5号館を出て

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東京大学は博士課程の定員を減らさない

 今朝の朝日新聞に東京大学学長のインタビュー記事がありました。
東京大学は博士課程の定員を減らさない_c0025115_17293941.jpg
 インタビューの最後をお読みください。
東京大学は博士課程の定員を減らさない_c0025115_1730178.jpg
 「博士が社会で活躍できる条件」というのがポイントなのでしょうが、禅問答みたいで良くわかりませんでした。
Commented by sue at 2009-05-26 21:43 x
この手の話で、博士を社会を出すことばかりが議論されるのがどうも疑問です。「社会に出ない博士」…と書くとすごく嫌な言い方になりますが、アカデミアに残る人材は本当に足りているのでしょうか?少なくとも東大の総長はそう思っているみたいですが。
きちんと研究が出来る博士を育て、彼らを業界に残す努力を直ちに始めないと、日本のアカデミアは研究面でも教育面でも人材不足に陥るのではないかと思っています。その辺を定量的に議論することが必要と感じます。
Commented by グッド at 2009-05-27 23:27 x
アカデミアだって社会ですよ?為念。
それはおいといて学長の話ですが、研究について東大は今絶好調ですからね。ウチが(大事なお客である)博士を減らすことはない、というのが本音でしょう。
あとアカデミアの人材枯渇だって、東大みたく教官も学生も好待遇に釣られてホイホイやってくるとこからしたら、あんまし関係ないんですよね。
業界に残す努力、というのには反対です。そもそも優れたものが「残る」べき世界ですからね。
Commented by コメントA at 2009-05-29 23:45 x
> 優れたものが「残る」べき世界ですからね。

東大の博士も、酷い人が散見されます。自分が知る、東大院卒(ロンダ)実例を書くと。。。
地方大学→東大修士卒Aさん: 修論10ページ(短い!)。学会発表経験なし。
地方大or私大→東大博士卒Bさん、Cさん、Dさん、Eさん: 第一著者の投稿論文ゼロ。英語論文を書けない。

彼らは、大学院の研究室でプロジェクト研究のコマとして働かされ、充分な論文指導を受けていません。補助員やポスドクの採用面接すると、東大ブランドもアテにならないと思いますよ。

東大が”教育機関として”、絶好調ですかね??予算が集まり、大型プロジェクト研究が行われ、研究室としての成果は出ていますが。

しかし、院生1人をみると、例えば、first authorの論文がない東大博士卒が結構います。博士論文も日本語なので、英語論文を書いた経験ゼロです。関東地区のバイオ系博士院生の半数が東大生だから、仕方ないのかも知れません。。

東大卒博士の人数は多いですが、Sueさんが書かれた様に「人材不足」です。
Commented by グッド at 2009-05-30 17:41 x
>コメントAさん
東大のやり方は、たくさんとって見込みのあるのだけ育てる、ですから。優秀な人は大企業なり助教のポストなりゲットしてますよ。
今も昔も、優れた人材は待ってても来ません。東大の教育方針が変わるのを待つより、あなたの研究室の学生を指導・教育して育てるのが本筋ではないですか?
Commented by まあ at 2009-05-31 12:30 x
自助努力ですね。自分の能力、運、実績と現実の分析。
東大の先生は、運も実力もあったんでしょうから、何かが欠けてる人のことは分かりません。
 それにしても、日本も学位の基準を変えた方がいいと思います。博士号を与えるのは、「研究室主宰者としての能力を持つ者」にして、「高級技術者」レベルの人には与えない方がいいです。これだと私も失格なんですが、、。まあ、その場合はもっと若い時に進路変更できたので、その方が良かった気がします。
Commented by sue at 2009-05-31 23:30 x
最初の書き込みでは変な言葉遣いをしてしまいましたね。失礼しました。
(×)社会
(○)民間
と書き換えれば良いでしょうか。

…という(多分わかってもらえている)ミスはさておき、

> 優れたものが「残る」べき世界ですからね。

というところはけっこうポイントだと思います。

現状のシステムで、優れたものがものが「残る」ようになっているとはとても思えません。研究者として、あるいは教育者としての能力を正しく評価することが出来ていないのではないか、という指摘は色々なところでされていると思います。
さらに言えば、アカデミアという「社会」が、研究or/and教育に優れた人が「残りたい」と思える場所たりえているか、という問題もあります。

そういう意味で、油断しているとアカデミアは確保すべき人材を確保できなくなるのではないかという危機感を感じている、というのが上に書いた「疑問」につながっています。
Commented by コメントA at 2009-06-03 08:55 x
> あなたの研究室の学生を指導・教育して育てるのが本筋では..

