれば、それで評価を行う意義の9割程度は達成したことになるのではないでしょうか?
Commented by alchemist at 2008-11-04 17:14 x
>分野を変えたらいいのでは?
日本では分野を変えるのは難しいですね。分野を変えたとたん、研究費の取得率が激減します。まあ、その分野をずっとやっているヒトよりその分野に関する業績が落ちるということはあるのでしょうけど、厳しいです。
ちなみにNIH grantだと、自分の持っている技術、方法論を新しい分野に応用するとこういうことができる、という応募は歓迎されますので、一つめは本来の分野で、二つ目は違った分野でという応募ができます。日本の場合は、重複申請の禁止などがあって、制度的に違った分野に出し辛いのが実状です。
もう一つ、10年近く前になりますが細胞工学で研究者に、様々な研究費について、どのくらいフェアーに決まっているか?というアンケートの集計結果が載っていました。文部省の科研費だけがダントツでフェアーという評価(と言っても高々十数%程度)、それ以外の研究費はおしなべて1%未満という結果だったと記憶しています。つまり、分野を変えたヒトが科研費以外を獲得できる可能性は極めてゼロに近いと受け取られているということです。これも、制度的な問題なのでしょうか。
Commented by 無知はおそろしい at 2008-11-04 19:04 x
分野によっては年数100万の科研費だけで十分なものもあるし、それすらなくても研究できる場合だってあります。例えば日本のもっと強い分野である理論物理学なんかその代表です。小林先生と益川先生がノーベル賞の論文書かれたとき、多分科研費なんかなしなんじゃないでしょうか。彼らに向かって「そんな金のこない研究やめて研究費とれる分野にかえなよ」という人がいたら、それは単なる無知なYahoo、野蛮人でしょう。
Commented by それで at 2008-11-04 20:25 x
科研費1件しか応募しなかった奴の研究分野はどうなんだ?
理論系で、ノーベル賞級の論文でも書いてるのかい。。。
1流の他人を使わないと、自分の立場を正当化できないのだろう。。。

前の書き込みは、1流の理論系教授への批判ではないだろうよ。
それから、小林誠さんの高エネ研は日本有数の予算を持つ実験物理の研究所。
Commented by ふれこみ at 2008-11-04 20:52 x
>企業やアメリカの研究者は、お金を取るために、大きく研究分野を変えますよね。

 変えているのは触れ込みの方では。
SDI計画が持ち上がった時、研究費のために皆さんSDI関連を謳っていたけど、実体はこれまでと似たような内容だったという話は?
Commented by 無知はおそろしい at 2008-11-04 23:55 x
全大学研究者で、科研費1件でも恒常的に得ているのは多分2割くらいでしょうね。JSTその他の大型研究費を得ているのはその中のまた1−2割でしょうかね。

「科研費を1件しかえられない」人がいつも分野を変えると、3年ごとに全研究者の7−8割が右往左往。ハロウィーンみたいでさぞ面白いでしょう。

こういうとこでは最低限の事実をふまえて書かないと、滑稽ですね。
Commented by ホゲ at 2008-11-05 01:30 x
米国で、高等教育が強いのは、軍事予算があるからじゃないだろうか?
DARPA・グランド・チャレンジなんかは、予算を得る面白い機会だと思います。レギュレーションをめぐってどのような駆け引きが行われているか知りませんが。

日本だと、文部科学省位しか予算の出し手がいないので、文科省の役人に、雑用を押し付けられたら、断れない。
複数の金の出し手を競わせる位じゃないと、雑用は増えこそすれ減る事は無いんでしょうね。
書類や会議などの雑用が多いと、ぼやくことはできても、じゃあ、どうやったら改善できるのか、妙案はなかなか無いですね。
Commented by alchemist at 2008-11-05 12:19 x
予算の額が全然違います。生命科学に特化したNIH grant(2006年度で約150億ドル)に対し全領域をカバーする科研費(2008年度で1900億円)です。科研費の運営担当者とNIH grantの担当者も一桁以上違います。これに他の科学領域をカバーするNSF grantが加わりますから、差はもっと広がります。絶対額の差が高等教育の強さに反映しているだけです。
それと、日本では通産、厚生、農林などもかなりな大きさの研究費を出していますし、文部省系の科研費以外にも科技庁系の研究費もあります。問題は上に書いたアンケート結果のように科研費以外の研究費の採択に関して研究者自身がフェアーに決定されていないと感じていることです。
加えて、各省庁が各省庁の方針でバラバラに研究費を出しますから、名前の通った業績が上がりそうなヒトに過度に予算が集中する傾向が見られます。もう一つ、各省庁のその時その時の政策で研究費の方向が決まりますので、億単位の研究費が出ても、3年で切れてしまって、研究の継続性が保たれない(従って、ポストドックの雇用が安定しない)という問題も発生しています。
総じて、文部省科研費の審査システムが日本としては一番安定しています。
Commented by それで at 2008-11-05 13:15 x
> 全大学研究者で、科研費1件でも恒常的に得ているのは
> 多分2割くらいでしょうね。。。。

地方大で科研費すら取れない奴はやめさせてしまえと思っている。
無能で大学教員に値しない奴がコネで紛れ込んだとしか思えない。

申請もしなけりゃ当たるわけないだろ。
Commented by へぇー at 2008-11-05 18:46 x
採択率が2割だとすると、科研費を申請しても落ちる方が8割いる。
その8割は全員止めろとおっしゃる?
継続的に科研費を取得するとなると、0.2×0.2×0.2......とどんどん
当たる確率が減るのに?
科研費で落とした研究8割の中に金の卵の研究がないと本当にいえる?

過度の競争は荒廃しかもたらさないでしょう。

個人的には科研費以外の競争的研究資金を拡充して、採択率を全体で6-7割まで押し上げる必要があると思います。
Commented by stochinai at 2008-11-05 21:48
 健全な競争と発展のためには、私も研究費の獲得率が6割くらいあることが望ましいと思います。3割以下というのは、泥仕合と不正の温床になるような気がしてなりません。
Commented by ななし at 2008-11-05 22:22 x
配分額を変えずに2割を6割にする一番簡単な方法は、大学の数を1/3にすることでしょうね。それはすなわち、研究者の数を1/3以下ににすると言うことでもあり、衰退の一途ではありますが。

大学が自分で稼いで、本当に必要な人を取れないようだと、結局は箱の問題だけになってしまい、お金の取れる教員は、どんどん科研費的にもネームバリューのある上位大学に引き抜かれ、最後は東大京大の天下になるでしょうね。

これに対抗出来るのは、ロックフェラーやビルゲイツなどと言った財団か、地方公共団体くらいしかないのではないかと思います。

結局、国の金で責任も取らず研究しているうちは、国の言うことを聞くのが当たり前で、嫌なら(公務員)辞めろ、何様のつもりなんだ、と言う橋下さん的な考え方にも説得力があると思います。
Commented by というわけで at 2008-11-09 23:47 x
科研費とれない教員は首にしろとか橋下万歳とか書毛羽書くほどぼろが出て、ぜんぜん説得力ないですね。実現性も無い。ただの負け犬落ちこぼれ「ネットウヨ」の遠吠えですね。
by stochinai | 2008-10-27 22:20 | 大学・高等教育 | Comments(54)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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