5号館を出て

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研究室間格差

 別に今に始まったことではないのかもしれませんが、最近はとみに研究室間の経済格差が大きくなってきているのではないかという話が昨日の会議の中でも聞かれました。

 学会の年次大会以外に、シンポジウムとかワークショップさらには国外学会へ日本の学会として組織的に参加することを呼びかけても、参加できるのは限られた大学や研究所の限られた研究室からだけということが多くなっているのだそうです。

 昨今、研究費でもかなり苦しい思いをする研究室が増えてきました。日常的に研究室で使うお金に比べると、それなりの数の教員・学生がまとまって学会に参加するには結構大きなお金が必要になります。

 昔、高校の理科の先生が「研究費」という名目で使えるお金が年間数万円から十数万円くらいだという話を聞いたことがあり、さすがにそれではできる「研究」に大きな制限がかかってしまうと思った記憶があります。

 それが、最近では大学の理学部の研究室でも、年間研究費が50万円くらいしかないところも珍しくないという話も聞きます。外部研究費を獲得できなかった場合には、自分のポケットマネーを研究費に使っているという方の話もそんなに珍しくありません。

 学会の旅費も、学生には研究費から旅費を出すものの、自分は私費でとか、あるいはそれほど遠くない場所ならば、ラボ全員が教員の車で移動することもあると聞きます。

 一方で、使い切れないくらいの研究費が潤沢にある一握りの研究室もあります。そうした研究室では、最先端の機器をそろえ、高価なキットもどんどん使って、バリバリと研究が進み、学会やシンポジウムはもれなく出かけ、学生でさえ海外の学会に派遣してもらえるというところもあるようです。もちろん、こうした研究室からは国際レベルの業績もどんどん出ますので、研究費は継続的に維持されます。

 一方で、大多数の研究室がプア・ラボとして、恒常的な研究も維持できないほど追いつめられているのだとしたら、数年先さらには十数年先の日本の科学研究は確実に先細りになるでしょう。なぜならば、次の時代を担う萌芽的研究の多くは現在主流ではないところから出てくるものだからです。

 おまけに高学歴プアになることをきらい、研究者になることを希望する学生がどんどん減ってきています。今は、博士後期課程に進む学生が減少していることの影響は弱小ラボの方にに顕著に出てきているかもしれませんが、遅かれ早かれその影響はビッグ・ラボにも及ぶでしょう。

 底辺層をプアにしてしまうと、いずれ上部層も崩れてしまうことは、ちょっと想像力の働く人ならばわかることだと思うのですが、日本の科学教育政策担当者にはそうした想像力が欠如しているのでしょうか。

 日本の科学シーンが枯れ野になっている未来が見えてしまうのは私だけでしょうか。
Commented by リィ at 2009-01-25 23:57 x
初めまして。

僕は(恐らくプアではない)生命系ラボの4年生ですが、ポスドクの先輩が「この身分は未来が無い」などとお酒の席で荒れたりしているのを見ると、博士を目指すのを躊躇ってしまいます。

修士で就職できたら絶対安泰、なんてことも無いのでしょうが…。

ブログ主さんの研究室は、博士後期まで進まれる方は多いのでしょうか?
Commented by viking at 2009-01-26 00:56 x
僕のblogの宣伝ではありませんが、やはり「富める者は富む」という状況が進んでいるとPIレベルでも感じられる状況になっておられるのでしょうか?
Commented by hanahi at 2009-01-26 00:58 x
物理学の実験系の研究室に修士で2年、博士で5年いました。
ちょうど研究室が全く研究費を獲得できなかった時期に当たってしまい、
研究が全くできずにひどく苦しみました。

私がいた頃は、学会の費用は基本的に学生の自己負担でしたし、もちろん海外の研究会など論外でした。もっとも、当時はそれが普通だと思っていましたが。

当然、研究に使えるお金も全くありませんでした。私は実験手法の開発というテーマを与えられていたのですが、部品を買えないため装置を改良することも出来ず、試料を買うお金にも不自由しました。測定用の試料を100円ショップに買いに行った博士院生は日本で私だけではないかと思います。

それでも既に研究室にあった器材を使ってなんとか基礎データは出したのですが、そこで打つ手が無くなってしまいました。
そうこうしているうちに実験装置の本体も老朽化し、修理も買い替えも出来ないため、実験そのものが継続不能になってしまいました。

