2005年 03月 27日
テレビに出る
すでに2週間前から決まっていたことではありましたが、さすがに昨日の夕方になって放送時間を迎える頃には何とも言えぬ落ち着かない気分でした。自分のメールの署名欄に放送番組名と時間を書くなどと、恥ずかしげもなく宣伝をしていたくせに、放送が近づいてくるとあちこちに宣伝していたことを後悔する気分にもなっていました。
がまあ、時間がくれば大地震でもない限り、予定通り粛々と放送は行われるのだろうと覚悟はできたつもりになっていましたが、やはり落ち着かない気分のまま放送時間を迎えたのでした。
私は「プロ」として講義や学会発表などで聴衆を前に話をすることにはある程度なれている自信もあります。もちろん眞鍋かをりさんとの撮影の時には、それなりに上がったりはしたのですが、その前日のタレントさんなしの録画撮りの時などには、自分でも意外なほど落ち着いていたつもりでいました。
それを考えると、最終的に発表されるものを完成させる場に自分が直接にかかわれなかったことが、今回の異様な緊張感の理由のひとつであろうと思っております。
学会や講義や講演会などでは、構想から材料集めシナリオ作りもすべて自分でやった上で、自分が演じます。そこでは、最後の瞬間である現場でお客さんの雰囲気を見ながらシナリオを書き換えながら演じることができるのです。
この、最後の最後まで変更し続けることができないという状況は、普段はまったくあり得ない状況なので、とまどいを感じただけではなく最後にできあがるものがどんなものになっているのかがわからないという不安がつきまとっていたのだと思います。
実は、この番組の最終的なシナリオの形ができあがって見せていただいたのは、放送の3日前でした。録画撮りの時にシナリオらしきものはありまししたが、せりふはすべてアドリブでしたし、その場でディレクターの方が変えていくというようなこともあったように思います。つまり、この番組では番組そのものと並行してシナリオが作られるという進行を取っていたようです。
できあがった「最終シナリオ」を見ての率直な感想は、「さすがにNHKはレベルが高い」というものでした。何回かのインタビューと電話やメールでのやりとり、そして1日半の撮影をもとに、不要な情報をどんどんそぎ落として本質的に大切なことだけにシェイプアップして、中学生でもすんなりと理解できる10分か15分のストーリーに要領よくまとめ上げた手際には、正直に驚きました。
もちろん、100%諸手を挙げて大賛成ということばかりではなく、ここはこういうふうに表現したほうが良いのではないかと申し入れたところもないわけではないのですが、NHK側の「受け手にわかりやすい表現にするために、ご理解願えないでしょうか」という姿勢に説得されてしまいました。
最終的には95点くらいの出来になっていたと思います。(150点という声もあるにはあるのですが、、、、)
我々が常日頃相手としている対象は、専門家であったり大学生であったりと、ある意味ではかなりのインテリジェンスを持った人々であることが多いのですが、今回のような放送の場合にはそのように対象を高く設定することはできないと言うことがよくわかりました。そして、そういう視聴者を対象にしたときのコミュニケーション技術もいろいろと教えてもらった気がします。
そう言えば、先日「博物館市民セミナー」というものをやらせてもらった時に、今回のNHKの放送を作る過程で教わったことを知っていたら、もう少しましなものになっていたかもしれないということも思いました。
科学を市民に伝えるということも、我々科学者の義務の一つだと思います。その義務をまっとうするためには、かなりのコミュニケーション技術が必要であるということは、漠然としながらですが日頃から思っておりました。しかし、実際にこのような場面で叩かれると本当に勉強になりました。
今まで、ここでNHKのことを取り上げた時には、何かと非難めいた話題が多かったのですが、NHKが蓄積してきたコミュニケーション技術や能力などを考えると、これは国民の財産であることは間違いないと思います。国民のものであるというであれば、もっともっと利用していかないと損だという感想も持ちました。
どうやって、本当に国民のものにしていくかということがNHK改革の目標になって欲しいものです。
