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お金を使わずに大学教育を大きく改善させる方法

 今朝の朝日新聞に、不況とも相まってどんどん早期化する大学生の就職活動のことが特集として取り上げられていました。学部卒業で就職を希望する人が3年生のうちに就職活動を開始するのは最近では当たり前で、2年生のうちから説明会に行く学生も増えているようです。さらには、大学1年生のうちから説明会に潜り込むという例も出始めているということです。(大学院修士課程だと、1年の秋~冬から始まります。)

 もちろん、大学を卒業して就職しようとする学生が、できるだけ早く就職を内定させてしまいたいと思うのは当然のことですし、採用する会社にとってみると、できるだけ早く優秀な学生を確保しておきたいと思うのもまた当然といえば言えます。
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from 写真素材 足成

 しかし、早期から始まる就職活動が長期にわたって続くと、もちろん学生は大学で教育を受ける機会がどんどんと削られますので、教養の涵養という意味での成長が阻害されます。これは、学生にとって不利なことです。

 また、採用する側でもあまりに早期に採用を内定してしまうと、その後に伸びるはずだった学生の向上心を削ぐことににもなりますし(将来が決まってしまうと、どうしても一所懸命学業に打ち込まなくなる傾向があるものです)、その後で伸びが止まったり、採用しなかった学生が意外なことにその後でぐんぐん伸びるということも実際にあり得ることです。

 つまり現行の人事採用システムは、採用される学生にとっても、採用する企業にとってもも、ともにあまり良いシステムではなくなっています。

 昔は、就職協定というものがあって、大学生の場合には4年の10月までは、企業は採用活動をしてはいけないし、学生も就職活動をしてはいけないという「決まり」と慣習が厳然と存在していました。

 これは、1952年に企業と学校(大学・短大)との間で結ばれたということですが、バブル崩壊後の不況で方向を見失い後先を考えることのできなくなった企業および自信をうしなった大学側が1996年に協定を廃止するに至り、その後はチキン・レースのように徐々に採用開始の時期が早まってきたのだと思います。

 今朝の新聞には、就職活動は大学卒業するまでは行わず、卒業後に1年かけて行えば良いという提言が出てきました。悪い案ではないと思いますが、さすがに経済的に困難な人もいるでしょうから、とりあえずは14年前のように、卒業年次の10月までは採用活動及び就職活動を禁止するということを、文科省が政府ととともに強いリーダーシップをとって「命令」してみてはどうでしょう。

 これで、4年生大学で学生が急速に伸びる3年生から4年生の時期に、ほぼ1年近くじっくり勉学に集中できる時間が確保できます。それは、学生にとっても企業にとっても、間違いなく良いことであり、大学教育の質を格段に増大させることが期待されます。

 おまけに、このことで新たに必要となる予算はほとんどありません。

 どうでしょう。今回の事業仕分けで、かなり評価を下げてしまった文科省ですが、この提案を政府に認めてもらうと、9回裏のヒットとなり、その後の教育改革がしやすくなること請け合いだと思います。

 もちろん、一般的には教育はお金がかかることであり、お金をかければかけるだけ良くなることが多いと思いますが、まだまだ工夫次第でお金をかけずにできることはたくさんあると思います。省庁などでは、財務省から予算をとってくることが「業績」だとされる風潮があるようですが、そんな呪縛からもそろそろ解き放される時代が来つつあるとも思います。

