5号館を出て

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大麻、麻生

 札幌地下鉄南北線の北端の駅は麻生です。総理大臣の苗字と同じ字ですが、「あそう」ではなく「あさぶ」と読みます。昔、たくさんの大麻が生えていたところだったのだと思います。古くからの札幌人は「あざぶ」と呼ぶのですが、いつの頃からか「あさぶ」が正式名称になったようです。一説には東京の「麻布」が「あざぶ」なので、札幌の僻地は「あさぶ」と改名したのではないかと、ひそかにひがんでいる私です。

 また、札幌からJR線に乗って東へ少し行くと、江別市大麻(「たいま」ではなく「おおあさ」)というベッドタウンが広がっています。そこにも、大麻の草原があったのではないでしょうか。

 札幌駅の北には「テイセン・ホール」という多目的ホールがありますが、そこは昔帝国製麻という麻の織物工場があったところです。おそらく敗戦後、米国進駐軍(古い!)の指導により麻以外の織物を作るようになって帝国繊維と名前が変わったので、テイセンと呼ばれるようになったのだと思います。

 いずれも「麻」あるいは「大麻」と関係した地名や産業関連施設で、北海道には昔から麻が自生していたり、栽培していたりした歴史を反映しているものだと思います。北海道では今でも、あちこちに大麻が自生しており、抜いても抜いてもまた生えてくるという状況なので、それを入手して吸飲してみようという人間が出てくることに不思議はありません。

 そもそも、日本では敗戦によってアメリカ文化が入ってくるまでは、日本では大麻が麻薬だという認識はなかったのだと思います。

 このところ、急に大学生や今日は高校生の「大麻汚染」が問題になっていますけれども、1970年代の北海道大学ではおそらく大麻を吸ったことがあるという学生は数十人から100人以上はいたと思います。今でも、数人から数十人は間違いなくいるのではないかと推測されます。当時はやっていたシンナーや睡眠薬などの濫用に比べるとはるかに安全な「遊び」だと思われていたものですが、大麻取締法違反で大量に検挙されたということは聞いた記憶がありません。ただ、よくネパール遠征から帰った山岳部などが、マリファナを持ち帰ってつかまったというようなことがあったような・・・・、記憶がはっきりしません。

 いずれにせよ、北海道では知識を持って原野を探すと今でも簡単に大麻を発見できるようですから、ネットでメールを使った取引をするなどという、逮捕してくれと言わんばかりの証拠を残してやるような愚か者は少ないのかもしれません。しかし、例の大麻の種を売った業者のコンピューターには2000人以上の顧客名が残されていたそうですから、何人かは札幌にいても不思議はありませんが。

 何を言いいたいのかというと、ひとつは「最近の学生が急に悪くなって、大麻に汚染された」ということでもないし、法律違反なので逮捕されるのは仕方がないとしても、そんなに大げさに報道するほどの罪悪なのかということを感じるということです。大学生が死亡交通事故を起こしても必ずしも報道されないことと比べると、ことの重大性から考えてバランスが悪いと思われてなりません。

 もちろん、大元で大麻の種を売って金儲けしているヤツは大いに叩かれてしかるべきですが、そいつらに種を一粒1000円とかで売りつけられてボラれた上に、ちまちまと下宿で植物栽培をしていた連中が大学生であるというだけの理由でこんなに大げさに報道されるべきなのかというと、やはり報道する側の姿勢にも、大きな問題があると思えてなりません。

 最近にニュース報道をみていると、大きなニュースから順番にやるのではなく、バラエティ番組と同じ「乗り」で、受けそうなニュースばかりが優先されているような気がします。今は、有名大学の大麻が「旬」ということになるのでしょうか。今日は北海道で高校生が起訴されたというニュースが出ていますが、今度は中学生でしょうか。残るは、国立大学生ですよね。

 権力の監視機構として生まれたはずの報道が、ちっぽけな個人を叩いているのを見ると、その本来の目的を忘れているではないかと感じる「大麻事件報道」です。
Commented by フリー at 2008-11-19 07:05
報道倫理もなく権力の監視機構としての能力も失ったのが今の日本のマスコミです。ちっぽけな個人叩きは、単なるいじめ。法を犯した学生は、軽い気持ちであっても犯罪は許されません。しかし、それとニュースの興味本位の取りあげ方は別問題。マスコミは私刑を下す組織ではありません。彼らは、誰からも批判されないことをいいことに、すでに暴走しています。
同じことは権力の監視に対しても言えます。バラエティ番組と同じのりでうけねらいの報道を続けてきた結果、政策の欠点を突き刺す報道ができず、論理的な批判もできず、総理を具体的に批判することをせずに731部隊の特集番組のなかでサブリミナル的に総理の写真を映したり、ホッケに煮付けがあるかといった下らない権力者批判ごっこしかできないイエロージャーナリズムに成り下がってしまいました。
政権に批判的な人間ですら、このような卑怯な方法やばかげたやりくちを見ていると、敵の敵は味方ではないと痛感されるのではないでしょうか。敵の敵だからといって甘く見てきたことが、マスコミを増長させることに繋がったのだと思います。マスコミはおかしいと批判することが、本来の権力批判のあり方に戻すための唯一の薬でしょう。
Commented by フリー at 2008-11-19 07:15
新聞社の経営難を若者の活字離れのせいにする新聞社の偉い方がいますが、違います。くだらない批判しかできないからそっぽを向かれているのです。他者のせいにせず、自分たちの質の低さを直視して挽回出来るか、反省して政治家などが突かれていたいと思うような本来あるべき質の高い批判に戻ることができるか、権力の監視機構を監視する市民運動も今後増えていくと思います。
現在のマスコミの行状をみると、この人達が昔、戦争突入へ向けて世論を煽動したのがよく理解出来ます。その反省を十分にしないから、このような本来の権力批判をできない組織のままなのでしょう。
マスコミ人は自律できないようですが、新聞やテレビ局が倫理規定を公開していないのは先進国で日本だけです。
政治家から食事をおごって貰う記者がいるのは日本だけです。海外のマスコミではそのような利益相反行為を厳正に禁止するルールがあり、Webで公開です。日本ではニュースになりませんが、今英語で海外のWebを読める人は多いので、ベルリンの壁が崩壊したようになるでしょう。日本メディアの質の低さを批判しているのがネット右翼ではく、右も左もなく総スカンなのだと気づく日がそのうちくるでしょう。
Commented by M at 2008-11-21 06:18
ダン・ラザーがネットのブロガーにその報道の真偽を質され、怒りに任せて上げた拳が結局は下ろす場所の無いものだと解った後、「潔く」長年勤めたスター解説者の座を辞任したのが良い例です。
マスコミが報じた事(作った話も含む)がニュースであり、そうでないものは起きなかったものと見做される様な時代はとっくに終わりを告げたと気づかないのは不動産からの利益と広告代で高級を食む「自称」マスコミの方々なのです。(笑)
まあ、ゆっくり彼らの末期を見届けようではありませんか。
by stochinai | 2008-11-18 21:43 | 札幌・北海道 | Comments(3)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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