2005年 03月 13日
金儲けの話以外のニュースが欲しい
参加型に対する疑問:悪意の情報の流布にトラックバックします。
相変わらず、ライブドアとフジテレビのマネーゲームの話題でマスコミの多くの部分が占められている毎日ですが、一昨日の仮処分申請でライブドアに軍配が上がったところで、私としてはこの問題に関するすべての興味が失せ果てたというのが実感です。
やはり、どう考えても堀江さんも日枝さんも興味の中心はメディアの未来というよりは、現時点でなにが儲かるのかという話にあるように思われますし、そういう点では私から見る限り、お二人には相違点よりは共通点の方が多く見えるのです。同じ穴のムジナです。
彼らの語るメディアのイメージは、超旧態依然の日枝さんのものも、超放任主義の堀江さんのものも、ちっとも私の心をわくわくさせてくれません。
それだけではなく両者は、たとえ戦っている相手に情報を渡すことはできないと言う戦争の論理が原因とは言え、嘘の言葉を平気で垂れ流し続けてきているところが、まったく気に入りません。
ライブドア側は「相手を乗っ取って支配する」「新聞・ラジオ・テレビの旧メディアには死んでもらう」と言っていた当初から、「話し合いで共同経営にしたい」とか「テレビがなくなるはずはないじゃないですか。インターネットと共存する道を探りましょうよ」などと方向修正するし、フジテレビ側も「乗っ取りをしようとする人間と会ったり、話し合ったりできるわけがない」「インターネットなんかなくてもテレビはちゃんとやっているじゃないですか」などという言い方から、裁判所の仮処分決定が出てからは「私は話し合いをしないなどとは、一度も言ったことはない。実務者同士で話し合えばいいと、ずっと前から言っていた」とか「フジテレビだって、インターネットはずっと前から利用しているんです」などと、発言をコロコロと変えています。
つまり、いつの間にか両者にはすりあわせができてきているように思えるのです。正義感を持った若者から見たら、それは薄汚い「大人のやり方」以外のなにものでもありません。
ここに至って、失言を繰り返す政治家などと同じように、堀江さんも日枝さんも、そして我々にとっては受験生時代の英雄だった亀ちゃんこと亀渕社長も、本来言葉で生きることを期待されているはずの人々が、言葉というものをあまりにも軽く扱っていること(つまりみんな嘘つきだ)に改めて失望を覚えざるを得なくなっています。
もう、この人たちとまじめにつきあう気持ちはなくなりました。勝手にやったらいいんじゃないでしょうか。
ライブドアも、フジテレビも、ニッポン放送も、来るべきメディアの未来を担うだけのビジョンはないと思います。それに比べると、いろいろと紆余曲折を繰り返しながらもブログの世界は着実に成長を続けているように思えます。
ニュース23で、筑紫さんが堀江さんにしつこく食い下がっていた、ネットに任せておいて本当に正義のジャーナリズムが生き延びることができるのかという点について、残念ながら堀江さんはきちんと答えられませんでした(というか、彼は正義とか政治とかジャーナリズムとか人権とかには、全然興味がないようです)。
しかし、堀江さんが理解していようといまいと玉石が混交しているネットジャーナリズムと、それを受け取る群衆が、たとえ断片的であれ発言の機会を与えられている雑多な市民(の一部)が、見ようによっては無政府的にやりとりができるというブログの世界は間違いなく今までになかった新しいジャーナリズムのありようだと思われます。
私には、次世代のメディアというものは、マネーゲームの中からではなく、こうした無力な人々が集まって作られるうねりの中から出てくるように思われるのです。
逆に言うと、その流れを的確につかめるかどうかが、お金儲けをできるかできないかにもつながるかもしれません。そういう意味では、ライブドアもフジテレビも正しく未来をつかんではいないような気がします。
ただし、競馬と同じようにたくさんのお金を持っていれば、可能性のあるいくつかの馬を買っておけば総合的には勝つ確率が上がってきます。ライブドアが今まで勝っていることの理由のひとつは、そんなつまらないことなのではないかと思います。
相変わらず、ライブドアとフジテレビのマネーゲームの話題でマスコミの多くの部分が占められている毎日ですが、一昨日の仮処分申請でライブドアに軍配が上がったところで、私としてはこの問題に関するすべての興味が失せ果てたというのが実感です。
やはり、どう考えても堀江さんも日枝さんも興味の中心はメディアの未来というよりは、現時点でなにが儲かるのかという話にあるように思われますし、そういう点では私から見る限り、お二人には相違点よりは共通点の方が多く見えるのです。同じ穴のムジナです。
彼らの語るメディアのイメージは、超旧態依然の日枝さんのものも、超放任主義の堀江さんのものも、ちっとも私の心をわくわくさせてくれません。
それだけではなく両者は、たとえ戦っている相手に情報を渡すことはできないと言う戦争の論理が原因とは言え、嘘の言葉を平気で垂れ流し続けてきているところが、まったく気に入りません。
ライブドア側は「相手を乗っ取って支配する」「新聞・ラジオ・テレビの旧メディアには死んでもらう」と言っていた当初から、「話し合いで共同経営にしたい」とか「テレビがなくなるはずはないじゃないですか。インターネットと共存する道を探りましょうよ」などと方向修正するし、フジテレビ側も「乗っ取りをしようとする人間と会ったり、話し合ったりできるわけがない」「インターネットなんかなくてもテレビはちゃんとやっているじゃないですか」などという言い方から、裁判所の仮処分決定が出てからは「私は話し合いをしないなどとは、一度も言ったことはない。実務者同士で話し合えばいいと、ずっと前から言っていた」とか「フジテレビだって、インターネットはずっと前から利用しているんです」などと、発言をコロコロと変えています。
