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臓器移植法改正案可決(たとえば脳死がiPS細胞で治るようになったらどうなる)

 法律があり、生前からその意志をドナーカードに残していた人が脳死になったならば、家族の同意のもとで臓器が提供できるという状況がありながらも、これまで年間10件程度とその例数がきわめて少なかった臓器移植医療です。15歳以下の臓器提供もできなかったこともあり臓器提供を増やすために検討が続けられてきた臓器移植法改正ですが、昨日衆議院本会議で採決が行われ、最初に採決されたA案が賛成263、反対167という大差で可決されてしまいました。私としては、あまりに大差で簡単に可決されてしまったという印象です。

 何も根拠がないのですが、今まで臓器提供が少なかったという事実が、国民の多くが臓器移植に積極的には賛成していないことを示しているような気がしますので、衆議院の意見分布は必ずしも国民の意見分布を反映していないかもしれず、この件に関しては参考として国民投票でもやることの意義はあると思います。この期に及んで新聞などのマスコミでは「議論を深めろ」などと言っておりますが、議論は採決の前に深めるものではないかと思います(苦笑)。

 おさらいのために、朝日ドットコムに載っていたA案の要点を引用します。
(1)「脳死は人の死」という前提に立つ。ただし、本人・家族は脳死判定や臓器提供を拒める
(2)提供者に年齢制限なし。本人意思が不明の場合、家族が提供を決められる
(3)親族に優先して提供できる
(4)政府や自治体は移植医療の啓発、知識普及に必要な施策をとる
(5)虐待を受けた子が、親の判断で臓器提供をさせられないようにする

〈脳死〉 脳幹を含むすべての脳の機能が完全に止まり、回復することがない状態。自発呼吸をつかさどる脳幹の機能が失われているので、人工呼吸器を使わないと呼吸できず、心停止に至る。
 医療とは生きる可能性を期待して行われる行為ですから、「脳死は人の死」ということになると、「死体」に対する「医療行為」などあり得ないということになります。当然、保険医療などはありえなくなるでしょう。脳死判定を拒否する家族が増えるかもしれません。

 医学や生物学の進展を考えると、私個人としては臓器移植というのは過渡期の医療のように思えてなりません。脳死というのは、死へ向かうことを絶対に止められない状態ということですが、それはあくまでも「現代の医療技術では」という前提のもとにおいてです。

 人工呼吸器などをつけている限り、かなりの長期にわたって破壊された脳の部位以外のところを「健康に」維持することが可能ですから、もしもiPS細胞などを使って脳幹の再生治療ができるようになったとしたら、皮膚からiPS細胞を作り、それを使って治療するための時間は確保できるものと思われます。特に新生児・乳幼児の場合にはその可能性がかなり高いような気がします。前提として、もちろん実際にそのような治療技術を開発するための研究が必要になりますし、高額な医療になるような気もしますが、研究テーマとしては十分に成立するものです。

 生物学・医学の今の発展を見ていると、この話はSFと言い切れるものでなく、私には近未来に起こりうるような気がします。そうなった場合には、臓器提供のドナーとなることを選ぶ人はいなくなるでしょう。

 もちろん、私も現在のように善意のドナーと希望者がマッチした場合に行われる臓器移植に反対するものではありません。死んでしまった自分の身体から取り出した臓器が、誰か他の人の命を救うことを希望する人がいることも理解できます。しかし、日本人の感性としては誰かが亡くなった時には、生きていた時のその人意志を尊重しようという心情を示す人が多いことは多く経験することです。生きていたときに好きだったものを霊前に供えたり、生前希望していたことをやらせてあげたかったと話されることは普通です。そういう感性を持つ我々は死体を扱うときにも、その人が生前に希望していたようにしてあげたいと思うのではないでしょうか。それが、改正前の法律にあった書面における意志の表明なのだと思います。改正法でそれがなくなったとしても、遺族や周辺の方々は「故人」の意志を探そうとするに違いありません。

 そう考えると、今回の法改正によってドナーの数が劇的に増えるということは期待できないだろうというのが私の予測です。

 また、脳死状態は自殺を除くと、交通事故などの不慮の事故によってもたらされることが多いものです。世の中から追い詰められた人が減り、平和で安全な社会が実現されることは多くの人の望みであり、そうなってくれば脳死に至る人も減ってくることが期待されます。

 そうしたもろもろのことを考えると、私には法律を変えることによって脳死からの臓器移植を増やすということの意味がわかりません。

 現状の臓器移植法でできることは続けていって良いと思いますが、今はその状態で臓器の提供者を増やす努力(賛同者の増加)を続けることで良いのではないかと感じています。それと、福祉を充実して、安全で安心な社会を作ること、自らの細胞と自然治癒力で治すことを目指す医療をもっともっと発展させるために医学・生物学の研究に力を入れることこそが、日本という国の取るべき選択だというのが私の意見です。

