5号館を出て

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ダーウィンの200回目の誕生日

 チャールズ・ダーウィンが生まれたのが、1809年2月12日ですから、今日は200回目の誕生日ということになります。今年は「ダーウィン年」として世界中でお祝いの行事が予定されています。 今日から16日までシカゴで開かれることになっているアメリカのAAASの年会も当然のことながらダーウィンにちなんだテーマになっており、たくさんのセッションが用意されていると思います。
The meeting's theme—Our Planet and Its Life: Origins and Futures—recognizes that 2009 is the 200th anniversary of Charles Darwin's birth and the 150th anniversary of the publication of his book, On the Origin of Species by Means of Natural Selection. New understanding of the processes that fascinated Darwin continues to be the focus of intense research 150 years later. Indeed every discipline can demonstrate its own unique evolutionary path and speculate on where it may lead.
 ダーウィンの進化学説は、現在に至るまでその中心的理論に修正の必要がないほど素晴らしいものですが、ダーウィンがいなかったとしたら現在の生物学がまだ150年前の状態にあるかというと、そんなことはないと思います。

 確かにダーウィンは素晴らしい生物学者だったと思いますし、彼がいなかったら生物学の発展が何十年か遅れたという可能性はあったかもしれません。自然科学というものはたとえ天才的な人間の出現によって、時として急激な進展を見せることがあることは事実ですが、たとえそうした天才が出なかったとしても、たくさんの科学者が研究を続けることが許されているならば、時間さえかければ天才が出現しなかったとしても、着実に発展することができるものが科学の特徴のひとつだと思います。

 それを考えると、いつ出るかわからないひとりの天才の出現を待つような科学政策と、天才が出ようと出まいと着実に科学の進展を確保していくような科学政策を行うことのどちらが正しいかは、たちどころに結論の出せることだと思います。

 もちろん、アメリカのようにその両方を確保して、世界中から優秀な科学者が集まるような環境を用意するというのがベストなのかもしれませんが、今の日本は、出るかでないかわからない一握りの天才を待ちわびて、大多数のすそ野を枯れ野にしてしまうような科学政策に向かっているような気がします。大学政策も同様の方向を目指しているように思えます。

 こんな状態で、もしもダーウィンのような科学者が登場しなければ、あるいは登場してもそのことに気がつかれなければ、日本の科学に未来がないことは割と簡単に理解できると思います。

 「貧富の差の何が悪い、競争のどこが悪い」といってゴリゴリと押しまくってきた新自由主義があっさりと崩壊してしまったのを見ても、同じ論理で科学政策をやることの行き着く先はすでに見えているといってもよいと思います。

 ここで、大きく舵を戻すことができるかどうかが、この先100年の日本の科学シーンを左右することになるでしょう。

 せっかくのダーウィンの記念日ですが、暗い話題になってしまいましたが、もう遅すぎるのかもしれないと思う、今日この頃です。
Commented by 伊良林正哉 at 2009-03-21 18:02 x
ご無沙汰しておりました。私が書いた「大学院生物語」が増刷されることになりました。ご協力に感謝致します。大学院で苦労している人は本当に多いのですね。でも、あきらめないで頑張って下さい。努力した者が報われるのが社会の当たり前の有り様だと思います。
Commented by stochinai at 2009-03-21 18:05
 またですか。すごいですね。おめでとうございます。
by stochinai | 2009-02-12 19:56 | 生物学 | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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