私は大学教員ではありません。連携大学院で、学生も受入れてますが、大学院学生は数年に1度位ですね。”学生にやらせればタダ”なんて言ってみたいですね。。(皮肉です。)

私は研究所勤務なので、本筋は、”学生を採用する立場”です。ポスドクや補助員、研究員の採用側から、卒業に値しないレベルの者を、卒業させるなと書きました。

年間数百万も払って採用し、研究で使い物にならないと、雇用者側のダメージは相当ですよ。。
Commented by naru at 2009-06-03 22:52 x
使い物にならない人材を採用したのは卒業させた大学の責任では
なしに採用した側の雇用戦略の拙さもあるのでは?
優秀な人を採用できずに原因を一律に大学や学生側に帰すのは精神的視野狭窄を感じもするのが率直な感慨です。
Commented by グッド at 2009-06-03 23:51 x
採用面接は当然やってますよね?>コメントAさん
履歴書を見ればロンダ組かどうかの辺りは付くし、
研究紹介の一つもさせればメッキははがれると思うのですが。
企業採用では以前からこの方式ですね。
でもそれ以前に、東大は研究機関としてのNo1も目指していますから
優秀な人材は①引き止められて残る②他所でパーマネントを得る③企業に就職④海外流出、などなど幅広い選択肢があります。
どっちにしろ競合機関である貴方の所には、ポスドクとしてはまず来ないでしょう。
Commented by ななし at 2009-06-04 00:53 x
仮にも、大学が博士号を授与した人材が使い物にならなければ、博士全員の評価が難しくなり、博士号(と言う資格)の信頼性が低下することは免れ得ないのではないでしょうか。

大学側の視点が、企業は企業で勝手に優秀な人材を探せば良いと言う考えなら、企業は大学院の過程の途中だろうがなんだろうが青田刈りするわけで、学位取得なんて知ったことではないわけですよね。それで幾つもの弊害が出ているのが実状ではなかったでしょうか。

もっと、大学は博士号、修士号の価値を高める努力をするべきだと思いますよ。大学院拡充から、博士号の価値がかなり下落した印象があります。

東大は、曲がりなりにも博士が社会進出すれば、博士号の価値が上がり、その授与機関である大学院の価値も上がると言う見通しの上での行動を取っているのだと思います(方法はどうであれ)。
Commented by コメントA at 2009-06-05 02:27 x
> 研究紹介の一つもさせればメッキははがれると思うのですが。

メッキは剥がれます。しかし、最初の1,2度は、採用してしまったことが有ります。ダメージは相当でした。

研究所の、ポスドクや補助員は、企業の様に人事部の一括採用ではありません。各研究室が、自分の手で、公募~面接、採用決定、年金や社会保険の計算まで行います。人事のプロではないので、私も初めは騙されました(今はもう大丈夫です。)。

公募では、面接に値する人は1-2割。採用に値する人は、応募者の1割以下です。

私は自分のポリシーとして、公募をしていますが、論文ゼロで博士を取った人に、結構な確率で当たります。大学院は卒業させる学生の品質に責任を持つべきです。無能な人に学位を出して、博士の職がないと言っても説得力が有りません。

採用した方が悪いと開き直っていると、悪貨が良貨を駆逐する状態になり、ますます博士の職が減ると思います。
Commented by コメントA at 2009-06-05 02:37 x
> どっちにしろ競合機関である貴方の所には、ポスドク
> としてはまず来ないでしょう。

これは間違いです。経験もないのにいい加減なことは書くべきではありません。東大卒で、優秀でも、ポスドクを経ないで就職する人、あるいは、研究室に残って就職先が見つかる人は極めて少数です。いつの時代の話をしているのですか??時代錯誤も甚だしい。

それから、丹念に探すといい人材はいますよ。
Commented by 元助手 at 2009-06-05 06:31 x
東大では査読論文が博士の審査に要求されないのでしょうか?

 僕が出た大学院では3報、助手をやっていた大学では2報必要でした。
論文を書くということ、そのために色々考えたり調べたりということが、研究というものを大きな立場から考えるのに重要だと思うので(ここの方には言わずもがなでしょう)、0でもよいというのは信じられません。

