2009年 10月 06日
農畜産業における遺伝子組み換えは裁判で決着しない
昨日の松永和紀ブログで、「新潟地裁で行われていた遺伝子組換えイネ裁判の判決が1日あり、原告側(反対派)の訴えが全面棄却となった」ことを知りました。
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遺伝子組換えイネ裁判棄却
松永さんは、「裁判が起こされた直後に関係書類を読んで、原告側の荒唐無稽な主張に呆然となった」とおっしゃっていますが、それでも原告側には「研究者」の肩書きを持っておられる方もいらっしゃるようですし、それを「常識の通用しない人」と切り捨てるだけでは、「この問題」は解決しないだろうと思います。
「この問題」というのは、この裁判で争われている抗菌作用をもつカラシナ由来のディフェンシンというタンパク質の遺伝子を組み込んだイネの栽培を認めるかどうかという個々の具体的事例にとどまらず、遺伝子組み換えをした農作物や畜産物など食品となる生物と我々の社会がどのようにつきあっていくのかという、いわば未来の農畜産業をどうするのかということ全般にわたる大きな問題全体に関わることです。
もちろん、そうした大きな問題は裁判に馴染みませんので、今回争われたことは非常に限られたことだけのようです。朝日の新潟地方版の記事「GMイネ訴訟 差し止め請求却下」から引用します。
しかし、これで被告となった北陸研究センターは単純に勝利を喜べるのでしょうか。判決を受けて出された声明には次のようなことが書かれています。
実験作付けを禁止されなかったという意味で研究がしやすくなったと安心しているようでは、問題の本質を見誤っていると思います。遺伝子組み換え作物を開発しても、それが消費者に受け入れられなければ何の意味もありません。たとえ、この先研究を続けていっても、それが商品化される時にまた同じ問題が起こるのではないでしょうか。
そういう意味で、今やるべきことは裁判所に許可された研究を強行することではなく、裁判を起こした人だけではなく、無言ではありながら「なんとはなしの不安」を持っている大多数の消費者やさらには生産者の方々と一緒に、我々の社会の未来への選択として遺伝子組み換え作物を使うのか使わないのか、もし使うのだったらどういう条件で使っていくのかというコンセンサスを得るための行動が、研究そのものと同じくらいあるいはそれ以上に重要なのではないかと思います。
裁判を起こした方々が、たとえ少数のエキセントリックな人々だけのように見えても、その陰には同じような不安や疑問を抱えた、たくさんの人がいることを忘れていては、何度も何度も経験してきたはずの、科学技術事案が確実にまた起こることを予言せざるを得ません。
必要なのは事後の争いではなく、事前の協調なのではないかと思います。
遺伝子組換えイネ裁判棄却
松永さんは、「裁判が起こされた直後に関係書類を読んで、原告側の荒唐無稽な主張に呆然となった」とおっしゃっていますが、それでも原告側には「研究者」の肩書きを持っておられる方もいらっしゃるようですし、それを「常識の通用しない人」と切り捨てるだけでは、「この問題」は解決しないだろうと思います。
「この問題」というのは、この裁判で争われている抗菌作用をもつカラシナ由来のディフェンシンというタンパク質の遺伝子を組み込んだイネの栽培を認めるかどうかという個々の具体的事例にとどまらず、遺伝子組み換えをした農作物や畜産物など食品となる生物と我々の社会がどのようにつきあっていくのかという、いわば未来の農畜産業をどうするのかということ全般にわたる大きな問題全体に関わることです。
もちろん、そうした大きな問題は裁判に馴染みませんので、今回争われたことは非常に限られたことだけのようです。朝日の新潟地方版の記事「GMイネ訴訟 差し止め請求却下」から引用します。
今回の訴訟は、GMイネ体内から抗菌作用を持つたんぱく質(ディフェンシン)が外に出て、耐性菌が出現する危険があるかどうかが争点となった。被告が提供した試料(抗体)を使って第三者鑑定により決着が試みられたが、漏出の確認はできなかった。原告の主張は、遺伝子組み換えイネで作られたディフェンシンが大量に屋外に放出されると、ディフェンシンに対する耐性を持った細菌が出現するので危険であるということを主張したようですが、たとえディフェンシンというもの対する耐性菌が出現しうるということが実験的に証明されていたとしても、今回の事例では普通に栽培されたイネから、本当に屋外で耐性菌を誘発するくらい大量のディフェンシンが放出されるかのか否かという点に争点は絞られるでしょう。そして、第三者が実際に調べた結果ではそれが否定されたので、判決はいわば当然の結論だと私も感じます。
判決は「鑑定はディフェンシンの体外漏出という原告の主張を否定するもの」などとした。
しかし、これで被告となった北陸研究センターは単純に勝利を喜べるのでしょうか。判決を受けて出された声明には次のようなことが書かれています。
判決の内容は、遺伝子組換えイネの実験栽培の差止め請求については却下、損害賠償請求については棄却するというもので、当方の主張が認められたものと考えています。センターの目標は、裁判に勝つことではなく、生産者、消費者に受け入れられる新しい農作物を作り出していくことです。そういう意味では今回の判決で仕事がしやすくなったと言えるのでしょうか。
農研機構では、これまで同様に関係法令を遵守し、かつ生産者、消費者の皆様の理解を得るための努力を積み重ねながら、必要な研究開発を今後も続けていく所存です。
実験作付けを禁止されなかったという意味で研究がしやすくなったと安心しているようでは、問題の本質を見誤っていると思います。遺伝子組み換え作物を開発しても、それが消費者に受け入れられなければ何の意味もありません。たとえ、この先研究を続けていっても、それが商品化される時にまた同じ問題が起こるのではないでしょうか。
そういう意味で、今やるべきことは裁判所に許可された研究を強行することではなく、裁判を起こした人だけではなく、無言ではありながら「なんとはなしの不安」を持っている大多数の消費者やさらには生産者の方々と一緒に、我々の社会の未来への選択として遺伝子組み換え作物を使うのか使わないのか、もし使うのだったらどういう条件で使っていくのかというコンセンサスを得るための行動が、研究そのものと同じくらいあるいはそれ以上に重要なのではないかと思います。
裁判を起こした方々が、たとえ少数のエキセントリックな人々だけのように見えても、その陰には同じような不安や疑問を抱えた、たくさんの人がいることを忘れていては、何度も何度も経験してきたはずの、科学技術事案が確実にまた起こることを予言せざるを得ません。
必要なのは事後の争いではなく、事前の協調なのではないかと思います。
by stochinai
| 2009-10-06 20:17
| コミュニケーション
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