 まあ、前回のように参議院で修正されて可決される可能性もありますし、衆院解散で廃案という可能性もあるし、さらにはこのまま成立しても劇的に状況は変わるというものでもなさそうなので、あわてて大騒ぎすることはないとは思いますが。
Commented by 通りすがり at 2009-06-19 22:29 x
移植が間に合うか死ぬかの瀬戸際に立たされている家族の方や、移植が間に合わずに子供を亡くした遺族に、それとおなじ言葉を(苦笑)しながら吐いてください。
「医療技術が発展するまで耐えてろ。安全で安心で福祉が充実した社会をとりあえず今から目指すから我慢しろ」とね。

技術は常に過渡期であり、技術レベルに見合った法律がその場その場で作られていくのです。今のあなたは想像力が足りないとしか言えません。
Commented by えらそうに言うな at 2009-06-19 23:20 x
>移植が間に合うか死ぬかの瀬戸際に立たされている家族の方や、移植が間に合わずに子供を亡くした遺族に、それとおなじ言葉を(苦笑)しながら吐いてください。

私でよければ言って差し上げますが。
もし移植でしか助からないのであれば、それは諦めるべきであると。

想像力が足りないのは、あなたも同じでしょう。
たとえば不慮の事故で脳死状態に陥った子どもの親のことを、あなたは考えたことがあるのですか。
Commented by 鶏肋 at 2009-06-20 00:06 x
> もし移植でしか助からないのであれば、それは諦めるべきであると。
本当にそれを親族に言えるのでしょうか?私にはとてもできません。

> たとえば不慮の事故で脳死状態に陥った子どもの親のことを
親に拒否権はないのでしょうか?
Commented by TY at 2009-06-20 01:33 x
現時点で、治療(移植)すれば日常生活を送れるかもしれない人と、治療方法がない脳死の人という議論だと思います。感情論、宗教論でいけば、人の死は尊厳あるもので、臓器ひとつに魂があり、個人に帰属するため、簡単に脳死をヒトの死と認めさせ、移植という話をするのは難しいと思います。
ただ現時点で、脳死は“死”だと思います。人工呼吸器がなければ呼吸することができず、昔でいう生きることができない。”通りすがりさん”がいうように、その時々に法律があっていいと思います。ですので、現時点では、A案でよかったのではないでしょうか。
ドナーが増える増えないは、どうでもいい。今まで、脳死をヒトの死と扱わなかった法律がよくなかったと思います。
ですので、今回は、法案賛成に賛成します。
Commented by a at 2009-06-20 07:08 x
iPSによって脳欠失が治ることはあっても数十年先。
それが出たら考えたらよい。
いまは今の時代で最善の策を考えるのは当然だと思う。

しかし、もし、iPSが2-5年先に目的をなしうるなら考えるべき。
でも、実際問題としてiPSが失った脳機能を再生するのはほぼ不可能だろう。
脳神経細胞は作れても、回路形成までは絶対に無理。
ブログの作者の研究領域からすればお分かりになると思いますが…
10年後どうなるかわからないものまで視野に入れて政策を組むのはナンセンスでしょう。
それよりも、助けられる命がある。そのことのほうが重要ではないでしょうか?
僕も今回の法案は賛成です。

いろんな意見があっていいと思う。
だから、自分で選択できるようになっている。
子供に関しては親がヤダと言えばNoといえる。
虐待等をどう見抜くかが問題になるが、そんな細部まで決めていたら何も動かない。
現場の医師に判断を任せるのが、今とれる最善の策だろう。

久々にいい法案だと思います。
Commented by OneWord at 2009-06-20 11:14 x
死についての判断を時流に合わせるべきものかどうか
とうことですね。

上の皆さんは「えらそうに言うな」さんを除き、YESですね。
私はNOです。stochinai先生もYESに見せかけて背理法でNO
Commented by umishida at 2009-06-20 16:04 x
 現行の臓器移植法が成立した時から納得いかないのですが、臓器移植を可能にするために、死の定義を変えて死の時期を繰り上げるということですよね。先に死の定義の問題があって、「脳死を死と認めよう」「だったらそこから臓器を取り出してもいいのではないか」と議論が進むならまだしも、臓器移植が必要だ、しかし生者から臓器を取り出すことはできないから、死んでいることにしよう、というのは強烈な違和感があります。生死の定義を、プラクティカルな動機で変更するなんて。

