2008年 12月 23日
高校英語を英語で教えられる先生って何人いますか
文科省は、自分が監督している全国の小中高校および大学の先生がどのくらいの実力を持っているかを全然ご存じないことがはっきりわかるエピソードになってしまいました。
留学生30万人計画を打ち出して、大学や大学院の講義を英語でやることを推奨しているのは、まあ大学の先生にもなれば、文法や発音は滅茶苦茶でも専門の学問の話くらいはなんとか英語でやることができる人はそこそこの数はいるのかもしれませんので、仕方がないと思っていました。
しかし、高校の英語の先生で、「話せる英語」を教えるために、授業そのものをすべて英語でできる人というのは全国にどのくらいいるものでしょうか。
できないものを「やれ」というのは、虐待に近いものがありますし、どうにかこうにかできたとしても、教えられる高校生はそれで大丈夫なのでしょうか。日本の高校の先生は、英語の文法や内容の理解に関しては、ひょっとすると英語国民よりも優れているのではないかと思いますが、発音を含め話すこと、さらには口語で表現することに関しては少数の例外を除いて、「あまりできない」から「不得意である」あるいは「ほとんど無理」というレベルの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした現状をまったく無視するかのように、いきなり5年後からは高校の英語の授業を全部英語でやりますって言っても、それは絵に描いた餅よりももっとあり得ないようなことだと思います。
もちろん一般的に言うと、すべて英語で行われる授業で英語を学ぶということは決して悪いことではないと思いますし、英語を話す力は確実につくと思いますが、それはすでに街にある語学教室で行われていることです。意識の高い子どもにもそういう授業を受けるチャンスを与えたいということもいいですが、ほぼ全員が進学する義務教育のようになっている高校で全員に対してやることでしょうか。
それに高校で全員に教えるということは、当然のように大学入試にそれを使うことになると思います。それは、先生だけではなく、そうした能力を必要としていない多数の生徒に不要な負担を強いることになり、ひいては大量の落ちこぼれを生み出す原因になるでしょう。
文科省の方々はもう少し現実をしっかりと見る目を養っていただきたいと思います。
英会話のできる人材を増やしたいというのなら、文科省がスポンサーになって日常生活に英語をどんどん増やすようなことをするのが良いと思います。たとえば字幕なしの英語の映画を無料で公開するとか、若者が好きそうな海外の英語ドラマや音楽番組などをテレビでどんどん流すとか、英語の本やCDを無料で配布するとか、海外の若者と日本の若者が交流する行事をバンバン行うとか、要するに若者が「英語ができれば、好きなものに近づける」という状況を作ってやればすむことです。
やりたくもない大多数の生徒を巻き込んで、全員に同じ教育を押しつけようという教育はもうやめたほうがいいです。ついでに、文科省も解体しても良いのではないでしょうか。
留学生30万人計画を打ち出して、大学や大学院の講義を英語でやることを推奨しているのは、まあ大学の先生にもなれば、文法や発音は滅茶苦茶でも専門の学問の話くらいはなんとか英語でやることができる人はそこそこの数はいるのかもしれませんので、仕方がないと思っていました。
しかし、高校の英語の先生で、「話せる英語」を教えるために、授業そのものをすべて英語でできる人というのは全国にどのくらいいるものでしょうか。
できないものを「やれ」というのは、虐待に近いものがありますし、どうにかこうにかできたとしても、教えられる高校生はそれで大丈夫なのでしょうか。日本の高校の先生は、英語の文法や内容の理解に関しては、ひょっとすると英語国民よりも優れているのではないかと思いますが、発音を含め話すこと、さらには口語で表現することに関しては少数の例外を除いて、「あまりできない」から「不得意である」あるいは「ほとんど無理」というレベルの方もいらっしゃるのではないでしょうか。
そうした現状をまったく無視するかのように、いきなり5年後からは高校の英語の授業を全部英語でやりますって言っても、それは絵に描いた餅よりももっとあり得ないようなことだと思います。
もちろん一般的に言うと、すべて英語で行われる授業で英語を学ぶということは決して悪いことではないと思いますし、英語を話す力は確実につくと思いますが、それはすでに街にある語学教室で行われていることです。意識の高い子どもにもそういう授業を受けるチャンスを与えたいということもいいですが、ほぼ全員が進学する義務教育のようになっている高校で全員に対してやることでしょうか。
それに高校で全員に教えるということは、当然のように大学入試にそれを使うことになると思います。それは、先生だけではなく、そうした能力を必要としていない多数の生徒に不要な負担を強いることになり、ひいては大量の落ちこぼれを生み出す原因になるでしょう。
文科省の方々はもう少し現実をしっかりと見る目を養っていただきたいと思います。
英会話のできる人材を増やしたいというのなら、文科省がスポンサーになって日常生活に英語をどんどん増やすようなことをするのが良いと思います。たとえば字幕なしの英語の映画を無料で公開するとか、若者が好きそうな海外の英語ドラマや音楽番組などをテレビでどんどん流すとか、英語の本やCDを無料で配布するとか、海外の若者と日本の若者が交流する行事をバンバン行うとか、要するに若者が「英語ができれば、好きなものに近づける」という状況を作ってやればすむことです。
やりたくもない大多数の生徒を巻き込んで、全員に同じ教育を押しつけようという教育はもうやめたほうがいいです。ついでに、文科省も解体しても良いのではないでしょうか。
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ゑぶ