結局、博士課程は単位習得済み退学し、その後も数年の間なんとか学位をと苦闘して来ましたが、数年前にとうとう精神的に参ってしまい、しばらく研究を休んで通院することになりました。
今はだいぶ回復しつつありますが、さすがにそろそろ力尽きそうです。

既にどうしようもない状況なのは分かっているのですが、研究条件が悪かったがために、学位を取れないのが自分の実力だとはどうしても納得できず、なかなか諦めがつきません。
(ちゃんと研究室を選べるというのも実力のうちなのでしょうけれど)

幸い私は博士課程の途中で民間企業に就職することができたので当面の生活に支障はありません。(大学には会社が休みの時に行っていました)

ただ、高校生の頃あれほど憧れた、大学や研究、物理学に対して今では失望と嫌悪を感じてしまうことが悲しくてなりません。
Commented by hanahi at 2009-01-26 01:21 x
ちなみに↑は某旧帝大の理学研究科での話です。
Commented by 錬金術師 at 2009-01-26 02:26 x
地方国立大学法人に勤めていますが、わたしのところでは定常的にもらえる研究費は年10万ぐらいです。これプラス4年生ひとり約2万ぐらい、修士ひとり約10万(いわゆる積算校費?)...といった感じです。外部資金が切れれば50万は切りますね。もちろん、学会などは完全自腹です。
Commented by stochinai at 2009-01-26 06:46
 ご質問に答えて

 私の研究室でも、一昔前までは、ほとんど全員が後期まで進学していましたが、現在では博士後期課程に進学する学生はごく一部です。それよりも前は修士課程にすら進学する学生が少なかったことを考えると、今はほとんどの学生が修士までは進学するという違いはあるものの、先へ進む人がほとんどいないという意味で、状況は大昔に戻ったような気がします。

 「富めるものは富み」というほどでもないのかもしれませんが、我々のように「研究費は宝くじのように運がある時にのみ当たる」というような研究室がある一方で、不思議に思われるほど安定して研究費を獲得できている研究室があるのも事実です。「富めるものは富んだまま」というところかもしれません。
Commented by yugo-yuzin-hana at 2009-01-26 07:30
ラボが貧しく業績が出ないのはPIの能力不足でしょう。生き残れないPI,教授はこの世界から早々に御退散願い、かわりに若い人にチャンス(=独立支援と研究費援助)を与えた方がいいと思います。少なくとも国立理学あたりでは准教授、教授を全て任期制にして、一定の研究&教育業績を果たした者のみがlabを運営する資格を付与するのがいいでしょう。底辺層は一旦崩してしまい、能力と可能性のある若者に限られたパイを与えるのが科学の発展のために必要かと思います。
益々富みゆくビックラボにいましたが、若者の将来のためには論文を出し続け、富み続ける必要があります。責任感あるPIならば、若い人のためにも(こそ)、業績を上げ続け、ラボを富ませ続けていく苦悩を引き受けているものでしょう。
Commented by stochinai at 2009-01-26 08:39
 おっしゃることもわかりますが、競争的資金は応募者の20-30%しか当たりません。簡単な数字なのでおわかりいただけると思いますが、人を変えても事情は変わりません。
Commented by 地方教員 at 2009-01-26 09:22 x
私のところでは研究費は年間5万円の交通費のみです。その他はすべて私費です。科学研究費補助金などをとれればよいのですが,申請するにはある程度の研究成果が必要です。古株教員は景気の良い頃に購入した実験機器をもっていますが,私のような新参者は何から何まで私費なので限界があります。他大学に移るにしても実績を作ってからの話ですから,なかなか抜け出せません。格差の拡大を実感します。
Commented by ななし at 2009-01-26 09:53 x
大学の先生たちは十分高級だし、40台以上の人は終身雇用の方がほとんどで、共済にも入って老後も安心なのですから、研究費くらい取れなくたって、居室で読書したりブログを書いて悠々自適に過ごしていけるじゃないですか。

研究したけりゃ、ポケットマネーを少し出したって、罰は当たりませんよ。何でもかんでも税金におんぶにだっこというのは世間感覚からするとずれています。
Commented by ななし at 2009-01-26 10:11 x
蛇足ですが、今の終身雇用の教員と、1万6千人のポスドクや、これからの大学院生は全く立場が違います。結果を出すか、強力なコネを獲得しない限り、次の職はないのですから、どんな研究をしたいかよりも、どんな指導者につきたいかを重視するのは当然です。研究業界で「独り」でやって行ける人なんて今時いませんよ。科研費を湯水のように使えて、文科省や通産省などに太いパイプを持っている人がいるなら、その下で仕事をしたいと思うのは当然でしょう。

