2005年 04月 08日
自白
自白の信用性って?と名張毒ぶどう酒事件の再審決定にトラックバックします。
cafesuzieさんが、「自白の信用性って?」というエントリーの中で、選挙違反事件にまきこまれて事情聴取されたお友達のかたの経験談を書いておられます。
実は、私も警察に検挙されて取り調べを受けたことがあります。1969年大学1年生18歳の秋のことでしたと書けば、だいたいの事情はわかる人にはわかっていただけるかもしれません。
その時に、取り調べをした警察の方はそんなに悪い人ではなかったのですが、いろいろ聞かれても「黙秘します」としか答えなかった私の言うことはまったく聞かずに、どんどんと話を作り上げ調書を書いていきました。「**年*月**日、私は**で友人数十人と違法なデモ行進を行い、***や***という行動をして警察官の公務執行の妨害をしました」とかなんとか、ほんとうにおどろくばかりのお話がどんどんと作られているのを見て、ある種の感動を覚えた記憶があります。再度書きますが、私は住所氏名以外は黙秘をしていたにもかかわらず、です。
それで、調書ができあがると係官は、「よし、じゃあこれに署名して、拇印を押して」というのです。私はあきれて拒否をしましたけれども、その時に「もし裁判になっても、その時にこれは違うと言えば大丈夫なんだから、まずはこの場を丸く収めるために署名してくれよ」と頼むのです。私たちは、デモに出る前には逮捕されたらどうすかといったことについて、簡単な教育を受けていましたから適切に対応できましたけれども、これが殺人罪などでたった1人だけ逮捕されていたというような状況だったら抵抗できるかどうかわからないと思ったものです。
新聞などで書かれるいわゆる「自白」というものは、結局そんなふうに創作された係官作の台本に過ぎないというのが私のイメージなのですが、それが「証拠」となって一人歩きし始めるのが冤罪の典型的な姿に違いない、といつも思い出します。
普通に暮らしている多くの人は、まさか逮捕されるなんて思っていませんから、逮捕された後にどんなことが起こるかなどについての知識を持っていることなど、ほとんどないでしょう。そんな状況で、いきなり逮捕され、拘束下で弁護士も付けられずに孤立無援になったら、ほとんどの人は「これさえ書けば楽になれる。必ずしも証拠になるわけではない」という言葉に、でっち上げの調書に署名・押印をしてしまう方が普通なのかもしれません。
そのあげくに死刑判決を受けたりしてしまったら、もうどうでもいいという気持ちになってしまうかもしれません。死刑が確定したいた事件が再審されることになった、などというニュースに接する度に、そんな風に「解決」された事件が、まだまだ他にもたくさんあるに違いないと背筋が寒くなるのです。
追記:その後、私は未成年だったので家庭裁判所に送られたのですが、警察官の職権濫用による誤認検挙ということで「不審判」という処分(?)になりました。「不起訴処分」のニュースを聞く度に腹が立つのは、この時の記憶があるからかもしれません。
cafesuzieさんが、「自白の信用性って?」というエントリーの中で、選挙違反事件にまきこまれて事情聴取されたお友達のかたの経験談を書いておられます。
実は、私も警察に検挙されて取り調べを受けたことがあります。1969年大学1年生18歳の秋のことでしたと書けば、だいたいの事情はわかる人にはわかっていただけるかもしれません。
その時に、取り調べをした警察の方はそんなに悪い人ではなかったのですが、いろいろ聞かれても「黙秘します」としか答えなかった私の言うことはまったく聞かずに、どんどんと話を作り上げ調書を書いていきました。「**年*月**日、私は**で友人数十人と違法なデモ行進を行い、***や***という行動をして警察官の公務執行の妨害をしました」とかなんとか、ほんとうにおどろくばかりのお話がどんどんと作られているのを見て、ある種の感動を覚えた記憶があります。再度書きますが、私は住所氏名以外は黙秘をしていたにもかかわらず、です。
それで、調書ができあがると係官は、「よし、じゃあこれに署名して、拇印を押して」というのです。私はあきれて拒否をしましたけれども、その時に「もし裁判になっても、その時にこれは違うと言えば大丈夫なんだから、まずはこの場を丸く収めるために署名してくれよ」と頼むのです。私たちは、デモに出る前には逮捕されたらどうすかといったことについて、簡単な教育を受けていましたから適切に対応できましたけれども、これが殺人罪などでたった1人だけ逮捕されていたというような状況だったら抵抗できるかどうかわからないと思ったものです。
新聞などで書かれるいわゆる「自白」というものは、結局そんなふうに創作された係官作の台本に過ぎないというのが私のイメージなのですが、それが「証拠」となって一人歩きし始めるのが冤罪の典型的な姿に違いない、といつも思い出します。
普通に暮らしている多くの人は、まさか逮捕されるなんて思っていませんから、逮捕された後にどんなことが起こるかなどについての知識を持っていることなど、ほとんどないでしょう。そんな状況で、いきなり逮捕され、拘束下で弁護士も付けられずに孤立無援になったら、ほとんどの人は「これさえ書けば楽になれる。必ずしも証拠になるわけではない」という言葉に、でっち上げの調書に署名・押印をしてしまう方が普通なのかもしれません。
そのあげくに死刑判決を受けたりしてしまったら、もうどうでもいいという気持ちになってしまうかもしれません。死刑が確定したいた事件が再審されることになった、などというニュースに接する度に、そんな風に「解決」された事件が、まだまだ他にもたくさんあるに違いないと背筋が寒くなるのです。
追記:その後、私は未成年だったので家庭裁判所に送られたのですが、警察官の職権濫用による誤認検挙ということで「不審判」という処分(?)になりました。「不起訴処分」のニュースを聞く度に腹が立つのは、この時の記憶があるからかもしれません。
by stochinai
| 2005-04-08 22:14
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Comments(1)