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セクハラ疑惑への二つの対応

 同じようにセクハラで処分された国立大学の助教授のうち、ひとりは自殺し、もうひとりは処分取り消しの訴訟を起こそうとしているというニュースがありました。

 東北大大学院助教授、セクハラ指摘を苦に自殺か

 セクハラ:北見工大助教授を停職処分に

 片や「セクハラはやっていない」という遺書を残して練炭自殺。もう一方は「学生側の言い分を一方的に認めたもので事実誤認」として訴訟を起こそうとしているとのことです。

 明日は我が身とまでは思わないのですが、同じような立場にいる私としてはいろいろと考えることがあります。

 おそらく、どちらの場合も学生から訴えられた先生にはセクハラの自覚はなかったのではないかと思われます。しかし、セクハラやアカハラに関しては客観的事実もさることながら、被害者が不快感や恐怖感を持ってしまった時点で、犯罪の存在が強く推定されてしまうという特徴があるので、そうした学生の気持ちを推し量れなかったということで、教員としての資質を問われたとしても、それはやむを得ないものがあるとは思います。(それにしても、処分が安易に行われていないかどうかは、気になるところです。)

 ニュースを読む限りでは「女子学生3人に抱きついたり、夜間の面会を強要するなど」とか、「飲食店などへの同行を迫る」などということしか書いてありません。もしも、こうしたことが女子学生と同期生などの学生同士の間で行われていたものであるならば、おそらく女子学生もそれを必ずしもセクハラと思わなかった可能性があると思います。

 普段、そのような学生同士のじゃれ合いを身近で見ていて、先生としてもついついフラフラと同じようなことをやってしまったというようなレベルのセクハラも多いのではないかと同情する部分がないでもありません。しかし例えそうだとしても、それが女子学生にセクハラであると思われてしまった時点で、学生の気持ちをわからなかった落第教員とされても仕方がないのだと思います。(教員はつらいものです。)

 もちろん、単位や研究指導などと引き換えに相手を追い込んだ上でセクハラ行為があった場合には、まったく弁解の余地がありませんので、グラウンドで公開むち打ち100回を与え、学内を裸で引き回しの上、懲戒免職にするなどの罰を与えても良いと思いますが、今回のケースはどうなのでしょう。

 もしも、処分された当人が本当に一点の曇りもなくセクハラが冤罪だと確信しているのならば訴訟は正しい行動だと思います。しかしセクハラ問題では、まったく自分に落ち度がないと主張するというのもどうかなあ、というのが正直な感想です。また一方では、そこまでこじれる前に、当事者間と大学との間で十分な話し合いをして、和解および善後策の検討がなされなかったとするならば、大学当局にも問題があると思います。

 自殺してしまった人の場合にも、大学当局の対応は大丈夫だったのかという心配が残ります。セクハラという非常に微妙な問題を、学外者の目(文科省、マスコミ、などなど)を気にするあまりに、正義というよりは事態収拾ということに重点を置きすぎた拙速な対応をしていなかったのかどうかが気になります。

 今の大学を見ていると、あらゆることが外圧によって動いているように見えます。そんな中で、セクハラ問題も、教員の抑圧と処分ということでしか解決できないのだとしたら、やはり大学というものが知性の府としてもはや機能していないということの証拠の一つになってしまうような気がします。

 法学や心理学や教育学の専門家がたくさんいるはずなのですが、自分たちの現場でそうし学問研究の成果が生かされないのが大学という病の実態なのかもしれません。

 つらいところです。
by stochinai | 2005-03-22 22:52 | 大学・高等教育 | Comments(0)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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