at 2008-12-25 01:09
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英語の先生が、数学とか物理とかならともかく、英語の授業を英語でできないというほうが、おかしな話と思ってしまうのは私だけでしょうか。しかも、学習指導要領案には、「生徒の理解の程度に応じた英語を用いるよう十分配慮するものとする」とも書いているわけでので、必ずしも授業のすべてを英語で行う必要もないわけですし。先生の都合で、英語で授業するかどうか決めるというのは、いかにも公務員然としているように思えます。ただ、本当に英語ができない人もいるはずですから、何らかの手当ては必要でしょうね。
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いちエンジニア
at 2008-12-26 03:46
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来年からやるというならともかく、5年もあるのならその間に先生が研修なり何なりで勉強して、英会話のスキルを身に着ければいいだけのことでしょう。
まさか、生徒に英語を教える先生方が自分は英語の勉強をするのはイヤだ、なんてことはいわないですよね。
まさか、生徒に英語を教える先生方が自分は英語の勉強をするのはイヤだ、なんてことはいわないですよね。
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stochinai at 2008-12-26 12:01
英語で英語を教えるとなればNativeにやってもらうべきだと思います。おかしな発音を押しつけられる生徒はいい迷惑です。
単なる英会話と違って、高校英語を英語で教えられるようになるのはそう簡単ではないと思いますが、言われて気が付きました。英語教員の入れ替えを狙った政策なのかもしれません。
単なる英会話と違って、高校英語を英語で教えられるようになるのはそう簡単ではないと思いますが、言われて気が付きました。英語教員の入れ替えを狙った政策なのかもしれません。
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かぴばら
at 2008-12-26 14:21
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英語で授業をするということは、教室の中で英語でコミニュケーションをするということになりますよね。まさに、日本の英語教育で欠けていた部分なので、少々発音が悪くても大いに意義があるのではないでしょうか?
乱暴といえば乱暴な「改革」なのですが、今までがあまりにもひど過ぎたことを思えば、これぐらいのショックを与えることは必要かと思います。
乱暴といえば乱暴な「改革」なのですが、今までがあまりにもひど過ぎたことを思えば、これぐらいのショックを与えることは必要かと思います。
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alchemist
at 2008-12-26 15:27
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英語が苦手で通している人間なのですが、高校レベルの数学なら英語で教育されても理解できそうな気がしますが、高校レベルの英語を英語で講義されても理解は難しそうな気がします。数学に比べて、英語の講義の内容の方が複雑だからです(数学なら理屈でついてゆけるところがありますが、英語になると英米の文化風俗が判らない限り理解できない時があります。さて、その高校生の知らない英米の文化風俗を英語でどのように説明できるのでしょう・・・・)。
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坊ちゃん
at 2008-12-26 20:32
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英英語教育(X語教育)を英語(X語)で行うというのは、実は世界中どこでも当たり前の話で、それが日本ではほとんど行われていなかったということが、そもそも間違っていたわけですが、日本の現状からはなかなか理解されないようですね。
もちろん、そのことだけを言っても、明日から出来るようになるわけもないので、建設的な議論が必要ですね。
まずは、中学校の英語教師(あるいは採用予定者)を毎年5千人―1万人、期間は最低半年から理想的には1年間、英語圏での語学教育研修に派遣するということが数年に渡って必要でしょう。そして、これらの人たちが帰ってきて実践力になるまでは、英語圏から同様な規模で外国人英語教師を導入するということも、効果的ではないでしょうか。おそらく高校からというの手遅れで(中学での英語教育が虚しくなるだけです)、英語教育の初習時からでなくては無意味です。これを現実に必要な問題として、実施方法や予算を真剣に考えるか、できっこないとするか、皆さんはいかがに考えられますか?
もちろん、そのことだけを言っても、明日から出来るようになるわけもないので、建設的な議論が必要ですね。
まずは、中学校の英語教師(あるいは採用予定者)を毎年5千人―1万人、期間は最低半年から理想的には1年間、英語圏での語学教育研修に派遣するということが数年に渡って必要でしょう。そして、これらの人たちが帰ってきて実践力になるまでは、英語圏から同様な規模で外国人英語教師を導入するということも、効果的ではないでしょうか。おそらく高校からというの手遅れで(中学での英語教育が虚しくなるだけです)、英語教育の初習時からでなくては無意味です。これを現実に必要な問題として、実施方法や予算を真剣に考えるか、できっこないとするか、皆さんはいかがに考えられますか?
