5号館を出て

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インフォームド・コンセントの難しさ

 見るともなしに見流していたのですが、さきほど「サキヨミ」で無認可の補助人工心臓を埋め込まれて、治験を受けていた青年が心停止に陥り、脳に障害を受けたため植物状態になり、約1年後に死亡したという事件(事故?)の話題を扱っていました。

 その中で、手術後に植物状態になってからの治験継続に対する承諾書にサインしていたのは、(当たり前ですが)本人ではなく家族だったのですが、家族はそれに署名するにあたって、その文書の内容を理解(納得)することはできないものの、承諾しなければ治療行為を停止され、それは死を意味すると思われるのでサインしますという一文を手書きで書き足した後にサインしていたことが明らかにされていました。

 治験というのは、確立された治療法がない病気などに対して、患者の同意を得た上である意味「実験的」な治療をすることで、患者の同意が必要とされているものです。場合によっては、まったく効き目のないプラシーボを使うこともあるというような、私から見ると「非人道的」な治験もあるようですが、すべてのケースで患者に内容を徹底的に説明した後に承諾をもらうということをした上で行っているので、制度上は訴訟などの問題が起こらないようになっているはずです。

 それでも、時々今回のような問題が起こるのはなぜかというと、治験に際して行われる同意の前提になる説明が、ほとんどのケースで患者およびその家族に理解されていないからだと思われます。インフォームド・コンセントは日本では「説明と同意」と訳されているようですが、英語そのままの意味を考えると「情報を理解した上で同意する」という意味で、「説明を受ける」ということと「理解する」ということの間にあるギャップが問題を起こしているような気がします。

 つまり、医師は患者に対して「しっかりと意味を説明している」と思っていても、患者の方では「いろいろ言われてけれども、さっぱりわからなかった、でも同意しないと治療してもらえないのではないかと思ってサインした」というケースが、治験のインフォームド・コンセントのほとんどのケースにおける実態なのではないかと思われるのです。

 番組の中で家族が同意書に書き足した一文というものが、まさにそのことを意味しているにもかかわらず、病院側では「同意」が得られたとして治験を継続していたようですが、家族としては延命治療を続けて欲しいと思ったものの「治験の意味はわからない」と言っているのですから、この同意書は成立しないと考えるべきで、それを理解できなかった病院側の法的リテラシーのなさも、ある意味で驚きです。

 つまり、患者側には医療を理解する能力がなく、医師側には法的権利関係を理解する能力がないという、恐るべきディスコミュニケーションが放置されたまま、「同意書」が作成され、治験が継続され、残念な事故が起こり、訴訟に発展する可能性がある問題となったのだということでしょう。

 これは、どちらが正しいとか、プロセスにミスがあるとかないとか、そうした問題以前に医師と患者のコミュニケーションがまったくとれていないことを象徴的に示している事例だと思います。

 昔から患者は医学のことを理解しないまますべてを医師にまかせ、医師は患者の無知を嘆きながらも特に患者を教育するという努力をしないで、自分に任せてくださいというような医療が行われるという状態が続いているような気がします。その状態のまま、患者の権利意識が高まってくると今回のような「事件」はどんどん多くなってくるでしょう。

 それは医師にとっても患者にとっても決して望ましい未来ではありません。では、どうするのが良いでしょう。

 ただでさえ少ないと言われている超多忙な医師に、もっと丁寧に患者に説明をしろといってもそれは無理です。また、患者のほうでも普段から医学の勉強をしている人などは少なく、いきなり病気になってから勉強してもなかなか追いつかないものです。

 そこで、必要なのは医師と患者をつなぐコミュニケーターの存在でしょう。病院の中に専門職として医学コミュニケーターを配備することを、真剣に考えるべき時代が来ていると、強く思いました。

 医学コミュニケーターも、科学技術コミュニケーターの一分野だと思います。
Commented by niji_nobori at 2008-12-22 12:21
私は、家族がつい先日手術を受けました。
よくある手術で
手術自体は短時間で終わるものでしたが、
全身麻酔をし、
見えないところを手探りで行う手術のため、
体に傷がつく危険性もあるものでした。

しかし、手術を行う前にはほとんど医師より説明を受けることは
ありませんでした。

医師の様子からは
「リスクがある説明をすることそのことが、
互いに大きなストレスである」
と考えている様子が見て取れました。

診てもらえる医師が少なく、選択肢が限られている中
たとえ、十分な説明を求めたくとも
医師との関係悪化を考えると、
コミュニケーションそのものが非常に難しいと感じます。




