2011年 01月 18日
大卒が就職できないのもポスドクが就職できないのも理由はひとつ
世の中の経済活動は、基本的にはすべて需給バランスで動いていると考えても良いのではないでしょうか。
大学卒業生がどんどん多くなっているのに、経済状態はとてもどんどん発展しているという状況ではなく、多くの大学卒業生が望むホワイトカラーの就職先はそれほど増えていません。ポスドクのケースも好意的に考えると、文科省はこれからは学卒ではなく修士卒、博士卒、さらにはポスドクを必要とする企業がどんどん増えてくるだろうから、大学院を充実させ、博士ならびにポスドク経験者を大量に生産しておこうと思ったのかもしれません。しかし、増加する学卒を吸収できない程度の経済発展しかしていない状況のもとでは、さらに高学歴を求める企業はやはり増えなかったのです。
それにしても、新聞・テレビがこぞって同じような報道をするのにはやはりうんざりしますね。こちらが朝日新聞に掲載された、いかに今年の大卒予定者の就職内定率が悪いかというグラフです。

テレビでも他の新聞やネットの報道でも基本的にはこれと同じグラフを使って、ともかく今年が「最悪」であることを強調する流れになっていますが、内定率というものが何かということをちょっと冷静に考えてみれば、このグラフでは物足りなくなるのが「教養」というものだと思います。つまり、実数が知りたくなるはずです。
就職内定率というのは、卒業を予定している大学生のうち、就職の内定をもらった者の割合です。つまり、就職(求人)がどのくらいあるのかということと、大学卒業予定者の数がどのくらいかというデータが過去と現在にわたってわからなければ、それらを割り算した結果だけを示されても「なんだかなあ」と思うのが正しい姿勢だと思います。
というわけで、さすが我が国の文科省は(まだまだ見つけにくいものですが)最近はグラフでデータを示してくれるようになりました。これは元データは文科省のはずですが、こちらからお借りしてきたものです。

このグラフを見ると、一目瞭然なのですが、(ポスドク問題とか)「就職氷河期なんてものはマスコミが作り出したまやかしだったんだよ!!」ということが一目瞭然です。
つまり、大学卒業という供給と求人という需給関係が就職内定率を決定し、大学教員などの研究者ポストの数がポスドクの就職率を決定するという枠組みは、行政や政策担当者にとっては5年や10年、場合によっては20年くらい前からわかっていたことが現実化したにすぎないことなのです。
そういう目で見てみると、就職(内定)率に関しては、大学生は増加し続けているにもかかわらずここ数年改善し続けていることもわかります。
とまあ、ここまでは今まで何度も繰り返したことなので、今回は最後にちょっとした解決のヒントになることを提案して終わりにしたいと思います。
NHKのニュースなどでは、大学生の就職に関しては中小企業と学生をなんとなマッチングさせようと必死の様子ですし、大学もそう考えているようです。また、ポスドク問題に関しても、博士の就職先としては研究職ばかりではなく、教育職やそれ以外にもいろいろと「おもしろい」ところがあるということを必死で説得しているようでしたが、無理に説得しても長続きする就職にはならないと思います。
そこで、決定的に彼らを動かすものは、金あるいはそれ以外の意外な「魅力」だと思います。その魅力が何であるかは、実は個々人によっていろいろありますから、そこを突破口とするとすれば無限の可能性が開けてくるはずです。
というわけで、最後は標語みたいになってしまいますが、実はたくさんある就職口になかなか目を向けようとしない学生や博士達に対してどこから声をかけていこうかとお悩みの、大学・大学院・研究所・研究室・企業の関係者の皆さんへ、ワンポイント・アドバイスです。
・大学卒業生には今までのホワイトカラーにはない魅力的な新しいワーク・スタイルを
・ポスドクには今までの大学教員や研究者を越えた新しい魅力を持った新しいワーク・スタイルを
と提案してみるというようなところで、どうでしょう。
大学卒業生がどんどん多くなっているのに、経済状態はとてもどんどん発展しているという状況ではなく、多くの大学卒業生が望むホワイトカラーの就職先はそれほど増えていません。ポスドクのケースも好意的に考えると、文科省はこれからは学卒ではなく修士卒、博士卒、さらにはポスドクを必要とする企業がどんどん増えてくるだろうから、大学院を充実させ、博士ならびにポスドク経験者を大量に生産しておこうと思ったのかもしれません。しかし、増加する学卒を吸収できない程度の経済発展しかしていない状況のもとでは、さらに高学歴を求める企業はやはり増えなかったのです。
それにしても、新聞・テレビがこぞって同じような報道をするのにはやはりうんざりしますね。こちらが朝日新聞に掲載された、いかに今年の大卒予定者の就職内定率が悪いかというグラフです。