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坊ちゃん
at 2008-12-26 20:41
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ついでに言っておけば、実は、この問題はゆとり教育の問題とそっくりです。ゆとり教育、総合学習なんていうのは、世界中、特に先進国では、初等中等教育の基本要素としてどこでも当たり前にやっていることですよね。それが、日本の教師には具体的なイメージとして伝わっていないし、文科省は、崇高な目標を立てても、世界中から情報を集めてこようとしないし、全国の教師にそれを伝えたり、教師を訓練するプログラムを作ったりすることも出来ない。そんなの成功するわけはないでしょう。
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坊ちゃん
at 2008-12-26 21:22
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もう一つこの問題を考える時に、面白い事象はALTです。Assistant Language Teacherと呼ばれるネイティブ・スピーカーの人たちは、今ではほとんどの中高に配置されているようですが、彼らの多くが持っている不満の最大のものは、いつまでたっても英語の下手な日本人英語教師の下で、その名の通りアシスタントとしてしか働けないことだそうです。その理由は、誰だって想像がつきますよね。独立性が与えられていない現状では、ALTの質も玉石混淆ですが、ALTにちゃんとした人を採用することが出来れば、ALTが日本人英語教師の英語能力を再教育するということも出来ます。バカバカしいことですが、あくまでに日本人が日本人に英語を教えたいのであれば、この方がよほど効果的な予算の使い方です。
それにしても、日本の全国津々浦々にある○○教育大学って何をやっているでしょうねえ。ゆとり教育でも英語による英語教育でも、こういう計画を考えて、国に提案して、初期的な実験プログラムを実際に実行して、その効果を見て全国や地域に広げるというのがその任務ではないんですか?
それにしても、日本の全国津々浦々にある○○教育大学って何をやっているでしょうねえ。ゆとり教育でも英語による英語教育でも、こういう計画を考えて、国に提案して、初期的な実験プログラムを実際に実行して、その効果を見て全国や地域に広げるというのがその任務ではないんですか?
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ゑぶ
at 2008-12-27 03:42
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>alchemist先生
数学を普通に教えられても理解できない人が多い中で、英語で教えられたらなおのことついていけないでしょう。
それはともかく、英語もいいですけど、母国語で高度な教育を受けれられるというのは、実は、ありがたい事だと思っています。日本のある時期までは、近代的な科学の知識は、外国語でとりいれるしかなかったわけですから。今、日本語による教育でほぼ学部まで卒業が可能ですが、これは、先人たちの賜物であり、誇るべきことだと思います。
大学の国際化版COEとも言うべき「グローバル30」の公募も近々開始されるということで、関係者は情報収集に躍起になっているところですが、応募にはきっと英語による教育の取組が求められるとまことしやかに伝わっています。大学の国際化はもちろん望ましいと思いますが、日本語で高等教育を受けられる有難味というのは心のどこかに留めておかないといけないと思っています。
数学を普通に教えられても理解できない人が多い中で、英語で教えられたらなおのことついていけないでしょう。
それはともかく、英語もいいですけど、母国語で高度な教育を受けれられるというのは、実は、ありがたい事だと思っています。日本のある時期までは、近代的な科学の知識は、外国語でとりいれるしかなかったわけですから。今、日本語による教育でほぼ学部まで卒業が可能ですが、これは、先人たちの賜物であり、誇るべきことだと思います。
大学の国際化版COEとも言うべき「グローバル30」の公募も近々開始されるということで、関係者は情報収集に躍起になっているところですが、応募にはきっと英語による教育の取組が求められるとまことしやかに伝わっています。大学の国際化はもちろん望ましいと思いますが、日本語で高等教育を受けられる有難味というのは心のどこかに留めておかないといけないと思っています。
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ある
at 2008-12-27 07:04
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いい意味で、英語の試験に影響する可能性があるがしています。この文章を”和訳”せよというのができなくなりますね。大学で学生に論文読ませても、”直訳”癖に苦労しますから、そういうのがなくなるなら大歓迎です。
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M
at 2008-12-27 18:25
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私が高校生の時、一人の英語の先生は授業の殆どを英語で講義されました。分かり難い事はなかったです。東京外語大卒の先生でした。
まあ、これからはネイティヴの方を主英語科教員、日本人を補助教員にしたら良いのではないでしょうか。これまでのやり方では今ひとつだったのですから、ここは冒険してもいいと思いますよ。
まあ、これからはネイティヴの方を主英語科教員、日本人を補助教員にしたら良いのではないでしょうか。これまでのやり方では今ひとつだったのですから、ここは冒険してもいいと思いますよ。
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at 2008-12-27 20:05
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英語はできた方がいいですが、戦前を中心に、科学論文の中にはは英語ではなくドイツ語、フランス語、ロシア語、スペイン語などで書かれたものもあります。だから、理系の大学院入試でも10数年前は第二外国語(独仏露から選択)が必須でした。英語が中心になったのは最近の30-40年です。
