5号館を出て

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通夜

 一昨日、夕方に自宅の電話に録音された留守電は、一月ほど前に父の一周忌で会ったばかりの父の従兄弟の死を告げるものでした。有名人などほとんどいない親族の中で、北海道の文化人としては権威のある北海道新聞文化賞をいただいているということもあり、今日のエントリーはここでは滅多に取り上げることのないプライベートな話題になることをお許し願います。

 実は、彼の受賞のことはひそかにここで取り上げたことがあります。

ジュラシックパークとしての角界

 そこには、忠男さんが受賞した道新文化賞のことはほとんど触れられていませんので、本家の北海道新聞のサイトから引用させていただきます。

社会、学術、経済3部門で北海道新聞文化賞    2007/11/07

 栃内 忠男(とちない ただお)さん=1923年、札幌市生まれ。母校の北海高校などで美術教諭・講師を務めた。70年以上、画業にいそしみ、ピカソ、マチスなどに心酔した。自身の画風や題材は具象、抽象、貝殻やリンゴがモチーフの連作、自画像などを多彩に変遷してきた。全道展の創設に参画し、のちに10年間、事務局長を務めるなど美術教育、普及に尽力してきた。
 私の父は若くして父を失ったため、従兄弟である忠男さんの父親が父親代わりをして面倒を見てくれたという関係から、私の父と忠男さんは兄弟のような関係だったようで、私も忠男さんには甥のようにかわいがってもらっていました。

 私が子どもの頃、忠男さんは時折我が家に泊まっていってくれたのですが、夜寝る時に片目の義眼をはずすところを見たショックがいまだに忘れられない大きな思い出です。親族の間では、片目がないことも彼が型として大成した原因の一つということになっていました。私の中にある、禍と福はいつも同時にやってくるという思想(?)形成に彼の存在が大きく影響している可能性はあると思っています。

 またこれも明示的に書かなかったのですが、今年の冬に三岸好太郎美術館でサイエンスカフェの打ち合わせをした時に、好太郎の絵をじっくりと見て、忠男さんが彼の影響を強く受けていることを、実感したことも新しい記憶のひとつです。

暴風雪、三岸好太郎美術館、サイエンスカフェ打ち合わせ

 彼は貝やリンゴや自画像を好んでたびたび描いていたのですが、描く度にガラリと画風を変えていたことも強い印象を覚えています。このような作品も彼の絵の特徴を良く表しています。
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 自画像もしょっちゅう描いていたようですが、葬儀の祭壇に飾られていたのは、こちらのサイトで見かけたまさにこの自画像だったのだと思います。
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 こちらのサイトで見ることのできる顔の絵もおそらく忠男さんが描いた自画像に間違いないと思います。
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 普段の姿からは、こういう圧倒的な迫力で自分の顔を描ける激しさは感じることはあまりなかったのですが、私と遺伝子を色濃く共有している人の中にこうした異能の持ち主がいるということは、誇らしいことでもあり、なんとなく怖い気持ちにもなるものです。

 なお忠男さんの経歴については、こちらの素晴らしい追悼文をお読みいただけると、良くわかります。

北海道美術ネット別館 栃内忠男さんの訃報に思う

 とても心温まるものでした。ありがとうございました。
Commented by varoko at 2009-09-14 04:42
お父様、そして忠男さまのご冥福をお祈り申し上げます。
by stochinai | 2009-09-12 22:50 | 札幌・北海道 | Comments(1)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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