5号館を出て

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攻めの大学改革

 今日付けのCBニュースに、「日本の医学教育はガラパゴス?」という記事がありました。 
「日本の医学教育はガラパゴス」―。元東大客員教授のゴードン・ノエル氏(米オレゴン健康科学大)は離日する際に、日本の医学教育制度の特異性をこう表現したという。
 これは医学教育に限らず、日本の大学教育さらには大学院教育がそうなっていると思います。
東京医科歯科大医歯学教育システム研究センターの奈良信雄センター長が、「医学教育の国際間比較」と題して発表。この中で、ノエル氏の発言を紹介した。
 奈良センター長は、日本の医学教育制度の特徴として、▽教授から学生へのワンウエー(一方通行)の講義中心であり、学生は欠席、遅刻、居眠りをすることもある▽講座が縦割りで、基礎と臨床の乖離(かいり)がある▽大項目の筆記試験での評価法が残っている―などを挙げた。
 一方、海外の医学教育では、▽少人数チュートリアル教育▽基礎―臨床統合カリキュラム▽e‐ラーニング▽臨床の早期導入▽SPS活用▽シミュレーション教育▽参加型臨床実習▽MD-PhDコース(研究者養成特別コース)▽国際交流―などが主流になっていることを紹介した。
 この後に引用されている東大医学教育国際協力研究センターの北村聖教授が紹介したエピソードが、日本の高等教育システムにおける諸悪の根元をあぶり出していると思います。
最近の東大の教授会で、「入学させた学生を卒業させる義務があるのか」というテーマで意見交換があったことを報告。教授会では、「医学生は20歳を過ぎた成人。それなりの目標に到達していないのであれば、その後の人生を大学が保障する必要はないのではないか」「日本人的感覚からすると、冷酷かもしれないが、温情で卒業させたために、患者に被害が及ぶことになってはならない。臨床に向いていない人は落とすべきでは」「大学が卒業させるのであれば、大学が(医学生の質を)保証するぐらいでなければならない。もう、入学させたから卒業まで保証するという時代ではない」などの意見が出たという。
 医学部だけではなく、ほかの学部も含めて大学・大学院においても、入学した学生は「よほどのことがなけらば」、また「時には、かなり首をかしげざるを得ない状況があっても」ほとんどのケースにおいて卒業できるのが日本の高等教育制度の特徴であり、それがある意味でガラパゴスと言われる状況を生んでいるのだと思います。

 一方、昨日話題にした放送大学の卒業率はなんと入学者の10分の1くらいだと聞きます。そういう目でみると放送大学は、「普通の大学」よりは卒業要件を厳しく判定しているという意味で「進んだ」大学だと見ることもできます。もちろん、コメント欄でbeachmolluscさんが書いておられるように「せっかくPCとネットの時代になっているのにもかかわらず、その活用をベースに設計・構築されていない古いシステムが継続して運営されている」ということも事実だと思いますし、「大学とは名ばかりで、趣味の講座と何の変わりもない」という側面があるのもその通りだと思います。

 しかし、一方で他の大学とは違って入学した学生のほとんどすべてを卒業「させなくてはならない」という拘束がないという面から見ると、理想の大学に生まれ変わることのできる有利な素地を持っているような気がしました。

 国立大学を含め「普通の大学」は、文科省によって定員というものに非常に強い制限がかけられており、入学定員を10%上回る合格者を出すと運営交付金や補助金に影響を受け、30%を越えると信じられないようなペナルティ(すみません、中味はあまり知りません)が与えられるという話を聞きました。ということは、上の東大の教授会で話されたような、たくさん入学させてどんどん振り落としていくという制度は採れないということになります。私は、今の大学を再生させるひとつの有力な方策が、どんどん入れてどんどん落とすということだと信じていますので、それを許さない文科省のもとでは高等教育の改革は両手両足をしばられて400メートル走を要求されているようなものだと思います。

 一方、卒業率10%と言われる放送大学ではまさにたくさん入れてたくさん落とすという教育がされているということになります。その制度を使いつつ、beachmolluscさんのおっしゃる「専門分野の講師と受講生が双方向で情報交換をやり、主導する講師側も自分の勉強になるよう」な体制をとることができたら、そこらの大学に負けないものになることができそうな気がします。

 少子化で希望者全入時代になった大学を、卒業する学生の質の維持という観点からの攻めの改革をしようと思ったら、まずはここらあたりを突破口にするという手もあるかもしれないと感じました。