それから、科研費についても、20〜30%にしかでないというのは、20〜30%のくらいしか、教育者として適任ではない、つまり、それ以外は若手を育ててほしくないので研究費はあげないという見方もできるのではないでしょうか。

これに文句を言うのも自由ですが、今の大学に税金以外の財源がないなら、文科省でもどこにでも、頭を下げて言うこと聞いて、お金を出してもらうほかないのではないでしょうか(まぁ、そのほとんどは教員や職員の人件費に消えますが)。
Commented by 個々の事例はともかくとして at 2009-01-26 10:16 x
「研究」は「仕事」であるはずなので、私費を投じるのは公私混同でよくない
ですよね…それよりも研究費の一部を自分(PI)への給与(の一部)とするのが素直だと思うのですが、難しいのですかね。
それから競争的研究費総額と想定採択率より、「研究者」総数が決まってくるはずなので、「合理的に」考えれば、現状維持であれば研究者数を減らす、あるいは総額を増やす・採択率を上げる(1件あたりの粒度が小さくなる)といった全体での整合性を保つ舵取りをおこなう必要があると思うのですが、現状はそのために文科省が市場原理っぽい仕組みを導入している最中なんでしょうか?
Commented by 通行人 at 2009-01-26 11:43 x
研究界に市場原理を持ち込んで、果たしてうまくいくんでしょうかね?
だいたい、どんな研究が重要かなどということは、現在の基準ではかりきれないものがあります。それまで全く顧みられなかった分野の研究や直接何の役に立つかもわからないような基礎研究が、時代が変わって後からその重要性が認識され出した、なんて例は少なくありません。市場原理はあくまでも現在の限られた立場から判断するので、近視眼的な見方に陥る危険性があります。

研究者間の競争を活性化するという目的なのでしょうが、もともと一定の数の研究者は良い研究をすることにストイックなほど賭けているわけで、市場原理など持ち込まずとも切磋琢磨するんじゃないでしょうか。
Commented by かぴばら at 2009-01-26 12:06 x
市場があるわけではないので市場原理という言い方はおかしいです。
競争は必要だと思っていますが、評価がある程度まともでないといけないですね。市場が評価しているのではありません。評価システムに大きな問題があるのは誰も納得することではないですか。20-30%しかもらえないというシステムは僕もおかしいと思いますが、本当にだめな人もまだいっぱいいるのも事実です。通行人さんの理屈では駄目な人を擁護するだけで、本当に能力がある人が参入してくるのを阻害してしまいます。これでは全体が駄目になってしまいます。これも日本全体でおきていることの縮図ですね。
 もう一つ、学生が教員の研究費獲得の影響を大きく受けるシステムはおかしいです。完全にはできないと思いますが、教育と研究の区別をもう少ししても良いのではと思います。
Commented by 123 at 2009-01-26 12:16 x
子どもの数が減ってるのに大学の数は大幅に増えたという背景がありますね。文科省も減らしたいと思ってることでしょう。合併するのがいいと思うんですけど、なかなか話が進まないので、じりじりとお金を減らす作戦をとって、つぶれるまで、我慢比べように待ってるんでしょうか。
Commented at 2009-01-26 21:28 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by stochinai at 2009-01-26 21:46
 関連しているのではないかと、情報をお寄せいただきました。研究者になるために研究室をどうしたら良いのかということを考えている人には、(過激ではありますが)とても参考になる記事だと思います。

専門教育に関して悩まれている人へ贈る言葉
http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090116
昨日のコメントを受けた追伸、、、若さは才能
http://d.hatena.ne.jp/kaz_ataka/20090117
Commented by 勝ち組 at 2009-01-26 22:53 x
うちはジャブジャブとお金が入る研究室です。最新の実験装置を買って、ポスドク一杯雇って、論文大量生産して、それがいい連鎖でまた、研究費が当たって、手が回らないので、またポスドクを雇うの繰り返しです。教授はおそらく各人が何をやっているか把握していないのではないでしょうか(連名で教授の名前はのります)?ここまでくると研究”ビジネス”と言う気がします。
Commented by 一言 at 2009-01-27 01:13 x
富めるラボはますます富めるというのは、シンダーマンの『サイエンティスト・ゲーム』でいうところのマタイ効果ですね。
だめな研究者を切り捨てても、その中でさらに20-30%にしか研究費を出さない、というのが国も方針ですから、最後には1人しか残らないサイバイバルゲームです。それが科学にとって良いことなのか。
科研費を当てなくても、それなりには研究ができるようにしないと。
裾野が狭くなると頂も低くなる。
今のままでは、頂も折れて平野になってしなうのではないかと思います。

