2009年 07月 18日
山に登る中高年
大雪山系のトムラウシ山と美瑛岳で3件の遭難があり、10人の方が亡くなるというたいへんな結果になってしまいました。たとえ夏山でも高い山に登ることは非常に危険が伴うことであり、常に事故と背中合わせだと言われていますので、それなりの計画や準備はしていたのだと思いますが、想定を越える悪天候に見舞われたことが最大の原因だったとは思います。
トムラウシ山で亡くなった一人の方は単独で登山しておられたようですが、他の2つのパーティは旅行代理店によるツアーだったということで、それぞれ3名のガイドがついていたにもかかわらず、トムラウシ山の18人のパーティではガイド一人を含む8人が死亡するという大惨事になりました。
亡くなった方は61歳のガイドの方を含め、もっとも若い方でも59歳、ほとんどが60代の方ということで体力的に厳しかったことが原因のひとつに考えられますが、最近山に登られる方の多くが中高年だと聞きます。
昔は、山に登って事故に遭うのはなんとなく若者と相場が決まっており、「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ」などという歌もあったものですが、最近は若者が登山をしなくなっているということも聞きます。
これは2004年に出た梅棹忠夫,山本紀夫編の「山の世界 自然・文化・暮らし」という本に寄せられた編者(国立民族学博物館・山本紀夫)からのメッセージの一部です。大雪山系日高連峰で1970年に福岡大学のワンダーフォーゲル部のパーティが数日かけてヒグマに追跡され、5名中3名が殺されるという悲惨な事件も起きていますが、その時大雪山系・日高連峰には全国の大学のパーティがひしめき合うように入っていたとも聞いています。
今はどうなのでしょうか。昨今の山岳遭難では中高年の事故が多いように思いますが、山に登る若者は本当に少なくなっているのでしょうか。それとも、大学山岳部などでは長い間のノウハウの蓄積で事故を起こすことなどほとんどなくなってきているのでしょうか。山に登るにはそれなりの費用が必要ですので、この不景気の時代に多くの若者にそれほどの余裕がないということも原因の一つになっているのかもしれません。
もちろん、山に登る若者の遭難のニュースなど聞きたいわけではありませんが、山に登る若者がある程度の数存在するということも、なんとなく国として経済だけではなく心の豊かさの象徴にもなるような気がします。私は特に山に登りたいと思ったことはありませんが、山に登る若者がいることも国としては大事な要素なのかもしれないと感じています。
亡くなった方々のご冥福を心から祈り、同じような事故が再発しないように願いますが、そのことから派生してちょっと違うことを考えてしまいました。
トムラウシ山で亡くなった一人の方は単独で登山しておられたようですが、他の2つのパーティは旅行代理店によるツアーだったということで、それぞれ3名のガイドがついていたにもかかわらず、トムラウシ山の18人のパーティではガイド一人を含む8人が死亡するという大惨事になりました。
亡くなった方は61歳のガイドの方を含め、もっとも若い方でも59歳、ほとんどが60代の方ということで体力的に厳しかったことが原因のひとつに考えられますが、最近山に登られる方の多くが中高年だと聞きます。
昔は、山に登って事故に遭うのはなんとなく若者と相場が決まっており、「娘さんよく聞けよ 山男にゃ惚れるなよ 山で吹かれりゃよ 若後家さんだよ」などという歌もあったものですが、最近は若者が登山をしなくなっているということも聞きます。
これは2004年に出た梅棹忠夫,山本紀夫編の「山の世界 自然・文化・暮らし」という本に寄せられた編者(国立民族学博物館・山本紀夫)からのメッセージの一部です。
もうひとつ驚いたことがあります.それは,山から若者の姿が消えてしまったことです.わたしの学生時代,山には若者の姿しかなかったように記憶しています.ところが,現在は京都の北山でも,積雪期の北アルプスでも若者の姿はほとんどなく,登山者の大半は中高年の人たちばかりです.最初は驚いただけでしたが,やがて若者の山離れは野外科学の将来を考える上でゆゆしき問題であると思うようになりました.この状態がつづくと山を舞台にした野外科学者が育ってこないからです.昔の学生の代表的な趣味のひとつが山歩きだったという感覚は私にもありますが、だからといって若者のほとんどが山に登っていたわけではありません。それでも、毎年の夏休みや冬休みには各大学のパーティが全国あるいは世界各地の山に登り、毎年のように若者の山岳遭難のニュースが流れたものです。北海道では、
今はどうなのでしょうか。昨今の山岳遭難では中高年の事故が多いように思いますが、山に登る若者は本当に少なくなっているのでしょうか。それとも、大学山岳部などでは長い間のノウハウの蓄積で事故を起こすことなどほとんどなくなってきているのでしょうか。山に登るにはそれなりの費用が必要ですので、この不景気の時代に多くの若者にそれほどの余裕がないということも原因の一つになっているのかもしれません。
もちろん、山に登る若者の遭難のニュースなど聞きたいわけではありませんが、山に登る若者がある程度の数存在するということも、なんとなく国として経済だけではなく心の豊かさの象徴にもなるような気がします。私は特に山に登りたいと思ったことはありませんが、山に登る若者がいることも国としては大事な要素なのかもしれないと感じています。
亡くなった方々のご冥福を心から祈り、同じような事故が再発しないように願いますが、そのことから派生してちょっと違うことを考えてしまいました。

