2008年 11月 22日
教師からプライドを奪っては教育はできない
数日前の札幌で起こったことだったので、何か情報が入ってくるかと思ったのですが、何も得られませんでした。公式に得られた情報はこれだけです。
毎日新聞ニュースフラッシュ:体罰の女性教諭を懲戒処分 /北海道
推測ですが、先生が当日付けで依願退職されたのは抗議の意味だったのだろうと思います。処分不当として裁判を起こしても充分に勝ち目はあると思われますが、その気力がわいてこないほど、札幌市の教育委員会および教育の現場に希望が持てないと思ったのではないでしょうか。
懲戒免職や停職になったわけではなく、10分の1の減給が1ヶ月ですから、処分の屈辱に耐えられるならば辞職する必要はないはずですが、その屈辱に耐えられなかった、教師としてのプライドを身内である教育委員会そしておそらく校長などに踏みにじられたことで、これ以上教師を続けられないと思っても不思議はありません。
いわれのない罪に問われて、しかも有罪と決めつけられ、これからも同じ職場で働き続けろという方が無理というものではないでしょうか。
信濃中学校のホームページに、「学校教育の方針」が掲げられています。
崩壊していると言われている現在の教育を建て直したいのなら、まず教師が働きやすい環境を作る必要があるはずです。教育委員会や父母の圧力で教師が萎縮してしまっているようなところで、ちゃんとした教育などできるはずはありません。
新聞の記事を見る限り、この先生が生徒に対してとった毅然とした態度は教育者として褒められることがあっても、懲戒に当たることなどまったくないはずです。教育委員会が「体罰」という言葉におそれおののいて、文科省、父母からの批判をかわすために懲戒を行ったと、私には見えます。その証拠に、本当に体罰を行ったということであるならば学校教育法に基づいて、もっと重い懲戒が科せられてもしかるべきなのに、減給1ヶ月ということは教育委員会でも、これが体罰に当たると断定できるとは思っていなかったたということでしょう。
教育委員会としては、教師が依願退職するとは思っていなかったと思いますので、おそらくショックを受けているでしょう(すぐ、忘れるでしょうが)。しかしそのことより、プライドを捨ててまで教師を続けることはできないという退職教諭の方の意志が、数多くの教師の方々に伝わったことの重大さに気がつかなくてはいけないと思います。
教師がのびのびと教育できる環境を作らなければ、いくら締め付けても教育は良くならないでしょう。このままでは、教師を志望する人間もどんどん減っていきますね。
毎日新聞ニュースフラッシュ:体罰の女性教諭を懲戒処分 /北海道
札幌市教育委員会は18日付で、男子生徒の頭をたたくなど体罰を振るったとして市立信濃中の40代の女性教諭を減給1カ月(給料の10分の1)の懲戒処分とした。教諭は同日付で依願退職した。記事の中にあった市教委の発表では、「教諭は5月の給食時間中、1年の男子生徒に座って食べるよう注意。指導に従わないため服を引っ張って座らせようとしたが、抵抗され冷静さを失い、生徒の頭を平手でたたいた。興奮した生徒がみそ汁の茶わんを教諭に投げつけたことから、教諭は生徒の手の甲を数回たたいた」というもので、本当にこの発表のとおりのことがあって、それで懲戒にしたのだとしたら市教委の人権侵害事件になると確信しました。
推測ですが、先生が当日付けで依願退職されたのは抗議の意味だったのだろうと思います。処分不当として裁判を起こしても充分に勝ち目はあると思われますが、その気力がわいてこないほど、札幌市の教育委員会および教育の現場に希望が持てないと思ったのではないでしょうか。
懲戒免職や停職になったわけではなく、10分の1の減給が1ヶ月ですから、処分の屈辱に耐えられるならば辞職する必要はないはずですが、その屈辱に耐えられなかった、教師としてのプライドを身内である教育委員会そしておそらく校長などに踏みにじられたことで、これ以上教師を続けられないと思っても不思議はありません。
いわれのない罪に問われて、しかも有罪と決めつけられ、これからも同じ職場で働き続けろという方が無理というものではないでしょうか。
信濃中学校のホームページに、「学校教育の方針」が掲げられています。
① 生徒の願いに応える学校どこの学校でも同じなのかもしれませんが、生徒、保護者、地域の人々のために教職員が奉仕するかのごとき文言が並んでいます。この文面では、教師はやる気を失ってしまうでしょう。学校は、生徒と教員と地域社会が協力して作り上げるものではないでしょうか。
(生徒の積極的な意欲を育て、成長が確認できる学校)
② やりがいのある学校
(生徒や学校のために教職員が力を発揮する学校)
③ 信頼される学校
(生徒、保護者、地域の方々に開かれ、信頼される学校)
崩壊していると言われている現在の教育を建て直したいのなら、まず教師が働きやすい環境を作る必要があるはずです。教育委員会や父母の圧力で教師が萎縮してしまっているようなところで、ちゃんとした教育などできるはずはありません。
新聞の記事を見る限り、この先生が生徒に対してとった毅然とした態度は教育者として褒められることがあっても、懲戒に当たることなどまったくないはずです。教育委員会が「体罰」という言葉におそれおののいて、文科省、父母からの批判をかわすために懲戒を行ったと、私には見えます。その証拠に、本当に体罰を行ったということであるならば学校教育法に基づいて、もっと重い懲戒が科せられてもしかるべきなのに、減給1ヶ月ということは教育委員会でも、これが体罰に当たると断定できるとは思っていなかったたということでしょう。
教育委員会としては、教師が依願退職するとは思っていなかったと思いますので、おそらくショックを受けているでしょう(すぐ、忘れるでしょうが)。しかしそのことより、プライドを捨ててまで教師を続けることはできないという退職教諭の方の意志が、数多くの教師の方々に伝わったことの重大さに気がつかなくてはいけないと思います。
教師がのびのびと教育できる環境を作らなければ、いくら締め付けても教育は良くならないでしょう。このままでは、教師を志望する人間もどんどん減っていきますね。

先生がかわいそうです。こういう判例が続くと、教育の情熱も失いますし、自分の職を失う危うさを侵してまで、子供をしかったりしないでしょうね。ビジネス化した教育がまんえんします。
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事の実際、背景は分からないのですが、学校教育というものを地域、親と乖離した物と考えるべきではないという意見に全くその通りだと思います。ある大学教員のたわごとさんが言われるようにマニュアル通りにしゃべり、黒板に板書しでは勉強、学問に対しての興味もわくわけがありません。教師がのびのびと教育できる環境作りにはまさに子どもたちが学校員通う自分たちが直接的に関与しているのですね。そんなことを考えて、改めて辞められた先生の話を読み返すと残念です。
ご無沙汰しておりました。
本気で人がぶつかり合うことが避けられる世の中ほどギスギスしたものはないと感じます。それが現在の世の中だと思います。本気でぶつかり合えない教育が教育だとしたら、子どもの精神的な成長は望めないと思います。だから教育は命がけなのです。し誤ったら、自分か他者に刃が向くことになるでしょう。それが現在の様々な事件に現れているのだと思います。
本気で人がぶつかり合うことが避けられる世の中ほどギスギスしたものはないと感じます。それが現在の世の中だと思います。本気でぶつかり合えない教育が教育だとしたら、子どもの精神的な成長は望めないと思います。だから教育は命がけなのです。し誤ったら、自分か他者に刃が向くことになるでしょう。それが現在の様々な事件に現れているのだと思います。
by stochinai
| 2008-11-22 17:06
| 札幌・北海道
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Comments(3)