就職内定率というのは、卒業を予定している大学生のうち、就職の内定をもらった者の割合です。つまり、就職(求人)がどのくらいあるのかということと、大学卒業予定者の数がどのくらいかというデータが過去と現在にわたってわからなければ、それらを割り算した結果だけを示されても「なんだかなあ」と思うのが正しい姿勢だと思います。
というわけで、さすが我が国の文科省は(まだまだ見つけにくいものですが)最近はグラフでデータを示してくれるようになりました。これは元データは文科省のはずですが、こちらからお借りしてきたものです。

つまり、大学卒業という供給と求人という需給関係が就職内定率を決定し、大学教員などの研究者ポストの数がポスドクの就職率を決定するという枠組みは、行政や政策担当者にとっては5年や10年、場合によっては20年くらい前からわかっていたことが現実化したにすぎないことなのです。
そういう目で見てみると、就職(内定)率に関しては、大学生は増加し続けているにもかかわらずここ数年改善し続けていることもわかります。
とまあ、ここまでは今まで何度も繰り返したことなので、今回は最後にちょっとした解決のヒントになることを提案して終わりにしたいと思います。
NHKのニュースなどでは、大学生の就職に関しては中小企業と学生をなんとなマッチングさせようと必死の様子ですし、大学もそう考えているようです。また、ポスドク問題に関しても、博士の就職先としては研究職ばかりではなく、教育職やそれ以外にもいろいろと「おもしろい」ところがあるということを必死で説得しているようでしたが、無理に説得しても長続きする就職にはならないと思います。
そこで、決定的に彼らを動かすものは、金あるいはそれ以外の意外な「魅力」だと思います。その魅力が何であるかは、実は個々人によっていろいろありますから、そこを突破口とするとすれば無限の可能性が開けてくるはずです。
というわけで、最後は標語みたいになってしまいますが、実はたくさんある就職口になかなか目を向けようとしない学生や博士達に対してどこから声をかけていこうかとお悩みの、大学・大学院・研究所・研究室・企業の関係者の皆さんへ、ワンポイント・アドバイスです。
・大学卒業生には今までのホワイトカラーにはない魅力的な新しいワーク・スタイルを
・ポスドクには今までの大学教員や研究者を越えた新しい魅力を持った新しいワーク・スタイルを
と提案してみるというようなところで、どうでしょう。
まったくもって同感です。我々は5年前からキャリアチェンジと、研究者こそラボの外へ宝探しに出かけ、もっと大きな楽しい、社会に役立つ科学啓蒙(大きい意味で)の仕事へ付くという流動化を提案し続けています。
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勘違いだったら申し訳ありません。
一つ目のグラフ(朝日新聞)では08年以降が下降していますが、二つ目のグラフでは平成20年(08年)までしか描かれていないように見えるのですが…
一つ目のグラフ(朝日新聞)では08年以降が下降していますが、二つ目のグラフでは平成20年(08年)までしか描かれていないように見えるのですが…
dotさんのおっしゃるとおりなのですが、下のグラフでは内定率ではなく就職率が表示されています。内定率は月ごとにどんどん変化していくので、就職率との直接比較はできません。下のグラフを見てください。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html
ここから類推すると、今年の新卒生の就職率は90%前後になることが予想されます。
議論がややこしくなることを避けるために、細かいところをいろいろ端折っていますが、大筋の議論は変わらないと思います。
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html
ここから類推すると、今年の新卒生の就職率は90%前後になることが予想されます。
議論がややこしくなることを避けるために、細かいところをいろいろ端折っていますが、大筋の議論は変わらないと思います。

