2010年 02月 16日
成績評価終了
ようやく1年生の生物学(後期「生物多様性」)の成績を付け終わりました。私の講義の成績は全回出席を前提としてつけることになっており、理由の如何に関わらず欠席した場合には代替のレポートを要求しております。
そして、毎回の講義のあとでミニテストをやります。テストはその日に話したことの内容を前提に次週の話につなげるものが多く、知識を問うものではないので、最初のうち学生はかなりとまどうようです。そもそもテストで知識以外のことを問われるということ自体、あまり経験していない人が多いようです。
それでも、毎回のテストを評価して成績に反映させるために評点をつけております。それと、欠席レポートおよび成績に反映してもらいたい人が自由に出しても良いレポートの締切が昨日でしたので、昨日まではパラパラとレポートが届いていました。
それらの成績と、最後の授業時間を全部使ってやった3題の試験問題の採点をすべてエクセルに入力して、ようやく先ほど集計が終わったというわけです。こちらが最後の試験風景です。
少なくともこの試験に取り組む姿勢を見る限り、みんな一所懸命なのでなるべくたくさんの人に良い成績をあげたいとは思うのですが、残念ながら昔と違って、全員に優をあげることなどはできなくなっております。もちろん、全員を不可にすることもできません。
このクラスは62人ですが、そのようにある程度の人数が含まれるクラスの場合には秀・優・良・可の割合が ほぼ15% 30% 40% 15% になるように採点することが生物学全体で決められており、それに近づくように相対評価しなければならないのです。
それが良いことはどうかはさておき、50人を越えるようなクラスの場合には不思議なことに成績が特に優秀な秀の学生と、あまりにもひどい可(あるいは問題外の不可)の学生の比率が同じくらいいて、その間にまあまあできる優とふつうくらいの良の学生がたくさんいるという分布を示すことが多いことは、経験的に納得できる数値なのです。
しかし、せっかく毎回のテストのデータをエクセルに入力したので、ちょっとだけ解析してみました。そうしてみると確かにすごく優秀な秀の学生と、明らかにやる気が見られない可の学生は最初から一貫して優秀かやる気がないかの両極端に別れたまま、あまり動かないという傾向がありました。
ところが、その間にいる学生を個々に調べてみると、非常に面白い成績の変化を示す学生がいることがわかりました。ひとつは、最初はそれほどではない順位にいた学生が試験のたびにどんどん良い答案を書けるようになって、優の上位あるいは秀の領域にまで飛び込むケースと、それとはまったく逆に最初のうちはそこそこの答案を書いていたにもかかわらず、どんどんと答案が痩せていき、最後には良の下位あるいは可の領域にまで落ち込んでしまうケースです。そのどちらも、(不謹慎な言い方ですが)面白いほど直線的に変化する人がいました。
これは、どういうことなのでしょうか。ぐんぐんと伸びて来た学生は私の講義に「合った」ということで生物学のおもしろさに目覚めたのかもしれません。それjは、大変に喜ばしいことなのですが、どんどんと低迷していった学生は私の講義が気に入らず失望していったということだとしたら、大いに反省しなければならないところです。
もちろん、回ごとに上がったり下がったりと特別の傾向を示さない学生が大多数なのですが、講義期間内に大きな低迷を示す学生に対しては、普通の講義だけではない様々なサポートが必要なのかもしれません。ところが、その傾向は講義の後半になってようやくわかるので、今になって判明しても時すでに遅しです。
このあたりにキメの細かい指導をしようとすると、少人数教育でなければ無理だという気もしますが、せっかく少子化になってきたので、教員を増やしてもいいんじゃないかというのが、いつもの私の意見です。
学生にとってはこの後の学部学科移行にこれらの成績がものをいうので、いい加減にはできません。そう思うだけでも成績付けは疲れる作業です。
さてと、本日はこれまでとしましょう。
そして、毎回の講義のあとでミニテストをやります。テストはその日に話したことの内容を前提に次週の話につなげるものが多く、知識を問うものではないので、最初のうち学生はかなりとまどうようです。そもそもテストで知識以外のことを問われるということ自体、あまり経験していない人が多いようです。
それでも、毎回のテストを評価して成績に反映させるために評点をつけております。それと、欠席レポートおよび成績に反映してもらいたい人が自由に出しても良いレポートの締切が昨日でしたので、昨日まではパラパラとレポートが届いていました。
それらの成績と、最後の授業時間を全部使ってやった3題の試験問題の採点をすべてエクセルに入力して、ようやく先ほど集計が終わったというわけです。こちらが最後の試験風景です。
このクラスは62人ですが、そのようにある程度の人数が含まれるクラスの場合には秀・優・良・可の割合が ほぼ15% 30% 40% 15% になるように採点することが生物学全体で決められており、それに近づくように相対評価しなければならないのです。
それが良いことはどうかはさておき、50人を越えるようなクラスの場合には不思議なことに成績が特に優秀な秀の学生と、あまりにもひどい可(あるいは問題外の不可)の学生の比率が同じくらいいて、その間にまあまあできる優とふつうくらいの良の学生がたくさんいるという分布を示すことが多いことは、経験的に納得できる数値なのです。
しかし、せっかく毎回のテストのデータをエクセルに入力したので、ちょっとだけ解析してみました。そうしてみると確かにすごく優秀な秀の学生と、明らかにやる気が見られない可の学生は最初から一貫して優秀かやる気がないかの両極端に別れたまま、あまり動かないという傾向がありました。
ところが、その間にいる学生を個々に調べてみると、非常に面白い成績の変化を示す学生がいることがわかりました。ひとつは、最初はそれほどではない順位にいた学生が試験のたびにどんどん良い答案を書けるようになって、優の上位あるいは秀の領域にまで飛び込むケースと、それとはまったく逆に最初のうちはそこそこの答案を書いていたにもかかわらず、どんどんと答案が痩せていき、最後には良の下位あるいは可の領域にまで落ち込んでしまうケースです。そのどちらも、(不謹慎な言い方ですが)面白いほど直線的に変化する人がいました。
これは、どういうことなのでしょうか。ぐんぐんと伸びて来た学生は私の講義に「合った」ということで生物学のおもしろさに目覚めたのかもしれません。それjは、大変に喜ばしいことなのですが、どんどんと低迷していった学生は私の講義が気に入らず失望していったということだとしたら、大いに反省しなければならないところです。
もちろん、回ごとに上がったり下がったりと特別の傾向を示さない学生が大多数なのですが、講義期間内に大きな低迷を示す学生に対しては、普通の講義だけではない様々なサポートが必要なのかもしれません。ところが、その傾向は講義の後半になってようやくわかるので、今になって判明しても時すでに遅しです。
このあたりにキメの細かい指導をしようとすると、少人数教育でなければ無理だという気もしますが、せっかく少子化になってきたので、教員を増やしてもいいんじゃないかというのが、いつもの私の意見です。
学生にとってはこの後の学部学科移行にこれらの成績がものをいうので、いい加減にはできません。そう思うだけでも成績付けは疲れる作業です。
さてと、本日はこれまでとしましょう。
by stochinai
| 2010-02-16 21:52
| 教育
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