山に登る若者はいない訳ではありませんが
昔に比べると大幅に減りました。
費用もそうですが、泥臭さが敬遠される理由の一つかもしれません。
昔に比べると大幅に減りました。
費用もそうですが、泥臭さが敬遠される理由の一つかもしれません。
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3K(きつい、汚い、危険)という話も聞きました。それが楽しくて山に登るんじゃないかと思ったのですが、山の楽しさを語る先達がいないということもあるのかもしれませんね。なんだか、「理科離れ」の話と似ているような気もします。

私が卒業した後の部活(ワンゲル)は、ひどいときは新入生が3,4人の年もあり、岩登りや冬山などのチームは一時的に廃止になったと思います。
私は90年入学ですが、山岳部の無い大学で、ワンゲルの一部がその役割を担っていたこともあって大所帯で同期は15人ほどおり、クラブ全体でも50人ほどいて大変な活気がありました。
それに比べれば、今はかなり少ないのは事実でしょうね。バブルから90年代前半にはもう各大学で山岳部が廃止になりつつあったように思います。
ただ最近一緒に現役生と登った感覚では、決して今の学生が軟弱というイメージはないですね。淡々として口数は少ないけど、我々の時以上に肉体や精神を鍛え上げてる男が多いように思いました。
私は90年入学ですが、山岳部の無い大学で、ワンゲルの一部がその役割を担っていたこともあって大所帯で同期は15人ほどおり、クラブ全体でも50人ほどいて大変な活気がありました。
それに比べれば、今はかなり少ないのは事実でしょうね。バブルから90年代前半にはもう各大学で山岳部が廃止になりつつあったように思います。
ただ最近一緒に現役生と登った感覚では、決して今の学生が軟弱というイメージはないですね。淡々として口数は少ないけど、我々の時以上に肉体や精神を鍛え上げてる男が多いように思いました。

山登りをしていたので、今回の遭難のニュースはよく読んでいます。ツアー登山の日程は、かなりの強行軍で、遭難した日も10時間半の行動で漸く下山できる行程です。5時半出発で巣から、途中でアクシデントがあり、1-2時間遅れると、午後6時に下山になり、大学の山岳部でも厳しい過酷な日程です。途中泊用のテントもコンロも満足にもっていません。それで、暴風の中、出発したのは、ツアー会社の責任です。なくなったかたの冥福を祈ります。
*福岡大学の遭難があったのは、カムイエクチカウシ岳で、日高です。昔登ったら、遺体を焼いた跡が三つ、岩の上に黒く残り、
”熊のために憤死す”
とプレートがありました。
*福岡大学の遭難があったのは、カムイエクチカウシ岳で、日高です。昔登ったら、遺体を焼いた跡が三つ、岩の上に黒く残り、
”熊のために憤死す”
とプレートがありました。
コメントありがとうございました。福岡大学パーティの件は訂正させていただきました。こちらに詳細なレポートがありますね。
福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件
http://yabusaka.moo.jp/hukuokadai-higuma.htm
福岡大ワンゲル部・ヒグマ襲撃事件
http://yabusaka.moo.jp/hukuokadai-higuma.htm

遭難するとネットで袋叩きになる時代ですから、若者は山歩きを避けるでしょうねぇ。関学のワンゲルなんて気の毒だった。
なるほど。そういうことも関係するのが今の時代なんですね~。
by stochinai
| 2009-07-18 16:21
| 札幌・北海道
|
Comments(7)