>>(ポスドク問題とか)「就職氷河期なんてものはマスコミが作り出したまやかしだったんだよ!!」
先生らしくない暴言にびっくりです。お前らどこでもいいから就職できれば幸せだと思えということですか。
就職状況の厳しさは「質」を考えずに内定率や就職率だけを云々しても無意味だと思います。私が聞いている話では以前に増して厳しいです。
自分は運良くベンチャーに就職できたものの、給料は安いしいつ潰れるかわからないので将来不安は抱えたままです。これでも良い方で元ポスドクでもっと安くて不安定な派遣をしている人や田舎に帰って音沙汰なしという友人もいます。一方であなた達は大学でも独法でも明らかに業績も研究能力もない人もいるという矛盾を何とかしようとはしませんよね。
「新しい魅力を持った新しいワーク・スタイルを」なんて現実を知らない人のタワごとです。
先生らしくない暴言にびっくりです。お前らどこでもいいから就職できれば幸せだと思えということですか。
就職状況の厳しさは「質」を考えずに内定率や就職率だけを云々しても無意味だと思います。私が聞いている話では以前に増して厳しいです。
自分は運良くベンチャーに就職できたものの、給料は安いしいつ潰れるかわからないので将来不安は抱えたままです。これでも良い方で元ポスドクでもっと安くて不安定な派遣をしている人や田舎に帰って音沙汰なしという友人もいます。一方であなた達は大学でも独法でも明らかに業績も研究能力もない人もいるという矛盾を何とかしようとはしませんよね。
「新しい魅力を持った新しいワーク・スタイルを」なんて現実を知らない人のタワごとです。
「マスコミが作り出した」というのは言い過ぎかもしれませんが、我々自身がワード・ロンダリングの罠に陥っているということを最近感じています。つまり、今の「大学生」というものが、質・量ともに30-40年前の「大学生」というものを含みつつもあまりにも膨らみすぎて、同じ言葉でくくることが不可能になっているのにその言葉に縛られて「なんとかしよう」ともがいていることの滑稽さです。同じように今の「博士」や「ポスドク」が30-40年前の同じ言葉で示されていた存在と、どのくらい違うかを考えてみると良くわかると思います。少なくとも40年前のポスドクなんて、国立大学の助教授以上の光を放っていた存在だったと思います。

http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.htmlのグラフを見ると、2008年から2011年にかけて就職率・内定率ともに下がっているのですが、それと大学生の数が増えたことにいったいなんの関係があるのでしょうか。
こちら
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3165.html
のグラフを見ると、大卒の就職率は90年代のいわゆる「氷河期」から落ちっぱなしだったものが2008年頃まで「ミニバブル」でちょっと持ち直していたものが、元の傾向に戻っただけだと見えませんか?
http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3165.html
のグラフを見ると、大卒の就職率は90年代のいわゆる「氷河期」から落ちっぱなしだったものが2008年頃まで「ミニバブル」でちょっと持ち直していたものが、元の傾向に戻っただけだと見えませんか?

つまり、ポスドク問題は「終わった」のではなく、元から存在しなかったというわけですね。アカデミック以外に目を向けなかったのが全ての原因である、と。
ところで、30-40年前はポスドクではなく、オーバードクター問題ではないでしょうか。
ところで、30-40年前はポスドクではなく、オーバードクター問題ではないでしょうか。
景気と連動しているということだと思いますが。で、それが大学生の数が増えたことといったいなんの関係があるのでしょうか。
景気が良くも悪くもなってないときに就職状況だけが悪化しているのならばわかりますが、そんなことはありません。だから「元の傾向」などとは言えないでしょう。
実は今は景気は回復基調にあるのです。それなのに就職状況は悪化し続けているように見えるので騒ぎになっているのだと思いますが・・・?
鶏肋さん、お久しぶりです。
「アカデミック以外に目を向けなかった」ことに原因があるのは明らかですが、その責任は博士達にはないと思います。博士というのはそれまでと同じくアカデミックへのパスポートであるという「夢」で若者をつったのは大学であり、ひいては文科省ですから、責任は政府を含めそこにあることは明らかです。大学を出ても就職がない、博士になってもアカデミックポストがないという需給がくずれているということが明らかになった時点で、その後の若者には回避可能なことなので、大きな「問題」ではなくなった、つまり「終わった」ということもできるかもしれません。
30-40年前にオーバードクター問題があった頃、日本にもほんの一握りのポスドクがいたはずです。もちろん、超優秀な若い科学者で、私にはノーベル賞を取ったおじいさんよりもまぶしく見えた記憶があります。
「アカデミック以外に目を向けなかった」ことに原因があるのは明らかですが、その責任は博士達にはないと思います。博士というのはそれまでと同じくアカデミックへのパスポートであるという「夢」で若者をつったのは大学であり、ひいては文科省ですから、責任は政府を含めそこにあることは明らかです。大学を出ても就職がない、博士になってもアカデミックポストがないという需給がくずれているということが明らかになった時点で、その後の若者には回避可能なことなので、大きな「問題」ではなくなった、つまり「終わった」ということもできるかもしれません。
30-40年前にオーバードクター問題があった頃、日本にもほんの一握りのポスドクがいたはずです。もちろん、超優秀な若い科学者で、私にはノーベル賞を取ったおじいさんよりもまぶしく見えた記憶があります。

回復基調にあるのだとしても2011年現在すぐに良くなるわけではないでしょう。また、仮に景気が回復した後も雇用が回復しなかったとして、その原因が大学生の数が多いからだという証拠もないでしょう。また、2008年から悪化したのは大学生の数が多すぎることが原因の「元の傾向」なんですか?
1991年からの「空白の20年」の原因を私なりに考えてみると、大元の原因がそれだと納得したわけです。1年2年の変動ではなく、10年20年規模で見られる変動だから「大元」だと考えました。どうでしょうか?