Commented by stochinai at 2008-12-22 20:35
 まったく同じようなことを何度も経験しました。友人の夫ががんになった時に、私も説明を聞く場に加わらせてもらったのですが、「互いに大きなストレスである」という言葉を読んで、その時の担当医の方が私が多少の知識を持っていることに逆に苛立っておられたことを思い出しました。

 難しいことだとは思いますが、個々の医師の努力に期待するのではなく、「制度の改善」が必要なのだと思っています。
Commented by ひろ at 2008-12-23 10:21
医者の立場より説明させていただきます。
ひとつにはまず患者と医者に絶対的な知識の差があるうえに、治療によって必ずよくなると言えないこと、医者もふくめ死亡や後遺症の確率を過大評価しやすいことで、インフォームドコンセントはきわめて困難である点をご理解ください。
納得されて治療を受けるのが理想なのですが、上記のような理由で患者が納得するまで説明をすると、寝るひまがなくなるだけならまだしも他の患者の治療すらできなくなります。
コミュニケーターのようなきわめて専門的な職種の育成は困難かつ時間がかかります。私は医者ですが専門外のことは怖くて友人にも”専門の先生に聞いて”以上のアドバイスはできません。ですので幅広い診療科に対応するコミュニケーターというのはもしかしたら医者以上の知識が必要とされるかもしれません。
最近思うのは数年前の 患者様、アメニティー、全人的医療、オーダーメイド治療などの希望に満ち溢れた医療の将来像は、幻想だったのではないか。あの当時現在のような医療崩壊を恐れていた、現場で疲弊しきっていた私たち以外に誰かいたのだろうかと。
もしかしたら”あきらめ”が回答かと思います
Commented by st at 2008-12-23 22:16
治験・臨床試験の説明と、日常臨床の説明を同じレベルで考えるべきではないと思います。
最近は少なくなりましたが、日常臨床では患者さんの状況に応じて、いわゆるパターナリズムで対応してもよいでしょう。
しかし、治験・臨床試験においては、参加される患者さんには被験者保護の観点や参加の自発性確保の観点から、リスクやベネフィットについて十分な情報が提供される必要があります。
今回の件の問題は、ベルモント・レポートのPartC 1.インフォームド・コンセントの自発性の項目にある”親しい関係者をコントロールして影響させ,そうでなければ各人が受ける権利のあるヘルス・サービスを中止すると脅したりすることで選択を操作する行為をも,不当な威圧であると言えるのである.”という一文や、2008年のヘルシンキ宣言26項に引っ掛かる可能性がある点、医薬品の臨床試験の実施の基準に関する省令第51条にある項目8,9について理解していただいてない可能性がある点、にあると思います。
Commented by kuma at 2008-12-24 08:47
日本の医療界の人権意識の低さが,この事件と,それに対する医師のコメントにあらわれていると思います。原因は患者の人権についての勉強不足なのでしかたがないのかもしれませんが。
このようなことが,日本の医療におけるナショナルセンターのひとつで起こるということと,それをIRBがチェックできないというのが日本の現状であることが非常に残念です。
Commented by asso at 2008-12-24 11:56
高度に専門的なコミュニケーターが必要なら、その育成は医学界が中心になって進めるしかありえないですよね。医師数の削減も日本医師会が中心になって進めたことです。麻生総理は正しい。
Commented by yugo-yuzin-hana at 2008-12-24 23:47
麻酔科も外科も産婦人科も経験した立場で申せば、全うな施設なら全麻が必要な手術前後には必ず麻酔科医サイドと外科系医サイドからがっつり説明(=ムンテラ)が入ると思います。良心的な施設ならそれで前後計4回、標準なところでは術前:麻酔科、外科、術後:外科、の3回は説明が常識的にある筈です。
余程の事情がない限り、ご身内(3親等がせいぜい)の方以外、知人に術前術後の説明をする、というのは常識的にはあまりあり得ないケースだと思います(ぼくは身内以外に原則しません)。しかもそれで身内でない方から知ったように意見されたのなら、普通の医者は不快感を覚えて当然と思ってしまいますが……ご事情が違ったらすみません。
Commented by stochinai at 2008-12-25 00:09
 その「がっつりとした説明」を理解できないご家族のほうが多いという事情があるのではないかというのが、私の感触です。理解できなくても、お任せしますとしか言えないので、予期せぬというか期待はずれの事態が起こると訴訟になったりするのではないでしょうか。
 それから、いまだにムンテラという前時代的な言葉がまかり通っているところにも、ちょっとした違和感を覚えます。
 「身内でない方から知ったように意見されたのなら、普通の医者は不快感を覚えて当然」は、まさに私の受けた印象と同じですが、患者が弁護士を伴って来たらどうしますか?
Commented by yugo-yuzin-hana at 2008-12-25 07:31
・勿論限界はありますが、理解力に応じて極力平易な言葉で、わかりやすい図式、スケッチなど用いながらご理解されるまで行う、というのが一般的かと思います。いろいろ尽くしても残念ながら訴訟に発展することもあるでしょう。
・ムンテラという言葉は確かに前時代的なパターナリズムを帯びた言葉かと思いますが、今は「患者さんに説明する」くらいのニュアンスかと思います。
・術前に弁護士を伴った例は寡聞にして存じませんが、その場合は相当構えてしまうかと思います。知人の方同伴というのは常識的には普通お断りすると思います(医療に限らず、個人の重大情報が絡むケースではそうでしょう)。どういうご事情で同席されたかわかりませんが、その違和感が場の空気を緊張させた一因にも忖度されます。
上記議論を拝見して、認知バイアス、自己中心性バイアスの影響を非常に強く感じたのも正直な気持ちです。
Commented by nobi at 2008-12-25 09:37
自己中心性バイアスというならば、医師会を批判できない医師たちこそ深刻です。下記ブログを参照してください。
ttp://blog.goo.ne.jp/ikedanobuo/e/f65bacae249f66488dc8bfc3e9fbe384
Commented by st at 2008-12-25 11:57
> 理解できなくても、お任せしますとしか言えないので、予期せぬというか期待はずれの事態が起こると訴訟になったりするのではないでしょうか。

