2009年 01月 28日
昔の北海道の冬の暮らし
近くにいるとなかなかいけないものですが、北海道庁の赤レンガ庁舎の2階に小規模なものですが北海道開拓記念館の分室「北海道の歴史ギャラリー」があります。先日行われた理学部の親睦会が始まる前にちょっと寄ってみました。そこで見つけた昔の北海道の冬の暮らしの必需品の数々は、まさに私が子ども時代に使っていたものばかりでした。
まずは貯炭式と呼ばれるストーブです。
塔のようになった部分の上にある光った金属部分が蓋になっていて、そこを開けて石炭を投げ込みます。塔の下のほうに回転式で調整する空気取り入れ口が2つ見えますが、下側が灰がたまる場所、その上が燃焼室です。燃焼室で燃え尽きた灰が下に落ちると、上から新しい石炭が供給されるしくみです。
燃焼してできた熱い空気は後側にある鍋などを熱する部分を通過して右奥につながれた煙突へと導かれます。後に見える銅色をしたものは、お風呂と同じ原理の湯沸かしです。燃焼室の左右にはやかんなどを保温するための台も用意されており、非常に合理的にできています。右側に置かれた石炭箱からジュウノウ(あるいはジョンバ)と呼ばれるシャベルで石炭を入れるのはおもしろい作業でした。ストーブの右側に置かれた火かき棒はデレッキと呼ばれます。
冬になる前にはどこの家でもトンの単位で石炭を購入し、「石炭小屋」に貯めておきました。だんだんと石炭が少なくなると広くなってくるのですが、子どもが悪さをすると真っ暗な石炭小屋に閉じこめるぞ、とおどされたのも懐かしい思い出です。
石炭を燃やすと、ものすごい煤煙がでますので、昔の札幌の雪は白くはありませんでした。スズメも寒いと煙突にもぐり込むので冬は真っ黒になっていました。とんでもなく環境を破壊していた暖房器具だったと思います。
夜に寝る時にはストーブは消しますので、室内も零下になってしまうのが普通でしたから、布団の中には暖房が必要です。最近、リバイバルしている湯たんぽですが、私が使っていたのは陶器だったと思います。湯たんぽのお湯は朝はぬるくなっていますが、顔を洗うのに使いました。
湯たんぽに変わって登場したのが、その左側にあるアンカです。豆炭という成型炭に火をつけて中央に置いて折りたたんで使います。不思議に朝まで火が持ちました。出た当時はハイテク製品だったのですが・・・。
子どもは風の子ですから、どんなに寒くても外で遊びます。今なら民芸品仕様ということで高価に売れるかもしれない写真のようなそりはどこの家にもあったものです。先端にヒモをつけるリングがありますが、そりを犬にひかせていたおじさんもいましたね。
写真の右下に片方だけ写っているのは、「雪スケート」です。スケートリンクなどというがほとんどなかったので、子ども達は雪スケートを長靴やスキー靴にしばりつけて、固まった雪の上をすべっていました。雪に埋まらないようにブレードが幅広くなっているのが特徴です。
こんな時期から、半世紀が過ぎてしまったんですねえ。
まずは貯炭式と呼ばれるストーブです。
燃焼してできた熱い空気は後側にある鍋などを熱する部分を通過して右奥につながれた煙突へと導かれます。後に見える銅色をしたものは、お風呂と同じ原理の湯沸かしです。燃焼室の左右にはやかんなどを保温するための台も用意されており、非常に合理的にできています。右側に置かれた石炭箱からジュウノウ(あるいはジョンバ)と呼ばれるシャベルで石炭を入れるのはおもしろい作業でした。ストーブの右側に置かれた火かき棒はデレッキと呼ばれます。
冬になる前にはどこの家でもトンの単位で石炭を購入し、「石炭小屋」に貯めておきました。だんだんと石炭が少なくなると広くなってくるのですが、子どもが悪さをすると真っ暗な石炭小屋に閉じこめるぞ、とおどされたのも懐かしい思い出です。
石炭を燃やすと、ものすごい煤煙がでますので、昔の札幌の雪は白くはありませんでした。スズメも寒いと煙突にもぐり込むので冬は真っ黒になっていました。とんでもなく環境を破壊していた暖房器具だったと思います。
夜に寝る時にはストーブは消しますので、室内も零下になってしまうのが普通でしたから、布団の中には暖房が必要です。最近、リバイバルしている湯たんぽですが、私が使っていたのは陶器だったと思います。湯たんぽのお湯は朝はぬるくなっていますが、顔を洗うのに使いました。
子どもは風の子ですから、どんなに寒くても外で遊びます。今なら民芸品仕様ということで高価に売れるかもしれない写真のようなそりはどこの家にもあったものです。先端にヒモをつけるリングがありますが、そりを犬にひかせていたおじさんもいましたね。
こんな時期から、半世紀が過ぎてしまったんですねえ。
by stochinai
| 2009-01-28 17:52
| 札幌・北海道
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