22才の総人口の推移も重ねてプロットできると1つ情報が増えていいのかも知れません。

実際に「1年2年の変動」に影響を受けているにも関わらずそれを矮小化し、自分の着目した「10年20年規模で見られる変動」だけを「大元」などとするのは牽強付会だと思いますが。また、20年も経つと大学生の数の他にもいろいろ変わった事はあると思いますがそのあたりはどれだけ考慮されたのでしょうか。私も、大学生の数がまったくなにも影響しないとは思いませんが、ブログタイトルに「理由はひとつ」などとブチ上げるのは詐欺同然でしょう。
この時、頭にあったのは、気象学の方から聞きかじった「レジーム・シフト」という考え方でした。
それにしても、こんな「与太話ブログ」に「詐欺同然」などときつい言葉を投げられても、いったい何を期待しておられるのかととまどうばかりです。プロの評論がお望みならば、ブロゴスあたりに殴り込みをかけてみられてはどうでしょう。
それにしても、こんな「与太話ブログ」に「詐欺同然」などときつい言葉を投げられても、いったい何を期待しておられるのかととまどうばかりです。プロの評論がお望みならば、ブロゴスあたりに殴り込みをかけてみられてはどうでしょう。

「実はたくさんある就職口になかなか目を向けようとしない」のは大学の教授や准教授さん方ではないですか。そんなに中小企業への就職が魅力的なら率先して見本を示すべきです。「金あるいはそれ以外の意外な「魅力」」があるのでしょう?「博士になってもアカデミックポストがないという需給がくずれているということが明らかになった時点で、その後の若者には回避可能なことなので、大きな「問題」ではなくなった」という文章を読んだ瞬間、ふつふつと怒りがこみ上げました。私のように読んでしまう読者もいるという事実を知ってほしいです。
buffaloさんが抱かれておられるだろう感情は良くわかるつもりです。
私の表現力も大したことはありませんし、短時間で書かれた記事を数千人から時には1万人もの方が読まれますので、いろいろな反応があることは想定して書いています。その上で、いろいろな議論が起こることは歓迎いたします。もちろん、間違いや勘違いがあったら訂正しますし、異論・反論もありがたいです。
その上であえて逆なでするようなことを申し上げてしまいますが、就活とポスドク問題で似ていると思われることのもう一つのポイントは、就活生も大学院生も自分たちのキャリアを築くべき社会の構造(現実)についてあまりにも理解していないということです。学生のほとんどは就活を始めるまであるいは始まってから後も、「大学に入ったからには、自分を受け入れるパスがあるはずだ」と信じていますし、大学院生の多くも「博士になったらどこかで研究者くらいにはなれるだろう」と楽天的に考えていることです。もちろん、教員を含めて周囲にいる人間も同様にあるいはそれ以上に無知なことが多いという現実もあります。どこに問題があると思われますか。
私の表現力も大したことはありませんし、短時間で書かれた記事を数千人から時には1万人もの方が読まれますので、いろいろな反応があることは想定して書いています。その上で、いろいろな議論が起こることは歓迎いたします。もちろん、間違いや勘違いがあったら訂正しますし、異論・反論もありがたいです。
その上であえて逆なでするようなことを申し上げてしまいますが、就活とポスドク問題で似ていると思われることのもう一つのポイントは、就活生も大学院生も自分たちのキャリアを築くべき社会の構造(現実)についてあまりにも理解していないということです。学生のほとんどは就活を始めるまであるいは始まってから後も、「大学に入ったからには、自分を受け入れるパスがあるはずだ」と信じていますし、大学院生の多くも「博士になったらどこかで研究者くらいにはなれるだろう」と楽天的に考えていることです。もちろん、教員を含めて周囲にいる人間も同様にあるいはそれ以上に無知なことが多いという現実もあります。どこに問題があると思われますか。

