2008年 11月 02日
安心してもらえる育種による遺伝子組み換え
今朝の朝日新聞 be on Sunday の記事で、「技あり トゲなしナス」がおもしろかったです。
タキイ種苗の研究員の島越さんという方が、古典的育種法(掛け合わせの繰り返し)でトゲのないナスを開発したという話です。
ナスにはトゲがあるもので、むしろトゲが鮮度の目安になるとさえ言われているのですが、それがなかったらどんなに良いだろうという発想は、我々のような素人からはなかなか出てこないものです。
味の良さなどでベストセラーだった「千両」というナスにはトゲがあって、アメリカ産で実は小さな卵ほどの大きさにしかならないけれどもトゲのないナスがあり、これを掛け合わせてトゲのない「千両」を、7年間交配を繰り返して完成させたというストーリーです。
島越さんの談話「7年交配を繰り返し、実が売り物レベルか、農家の方に意見を聞くまで10年以上かかりました」は、まさに決め台詞ですね。
このナスは昨年から種が販売されております。
『とげなし千両』 『とげなし千両二号』

掛け合わせの方法はまさに「古典的方法」で、とても単純です。
今なら、「遺伝子導入」や「遺伝子組み換え」で簡単にやってしまおう、というふうに考える人も多いと思いますが、たとえ結果的に同じものができたとしても、こういう人々の口に入る食品のようなものの場合だと、「遺伝子組み換え作物」と「10年間汗水たらして交配を繰り返して作った作物」のどちらが市場に受け入れられやすいかを考えると、答えははっきりしていると思います。
「もしも同じものができるならば」と書いてしまいましたが、今の遺伝子組み換えの技術だと、同じものを作ることはまだまだ難しいのではないでしょうか。百歩譲って、もしも同じものができたとしたら、私はその間に差はないと断言できるのですが、それでもやはり市場での受け入れられ方は違うというのが現実なのだと思います。
そうした現実を見て、「日本の国民の科学リテラシーは低い」と言うのは簡単ですが、そういう科学リテラシーの低い国民を育てた日本の戦後教育について、もっとも反省してもらわなくてはならないのは、その間一貫して政府であり続けた自民党と文部省・文科省です。そう考えると、(私はその存在をあまり信じていないのですが)「理科離れ」を生んだのも、彼らがリードしてきた教育システムであると言えるのかもしれません。
また、結論がいつもと同じになってしまいました。すみません(^^;)。
タキイ種苗の研究員の島越さんという方が、古典的育種法(掛け合わせの繰り返し)でトゲのないナスを開発したという話です。
ナスにはトゲがあるもので、むしろトゲが鮮度の目安になるとさえ言われているのですが、それがなかったらどんなに良いだろうという発想は、我々のような素人からはなかなか出てこないものです。
味の良さなどでベストセラーだった「千両」というナスにはトゲがあって、アメリカ産で実は小さな卵ほどの大きさにしかならないけれどもトゲのないナスがあり、これを掛け合わせてトゲのない「千両」を、7年間交配を繰り返して完成させたというストーリーです。
島越さんの談話「7年交配を繰り返し、実が売り物レベルか、農家の方に意見を聞くまで10年以上かかりました」は、まさに決め台詞ですね。
このナスは昨年から種が販売されております。
『とげなし千両』 『とげなし千両二号』

トゲのない品種と「千両」を掛け合わせた雑種の「子」をまず作る。子同士を掛け合わせた「孫」からトゲのない株を選び、それにまた「千両」を掛け合わせて・・・・・という作業を年1回おこなう。この作業を毎年繰り返し、数百株の中から「千両」並みの大きさでトゲはない実が出るまで続けた。すると、遺伝子の9割以上は「千両」だが、トゲを作らない遺伝子などに、ちょっとだけ置き換わった品種ができた。これはコンジェニック系統という、ある遺伝子を除いて他の遺伝子はすべて同じ生物を作る方法として、古くから確立されているものですが、「言うは易し行うは難し」の典型のような作業です。
今なら、「遺伝子導入」や「遺伝子組み換え」で簡単にやってしまおう、というふうに考える人も多いと思いますが、たとえ結果的に同じものができたとしても、こういう人々の口に入る食品のようなものの場合だと、「遺伝子組み換え作物」と「10年間汗水たらして交配を繰り返して作った作物」のどちらが市場に受け入れられやすいかを考えると、答えははっきりしていると思います。
「もしも同じものができるならば」と書いてしまいましたが、今の遺伝子組み換えの技術だと、同じものを作ることはまだまだ難しいのではないでしょうか。百歩譲って、もしも同じものができたとしたら、私はその間に差はないと断言できるのですが、それでもやはり市場での受け入れられ方は違うというのが現実なのだと思います。
そうした現実を見て、「日本の国民の科学リテラシーは低い」と言うのは簡単ですが、そういう科学リテラシーの低い国民を育てた日本の戦後教育について、もっとも反省してもらわなくてはならないのは、その間一貫して政府であり続けた自民党と文部省・文科省です。そう考えると、(私はその存在をあまり信じていないのですが)「理科離れ」を生んだのも、彼らがリードしてきた教育システムであると言えるのかもしれません。
また、結論がいつもと同じになってしまいました。すみません(^^;)。
by stochinai
| 2008-11-02 23:39
| 生物学
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