>hanahiさん
うちは今でも100円ショップで色々買ってますよ。
Commented by ある at 2009-01-27 10:39 x
一言さん
まさに、選択と集中の”成果”だと思います。
黙っていれば、どんどんこの傾向は
強くなると思います(経済界の大学
改革の意向が”選択と集中”なので)
Commented by 個人的意見ですが at 2009-01-27 11:14 x
20年前はほとんどのところがプアだったわけで、日本にもアメリカ並みに富めるところがでてきたのはいい点かなと思います。一方で、例えば理研のように機器やサービス(動物飼育、SEQ等)がじゃぶじゃぶのところに慣れた若手が、大学などに行きにくい(行きたくない?)という本音も聞くにつけ、大学を枯らすことの是非は「じゃぶじゃぶ」の環境にいる人達にもよく考えていただきたい、と思います(これでは大学と研究所の人の交流が進むはずがありません)。個人的に、「じゃぶじゃぶ」の人達の傲慢を感じることが多々あります。
Commented by 勝ち組 at 2009-01-27 19:17 x
>くにつけ、大学を枯らすことの是非は「じゃぶじゃぶ」の環境にいる人達>にもよく考えていただきたい、と思います

別に悪いことしているわけではありません。研究費でいい装置を買って、人を雇って(私が雇っているわけではない)、研究成果を発表しているだけなんですよ。そういうところで実績を積むことが将来への補償にもなりますので、人材も集まります。研究環境もいいです。それがまずいなら、システム自体を変える必要があると思いますが、我々ではどうにもできません。研究をやめるのが一番ですか??
Commented by コメント at 2009-01-27 21:56 x
研究室のPIの能力で、獲得できる研究費が違うのは当然で、競争は良いことです。しかし、現状の選択と集中の傾斜配分は異常です。自分の友人(北大)は年間で1億以上の予算があります。一方、同じ大学に年間予算100万円のラボが山ほど有ります。競争には賛成ですが、資金力が100倍も違うのは格差が大きすぎです。

 例えば、1億円の予算を20名の研究室で使うと、一人あたり500万円です。殆ど、ド素人の修士や博士の院生でも、有名ラボに所属すると、旧帝大の教授よりfreeで使える研究費が多いのです。これは、変です。格差が有ると言っても10倍くらいが限界では無いでしょうか。。

 逆に、予算が無いと嘆く人にも問題があります。1億円クラスの予算は、研究の質だけでなく、政策的重要性が、重視されます。大きな予算を獲得している教授は、敏感に、世の中の流れを見ています。一日千秋のように、大学院の頃から同じようなテーマの研究を続けている人は居ません。予算を取るには、自分の専門を修正することも必要でしょう。
Commented by 米粉面徒 at 2009-01-28 02:45 x
>政策的重要性が、重視されます。大きな予算を獲得している
>教授は、敏感に、世の中の流れを見ています。

今までを見ても、そのような大予算から革新的研究が生まれた例は皆無です。論文生産工場、一種のビジネスです。小林益川ノーベル賞で最近注目の、名古屋大物理流の自由闊達な精神といったものの対極にあるものです。まあ工業化、実用化、応用研究にはいいでしょうが、基礎研究にはこういう設定はきわめて不向きです。
Commented by hanahi at 2009-01-28 11:22 x
>うちは今でも100円ショップで色々買ってますよ。

道具類なら用が足りれば100円で構わないのですが、雑貨品の原料を「試料」として測定するために100円ショップを利用した人はそうはいないかと。(家政学などの分野ならあるかもしれませんけれど)

>逆に、予算が無いと嘆く人にも問題があります。
そう思います。(自分で科研費を申請したことは無いので、以下は傍で見ていた感想に過ぎませんけれど)
科研費の総額や配分に問題が大有りなのは分かるのですが、予算が取れないPIにももう少し工夫してもらいたい気はします。特に研究室の代表ともなれば経営者でもありますから、研究室が機能するだけの予算を確保するのは責務だと思います。