>「博士になったらどこかで研究者くらいにはなれるだろう」
このオプティミズムは研究者になる上で必須ではないでしょうか。もちろん、「自己責任」に基づいたリスクヘッジも必要でしょうが、自分が成功することを信じないで研究者を目指すことは考えられません。
問題は、「どの時点でアカデミックを諦めるべきか」がはっきりしていないことだと思います。いつでもチャンスがあるなら別ですが、通常ポスドクは次のキャリアパスを築くには遅すぎると思います。スポーツなどと異なり、アカデミックに残る基準が必ずしも「業績」ではないことも、余計分かりにくいですね。
博士がアカデミックより「魅力」のある分野に目を向ける、あるいは自ら開拓するというのは解決の一つだとは思います。
このオプティミズムは研究者になる上で必須ではないでしょうか。もちろん、「自己責任」に基づいたリスクヘッジも必要でしょうが、自分が成功することを信じないで研究者を目指すことは考えられません。
問題は、「どの時点でアカデミックを諦めるべきか」がはっきりしていないことだと思います。いつでもチャンスがあるなら別ですが、通常ポスドクは次のキャリアパスを築くには遅すぎると思います。スポーツなどと異なり、アカデミックに残る基準が必ずしも「業績」ではないことも、余計分かりにくいですね。
博士がアカデミックより「魅力」のある分野に目を向ける、あるいは自ら開拓するというのは解決の一つだとは思います。
>このオプティミズムは研究者になる上で必須
おっしゃるとおりだと思いますが、同時に「自分には無理だろう」という覚めた目もないと、どこでパスを乗り換えるかという判断が難しくなります。キャリア教育というのは、そういうことだと考えると中学生くらいからやっておかなければならないものだということに気がつきます。
日本ではキャリア教育から遠ざけることが、「中立公平な教育」みたいに考えられていませんか?
おっしゃるとおりだと思いますが、同時に「自分には無理だろう」という覚めた目もないと、どこでパスを乗り換えるかという判断が難しくなります。キャリア教育というのは、そういうことだと考えると中学生くらいからやっておかなければならないものだということに気がつきます。
日本ではキャリア教育から遠ざけることが、「中立公平な教育」みたいに考えられていませんか?

以前は出来の悪い院生に対して、「君には無理だ、あきらめなさい」と引導を渡すのも教授はじめ大学教諭陣の大事な「仕事」でした。それを面倒がり、安価な労働力として在籍させ、不要な人材にまで適当に見繕った素材で学位を出させていた大学に責任は無いというのでしょうか?

今回の文章の何がおかしいかというと、実際の経済活動(この場合労働市場)が市場原理で決まっていないにも関わらず、市場で決まっているという理由で現状を正当化しようとしていることです。
大学を始め日本の労働市場では終身雇用なので市場原理が徹底されているわけではありません。需給バランスで動いているのは入るときだけです。これを言うのなら年齢制限撤廃や公募審査の公正化などを訴えなければいけません。自分の立場に都合のよいことだけを抜き出しているのです。
僕がポスドク問題で言いたいのは人事を流動化させて公募を公平にしろという事だけです。
「昔は大学生やポスドクという言葉が今とは響きが違う」。
に至っては何が言いたいのでしょうか。だから昔の学生は能力がなくても高給を貰ってもいいけど、今の学生は能力があっても就職はできないくて当然だと言いたいんでしょうか?現状を正当化する理由にならないですよ。
栃内先生がはっっきりと既得権擁護の立場からの上からの目線で書かれたのでびっくりしましたが、これが本音なのでしょうか。
大学を始め日本の労働市場では終身雇用なので市場原理が徹底されているわけではありません。需給バランスで動いているのは入るときだけです。これを言うのなら年齢制限撤廃や公募審査の公正化などを訴えなければいけません。自分の立場に都合のよいことだけを抜き出しているのです。
僕がポスドク問題で言いたいのは人事を流動化させて公募を公平にしろという事だけです。
「昔は大学生やポスドクという言葉が今とは響きが違う」。
に至っては何が言いたいのでしょうか。だから昔の学生は能力がなくても高給を貰ってもいいけど、今の学生は能力があっても就職はできないくて当然だと言いたいんでしょうか?現状を正当化する理由にならないですよ。
栃内先生がはっっきりと既得権擁護の立場からの上からの目線で書かれたのでびっくりしましたが、これが本音なのでしょうか。