ノーベル賞の益川先生は日本語で講演され話題になりましたが、スウェーデン人からすれば、英語も日本語も、両方とも外国語であり、大騒ぎする必要はないと思います。事実、ヨーロッパでは英語を話せない人は田舎に行くと普通にいます。
英語教育の重視は結構ですが、まずは母国語での教育をしっかりしてほしいです。
私が習った中学高校の英語教員はレベルが低い人が多かったです。そんな連中を1年留学させても駄目でしょう。英語は、今の私より出来ない気がします。そんな人が英語で英語を教えても結果は見えています。進学校でのこんな感じです。英語嫌いを増やすだけだと思います。
ノーベル賞の益川先生は日本語で講演され話題になりましたが、スウェーデン人からすれば、英語も日本語も、両方とも外国語であり、大騒ぎする必要はないと思います。事実、ヨーロッパでは英語を話せない人は田舎に行くと普通にいます。
英語教育の重視は結構ですが、まずは母国語での教育をしっかりしてほしいです。
私が習った中学高校の英語教員はレベルが低い人が多かったです。そんな連中を1年留学させても駄目でしょう。英語は、今の私より出来ない気がします。そんな人が英語で英語を教えても結果は見えています。進学校でのこんな感じです。英語嫌いを増やすだけだと思います。
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ベセスダ
at 2008-12-27 22:40
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大学に入って英語やドイツ語先生が、ご自身英語やドイツ語を自由に操るのを見て、大学教授というのはたとえ語学の先生でも(失礼)、高校の先生とは違うのだ、と感心したものでした。授業が英語で行われようが日本語で行なわれようが、実はそれ自体はどうでもよい気がします。まず英語を自分で使えて、更に言葉の教育を理解している先生を増やすのが英語教育を改善する唯一の道です。それには時間とお金を掛けないといけません。省庁の一片の指令だけで何かが変わると考えるのは、バラ色の頭だけですね。。。。。
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かぴばら
at 2008-12-28 12:31
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alchemistさんや、stochinaiさんがおっしゃる「高校英語」って難解な評論文を解釈することなんでしょうけど、確かにそれを英語で教えるのは難しいでしょう。でも、そんな授業必要なんでしょうか。
アメリカに住んでおりましたが、中学英語程度の英語をちゃんと使えれば十分話はできるのです。コミュニケーションの道具として英語を使うという発想そのものが日本の英語教育にはない(少なくとも自分が受けた教育では)ので、英語で授業をやるというのはその発想を大きく変える可能性があると思います。英語で授業は言うほど難しくもないと思います。
>まず英語を自分で使えて、更に言葉の教育を理解している先生を増やすのが英語教育を改善する唯一の道です。
正論に聞こえますが、具体的にはどうするのでしょうか?何も変えるなと言っているのと同じに聞こえます。
アメリカに住んでおりましたが、中学英語程度の英語をちゃんと使えれば十分話はできるのです。コミュニケーションの道具として英語を使うという発想そのものが日本の英語教育にはない(少なくとも自分が受けた教育では)ので、英語で授業をやるというのはその発想を大きく変える可能性があると思います。英語で授業は言うほど難しくもないと思います。
>まず英語を自分で使えて、更に言葉の教育を理解している先生を増やすのが英語教育を改善する唯一の道です。
正論に聞こえますが、具体的にはどうするのでしょうか?何も変えるなと言っているのと同じに聞こえます。
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stochinai at 2008-12-28 13:09
高校英語をどう位置づけるかで評価が分かれてくるのかもしれませんが、日常会話ができるようにということであれば、小中学校でやるべきだと感じます。そして、効果が上がっているかどうかはさておき、ネイティブスピーカーや外部講師を依頼した会話主体の授業は小中学校である程度導入されていると聞きます。それの評価なしに、いきなり高校の英語授業を英語でやるというのは乱暴すぎると思ったのです。
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alchemist
at 2008-12-28 15:41
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古いタイプの英語教育を受けて、あまり喋る方は得意ではありません。ただ、日本の高校英語くらいまでの知識が身についていれば、話す方はその気になれば英会話クラスに行くくらいで、普通は何とかなります(要は間違った英語を話したら恥だ・・・という風な日本人的感覚からどう自由になるか、です)。商業の交渉のための英語とかは別ですが、それは専門家の仕事でしょう。私たちの専門で使う英語も普通の英語とは多分ずれているでしょう。
私が米国で勤めていた時に体験したことの一つは、話す内容を持つことの方が滑らかに話すよりずっと大事ということでした。古臭い英語は割合と話す内容(欧米の文化とか習慣とか、何故そうなったかとか)にまで触れていたことが多かったと記憶しています。日本の大学で暮らしていると、文部省が会話英語重視といったら、モトモト日本人が得手だったそちらの面がお留守になりそうな悪い予感がしています。
私が米国で勤めていた時に体験したことの一つは、話す内容を持つことの方が滑らかに話すよりずっと大事ということでした。古臭い英語は割合と話す内容(欧米の文化とか習慣とか、何故そうなったかとか)にまで触れていたことが多かったと記憶しています。日本の大学で暮らしていると、文部省が会話英語重視といったら、モトモト日本人が得手だったそちらの面がお留守になりそうな悪い予感がしています。
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alchemist