 東大出の博士の質が特に悪いということなら東大はプランド名に胡坐をかいていると言われてもしょうがないですね。
Commented by とくめー at 2009-06-05 13:25 x
東大のとある学部の学位審査はゆるゆるで、査読付き論文1本でいいとか内部の人から聞きました。それも厳密に適用されているわけでないようで、かつては和文誌すらなく紀要の論文で学位をとった方とか、第一著者の論文なしに学位をとったかたがいるそうです。いくらなんでもそれはないだろとおもうのですが。
今後は東大も入り口は広くしても出口を狭くするような方針でやってほしいなと思います。
Commented by とくめー at 2009-06-05 17:11 x
一応私の情報はただの伝聞に基ずくもので、確たる証拠はまったくないものであることを明言しておきます。
本当に上記のことが真実であるのかはわかりません。
不確かな情報を書き込んでしまい申し訳ありません。
Commented by グッド at 2009-06-05 20:05 x
いい加減な採用してた人に「いい加減なことを書くな」と言われましても。
・・・それはさておき、
コメントAさんの言う極めて少数の方を指して優秀と言っているんです。
このご時世でポスドクなんかを選んだ時点で自身が研究者として劣っている証です。

将来のキャリアプランも立てず、近いうちに自身が人を雇ったり教育したりする
立場になることも考えず、漫然と科学が好きだからとか、ポスドクのうちに次の進路を探すさとか考えて、
年間たったの数百万円でこき使われることを良しとするような人は
いかに知識や技術が優れていようとも「アカデミックの」研究者としては不適格です。

このくらい言っとかないと、この不景気でなんとなく
ポスドクを目指すモラトリアムさんたちが増えちゃいますので。
Commented by グッド at 2009-06-05 20:23 x
>とくめーさん
「査読付き論文1本」というのはマシなほうです。
私が知っているのは、理工系で昨年度論文なしで学位をとった人がいます(笑)もちろん学位論文は提出してますが、それでいいのか?
ただし、東大でも厳しいところは厳しいので学部学科によりけりであることと、そういうのは絶対的少数の例外であることをあらかじめ断っておきます。
昔からそういう不公平をなくそうという動きは全国の大学でありますが、
「20報出してるが全部査読なしなのとNature1報とを一緒に扱うのか」
とか「カエルの生殖について研究しているが3年に一回しか産卵しない。査読付き3報は無理だ」とか、まーこまごまとあって難しいようです。
それでも昔よりは厳しくなりつつありますけども。
Commented by コメントA at 2009-06-05 23:27 x
> いい加減な採用してた人に「いい加減なことを書くな」と

申し訳ないが、いい加減な採用をしたことはありません。失敗したと思う人でも、論文3報はありましたよ。。

私が挙げた論文無しの博士は、不採用にした人です。彼らには、大変驚き、ショックを受けました。彼らは、社会で、博士として働いているハズです。面接した人は私と同様に驚いたと思います。

東大の博士の何%が、firstの論文無しか知りませんが、各研究室が公開している、論文数と、博士の取得者数を比べると、博士取得者の人数分、雑誌論文が出ていないので、稀な例ではないと分かります。

--
企業就職なら別ですが、アカポスへ、ポスドクを経ないで就職する人は、最近は殆ど聞いたことがありません。日本の次世代を担う、さきがけ研究の採択者をみても、ポスドク経験者が殆どですよ。

後輩が30代で、旧帝大の教授になりました。彼はポスドク経験者で、かつ、教授になった時点では、数百万の年収でした。グッドさんの基準だと、この人も無能ですね。。。。
Commented by naru at 2009-06-06 00:39 x
・院生時代のpublication数やらjournalのIFというのは所属labの
実力のファクターが大き過ぎるので、個人の実力とリニアーなcorrelationに乗らないケースも少なからずあると思います。

・博士の粗製乱造は確かに憂慮すべき事態だとは思います。
ただ、粗製は粗製なりに食っていかなければならない逼迫した事情も
ありましょう。
彼らが食って行くためにも、アカデミックポジション以外の進路を拡充するのが大切、
と総長閣下の行間からは言外に読み取れる気がします。
パレートの法則は博士号取得者集団にも当てはまろうかと思います。
卒業生全員にハイクオリティを求めるのは野暮な気もします。

・地方の医大を出てバイト麻酔科医をやって年収4000万を得る人と
ポスドクを生き延び、若くして旧帝大教授になって年収数百万稼ぐ
教授のどちらが有能か?というような問いはナンセンスに思います。

無能者でも活の道がなければ世知辛くて困ります。
圧倒的多数のそれほど有能でない人をどう社会資源に生かすか、
が重要でしょう。
切って捨てて終わりではそれこそ能がないです。
Commented by とくめー at 2009-06-06 05:37 x
>・院生時代のpublication数やらjournalのIFというのは所属labの
実力のファクターが大き過ぎるので、個人の実力とリニアーなcorrelationに乗らないケースも少なからずあると思います。

たとえそうだとしても、いくらなんでも論文が1本も無い人は実力がないとみなせるのではないかと思いますが・・・・
Commented by ねみず at 2009-06-06 15:03 x
博士で、論文がない(トップネームの)、というのは理系分野であり得るのでしょうか?不思議です。学位審査の要件は、ほとんど同じような気がしますが。私が世間知らずなのでしょうか?

