5号館を出て

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もっともっとたくさんの科学批評家が必要だ

 CoSTEPの修了式のコメンテーターのおひとりである松田さんから受けた刺激に対して、それが新鮮なうちに書いてしまおうと思っていささか(というか、かなり)未熟な考えを書いてしまったために、多くの方を混乱に陥れてしまったことを反省しております。

 科学技術コミュニケーション: 解説から批評へ (stochinai)

 その結果、あちこちで不必要な反発や議論を巻き起こしてしまったという責任も感じているのですが、まあこういうことは議論されないよりは、多少の誤解や間違いを出発点としていたとしても、議論があること自体が良いことだと自分に言い聞かせております(^^;)。

 そんな中で、はななだ未熟な私のエントリーに対して、ktatchyさんとhiroichiさんが非常に誠実なご意見を書いてくださり、とても感謝しています。また、関連した有益なコメントもあちこちでたくさん頂きました。

 コミュニケーターブームが科学批評を阻んできた!? (K_Tachibana さん)

 評論と解説のあいだに (ktatchyさん)

 「科学評論家」が不要な社会に (hiroichiさん)

 お二人の意見は一見まったく逆の結論に至っているようにも見えますが、良く読むとそれほど違ったことをおっしゃっているわけではなく、こう言うとずるいと言われそうですが、私の考えていることもお二人の気持ちとそう変わらないとも感じております。

 また、私のエントリーとはまったく関係ない独立した動きなのですが、科学を担う博士を中心とした人達が国の科学技術政策を批判あるいは補完しようという活動も立ち上がり、個々の科学を越えた壮大な議論というものの必要性を感じている人も多くなってきているということが感じられる今日この頃です。

 科学技術基本計画/補完計画はじめました (sivadさん)

 さて、本題に入ります。

 現在の日本に、なぜ科学に批評家や評論家あるいはそれを自称する人すらあまりいないのかというと、そもそもが科学という「客観性」を扱う学問では、「理解」してもらえさえすればその評価は自ずから明らかなので、その意味や価値を評価するための批評家や評論家などというものは必要ないのだ、という根強い思い込みがあったからではないでしょうか。

 その結果、最近に至るまで考えられていたのは人々の科学に対する理解が深まりさえすれば、科学をめぐる問題は解決するだろうということで、啓蒙から理解増進そして科学コミュニケーションへと、誰でもが理解できるやり方で科学を理解させる試みが続けられてきたのだと思います。そして今では、お金や時間や人材をふんだんにつぎ込んで、オーディオビジュアルをはじめ現在手に入れられる限りのあらゆるテクノロジーを駆使したならば、我々が手にしている科学技術のほとんどすべてのものが誰にでも理解してもらう形で解説することが可能な時代になったと思います。(このことは、ネットを使ってさまざまな科学技術について検索してみると、簡単に実感できます。)

 ところが、そんな時代になっているにもかかわらず、未だに日本人のかなりの多くが血液型性格判断を信じ、怪しげな健康食品にだまされ、半年と持たないダイエット法が現れては消えるということを繰り返しています。

 もちろん、それらに対してたくさんの「コメンテーター」と言われる方が否定したり、反対したりということをしているのですが、同じくらいの数の「コメンテーター」がまったく逆のことを言っているという現実もあり、その状況では本来はどちらかが正しくもう一方は間違っていると判断することが可能であるはずのものが「客観」という名の非科学状態に置かれた結果、人々は自分の気に入った「意見」を採用するという感覚で「科学」をとらえてしまうという悲しむべき現実があるのだと思います。

 こうした状況の中で、たとえノーベル賞クラスの科学者でも、ちょっと専門をはなれると「トンデモ科学」と言われてしまいかねないような発言をされることも多いですし、ちょっと前までは科学者というものは「専門バカ」と呼ばれるくらい専門以外のことには疎く、さらには下界で戦争が起こって終わったことも知らなかった大学者がいたなどという伝説が生まれるくらい、科学者には社会性や批評性などがないのがあたりまえで、むしろそういう変な科学者こそが天才的な雰囲気があるとしてある種の尊敬を受けていたことすらあったのだと思います。

 ところが、今や我々の生活には深く科学技術が入り込んでいます。科学技術の理解だけではなく、そうした技術を使うことがローカルに、グローバルに、そして人間の未来にとってどういう意味を持つのかということを冷静に評価し、判断し、そしてここが体節ですが語ることのできる人が必要になっているのだと思います。もちろん、現役あるいは引退した科学者の中にもそのようなことをできる能力を持った人が少数いることは事実ですが、これだけ科学の前線が拡がっている現在、少数の科学批評家・評論家ではとても対応できません。広い科学知識と、特定の狭い領域に特化した深い科学知識を両方兼ね備えて、現役の科学者とも丁々発止の議論のできる存在があらゆる領域にたくさん必要だ、というのが私が考えていたことでした。

 もちろん、科学の解説をわかりやすく行うコミュニケーターの存在も必要ですし、コミュニケーターが批評活動を行うこともありだと思います。現役の科学者がコミュニケーターとして活躍しても良いですし、また評論活動をしてもいいでしょう。ただし、現役の科学者の多くが研究教育活動に忙殺されているという現実もありますし、上にも書いたように科学者が必ずしもコミュニケーターや批評家・評論家に適していないことも多いのですから、彼らのすべてにそれを要求しても酷なだけでなく、無理だと思います。