 だったらむしろ、「臓器を取り出すため、間もなく確実に死ぬ人を殺すことを合法化しよう」という議論の方が筋が通っているように思います。
Commented by oldoldparr at 2009-06-20 17:40 x
自分の子供の脳死を認め臓器を提供したいと考える親がいて、自分の子供に臓器をもらいたいと考える親もいる.
現行法がそれを許さない状態を改正しましょうという、至極シンプルな考え方ではダメですか?
もちろん法改正により生ずるまずい事の防止策は必要でしょうが.
Commented at 2009-06-20 18:18 x
ブログの持ち主だけに見える非公開コメントです。
Commented by 最後はご家族の意思次第 at 2009-06-20 19:42 x
oldoldparrさんと同意見です。「脳死は人の死か?否か?」という点ばかりが報道されているように思いますが、今回の問題は、「海外での移植医療が期待できなくなった現在、日本という社会で移植医療を認めますか?認めませんか?」という判断が問われていると考えています。
Commented by 脳といえる at 2009-06-20 21:17 x
そもそも脳死判定も現代科学の暫定的基準です。意識がないことが前提になってますが、それも現代科学で断言できませんよね。家族の意志よりも大事なのが本人の意思です。
Commented by yugo-yuzin-hana at 2009-06-20 21:21
先日主治医としてレスピレーターつけるかどうかの瀬戸際に立たされました。今回法案が成立すればレスピレーター抜去が法的に可能になる可能性があるんですよね。移植分野を超えて、波及する影響は甚大なものがあると思います。
iPSで脳幹細胞が仮に再生したって大脳皮質はXのままですよね。それは所謂植物人間にするということです。ナンセンスだと思います。
個人的には難治性の先天性疾患に対する治療の道筋がつきそうなのはいいことだと持っています。御家族の同意と第三者機関による判定が必要だとは思いますが…
Commented by ななし at 2009-06-20 21:43 x
iPS細胞で脳死が直せる(かもしれない)と考えるのに、iPS細胞で作った人工臓器の移植が出来ないと考えるのは変な気がします。どう考えても、脳以外の器官の再生医療のスピードは、脳より早いと思います。そして、近い将来、人工で臓器が作れるようになったら、脳死患者からの移植の必要性は下がって行くと思います。(どのくらい先になるかはわかりませんが。)つまり、臓器移植法と脳死をからめて議論すること自体ナンセンスな印象を受けます。

無論、この場合でも脳死は人の死かと言うのは、移植とは別に考える必要があります。引用の中にある「全ての脳の機能が完全に止まり、回復することのない状態」と言うのであれば、確かに人の死であると考えられると思います。なぜなら、現時点では人格を作り出しているのは脳であるからです。今後、移植医療や臓器再生が進めば進むほど、人格を格納した不可換の器官としての脳機能の重要性は増して行くと考えられます。科学が、この「人格」を人工の脳、ないしはコンピューターなどの上でコピーしたり、保存出来るようにならない限り、脳の死は人格の死であり、人の死と言えると思います。
Commented by 脳といえる at 2009-06-21 00:27 x
「全ての脳の機能が完全に止まり、回復することのない状態」

これもあくまで現時点での判断ですよね。現在の判定では、脳の機能が完全に止まっているのかどうかすら、はっきりとは分かっていません。
なにしろ脳の機能自体、完全には分かっていないのですから。
Commented by daisaku613 at 2009-06-25 07:18
「脳死」ということの判定自体が、まずは不確実なものであることを皆さんご存じないように思います。
法的脳死判定をした場合でも、長期脳死に至った例も否定できません。
ましてや臨床的脳死の場合、ベッドサイドで「脳死状態です。治療を続けますか?」という会話を記憶していてリターンした例もありますし、小児の場合、臨床的脳死から脳波が現れた例も多くあります。

つまり医者が「脳死です」と臨床的に診断した際に、実は脳死ではない可能性が十分にあるということです。多くの場合、突然に起こるその状態に家族は混乱します。その混乱状態の中で、A案だと家族が「死んでいる」という死亡宣告を担わされます。それはあまりにも残酷なことだと思います。
Commented by れお at 2009-07-08 18:23 x
延命を望むのは、臓器移植を待つ患者も、脳死者の家族も一緒です。
法の下の平等ってどこに行ったんでしょう?
脳死者の方からだけ生きるという選択肢を法律によって奪うのは如何なものかと思います。
意図的に誰かを切り捨てるために作られた法律なんていらない。
大切なのは多様な価値観の存在を許す法律なのではないでしょうか?

A案に賛成する人達は脳死者を「あんな状態なら生きていても意味がない」と思っていませんか?
知能=人の存在価値なのですか?
では「君は馬鹿だから生きる価値がない。臓器を取り出して、天才の人に移植した方が社会のためだ。だから法律で死んでいる事にしてしまおう」と言われたら納得して提供するのですか?(極端過ぎますが)
私達は人の命の価値を判断する程、賢いのでしょうか?
切り捨てられる立場に無い人間ほど慎重に考えるべきだと思います。

ともあれ、小児患者にも移植の道が開けたのは医学的には進歩だと思います。
脳死を人の死と定義する必要があったかは疑問ですが。
by stochinai | 2009-06-19 17:17 | 医療・健康 | Comments(16)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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