at 2008-12-28 15:41
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それと、数学を英語で教える話ですが、たまたま高校の数学の先生の米国の大学に行っていたヒトがいて、試しに英語で講義をしてもらったことがあります。英語が苦手の私が脅えていたほど難解ではありませんでした。数学の場合、前回までの積み上げがあるとその次の回は理屈でフォローできる面があります。国際学会で英語の講演を聞く時に私のレベルでは話を全て聞き取ることはできません。ただ、提示されたデータとフォローできている話を繋ぐとほぼ理解できるのは、データを読み取ることができる(高校数学で前回までの内容を把握していることに相当)ためではないでしょうか。まあ、完全にヒアリングできるのは理想でしょうけど、別に私は英会話能力が日々の糧の種ではありませんから。
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かぴばら
at 2008-12-28 17:20
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お付き合いいただきありがとうございます。
お二人の反応が興味深いです。やっぱり現状肯定なんだなーと思いました。
僕は「英語でコミニュケーション」とは書きましたが、「英会話」とは書きませんでした。日本のいわゆる「英会話」って変ですよね。
「話す内容を持つことの方が大事」、全くその通りだと思うのです。
日常のレベルでは「相手に何をして欲しいか」とか「自分はどうしたい」とかいうことを表現することになると思います。こういうことは日本語の以心伝心の世界ではあまり意識しないことなんですね。英語の勉強って日本語とは少し違うそういうコミニュケーションの仕方を学ぶことでもあると思うのです。自分の場合、そういうことも含めて、学校での英語の勉強の仕方が間違っていたことに気がついたのは相当後になってからなのです。そういうことに気がついて初めて英語の勉強が始まるという気がします。
最初の段階から英語でコミニュケーションするという教育をすれば貴重な時間と労力が無駄にならなくて良いと思うんです。
お二人の反応が興味深いです。やっぱり現状肯定なんだなーと思いました。
僕は「英語でコミニュケーション」とは書きましたが、「英会話」とは書きませんでした。日本のいわゆる「英会話」って変ですよね。
「話す内容を持つことの方が大事」、全くその通りだと思うのです。
日常のレベルでは「相手に何をして欲しいか」とか「自分はどうしたい」とかいうことを表現することになると思います。こういうことは日本語の以心伝心の世界ではあまり意識しないことなんですね。英語の勉強って日本語とは少し違うそういうコミニュケーションの仕方を学ぶことでもあると思うのです。自分の場合、そういうことも含めて、学校での英語の勉強の仕方が間違っていたことに気がついたのは相当後になってからなのです。そういうことに気がついて初めて英語の勉強が始まるという気がします。
最初の段階から英語でコミニュケーションするという教育をすれば貴重な時間と労力が無駄にならなくて良いと思うんです。
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M
at 2008-12-28 18:41
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>最初の段階から英語でコミニュケーションするという教育をすれば貴重な時間と労力が無駄にならなくて良いと思うんです。
賛成です。漢文教育調では駄目ですよね。生活に必要な語彙、言い回しを中高で習わな過ぎです。
賛成です。漢文教育調では駄目ですよね。生活に必要な語彙、言い回しを中高で習わな過ぎです。
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at 2008-12-28 23:17
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実は、外国人が、英語で英語を教える塾に小2から通っていました。35年前で、外人が珍しい時代です。でも、殆ど役に立っていません。
実際に英語が分かり始めたのは、中学の頃のNHK基礎英語や、個人塾(先生は英検の面接試験官だった)でした。
大学院を出てから、アメリカに数年いましたが、高校英語で、日常会話は不自由無かったです。耳が慣れたら、アクセントで出身地が分かり、映画の言い回しで古い時代か新しい時代かわかりました。コミュニケーションでは全く困難を感じませんでした。アメリカ人家族とハウスシェアして共同生活したので、考え方や習慣も分かりました。
でも、論文や手紙での知的な言い回しや、上手い表現。話や講演での気の利いた言い回しはできません(私たちは日本語を話しますが、論文や手紙、講演などの文章が上手いとは限らないのと同じです)。自分が思う「英語ができる人」は、このレベルの人です。
今から考えると、、子供の頃、塾で私に英語を教えたアメリカ人は、英語ができる人ではなかったのだと思います。
実際に英語が分かり始めたのは、中学の頃のNHK基礎英語や、個人塾(先生は英検の面接試験官だった)でした。
大学院を出てから、アメリカに数年いましたが、高校英語で、日常会話は不自由無かったです。耳が慣れたら、アクセントで出身地が分かり、映画の言い回しで古い時代か新しい時代かわかりました。コミュニケーションでは全く困難を感じませんでした。アメリカ人家族とハウスシェアして共同生活したので、考え方や習慣も分かりました。
でも、論文や手紙での知的な言い回しや、上手い表現。話や講演での気の利いた言い回しはできません(私たちは日本語を話しますが、論文や手紙、講演などの文章が上手いとは限らないのと同じです)。自分が思う「英語ができる人」は、このレベルの人です。
今から考えると、、子供の頃、塾で私に英語を教えたアメリカ人は、英語ができる人ではなかったのだと思います。
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at 2008-12-28 23:18
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ここからは、個人的見解で、自分のことは、棚に上げて書きます。
英語ができる人は、母国語でしっかりとトレーニングを受けて、その上で英語を学び、英語の文章を多く読み書いた人が多いように思います。