naruさんが指摘されているよに、有能無能にかかわらず、制度を作ったからには、その制度下で生みだされた若者を、社会に取り込み、生かす道を考えるべきでしょう。有能な者は勝手に育つし、その中から特上の者を選択すればいい、という身勝手な能力主義と、相変わらずのブランド信仰とが混在していて、高等教育の場は、落ち着きのないわがまま小僧のように思えます。
Commented by ななし at 2009-06-06 18:36 x
論文の数や質で博士を評価するのは難しいと思います。旧帝大クラスでも、博士課程の学生はデータを出すだけで、教授が論文を全部書いて投稿するラボは少なくありません。

唯一、能力の差が出やすいのは、プレゼンテーションですね。話の段取りの上手さや、話が上手く展開するために必要なデータを的確に取って来れると言うのは才能です。

結局、お金をもらう研究と言うのは、お金を払う人がいるので、その人にわかりやすく説明出来なければ、研究なんてやっていてもやっていなくても同じです。仕事で研究をするのであれば、それは必ず念頭におかなければなりません。

学生のうちは、上の立場の人間がそういった説明を対外的にやってくれているからどうにかなっているだけのはずなのですが、博士になってからもそんな感じの人材が多くなりましたね。

博士号授与の基準は、自分の計画や結果を、誰の前に出ても恥ずかしくないレベルでプレゼンテーションが出来る、と言うのが良いのではないかと思います。

そういう意味では、審査員は科学者よりも、採用担当、官僚、はたまた一般人とかの方が面白いかも知れません。

Commented by ほーほー at 2009-06-07 14:59 x
>論文の数や質で博士を評価するのは難しいと思います。旧帝大クラス
>でも、博士課程の学生はデータを出すだけで、教授が論文を全部書いて
>投稿するラボは少なくありません。

ポスドクや院生の(データを出しただけでなく)実際に書いた論文のファーストを全部自分の名前にしてしまう教授もいますよね。そんな教授のラボに入った本人が悪いと言われそうですが、学生にそこまで見分ける力を求めるのは酷な気がします。そういう自己責任論を言う人は「自分は苦労しながらも賢く選択して今の立場を獲得した」という自負があるのかもしれませんが、かといって後進の学生に対してそういったリスクについて積極的に情報提供して支援しているかというと、そんな動きは(例外的な個人の動きを除けば)ほとんど見られないように思います。選択のための情報がないところで自己責任を言っても無意味です。もしそれでも自己責任を言い続けていると、結局学生は「自己責任で」アカデミズムから退散するだけでしょう。自分さえ良ければ、アカデミズムの将来はどうなってもいい、というのならそれでも構わないのでしょうが。
Commented by めずろ at 2009-07-26 04:30 x
筆頭著者になれなかったり、書いた論文をボスに読んでもらえなかったり。よくあることです。
(そんなラボを選ぶ事自体、能力が低いからだと言われるともう何も言えませんがね。ほーほーさんのおっしゃるようにそれを自己責任だと言うのはおかしいと思います。)
結局はちゃんと研究内容を吟味しているならば、論文の本数なんて関係ないと思いますが。
研究室によってスタンスが千差万別であるのに、評価基準に関して論文数だけを絶対視するのはどうなんですかね。

やたらと他人を卑下しようとする人は見ていて見苦しいんですが…。
一体何を主張したいのか全く分からない。
採用する側なら自分達がきちんと見極めればいいだけの話。
採用者以外なら一体どんな立場の人?
大学の博士の基準が高くなったら、一体(具体的に)何の利益を受ける人なのでしょうか。大きなお世話と言う以外に言いようがない。

博士を「利用する側」に多大な問題点があると考えてる者としては、一体何をほざいているのか(失礼)、と逆に怒りを持ってしまいます。

Commented by ほい at 2011-08-09 12:47 x
博士大衆化反対の立場から一言かきます。
東大の「父母向け」説明会で「博士課程の#教育#」と聞いたときには耳を疑いました。博士課程の学生って、ビジョンとパッションをもって、世界を驚かそうと企んで、ときには助けてくれたり、ときには邪魔してくれたりする教授をうまく転がしながら、自分の実積を積み上げるものだと思ってました。そういう人は、いろんな人を見習うことはあっても、教育されるつもりは全くないと思います。時代錯誤といわれるでしょうが、そのくらいの若者でなければ、将来アカデミアでは役立たないと思います。
by stochinai | 2009-05-25 17:36 | 大学・高等教育 | Comments(25)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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