理解できない場合は、お任せしますと言わないようにしていただかないと。そのために麻酔科医や外科医が時間外に説明しているのですから。

説明のときに患者さんに不快な思いをさせる医師がいるからといって、そうでない医師まで責めるような論調、医師全員がそうであると責める論調には全く賛成できません。そういう事例は個々の事例を指摘するべきです。
Commented by stochinai at 2008-12-25 12:06
 手術の時などにサインを求められる「承諾書」などは、民事訴訟法などで有効な「契約書」の一種なのでしょうか。もしそうだとすると、当事者が理解できない場合には、弁護士などの立ち会いもあり得るのではないですか?
Commented by st at 2008-12-25 13:40
承諾書にサインがあっても、患者さんが説明を受け同意したというとを示すだけのものです。説明をしたという証拠です。医師の責任や過失を免除するものではありません。そのようなことが書いてあっても法的には無効です(参考 医療過誤・医療事故の予防と対策 森山満著)。ですから、承諾書にサインがあっても医師に何らかの過失が説明内容も含めてあれば、民事訴訟が可能です。

> 当事者が理解できない場合には
細かい話で恐縮ですが。自己決定権を尊重しているからインフォームド・コンセントを行っているわけです。安易に理解できないとは言ってほしくありません。理解できるまで説明を受けることは患者さんの権利ですが、義務でもある、と個人的には思っています。

一般的な知的レベルの方が理解できないような説明は説明ではありませんので、そのことは医療関係者も注意する必要があると思います。そこは本当に気を付ける必要があります。この点の改善が不十分というおしかりなら、今後そのようなことが無いよう気をつけますと甘んじて受けます。なお、小さい動きですが、国立国語研究所の指摘に合わせて、説明承諾書の内容を変更する動きが出てきた病院があることを指摘しておきます。
Commented by stochinai at 2008-12-25 13:55
 ここらあたりは、医師に限らず科学技術全般に対して、専門家である科学者がその影響を受ける方々(市民?)に、自分たちは何をやっているのかということを理解してもらえるように、あらゆる手段を使って説明する義務があると思っています。そういう意味で、コミュニケーターの必要性を書いたつもりでした。

Commented by M at 2008-12-25 19:06
外国では当然らしいですが、手術担当医の当該症例経験数と成績なども、患者に説明して下さるといいですね。
by stochinai | 2008-12-21 23:48 | 医療・健康 | Comments(15)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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