たしか『切磋琢磨するアメリカの科学者たち』という本の中に、米国では研究費は積極的に「獲に行く」ものだとの記述があったと思います。対して、日本では研究費が「当たった」「はずれた」と、宝くじのように言うことも多いようです。この表現からは「予算の当たり外れは時の運」といった受け身の姿勢を感じます。
科研費を取るにも、採択傾向を調べたり審査者に伝わりやすい記述を心がけるなどの積極的な工夫が必要なのではないでしょうか。
Commented by コメント at 2009-01-28 11:42 x
> 今までを見ても、そのような大予算から革新的研究が生まれた例は皆無です。
これは間違いです。例えば、小柴さんのカミオカンデやスーパーカミオカンデには、総額数百億円が投入されました。それがなければ、小柴さんのノーベル賞はなかったでしょう。ニュートリノの検出は革新的でない陳腐な研究ですか?

> 論文生産工場、一種のビジネスです。
論文生産工場はどうかと思います。論文生産工場の様なラボは、ボスの目が行き届かないので問題が多いです。但し、基礎、応用や予算の多寡に関係なく、予算を貰い、仕事として研究する以上、それはビジネスです。「基礎だから趣味で良い」とか、「応用研究だからビジネスだ」とか、どちらも違うと思います。

> 名古屋大物理流の自由闊達な精神といったものの対極にあるものです。
「世の中の流れを見る」ことと、「自由闊達な精神」は全く関係ないです。
Commented by コメント at 2009-01-28 11:46 x

> 基礎研究にはこういう設定はきわめて不向きです。
小柴先生の研究は基礎ですよね?バイオ系でも下村先生が在籍したMBLは資金力の有る人しかいられない研究所です。下村先生も年平均1億円は予算を獲得していたハズです。MBLだと、数名の「小規模なラボのPIでも、1億円/年は予算があります。10数名の研究室だと年間2-3億円の予算だと思います。MBLはアメリカでも屈指のノーベル賞受賞者数を誇りますが、大予算は基礎研究に不向きですか?

hanahiさんが書かれた
「採択傾向を調べたり審査者に伝わりやすい記述を心がけるなどの積極的な工夫が必要」
には、全面的に同意します。
Commented by papa at 2009-01-29 00:27 x
お金が必要な研究分野もあれば,そんなに必要ない研究分野もあるわけで,どちらもオリジナリティを大事にすればいいだけのことです.それを政府や大学当局がお金の取れるものがいい研究というレッテルを貼る風潮に問題があるのではないでしょうか.お金のないところは,それなりの研究をする時間があれば研究できるはずですが,お金の取れるところの研究を優先させるために,お金をとれない研究室が研究以外の用事の肩代わりを要求される場合もあるわけです.
Commented by kyodai at 2009-01-29 06:03 x
小柴先生の巨大施設、本格的稼働始めたスイスの山奥の巨大加速器LHCといった何千億から兆に迫る値札のついたビッグサイエンスの功罪については、物理業界内部でも色んな議論があります。究極の真理を探るという大目的の功は大きく、そのためには、少々は個々のスモールサイエンスをクラウドアウトする危険を冒しても、リソースを集約して当たるべきだというのが学会の世論の大勢で、このようになっているんだとおもいます。がしかし、その弊害も無視できず、その最たる者はお金が他所に回らないという事ではありません。むしろ、お金やそれから派生した主流派の権威に誘導されて、流行のテーマばかりに人がなびいて、本当の独創性の種が乾涸びて行ってるという面です。いまは巨大になった主流派の素粒子物理も、出た当時は群小の理論の一つなわけで、「学会のトレンド」を追う心性が行き渡って、小さな新発見が多数出る温床を枯らしてしまっては元も子もありません。
Commented by kyodai at 2009-01-29 06:03 x
「このテーマやらないとアカポスどころかポスドクすら取れない」という状況の恐ろしさは、スモーリン博士の著書に詳しいですよ。今咲き誇っている大輪の花にやる多くの栄養も大事ですが、これとて有限の寿命。地面に出ている多くの小さな芽のなかのどれかが、明日の大輪の花になるという視点を忘れてはいけないでしょう。
Commented by とおりすがり at 2009-01-30 01:16 x
本文の方、拝見させて頂きました。研究室格差というものの大きさというものは私も日々感じています。とはいえ、最先端の研究に関しては評価できる人もいないため、ここは難しい問題かと思います。また、キャリアパスについて使えないPIはやめろというのは、アカポスにつけない人の切実な意見であると思います。