市場原理でいくなら、役に立たない研究は排除されるのですが、それでもいいのでしょうか
私がここで言いたかったことは、市場原理を肯定するとか、責任が学生やポスドクにあるとか、大学に責任がないとかいうことではなく、すべての問題の根底に大学生や大学院生、博士を増やしすぎたことがあるということだけです。大卒であることや博士であることを前提とする職場があるのは歴然とした事実ですが、その「資格」を持ったものの数が多くなりすぎると、その資格がまったく意味を持たなくなるということを言いたかったのです。例えば、一昔前まで博物館などに就職するための資格として人気のあった「学芸員」は、その資格を持った学生や卒業生の数があまりにも膨大になって、なんの意味もなくなったと聞きます。
大学生や大学院生の数を減らすことができず、一方で現役の終身雇用を打ち切ることもできない「大学」に問題があるのはおっしゃるとおりですが、なぜ学生諸君からも大学を責める動きが出てこないのでしょう。
私は既得権の恩恵をこうむってはおりますが、別に擁護したいとは思っておりません。国立大学の正規教員の給料などすべて30%削減しても良いと思っています。
国会議員を含む全公務員の皆さん、自分たちの給料の30%削減を提案してみませんか?
大学生や大学院生の数を減らすことができず、一方で現役の終身雇用を打ち切ることもできない「大学」に問題があるのはおっしゃるとおりですが、なぜ学生諸君からも大学を責める動きが出てこないのでしょう。
私は既得権の恩恵をこうむってはおりますが、別に擁護したいとは思っておりません。国立大学の正規教員の給料などすべて30%削減しても良いと思っています。
国会議員を含む全公務員の皆さん、自分たちの給料の30%削減を提案してみませんか?

30%減といったものではなく、一定レベルに達しない教官の定期的な交代こそが望まれる姿ではないでしょうか。本来学術レベルのアップのための考え方ですが、同時に多くの人間にチャンスを与える意味で。理研CDBなどは設立時はそのはずだったのに、ふたを開けたら皆残留契約延長、落胆しました。あそこや帝大がアカデミア改革のフラッグシップの役目を果たさなかった。結果有能なのに一定年齢層に属すポスドクだけが大量にポストを失っているように見えます。国家的損失だと思います。
今の就職難とは実は関係のない話ですが、アカデミアが率先して流動性を高めなければ、産業側の人材流動性も高まりません。
そしてそのCDBで役に立たない研究に大量の税金が注がれているのは先生もご存知でしょう?
今の就職難とは実は関係のない話ですが、アカデミアが率先して流動性を高めなければ、産業側の人材流動性も高まりません。
そしてそのCDBで役に立たない研究に大量の税金が注がれているのは先生もご存知でしょう?
アカデミアの流動性を高めるために「任期制」が導入されているはずですが、結局優秀な人間を再任できず、退場してほしい人にも出て行ってもらうことができず、という話も良く聞きます。ようするに「制度」ではなく「運用」が問題になるのですが、その「運用」をする人間がもろに「利害関係者」であるという「構造」がいつまでたっても変わりません。大学の人事権を研究室から剥奪することは、ひとつの荒療治になると思いますが、こんどは研究を知らない人がトンチンカンな人事をやりそうな危惧が生じるのは、民主党政権の「科学政策」を見ていて心配になります。
CDBでの「役に立たない研究」でも、書類上では「人類の未来に大きく貢献する」ことになっているので認可されているはずです。私が上に書いた「役に立たない研究など、もう認められていない」というのはそういう意味です。
いずれにせよ、教育研究組織がガタガタになっているのは事実なのでなんとかしなければならないのですが、何かをする主体が「常に文科省と利害関係者」なので、いつまでたっても「踊る改革」が繰り返されているというのが、日本の現状です。
CDBでの「役に立たない研究」でも、書類上では「人類の未来に大きく貢献する」ことになっているので認可されているはずです。私が上に書いた「役に立たない研究など、もう認められていない」というのはそういう意味です。
いずれにせよ、教育研究組織がガタガタになっているのは事実なのでなんとかしなければならないのですが、何かをする主体が「常に文科省と利害関係者」なので、いつまでたっても「踊る改革」が繰り返されているというのが、日本の現状です。