 現在の文科省にはどうしてそういうことができないのかということを含めて、ご意見をいただければと思います。
Commented by 一言 at 2009-03-27 04:12 x
入学定員だけではなく、退学率が高いと問題視されますから、その点も含めて文部科学省・第3者評価機関に再考してほしいものです。
Commented by ななし at 2009-03-27 08:49 x
大学院生をたくさん取って、学位を授与しなければ、そのうち学費が続かなくなって自主退学するでしょうし、数年間ずつただ働きさせられますね。「ポスト」ドクターや、ポストポスドク問題もなくなりますし。大学に取っては笑いが止まらないでしょう。
Commented by stochinai at 2009-03-27 09:38
 大学院生の研究成果が当の大学院生のものではなく、PIや研究室のものになってしまうという状況では、どうしても「教育」は成り立ちにくいことになります。つまり大学院教育を「正常化」あるいは「実質化」するには、教育と研究を分離する必要があるということになりますね。そうした視点での大学院改革も必要だと思いますが、そこでもまた文科省のリードは混乱していると思います。
Commented by beachmollusc at 2009-03-27 09:38 x
ガラパゴスの生物のように、隔離で進化した日本の高等教育というのは面白い比喩ですね。私には、文部科学省のパターナリズムの中央集権、何でも一律の鎖国政策がもたらしたユニークな状態に見えます。文部官僚とその御用学者集団の頭が化石状態なんでしょう。高等教育の「進化」を阻止するため彼らが費やしている努力は信じられないほどです。

現役時代、地方大学の内部から改革しようと努力しても、中央の親ルールで縛られていて、結局独自にはできないことだらけでした。今は少しは各大学の自主性も尊重されている(かもしれない)と思いますが、現状はどのようですか。
Commented by stochinai at 2009-03-27 09:50
 何も変わっていないと思います。というよりは、大学側が文科省の意向を非常に強く意識するようになってきているせいで、もっと悪くなっているかもしれません。
 独自改革どころか、次々と出されてくる文科省からの指導をクリアするだけで悲鳴を上げているというのが現状だと感じられます。
Commented by alchemist at 2009-03-27 09:53 x
▽MD-PhDコース(研究者養成特別コース)
私があちらの大学で勤めていた頃は、研究者養成もできるという目的で作られたMD-PhDコースは、確かに入学は極めて難しいけれど、所期の目的である医学の判る研究者養成には成功していない(臨床医になる人間が多いし、優れた研究者を輩出できている訳でもない)、という評価だったと記憶しているのですが、最近その評価が変わったのでしょうか?
大学の管理者側や政策担当者の公式見解は必ずしも実態を表している訳ではないのは、日本も米国も変わりありません。他の項目についても、そのまま鵜呑みにしてよいのかどうか、と思ってしまいました。
Commented by 123 at 2009-03-27 11:30 x
小さな私立医大で、一方通行でない教育を実施するには、もっと職員の数を増やさないと研究に使える時間はゼロになってしまうと思います。大学の看板を掲げた専門学校という訳です。まあ、もともと小さな大学に研究面での貢献は期待されてないかもしれませんが。
Commented by トホ at 2009-03-27 12:41 x
日本の大学は「勉強」と「学問」の違いを無視しているから、入学定員の制度もそうなっているのではないでしょうか。
「勉強」は与えられた課題をこなしていく、という姿勢で、ある程度まで「平等」に誰にでもできるものです。しかし「学問」、あるいはそれぞれの専門分野には向き不向きがあり誰もが修められるものではない、つまり最初から「平等」ではない。
かけっこをして一番からビリまでの順位をつけることさえためらうような、おかしな「平等」を掲げてきた戦後民主主義の日本の学校教育は、入学試験にだけその例外を認めてきました。ここでだけ決定的な順位をつけることが許される、ある種の聖域として、唯一の物差しとして活用されてきました。だからとても重視され、その受験勉強さえクリアしたら何にでもなれるという幻想を広く社会全体に浸透させたのだと思います。
ですから、実際には向き不向きがあるのですが、それを主張することは、勘違いされた「平等」さに反する、という強いタブーがあるように思えてなりません。このタブーが根強いので、入学した者を卒業させないのは難しいのだ、と私は推測しています。
Commented by stochinai at 2009-03-27 13:17
 alchemistさんがおっしゃるように、情報ソースの正しさを確認する作業は行っておりませんので、そこは注意が必要だと思いました。ありがとうございました。しかし、それがなくとも日本の高等教育に問題があるというところからでも、今回の議論は始められそうです。

 123さんのおっしゃるとおりで、今の大学にはお金と人が絶対的に足りないのですが、文科省はそれをスクラップアンドビルトしたいと思っているのでしょう。

 トホさんのご説明には納得させられました。誰が悪いというより、社会全体としてそのような「幻想」にしばられているのは、まったくその通りなのでしょう。我々はそこから脱すべきなのでしょうか。あるいは、その伝統を維持しつつ新しい制度を構築していくべきなのか、どちらなのでしょう。
Commented by ぜのぱす at 2009-03-27 13:34 x
日本のお医者さんは、博士号を取れば、アメリカに来れば名目上はMD, PhDですが、アメりカの医学部は大学院で、日本のそれは学部ですから、其の部分も含めて、自ずと色々違うのは仕方がない?