とはいえ、現在、特に理学系の博士卒業者はアカポスしか道がないのも事実。パーマネントまでポスドク化してしまえば、その安定性の不安からより研究者を目指す人は減ることが予想されます。

大事なことは、「将来的な安定性の保障」と「若手のポスト確保」のバランスをうまく作らなくてはいけないということ。私は、パーマネントの給料を基本給とボーナスの2つにわけ、ボーナスの割合を大きくし、能力により大きく勾配をつけるというのが妥当と考えます。これにより、パーマネント自体の安定性は保証できますし、あまったお金で新しいポストを作り人を雇うということもできるのではないかと考えています。
Commented by M at 2009-01-30 16:20 x
国も貧しく、子供の数も減った。一度大学数も半分にしてしまう方がいい。研究室も統合して、教授、准教授も自前テーマを取り上げて助教から出直しさせるとかが良いと思う。金がなければ大した事が出来ない分野が多いのだから、自前で研究費が取れないなら、誰かの下で働くのは仕方が無い。これは自分の事でもあるが。
Commented by stochinai at 2009-01-30 17:22
 研究室を半減させるということになったら、私もそれを機に引退しようと思います。私のまわりにも早期希望退職制度があるならば応じたいという人は少なからずいらっしゃるようです。
Commented by こーた at 2009-01-30 18:40 x
競争的環境はマクロな面で生産性をあげる面ではいいのでしょうが、個々人としては非常に不幸な方向に向かっていますね。ジレンマです。しかし、競争的資金の増額は、良い方向に向かっているのではないでしょうか?若手PIポジションが増えていることも。終身雇用世代が引退すれば、おそらくは予算が取れてくる人のみが生き残れる時代が到来するのでしょうね。願わくば、ドロップアウトしていく人材の受け皿が広がるよう産業界の人材流動性もあがってほしいです。
Commented by 勝ち組 at 2009-01-30 18:46 x
正直、今はじゃぶじゃぶで、”ささやき”予算(知り合いの研究者から、こういうプロジェクトあるけど、入りませんか?といわれ、企画書書いてあたる)とかでお金がどんどん入ってきますが、自分が独立した頃に、今のテーマのブームが去ってしまって、一文無しにならないか不安です。
Commented by ある at 2009-01-30 19:55 x
イギリスのサッチャーの大学改革の記事です。今の日本の大学改革そっくりで参考になります。
ttp://www.ne.rikkyo.ac.jp/~hirayama/Yohken/Symposium/ohtani.pdf
Commented by M at 2009-01-30 20:19 x
勝ち組様 私も昔は勝ち組?だったんですよ、、。何もしなくてもボスの斡旋で計画班入りとかね。まあ、いろいろあって負け組になってます。同じ分野に人が沢山参入してませんか?明日は我が身かもしれませんよ。
Commented by 勝ち組 at 2009-01-30 21:02 x
Mさん

…( ̄▽ ̄;)!!ガーン
Commented by 123 at 2009-01-30 22:12 x
上のサッチャーさんの記事はためになりますね。多くの人が気づいていることですけど。お金の話に戻せば、年間予算100万を2人の教室員のところに配分するといかにも貧乏ですが、6人のところに300万なら工夫すれば色々やれるような気がするのです、特に研究分野が近ければ。以前、名ばかりの大講座制を作って実態は何も変わらなかったところを、今からでも改善できないものでしょうか?
Commented by kyoroski at 2009-01-31 10:57 x
研究資金が公的資金に偏り過ぎなのが問題のような気もします。

私なら、「いつか、研究費は国や企業から一切もらわず、自己資金で資産運用した益から出せるようになりたい」と思ってるのですが、こういう考え方は研究者としてダメですか?

現況、研究発表の国内旅費(数回分)は出せそうなのですが、手続きとか周囲の眼とか考えると無理っぽくて…
Commented by 元PD at 2009-01-31 18:11 x
>いつか、研究費は国や企業から一切もらわず、

戦前の理研はそうでした。
当時の理研での研究の自由は、経済的自立に裏付けられていたものです。

『「科学者の楽園」をつくった男―大河内正敏と理化学研究所』 (宮田 親平著)に詳しく書かれています。
ハナから無理と決めてかかるものでもないと思います。

Commented by stochinai at 2009-02-01 11:57
 私も同感です。
by stochinai | 2009-01-25 23:02 | 科学一般 | Comments(42)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


by stochinai