つまり、いつの間にか両者にはすりあわせができてきているように思えるのです。正義感を持った若者から見たら、それは薄汚い「大人のやり方」以外のなにものでもありません。
ここに至って、失言を繰り返す政治家などと同じように、堀江さんも日枝さんも、そして我々にとっては受験生時代の英雄だった亀ちゃんこと亀渕社長も、本来言葉で生きることを期待されているはずの人々が、言葉というものをあまりにも軽く扱っていること(つまりみんな嘘つきだ)に改めて失望を覚えざるを得なくなっています。
もう、この人たちとまじめにつきあう気持ちはなくなりました。勝手にやったらいいんじゃないでしょうか。
ライブドアも、フジテレビも、ニッポン放送も、来るべきメディアの未来を担うだけのビジョンはないと思います。それに比べると、いろいろと紆余曲折を繰り返しながらもブログの世界は着実に成長を続けているように思えます。
ニュース23で、筑紫さんが堀江さんにしつこく食い下がっていた、ネットに任せておいて本当に正義のジャーナリズムが生き延びることができるのかという点について、残念ながら堀江さんはきちんと答えられませんでした(というか、彼は正義とか政治とかジャーナリズムとか人権とかには、全然興味がないようです)。
しかし、堀江さんが理解していようといまいと玉石が混交しているネットジャーナリズムと、それを受け取る群衆が、たとえ断片的であれ発言の機会を与えられている雑多な市民(の一部)が、見ようによっては無政府的にやりとりができるというブログの世界は間違いなく今までになかった新しいジャーナリズムのありようだと思われます。
私には、次世代のメディアというものは、マネーゲームの中からではなく、こうした無力な人々が集まって作られるうねりの中から出てくるように思われるのです。
逆に言うと、その流れを的確につかめるかどうかが、お金儲けをできるかできないかにもつながるかもしれません。そういう意味では、ライブドアもフジテレビも正しく未来をつかんではいないような気がします。
ただし、競馬と同じようにたくさんのお金を持っていれば、可能性のあるいくつかの馬を買っておけば総合的には勝つ確率が上がってきます。ライブドアが今まで勝っていることの理由のひとつは、そんなつまらないことなのではないかと思います。

非常に初歩的な疑問で申し訳ないのですが
メディア(この場合はマス・メディアを指しているとします)とマス・コミとジャーナリズムの相関関係が私にはよく分かりません。
不特定多数に向けた情報伝達形態をマス・コミュニケーション
その媒体をマス・メディアとするなら
メディアを有するものがマス・コミの発信源になっていることが多いことから同一視されていたのはわかりますが、ジャーナリズムとはどう結びつくのかがすごくあやふやです。
メディアという武器が変われば戦法(適切な言い回しではありませんが)が変わるのは理解できますが
メディアの変遷がジャーナリズム自体までを変えるものなのか?、そもそもメディアを包括したものをひっくるめてジャーナリズムの在り方としているのか、わかりそうで正直わからないです。
メディア(この場合はマス・メディアを指しているとします)とマス・コミとジャーナリズムの相関関係が私にはよく分かりません。
不特定多数に向けた情報伝達形態をマス・コミュニケーション
その媒体をマス・メディアとするなら
メディアを有するものがマス・コミの発信源になっていることが多いことから同一視されていたのはわかりますが、ジャーナリズムとはどう結びつくのかがすごくあやふやです。
メディアという武器が変われば戦法(適切な言い回しではありませんが)が変わるのは理解できますが
メディアの変遷がジャーナリズム自体までを変えるものなのか?、そもそもメディアを包括したものをひっくるめてジャーナリズムの在り方としているのか、わかりそうで正直わからないです。
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全然、初歩的な質問ではなく、もっとも難しい質問のひとつかも知れません。私もうまく説明できないのですが、人の言ったことにそうだとか、それはちょっととか、は言えるのかも知れません。
最近はいろいろと物議を醸している団藤さんですが、彼のジャーナリスト論には賛同できるものがありました。「誰だってジャーナリスト」
http://dando.exblog.jp/1237064/
それに対して、私もコメントを書きました。「あなたもジャーナリスト」
http://shinka3.exblog.jp/500191/
たいして参考にはならないかもしれませんが、暇があったら読んでみてください。
最近はいろいろと物議を醸している団藤さんですが、彼のジャーナリスト論には賛同できるものがありました。「誰だってジャーナリスト」
http://dando.exblog.jp/1237064/
それに対して、私もコメントを書きました。「あなたもジャーナリスト」
http://shinka3.exblog.jp/500191/
たいして参考にはならないかもしれませんが、暇があったら読んでみてください。
by stochinai
| 2005-03-13 23:59
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Comments(2)