この「流動性」のケースでは、官僚は制度を作るまでの「成果」は出した訳です。それを運用する側=大学に自らの首を絞めてまでそれを実行する気がなかった訳で、この現状です。
「高等専門教育の拡大」をはかるシステム改良を国は大学院拡充と言う形で具現化しました。しかし運用側の大学に挟持が足らず、博士のレベルに疑問符の人間にまで博士号を乱発し、結局産業側の信用をなくし意味無しにしてしまったと言えます。
>研究を知らない人がトンチンカンな人事
これこそ研究をよく知っている余剰人材、高齢ポスドク任期付助教等終了者の新しいポストとして大学総務人事職を採用すればいいのでは。
今不況の時代に産業側が今までの反省に基づき生き残りをかけての改革をしていく中、大学は何の反省もなくて大丈夫なんでしょうか?それこそ40年前の大学教授、つまり先生の先生の時代の教授陣はもっと自身に厳しく、大学のあり方にもポリシーを持っていた崇高な存在だった様に思うのです。その姿を見て、何も言われなくても才能至らない人間は途中で研究をあきらめていったのです。変わったのは大学生だけでなく大学もでしょう。
「高等専門教育の拡大」をはかるシステム改良を国は大学院拡充と言う形で具現化しました。しかし運用側の大学に挟持が足らず、博士のレベルに疑問符の人間にまで博士号を乱発し、結局産業側の信用をなくし意味無しにしてしまったと言えます。
>研究を知らない人がトンチンカンな人事
これこそ研究をよく知っている余剰人材、高齢ポスドク任期付助教等終了者の新しいポストとして大学総務人事職を採用すればいいのでは。
今不況の時代に産業側が今までの反省に基づき生き残りをかけての改革をしていく中、大学は何の反省もなくて大丈夫なんでしょうか?それこそ40年前の大学教授、つまり先生の先生の時代の教授陣はもっと自身に厳しく、大学のあり方にもポリシーを持っていた崇高な存在だった様に思うのです。その姿を見て、何も言われなくても才能至らない人間は途中で研究をあきらめていったのです。変わったのは大学生だけでなく大学もでしょう。

エントリーの主旨にある、魅力的かつ新しいワークスタイルの創成には賛成です。ただ、これを誰がやるかと言うことと、グラフの読み取りに関してはコメントしたいと思います。
まず、コメント欄で紹介のあった、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html のグラフを見ると、ピンクの線で表される早期に内定が決まっている人たちは、それなりに希望する会社に就職できたと考えられそうです。(もっと早い段階のデータもあるとわかりやすいですが。)また、それぞれの折れ線の差分から、10月までに内定がなかった人のうち、30〜40%の人が12月までに就職し、12月から2月の間にも、就職のない人の30%くらいが就職し、最後に、2月から4月の間に就職のない人の50%以上が就職すると言うことがわかります。この割合の変動から、最後の2ヶ月にはかなりの妥協があると思います。
近2年の傾向を見ていると、ピンクのラインの内定率が下がっているのにも関わらず、この後の各二ヶ月間の差分が小さくなっていると言うことがあり、例年の大卒者の気質が変わらないとすると、就職自体が難しくなり、見かけ上就職者数はあっても、かなり妥協した結果であると考えた方が良いかと思います。
まず、コメント欄で紹介のあった、http://www2.ttcn.ne.jp/honkawa/3160.html のグラフを見ると、ピンクの線で表される早期に内定が決まっている人たちは、それなりに希望する会社に就職できたと考えられそうです。(もっと早い段階のデータもあるとわかりやすいですが。)また、それぞれの折れ線の差分から、10月までに内定がなかった人のうち、30〜40%の人が12月までに就職し、12月から2月の間にも、就職のない人の30%くらいが就職し、最後に、2月から4月の間に就職のない人の50%以上が就職すると言うことがわかります。この割合の変動から、最後の2ヶ月にはかなりの妥協があると思います。
近2年の傾向を見ていると、ピンクのラインの内定率が下がっているのにも関わらず、この後の各二ヶ月間の差分が小さくなっていると言うことがあり、例年の大卒者の気質が変わらないとすると、就職自体が難しくなり、見かけ上就職者数はあっても、かなり妥協した結果であると考えた方が良いかと思います。