#言語学研究室日誌さんから、別のエントリーにTBいただいたのですが、こちらをお返しにTBさせていただきました。(こっちのほうが、あってますよね>言語学研究室日誌さん)
がまあ、時間がくれば大地震でもない限り、予定通り粛々と放送は行われるのだろうと覚悟はできたつもりになっていましたが、やはり落ち着かない気分のまま放送時間を迎えたのでした。
私は「プロ」として講義や学会発表などで聴衆を前に話をすることにはある程度なれている自信もあります。もちろん眞鍋かをりさんとの撮影の時には、それなりに上がったりはしたのですが、その前日のタレントさんなしの録画撮りの時などには、自分でも意外なほど落ち着いていたつもりでいました。
それを考えると、最終的に発表されるものを完成させる場に自分が直接にかかわれなかったことが、今回の異様な緊張感の理由のひとつであろうと思っております。
学会や講義や講演会などでは、構想から材料集めシナリオ作りもすべて自分でやった上で、自分が演じます。そこでは、最後の瞬間である現場でお客さんの雰囲気を見ながらシナリオを書き換えながら演じることができるのです。
この、最後の最後まで変更し続けることができないという状況は、普段はまったくあり得ない状況なので、とまどいを感じただけではなく最後にできあがるものがどんなものになっているのかがわからないという不安がつきまとっていたのだと思います。
実は、この番組の最終的なシナリオの形ができあがって見せていただいたのは、放送の3日前でした。録画撮りの時にシナリオらしきものはありまししたが、せりふはすべてアドリブでしたし、その場でディレクターの方が変えていくというようなこともあったように思います。つまり、この番組では番組そのものと並行してシナリオが作られるという進行を取っていたようです。
できあがった「最終シナリオ」を見ての率直な感想は、「さすがにNHKはレベルが高い」というものでした。何回かのインタビューと電話やメールでのやりとり、そして1日半の撮影をもとに、不要な情報をどんどんそぎ落として本質的に大切なことだけにシェイプアップして、中学生でもすんなりと理解できる10分か15分のストーリーに要領よくまとめ上げた手際には、正直に驚きました。
もちろん、100%諸手を挙げて大賛成ということばかりではなく、ここはこういうふうに表現したほうが良いのではないかと申し入れたところもないわけではないのですが、NHK側の「受け手にわかりやすい表現にするために、ご理解願えないでしょうか」という姿勢に説得されてしまいました。
最終的には95点くらいの出来になっていたと思います。(150点という声もあるにはあるのですが、、、、)
我々が常日頃相手としている対象は、専門家であったり大学生であったりと、ある意味ではかなりのインテリジェンスを持った人々であることが多いのですが、今回のような放送の場合にはそのように対象を高く設定することはできないと言うことがよくわかりました。そして、そういう視聴者を対象にしたときのコミュニケーション技術もいろいろと教えてもらった気がします。
そう言えば、先日「博物館市民セミナー」というものをやらせてもらった時に、今回のNHKの放送を作る過程で教わったことを知っていたら、もう少しましなものになっていたかもしれないということも思いました。
科学を市民に伝えるということも、我々科学者の義務の一つだと思います。その義務をまっとうするためには、かなりのコミュニケーション技術が必要であるということは、漠然としながらですが日頃から思っておりました。しかし、実際にこのような場面で叩かれると本当に勉強になりました。
今まで、ここでNHKのことを取り上げた時には、何かと非難めいた話題が多かったのですが、NHKが蓄積してきたコミュニケーション技術や能力などを考えると、これは国民の財産であることは間違いないと思います。国民のものであるというであれば、もっともっと利用していかないと損だという感想も持ちました。
どうやって、本当に国民のものにしていくかということがNHK改革の目標になって欲しいものです。
#言語学研究室日誌さんから、別のエントリーにTBいただいたのですが、こちらをお返しにTBさせていただきました。(こっちのほうが、あってますよね>言語学研究室日誌さん)