日本で、英語で英語を教えても良いとは思います。ただし、充分なスキルある教員の確保が前提でしょう。私のような中途半端な英語しか話せない人が教えるなら、今のまま、日本語で教えるのが良いと思います。
自分の出身高校だと、英語で英語を教えられそうなのは、Oxfordの院卒の英語の先生一人だけです。
英語ができる人は、母国語でしっかりとトレーニングを受けて、その上で英語を学び、英語の文章を多く読み書いた人が多いように思います。
日本で、英語で英語を教えても良いとは思います。ただし、充分なスキルある教員の確保が前提でしょう。私のような中途半端な英語しか話せない人が教えるなら、今のまま、日本語で教えるのが良いと思います。
自分の出身高校だと、英語で英語を教えられそうなのは、Oxfordの院卒の英語の先生一人だけです。
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stochinai at 2008-12-28 23:21
欧米の研究者で教員の方に、日本の学生に授業(講義と言うよりは授業です)をしていただいたのを聴いたことが何度かあります。そこには、その「知的な言い回しや、上手い表現」「気の利いた言い回し」が満載でした。たとえ高校生といえども、学生が感銘を受ける授業というのはこうしたものにあふれていないとダメなのだと感じました。おそらく現役の高校生でも、日本語であろうが英語であろうが授業の中で感銘を受けるということがもっとも大事なことで、何語で行われるかということは実はあまり重要なことではないのかもしれません。故に、改正すべきは何語で授業をするかではなく、どうやって生徒に感銘を与えるかなのでしょうね。自戒を込めて、大学の教員にも、まったく同じ改革は必要だと感じていますが。
亀レス失礼。
そもそも学習指導要綱や国選の教科書がなくなって、
高校それぞれが勝手に、英語で英語の授業したり、日本語でしたり、もし望むなら英語で科学やその他の授業をすればよいと思うのですが、
どーしても指導要綱ありきというのなら、
まず各分野の専門用語を日本語化するのを放棄して、英語かもともとの言語にするのはどうでしょう。
生物分野なら、進化、淘汰をevolution, selectionにもどすだけです。
すくなくとも義務教育以上に進む人間の、分野の垣根を解体するのには役立つ気がします。
専門馬鹿以外の、暗記ものの総量は激減するでしょう。
英語教育を英語ネイティブに任せる、というのは反対です。
だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してないから。
文法的に日本語を理解してますか?ボクはしてません。
そもそも学習指導要綱や国選の教科書がなくなって、
高校それぞれが勝手に、英語で英語の授業したり、日本語でしたり、もし望むなら英語で科学やその他の授業をすればよいと思うのですが、
どーしても指導要綱ありきというのなら、
まず各分野の専門用語を日本語化するのを放棄して、英語かもともとの言語にするのはどうでしょう。
生物分野なら、進化、淘汰をevolution, selectionにもどすだけです。
すくなくとも義務教育以上に進む人間の、分野の垣根を解体するのには役立つ気がします。
専門馬鹿以外の、暗記ものの総量は激減するでしょう。
英語教育を英語ネイティブに任せる、というのは反対です。
だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してないから。
文法的に日本語を理解してますか?ボクはしてません。
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M
at 2008-12-29 08:11
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>英語教育を英語ネイティブに任せる、というのは反対です。
だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してないから。
文法的に日本語を理解してますか?ボクはしてません。
大丈夫、ESL用のテキストはたくさんあります。同様に日本語テキストも。1回授業すれば先生も教授法を学習できます。私の子供は現在週に2時間ネイティヴの個人授業を受けてますが、結構いいですよ。ずいぶん教育法が進歩してるのを、横で見ていて実感します。
だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してないから。
文法的に日本語を理解してますか?ボクはしてません。
大丈夫、ESL用のテキストはたくさんあります。同様に日本語テキストも。1回授業すれば先生も教授法を学習できます。私の子供は現在週に2時間ネイティヴの個人授業を受けてますが、結構いいですよ。ずいぶん教育法が進歩してるのを、横で見ていて実感します。
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ある
at 2008-12-29 09:06
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英語を日本語に訳すことに無理があったので、それがなくなる方向性には賛成します。会話重視になって、英語の学習内容が平易になることを恐れます。最終的には英字新聞、英語論文が読めないといけませんよね。
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坊ちゃん
at 2008-12-29 17:48
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英語教育の向上を論ずる時に、「外国語(英語)教育よりも母国語(日本語)教育を重視せよ」のような二者択一論が良く出てきますね。どうしてそうなるのでしょう?外国語教育と母国語教育(あるいは母国語による教育)の間には、本来的に相互排他性はありません。まるで、文科省対日教組が永遠に続くような結論ですね。
次に、私が指摘しておきたいのは、「英語が出来ないよりは出来た方が良い」ということを議論の前提に出来るならば、今の英語教育のどこが間違っているかを考えて、それを正せばよいだけの話です。間違っていなかったという人がそれほど多いと思えませんが、敢えてコメントしておくと、「日本の高校教育だけで、あとは米国で研究者生活をするうちに英語が普通に使えるようになったから、充分だ」というのは、余り適切な議論の方向ではないと思います。個人的体験としては間違っていないと思いますが、それ以上に、英語を必須とする知識集約型の職業に就いているだけで、出発点が違います。