まとめると、ここ2年くらいの就職者数は出ていませんが、たぶん減少すると思います。また、前回、今回のような就職氷河期は、いつかまた起こると思いますし、まだ前回の氷河期で就職できなかった人たちが就職できたと言う話も聞きません。このような人たちを支えるための資金は、最終的には生活保護などの形で税金から出ること、つまり、働いている人たちが少しずつ彼らを支えると言うことになると思いますので、早期に対策を立てて行くべきだと思います。
ただし、そのために、職を得られなかった者は考えを改めて新しいワークスタイルを探せ、というのは少々酷だと思います。むしろ、職を得て経験を積み、経済的にも裕福な社会的強者が率先してやった方がうまく行く可能性は高いと思います。そのための支援にならば、税金を使う価値があると思います。新卒で頑張って職を得て、一つの会社に勤め続け、既得権益を確定させて安定を目指すというような、日本的なワークスタイルこそ改めて、いつでも新しいことに挑戦できる(失敗しても復帰できる)ような社会を目指して行かないと、就職氷河期の問題は解決できないと思います。また、ポストポスドク問題も、根は同じところにあるでしょう。
ただし、そのために、職を得られなかった者は考えを改めて新しいワークスタイルを探せ、というのは少々酷だと思います。むしろ、職を得て経験を積み、経済的にも裕福な社会的強者が率先してやった方がうまく行く可能性は高いと思います。そのための支援にならば、税金を使う価値があると思います。新卒で頑張って職を得て、一つの会社に勤め続け、既得権益を確定させて安定を目指すというような、日本的なワークスタイルこそ改めて、いつでも新しいことに挑戦できる(失敗しても復帰できる)ような社会を目指して行かないと、就職氷河期の問題は解決できないと思います。また、ポストポスドク問題も、根は同じところにあるでしょう。
yさんがおっしゃるとおり、「なんの反省もしていないと思われた」大学は、この先急速に再編整理の嵐にさらされると思います。それを「自業自得」と冷ややかに横目で見ていることは可能ですが、大学以外に日本の高等教育機能をシステマティックに行える機関がない以上、それによって日本そのものが被るダメージも推して余りあるところです。
昔の大学には確かにダメダメ教員もたくさんいたでしょうが、おっしゃるような孤高の学究もたくさんいました。前者を処分するついでに、後者も滅ぼしてしまった現在、再建は1から作り直したほうが早いのかもしれません。
昔の大学には確かにダメダメ教員もたくさんいたでしょうが、おっしゃるような孤高の学究もたくさんいました。前者を処分するついでに、後者も滅ぼしてしまった現在、再建は1から作り直したほうが早いのかもしれません。
ななしさん、コメントと解説をありがとうございました。
基本的に政府は、国民全員に正規の職が行き渡るように政治を行うべきであり、そういう意味で菅さんがたとえ思いつきで言ったにせよ「1に雇用、2に雇用、3,4に雇用、5に雇用」という主張は支持に値するものだと思います。ポスドクであろうが、新卒であろうが、中途退職者であろうが、すみやかに次の正規の職に着くことが可能なチョイスのある社会構造が作られることを強く期待しています。
基本的に政府は、国民全員に正規の職が行き渡るように政治を行うべきであり、そういう意味で菅さんがたとえ思いつきで言ったにせよ「1に雇用、2に雇用、3,4に雇用、5に雇用」という主張は支持に値するものだと思います。ポスドクであろうが、新卒であろうが、中途退職者であろうが、すみやかに次の正規の職に着くことが可能なチョイスのある社会構造が作られることを強く期待しています。

何というか、栃内先生が良心的な方で誠意を持ってポスドク問題等お考えになっていることはよくわかるのです。周りの同僚とかはそうではないでしょうからだんだんしんどくなって疲れておかしな説明で自分を納得させちゃったのかなと思っていました。
結局立場の違いは「誠意」とか「良心」では埋まらないものだなと痛感します。最近赤木智弘さんの気持ちがよくわかるんですよ。戦争は望みませんが、ハイパーインフレで何もかも吹き飛ばしてくれっていう・・・
なんか、感覚が違うんですよね。大学を潰すと困るのは日本全体だぜっていう話は盗人の恫喝に聞こえますし、菅首相の話は今職についている人「だけ」を守るという話だいうのが大方の理解だと思いますが、どうしてこんな話をわざわざ出すのだろうかと思ってしまいました。
結局立場の違いは「誠意」とか「良心」では埋まらないものだなと痛感します。最近赤木智弘さんの気持ちがよくわかるんですよ。戦争は望みませんが、ハイパーインフレで何もかも吹き飛ばしてくれっていう・・・
なんか、感覚が違うんですよね。大学を潰すと困るのは日本全体だぜっていう話は盗人の恫喝に聞こえますし、菅首相の話は今職についている人「だけ」を守るという話だいうのが大方の理解だと思いますが、どうしてこんな話をわざわざ出すのだろうかと思ってしまいました。
特にこの回の「意見」が決定的だと信じて書いたというわけでもなく、「おかしな説明」と言われればそうなのかもしれませんが、おっしゃるとおり立場が違うとそのトーク・ポジションが異なるのは当然で、だからこそ「多事争論」「論争有理」ということなのだと思っています。
時々、「どうしてこんな話をわざわざ」ということは、ある意味意図的にやっているのかもしれません。炎上を望むわけではありませんが、誰も何も発言しないよりは、多少粗っぽくても言葉のキャッチボールがあったほうが健全だと思っています。
そこのあたり、ほんのちょっとでもご理解いただければ、幸いです。
時々、「どうしてこんな話をわざわざ」ということは、ある意味意図的にやっているのかもしれません。炎上を望むわけではありませんが、誰も何も発言しないよりは、多少粗っぽくても言葉のキャッチボールがあったほうが健全だと思っています。
そこのあたり、ほんのちょっとでもご理解いただければ、幸いです。
by stochinai
| 2011-01-18 23:59
| ポスドク・博士
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Comments(35)