アメリカのMD-PhDコースでも、PhD部分は、通常のPhDより簡単に取れる傾向があるような気がします。もちろん、単独にMDを取るより、 MDとPhDの両方を取る方が余計に時間が掛かる訳ですが、若し、両者を別々に取ったら、倍の時間が掛かると思います。

医者をやっていないMDの(MD, PhDではなく)基礎生物学研究者は、アメリカにも数多く居る訳で、多くは、MD取得後、postdoc先で研究に目覚めてしまったひと達で、逆に最初からMD-PhDコースに入るひとは、単に泊付けが目的なんじゃないかな、と勝手な思い込みですが。
Commented by stochinai at 2009-03-27 17:11
 ニュースの文脈からは、「お医者さん教育」のことを言っているようには感じられましたが、私にも良くわかりません。
 折しも、今年の医師国家試験の合格者の発表があり、昨年の94.4%に続き94.8%という高い合格率だったようです(二次情報につきち91%という説もありました)。ちなみに、一昨年は87.9%)。まあ医師不足ですから、どんどん合格させていかなければならないのでしょうが、一方で上にあるような東大の先生のお言葉があるとちょっと複雑な思いにはなります。
Commented by alchemist at 2009-03-27 17:46 x
米国側の宣伝文句を鵜呑みにした制度改革は何度か経験しています。その度ごとに、換骨奪胎というか表面的なマネだけじゃないの?こんなことなら、やらない方がマシという印象を深くしています。例えば大学院重点化がその典型です。金をかけずにタダで教育改革ができるという前庭のようですから、こうなるのでしょう。上の話で言えば、ウチの学部でも少人数チュートリアル教育ができるような教員数はありません。医師不足で100人の定員を120人に増やしたら、まず各科目の実習でパンクする、その程度の人数しか居ません。
Commented by inoue04 at 2009-03-28 12:44 x
理想の医学教育は、「教育しない」ことだと思います。冗談ではなく、真面目にそう思ってます。医師国家試験を誰でも受験できるようにして、合格後の卒後研修に資源を突っ込んだ方がいいです。新卒医師は、注射ひとつ、縫合ひとつ、採血ひとつ、満足にできないのだから。

>今年の医師国家試験の合格者の発表があり、昨年の94.4%に続き94.8%という高い合格率だったようです(二次情報につきち91%という説もありました)。ちなみに、一昨年は87.9%)。

 その合格率は新卒者に限った数字です。90%ぐらいという数字は、既卒者も含めた数字なので、少し下がります。
 だいたい、毎年の合格率は同じぐらいで、あまり変化ありません。医師不足に配慮するということもないです。
Commented by 五平 at 2009-03-28 13:48 x
メディカルスクール制と卒後研修の充実が望ましいのでしょうが、医学部利権があるので改革は困難でしょう
Commented by inoue04 at 2009-03-28 13:55 x
メディカルスクールもいらないですよ。高卒者がすぐに受験できるようにした方がいい。
Commented by Inoue at 2009-03-28 14:25 x
>▽少人数チュートリアル教育▽基礎―臨床統合カリキュラム▽e‐ラーニング▽臨床の早期導入▽SPS活用▽シミュレーション教育▽参加型臨床実習▽MD-PhDコース(研究者養成特別コース)▽国際交流―などが主流になっていることを紹介した。

 SPSだけ何のことだかググってもわかりませんでしたが、他は全部、大半の医大で行われてます。仏作って魂入ってないのかもしれませんが、決してガラパゴスではないのです。教育担当者は常に海外の動向をウォッチしています。
 それでもうまくいかないのだとしたら、
・予算が足らない
・教育年限が足らない
・学生の能力が足らない
・そもそも、海外先の医学教育とやらが大したことない。光の面だけを見て、暗い側面が無視されている
のいずれかだと思います。
Commented by K at 2009-03-28 23:16 x
・教育者の能力が足らない
が抜けていますよ
Commented by louis_pasteur at 2009-04-01 16:36
同じくググってみましたが、SPs (simulated patients) のことかしら。

私は某宮廷医学部卒業の人間ですが、医学部内部の進級・卒業判定はきわめていい加減なものでした。定期試験はいい加減(採点基準不明)な記述問題ばかり(この辺はCBT導入で最近変わっているかも)、平均点や得点分布などの基本的な指標も公開されず、採点結果や得点も本人にまったく知らされない。

そんな状況が放置されたままで生殺与奪の権利を教授陣に与えることにははっきり言って反対です。大学の試験の点数は学生の正しい実力を反映していません。
by stochinai | 2009-03-26 19:53 | 教育 | Comments(18)

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