次に、私が指摘しておきたいのは、「英語が出来ないよりは出来た方が良い」ということを議論の前提に出来るならば、今の英語教育のどこが間違っているかを考えて、それを正せばよいだけの話です。間違っていなかったという人がそれほど多いと思えませんが、敢えてコメントしておくと、「日本の高校教育だけで、あとは米国で研究者生活をするうちに英語が普通に使えるようになったから、充分だ」というのは、余り適切な議論の方向ではないと思います。個人的体験としては間違っていないと思いますが、それ以上に、英語を必須とする知識集約型の職業に就いているだけで、出発点が違います。
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坊ちゃん
at 2008-12-29 17:49
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またノーベル賞とスウエーデン人についてのコメントもありましたね。
益川先生の学問的業績と会話の面での外国語能力が何らか関係がないこともよく分かりますし、益川先生が日本語で講演されたことはあっぱれだと思いますよ。
でもスウエーデン人について日本人と比較すれば、
知識層および平均的国民(英国で言うところのワーキング・クラス)の英語能力は(敢えて言うならば都市部では)、いずれも日本人と比べものになりません。また、スウェーデンという国が、西洋史や近年の国際社会の中で果たしてきた役割にも興味深いものがあります。また、田舎=英語の必要の少ない地域とすれば、田舎で英語を話せる人が少なくても、それは世界中、どこでも当たり前でしょうしね。
益川先生の学問的業績と会話の面での外国語能力が何らか関係がないこともよく分かりますし、益川先生が日本語で講演されたことはあっぱれだと思いますよ。
でもスウエーデン人について日本人と比較すれば、
知識層および平均的国民(英国で言うところのワーキング・クラス)の英語能力は(敢えて言うならば都市部では)、いずれも日本人と比べものになりません。また、スウェーデンという国が、西洋史や近年の国際社会の中で果たしてきた役割にも興味深いものがあります。また、田舎=英語の必要の少ない地域とすれば、田舎で英語を話せる人が少なくても、それは世界中、どこでも当たり前でしょうしね。
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坊ちゃん
at 2008-12-29 17:51
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ではどのような点において、日本の英語教育が間違っているのでしょうか?第1点には、限られた時間の授業の中で、何が何でも英語力を身につけるという覚悟が、教師と生徒の双方に自然に作られていないことです。第2には、それを可能にする環境が作られていないことです。第1点は、おもに英語で英語を教えるという授業の形式が関係しますし、第2点には、教師の能力やクラスの規模(小人数クラス)の問題が含まれるでしょう。
例えば、ロンドンの英語学校では外国人にどのような授業をしているか、あるいは非英語圏であるタイやスイスのインターナショナル・スクールではそれまで英語を使った経験のない多国籍の小学生(あるいは経験のある中学生)にどのような英語教育をしているか、あるいは、ドイツの公立の中高(ギムナジウム)ではどのような英語教育をしているかを想像してみてください。いきなり結論で申し訳ないのですが、いずれの例でも、英語で英語教育をするというのは、やはり当たり前のことなのです。そして、これを高校から始めるというのは、日本の例でいえば、それまでの3年間の英語教育が無駄であったことに等しいのです。断固、中学校から始めるべきです。
例えば、ロンドンの英語学校では外国人にどのような授業をしているか、あるいは非英語圏であるタイやスイスのインターナショナル・スクールではそれまで英語を使った経験のない多国籍の小学生(あるいは経験のある中学生)にどのような英語教育をしているか、あるいは、ドイツの公立の中高(ギムナジウム)ではどのような英語教育をしているかを想像してみてください。いきなり結論で申し訳ないのですが、いずれの例でも、英語で英語教育をするというのは、やはり当たり前のことなのです。そして、これを高校から始めるというのは、日本の例でいえば、それまでの3年間の英語教育が無駄であったことに等しいのです。断固、中学校から始めるべきです。
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坊ちゃん
at 2008-12-29 17:52
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まず、文科省、各教育委員会は、不充分な指導要領で教育してきたとともに、レベルの低い採用基準で採用してしまったことを謝罪する意味でも、現在の英語教員に、研修の機会を与える必要があります。研修に出かける側も、どこにでもある学部レベルの交換留学や、語学学校の短期留学ではなくて、もっとインテンシブなものを想定して貰わないと困ります。英語圏には幾らでもそのような受け入れ先があります。そして研修成果は、求められる教育能力に対して明確な基準で客観的に評価して、その評価に落ちたら、猶予期間後は失職する、もしくは良くて本人の能力の範囲内で移れるなら、他の教科担当に移って貰うというくらいでないとだめだと思います。これくらい本当にやれば、30代までの若い人たちは、何とかなると思いますけどね。
ただ頭が痛いのは、比較的高年齢の日本人英語教員の問題です。この人たちは、さすがに柔軟性が問題となって上記の研修プログラムが難しいかもしれません。実は、この人たちがALTの人たちにとってもやりにくい相手のようです(まさに抵抗勢力ですね)。何か良いアイデアは、ないでしょうか?
ただ頭が痛いのは、比較的高年齢の日本人英語教員の問題です。この人たちは、さすがに柔軟性が問題となって上記の研修プログラムが難しいかもしれません。実は、この人たちがALTの人たちにとってもやりにくい相手のようです(まさに抵抗勢力ですね)。何か良いアイデアは、ないでしょうか?