 まじめに検討していただけると幸いです。 > 文科省、政府関係の皆さま
Commented by 高橋 at 2009-11-18 22:32 x
入社時点で企業が給与にはっきりとした差(倍以上)をつければ、
学生も一生懸命になると思うんですが。
全国の銀行と名のつく企業の初任給は一律らしいです。
Commented by ええ?? at 2009-11-18 22:51 x
もしかして政府命令を守らない企業は警察に踏み込まれて潰される、とかいうのが理想的だという話ですか?(極論だと反論されそうですが、それくらいの強制力がないと実効性に欠けそうですし)。
普段はけっこうリベラルなことを書かれている先生なのに、大学関係者の利害が絡んだ瞬間に国家権力のバックアップを前提としてこういう提案を堂々と公開しちゃうあたり、やっぱり研究者って(自分に)正直な人々なんだなあ、と思いました(別に悪くはないですけれども…それくらいの感覚じゃないと世界を相手に競争できないでしょうし)。
Commented by stochinai at 2009-11-18 23:12
 なかなか厳しいご意見をいただき、ありがとうございます(礼)。でも、ここは大学としては利害はあまりない部分だと思うのです。本音をいうと、学生がどうなろうと、企業がどうなろうと、大学が生き残るということを考えるならば、学生は大学に入学し卒業してくれればすむことであって、そこでどのように育つかとか、大学に出てくるかどうかなどは、多くの先生は気にもしていないことだと思います。実は学生も、大学で何を得られるかなどとは期待しておらず、そういう意味では就職協定などはあるいみ「クソ食らえ」の存在なのでして、そういういわばどうでも良いところに「主導権」を発揮するくらいのことしか文科省は期待されていないのではないかというのが、今回の記事の裏事情(記事を書いた気分)です。まあ、ショック療法という感じでしょうか。
 でも、そんな「飛ばし記事」も、きちんと読んでくださってコメントをくださる方もいらっしゃるのですから、ありがたいことです。
Commented by h at 2009-11-18 23:17 x
10月から就活が始まってしまうと卒論と修論がガタガタになりますね。
「就活を終えてからが勝負」というのは理系ではよくある話です。
これは単純に大学教育そのものの問題で、就活時期がそこまで強く影響しているようには思えません。
Commented by stochinai at 2009-11-18 23:23
 そうですね。早めに終われた人は、勝負できます。しかし、ずっと終われずに勝負できない人というのも意外と多くないですか。ここでいう10月は、卒業直前の10月ですから、それまで就活禁止だと10月が卒論・修論の提出締め切りだと思えばなんとかならないでしょうか。
Commented by h at 2009-11-19 00:05 x
開始時期が早いからこそ、「勝負できない」だけの痛手で済んでいるという側面もある思います。更に企業側の採用システムの変更には相応のコストがかかると思われます。夏以降の採用を念頭に置いている(特に中小)企業の負担は相当なものでしょう。
 また、提出締め切りについて、時期が早まることは「書く側」にとっては"思う"だけでなんとなるかもしれませんが、「審査する側」と「受理する側」も本当になんとかなるんでしょうか…。10月までに大方を書き終えてから就活を始めて3月に提出、というのも無理があると思います。
Commented by w at 2009-11-19 00:05 x
大学院修士課程の学生は、1年生の春、5月ぐらいから就職活動を始めています。秋ではありません。
Commented by OneWord at 2009-11-19 02:29 x
>10月までに大方を書き終えてから就活を始めて3月に提出、というのも無理があると思います。

就職協定が廃止されるまではそうだったわけです(例えば、私は1980年代に卒業しましたが、8月にはすべて実験が終わり、9月中には論文を書き終えていました)から、無理じゃないでしょう。
Commented by こーた at 2009-11-19 11:07 x
就職活動は人生にとっても大切な時期ですので、なるべく時間を割いた方がいいと個人的には思います(私はアカデミアですが。)。しかし、早い人では一年半先の行き先が決まる現状は、企業にとっても個人のとってもデメリットが大きいのではないでしょうか?一年半の間に景気動向も個人的事情も大きく変わりますし、現行制度は誰も得をしていないような気がします。
Commented by 遅刻教員 at 2009-11-19 17:02 x
昨日、既に内定を得ている学生から「明日のゼミは配属面接があるから欠席していいですか?」と聞かれました。平気を装いながら「自分で判断しなさい。」と答えましたが、内心は腸が煮えくり返る思いでした。学期期間中の平日昼間に学生を平気で呼び出す企業とは一体何様のつもりでしょうか。

企業側のモラルのなさに心底あきれています。
Commented by 通りすがり at 2009-11-20 00:15 x
私は学生が就職活動に時間をかけるのは良いと思いますね。一生のことなので、熱心にすべきだと、受け入れた院生には言いました。そして6カ月までなら、就職活動優先で良いと言いました。

ただし、同時に申し渡したこともあります。それは
「就職活動の結果として、修論の出来が悪ければ、留年させる。3年目もここにいると思え。上場企業の営業なら紹介して押し込む。」
と言いました。実際にそうするつもりでした。

本人は私が本気で言っていることに気が付き、就職が決まった後も、必死になって、毎日明け方まで、データ出しをしてました。就職は上場企業の研究所、修論も上位合格で、いまでは絶滅の危機の論博を取る道筋もつけて、送り出しました。

教員の意向に沿って、研究をした結果、就職に出遅れたり、社会や企業に対する見方がねじ曲がったりし、不幸になる院生を数多く見てきました。そんな大学院なら、教員も大学院も、私は不要だと思います。学問の価値は認めますが、大学院が学校である限り、学生を送り出す場であるという視点は大切だと思います。
Commented by stochinai at 2009-11-20 12:01
 もちろん、このケースのようにすばらしい大学院生活を送る学生も多いのだと思います。
 一方、大学院の教員選考が研究至上の業績主義である限り、おっしゃるような不幸も起こり続けるような不安は覚えます。
by stochinai | 2009-11-18 20:40 | 教育 | Comments(12)

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