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ぜのぱす
at 2005-04-22 13:36
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某知人に録画を送って貰い(笑)、遅ればせ乍ら、番組を漸く拝見致しました。いやぁ、なかなか良いじゃないですか。メインを張ってましたね。研究内容のエッセンスは充分に伝わっています。
それと、眞鍋かをり さんという方を実は知らなかったんですが、良いですねぇ、ファンになってしまいました。
札医とペアだったんですね。取材の効率も良い訳ですね。そういう点も含めて、番組作りが上手ですねぇ。誰が脚本(?)を作っているんでしょう?どこからどうやって最初の企画を立てる際の情報が集まって来るんでしょう?ちょっと不思議です。
カエルの絵の前脚の指が3本しかないのはご愛嬌ですが、『オタマジャクシが卵の中に居る時に・・・』というナレーションには苦笑。そうかぁ、一般のひとには、ゼリー層は卵の殻なんですね。
それと、眞鍋かをり さんという方を実は知らなかったんですが、良いですねぇ、ファンになってしまいました。
札医とペアだったんですね。取材の効率も良い訳ですね。そういう点も含めて、番組作りが上手ですねぇ。誰が脚本(?)を作っているんでしょう?どこからどうやって最初の企画を立てる際の情報が集まって来るんでしょう?ちょっと不思議です。
カエルの絵の前脚の指が3本しかないのはご愛嬌ですが、『オタマジャクシが卵の中に居る時に・・・』というナレーションには苦笑。そうかぁ、一般のひとには、ゼリー層は卵の殻なんですね。
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stochinai at 2005-04-22 22:46
札幌放送局の若いディレクターの方がほとんど一人で作り上げたと言っても良い番組のようでした。私も、なかなかの力作だと思いました。
最初の企画はヒトの話だけだったようです。彼は番組を作るに当たって何かが足りないと思ったらしく、インターネットで調べまくったと言っていました。そこへ、たまたま札幌つながり(NHK札幌、札医大、北大)で我々の研究を発見、取材に見えたのがきっかけです。そこから、どんどんと話が展開して、あの番組へと結実したということです。
#眞鍋さんを札医大から奪ってしまったような格好になったのは、申し訳なく思っております。(我々にとっては、大ラッキーでしたが、、、、)
カエルの前足の指が足りなかったのは、うちの院生の描いた模式図が原因だったような気がします。また、ゼリー層を卵の「殻」として説明したのは、意外にわかりやすい「例え」だったと思います。コロンブスの卵だと思いました。
その他、「やさしく解説する」という技術に関して、いろいろと勉強をさせてもらったのは大きな収穫だったと思っています。良い経験でした。
でも、もう遠~い昔の出来事のような気がします。
最初の企画はヒトの話だけだったようです。彼は番組を作るに当たって何かが足りないと思ったらしく、インターネットで調べまくったと言っていました。そこへ、たまたま札幌つながり(NHK札幌、札医大、北大)で我々の研究を発見、取材に見えたのがきっかけです。そこから、どんどんと話が展開して、あの番組へと結実したということです。
#眞鍋さんを札医大から奪ってしまったような格好になったのは、申し訳なく思っております。(我々にとっては、大ラッキーでしたが、、、、)
カエルの前足の指が足りなかったのは、うちの院生の描いた模式図が原因だったような気がします。また、ゼリー層を卵の「殻」として説明したのは、意外にわかりやすい「例え」だったと思います。コロンブスの卵だと思いました。
その他、「やさしく解説する」という技術に関して、いろいろと勉強をさせてもらったのは大きな収穫だったと思っています。良い経験でした。
でも、もう遠~い昔の出来事のような気がします。
by stochinai
| 2005-03-27 23:59
| 科学一般
|
Comments(2)