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坊ちゃん
at 2008-12-29 17:59
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日本人教師の訓練プログラムが出来れば、一方で、現状の年間5,000人規模、契約期間(1年,延長2回まで、例外的に最長5年まで)のALTを廃止してネイティブを積極的に正規教員に採用することも有効でしょう。英語に加えて充分な基本教育能力があれば、国の内外、国籍を問わず、正規教員に日本人と同じ待遇で、採用すればよいのではないでしょうか。ただ、日本人英語教師を育成するという視点からは、採用枠のバランスは必要でしょうね。
興味のある人は、ALTの主催団体(いわゆる天下り団体)である(財)自治体国際化協会・JETプログラムのHPを見てみてください。ALTの予算で、日本人教師の研修派遣の予算ぐらい、すぐに出せることに気がつきますよ。
多少とも失礼なもの言いをお詫びいたします。
PS. この議論が始まって以降にある高校の先生と話す機会があったのですが、実は、個人レベルで、「英語での英語教育」を行っている先生は、結構いるらしいのです。ということは、教師の訓練プログラムと少人数クラスさえ出来れば、時間は掛かっても何となるのではないかと思いました。
興味のある人は、ALTの主催団体(いわゆる天下り団体)である(財)自治体国際化協会・JETプログラムのHPを見てみてください。ALTの予算で、日本人教師の研修派遣の予算ぐらい、すぐに出せることに気がつきますよ。
多少とも失礼なもの言いをお詫びいたします。
PS. この議論が始まって以降にある高校の先生と話す機会があったのですが、実は、個人レベルで、「英語での英語教育」を行っている先生は、結構いるらしいのです。ということは、教師の訓練プログラムと少人数クラスさえ出来れば、時間は掛かっても何となるのではないかと思いました。
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ぜのぱす
at 2008-12-29 22:55
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> 英語教育を英語ネイティブに任せる、というのは反対です。
> だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してない
少なくとも、アメリカには、外国人に英語を教える資格、と云うものが存在します。ネイティブ=母国語が英語のひと、を単純に雇うなら、それは教員免許のない教師を雇う様なものでしょうけど、専門的な教育を受けたネイティブとは区別すべきだと思います。
> だってネイティブは日本語も、外国人にとっての英語も理解してない
少なくとも、アメリカには、外国人に英語を教える資格、と云うものが存在します。ネイティブ=母国語が英語のひと、を単純に雇うなら、それは教員免許のない教師を雇う様なものでしょうけど、専門的な教育を受けたネイティブとは区別すべきだと思います。
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食い詰め博士
at 2008-12-30 20:41
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現在のALTは少なくともそんな資格はもっていません。
現地のお役所が適当に町歩いてるのを捕まえてくる例も多いそうで、大卒ですらない例もあるそうです(伝聞ですが)。またアニメ・マンガに憧れて日本にきたのに何もない田舎の高校に配属されて"話が違う"と怒り心頭、反作用で日本が大嫌いになる方も多いそうで(Japan probeなどのサイトのbbsに行くとそういう方がたくさん見られるそうです)。私のソースはネットの情報なので、これが真実かどうかはちゃんと調べなければいけないですが、もし上記のことが真実ならそれは双方にとって不幸なことでしょう。
では大卒・院卒のしっかりした方を採用すれば・・・と思うでしょうが。そういう方は日本のような辺境の地には来たがらないそうです。
現地のお役所が適当に町歩いてるのを捕まえてくる例も多いそうで、大卒ですらない例もあるそうです(伝聞ですが)。またアニメ・マンガに憧れて日本にきたのに何もない田舎の高校に配属されて"話が違う"と怒り心頭、反作用で日本が大嫌いになる方も多いそうで(Japan probeなどのサイトのbbsに行くとそういう方がたくさん見られるそうです)。私のソースはネットの情報なので、これが真実かどうかはちゃんと調べなければいけないですが、もし上記のことが真実ならそれは双方にとって不幸なことでしょう。
では大卒・院卒のしっかりした方を採用すれば・・・と思うでしょうが。そういう方は日本のような辺境の地には来たがらないそうです。
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坊ちゃん
at 2008-12-30 21:52
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私も最初に指摘したように、現在のALTの質は玉石混淆です(むしろ低いといって良いかもしれませんね)。これは、ALTに求められる任務が全て日本人教員に対する補助的業務であり、結果として採用基準の敷居が低い(要領がよければ留学生気分でも出来る)ということもあります。それにも関わらず、優秀な方が一部にいることも事実です(個人的に知っています)。優秀であってもなくても、補助的業務しかできないことの不満は同じそうですよ(それぐらいバカバカしい仕事なのでしょう)。また一方で、ALTの待遇はとても良いようです(このあたりは国立大の外国人外国語教師と同じですね)。ですから私が問題にしたいのは、その様なくだらない制度を天下り団体が管理して莫大な税金をつぎ込んでいるということです。それならもっとましな方法があるだろうと言いたいのです。
by stochinai
| 2008-12-23 23:22
| 教育
|
Comments(33)