 そういう意味で、科学批評家・評論家としては現場を離れた博士や、引退した科学者などの中から出てくるのがもっともありそうなことだと思っています。実を言うと、私自身が科学批評家という職業にあこがれていたりするというあたりが本音なのかもしれませんが。

 次のテーマは、「科学批評家はどうやって食っていけるか」でしょうか(笑)。
Commented by K_Tachibana at 2009-03-24 00:13 x
東京新橋で行われたサイエンスコミュニケーション飲み会に出て,まだ酔いが回っているので,追ってコメントさせていただきますね.
即答できずにすいません.
Commented by 鶏肋 at 2009-03-24 00:33 x
「科学者」ではポスドクさえ食っていけないのに、科学「評論者」に力を入れる理由がまず理解できません。
評論者は脳関係のようなタレントの方で十分ではないでしょうか。
Commented by 鶏肋 at 2009-03-24 00:57 x
科学コミュニケーターを養成したとしても、これまでのように一般大衆に迎合した意見を述べる一団と、「無知蒙昧」な大衆を見下す一団の両者に分かれるだけだと思います。実際のところ、大衆はそれほど正確な科学に興味はないので。
一方では「トンデモ科学」を批判していていればいっぱしの科学者だと考える人もいるのではないでしょうか。私は「似非科学」の代表とされる血液型についても、実証されてはいないが、あったら面白い、程度の意見です。
Commented by stochinai at 2009-03-24 13:32
>大衆はそれほど正確な科学に興味はないので

 これはその通りだと思いますが、不正確な科学のもたらす害悪を放置しておくのもまずいと思います。

>血液型についても、実証されてはいないが、あったら面白い

 というようなことを科学に関係したことのある方がおっしゃることはいけないと思います。
Commented by 鶏肋 at 2009-03-24 15:57 x
昨日は酔っていたので余計な書き込みを失礼しました。
私は糖鎖関係の研究もやっていますので、糖鎖で人間の気質的なものが影響を受ければ「面白い」と思います。もちろん、ABOで性格を大別できるとは思っていませんが、神経や脳の発達にも糖鎖は関係していますので、一概に似非科学と全否定することもできません。

サイエンスコミュニケーターの育成自体は素晴らしいと思います。ただし批評する側は、少なくともきちんとした知識をつけて、それを正確に伝えられる人でないと勤まらないため、自分の分野だけを学んでいればいいだけの研究者より、はるかにハードルが高いと考えます。
Commented by 鶏肋 at 2009-03-24 15:57 x
実のところ、非科学的な説を単に「似非科学」とこきおろすだけの最近の「似非科学狩り」には幾分うんざりしていて、トンデモ科学を主張する側も、それを批判する側も、どっちもどっちだと思っています。遺伝子組み換え作物や原発の時のような空しさを感じます。
「非科学的」ならどこが非科学的なのかも理解させることもできないでいて、評論者気取りになることが科学者の使命だとは考えたくありません。
Commented by KAYUKAWA at 2009-03-24 16:18 x
 ある方から「コメントしなさい」と言われたので、ひと言だけ。

>次のテーマは、「科学批評家はどうやって食っていけるか」でしょうか(笑)。

 それが最大の課題です。僕は10年以上それを探ってきたつもりですが、達成できているとは思えません。挫折寸前です。ま、僕の場合は実力不足でしょうが……。
Commented by かぴばら at 2009-03-24 17:32 x
 評論家の数やレベルの問題というよりは、「場」がないことが問題なのではないでしょうか。ようするに科学メディアのレベルの低さの問題であって、文系の記者さんでもしっかりしていれば博士持ちの評論家が必要だとは思いません。
Commented by stochinai at 2009-03-24 17:38
 いろいろな(特にテレビに出るような)「評論家」の評判があまり良くないのは、やはりまだまだ数が少なくレベルの低い人が便利に使われているからだろうと感じるところもあります。そういう意味でも、質の高い批評家がたくさん出てきてくれることを期待しています。

 血液型性格判断ではなく「細胞膜タンパク質の糖鎖が神経細胞の活動に及ぼす影響」なら、立派な生物学だと思います。その違いを適切に解説し、なぜ血液型では性格が決まるという判断が間違いかということを適切に批評するというようなイメージを抱いています。
Commented by stochinai at 2009-03-24 17:44
 KAYUKAWAさんが食えないとうのであれば、科学批評・評論では食えないという結論になってしまいますが、科学批評「だけ」では食えないと考えることが出発点かなと思っています。

 そういう意味でもかぴばらさんのおっしゃる「場」を、それも収入の発生する場を作ることも課題だと思っています。どうして日本の科学メディアがほとんど絶滅してしまったのか、またどんな形ならば再構築が可能なのかを考えています。

 もちろん必要なのは「博士号」ではなく、高度な科学リテラシーです。そういう意味では文系の方もどんどん参入して欲しいと思っています。

 科学批評空間あるいはコミュニティを夢想しています。
Commented by K_Tachibana at 2009-03-24 20:07 x
KAYUKAWAさんも,科学批評・評論以外のことも平行してやられているので食べられているのだと思います.

農業と同じで,兼業というのが落としどころなのではないかと.

あと,「似非科学狩り」も,特定分野「だけ」に特化して行われていることに違和感を覚えています.鶏肋さんが仰るように,似非科学問題は言及するにもかなりハードルが高いので,私自身が話題にする機会はあまりありません.
by stochinai | 2009-03-23 20:13 | 科学一般 | Comments(11)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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