5号館を出て

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自分の遺伝子を受け継がない胎児を持ったヒトという動物

 2億数千万年前に、地球上に哺乳類という動物が進化してきました。哺乳類の最大の特徴は、子どもを乳で育てるということになっていますが、我々の直感としては胎児として子宮の中で育つものという印象のほうが強いかもしれません。しかし、哺乳類ももともとはカモノハシのように最初は卵で生み出されていたと考えられていますが、それがカンガルーのように生み出された未熟な子どもを袋の中で哺乳しながら育てる有袋類へと進化し、さらには胎盤を進化させた有胎盤類(真獣類)となり、母親の子宮の長い胎児の時期を経た後に、かなり完成した形で生み出されるようになったのです。

 有胎盤類の中には、生み出されるとすぐに歩き出すことができるウマやキリンなどのようなものもいますが、ヒトのように歩くことはもちろん、目も開いていない「未熟児」として生み出されるものもいます。どちらにしても生まれてからしばらくは母親の出すミルクで育てられるというところは、どの哺乳類も持っている共通の性質です。

 母親が出産後ミルクを出すようになるのは、出産前後の体内のホルモン環境の変化によるものであり、基本的には妊娠と出産を経ない限りミルクは分泌されるようになりません。つまり、自分の子宮の中で赤ちゃんが育ち、出産により体外に出されるという一連のプロセスの後に、赤ちゃんが乳に吸い付いてくるという刺激があって初めてミルクの分泌が継続されるのです。ヒトを含む哺乳類のメスにとって、赤ちゃんを体内で育て、さらに出産後も育てるということは、非常な負担になりますし、場合によっては自分の命を危険にさらすことでもあります。そうしたリスクがありながら一所懸命に子どもを育てる母親の性質を「母性本能」と呼んだりもしますが、赤ちゃんは自分の遺伝子を半分受け継いだ存在であり、たとえ自分が死んでもその遺伝子が後の世代に受け継がれるならば自分が死ぬことも受け入れるのが「生物」の持つ基本的な性質です。

 哺乳類が生まれて2億数千万年、母親がミルクを出して育てる子どもは常に自分の遺伝子を半分、そして父親の遺伝子を半分持った存在でした。ところが昨年ノーベル医学・生理学賞を授与されたイギリスのロバート・エドワーズさんが、この2億数千万年続いてきたルールを破る可能性を秘めたヒトの体外受精という技術を完成させてしまいました。

 最初の体外受精は、実際の夫婦の間で行われ、胎児も妻の子宮の中で育てられたので、誰も気がつかなかったのですが、実は子宮に着床して育つ胎児は、子宮の所有者である母親の遺伝子を受け継いでいなくても問題なく育つこともまもなく発見されました。その結果、精子の提供者である生物学的父親、卵の提供者である生物学的母親、子宮の中で胎児を育てる代理母、そして実際に生まれた子どもを育てる、育ての父、育ての母が、任意の組み合わせで子どもを「作る」ことが可能になってしまいました。

 進化から見た病気 (ブルーバックス)の中にある、楢木佑佳@spacetimeさんの描いた図をごらんください。
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 ケース1で生まれた子は生物学的(遺伝的)には間違いなく卵と精子を提供した夫婦の間にできた子どもですが、日本の法律では生物学的遺伝関係はさておき、生みの母が法的母親となるということで、数年前にアメリカで代理母に出産してもらったタレントの向井亜紀さんの子どもは向井さん夫婦の子どもとしての出生届は受理されませんでした。ところが、向井さんの場合は出産前からニュースや週刊誌などで取り上げられていたため、代理母による出産が公知の事実となっていたためこういう判断になってしまいましたが、まったく同じことをしていても長い海外滞在の間に出産したとして届け出た「無名の人」の場合には、あっさりと出生届が受理されているという噂も聞きます。

 ケース2の場合は、日本ではなんの問題もなく出生届が受理されますので、私の憶測ですが意外と日本でもやられているのではないかと思っています。

 今朝の朝日新聞に出ていたニュースでは「インド、タイの医療機関やあっせん業者に取材すると、08年以降、インドで20組以上、タイで10組以上の夫婦が代理出産を依頼し、計10人以上が生まれていた。夫婦の受精卵を代理母に移植するほか、第三者からの提供卵子と夫の精子で受精卵を作り、代理母に移す例も多かった」となっていますので、上の図のケース1やケース3の場合に相当するものが多いようです。

 というわけで、哺乳類という動物としては進化史上の想定外の出来事がヒトという文化をもった種に起こっているという見方もできるわけです。この生物が生命の誕生以来初めて、自分の遺伝子(あるいはそれに相当する遺伝子を)を受け継がない子どもを生み育てるという状況に遭遇したということにも思えます。進化上想定外のことに対しては、生物はたとえそれが自分の遺伝子を受け継いでいくという意味で問題があるとしても、それに対抗する手段を進化させてきていないわけですので、ある意味まったく無防備だというふうに考えることもできます。その生物進化のスキをついて発達したのが、上のような生殖補助技術と言えるかもしれません。

 まったく、人間という存在は、生物という存在を脅かすようなことを次々とやってくれますね。
Commented by 通りすがり at 2011-12-30 00:39 x
確かにそうですが昔から養子などの存在がいたわけで、
一概に人工体外受精によってほ乳類の今までのルールが破らてしまったとはいえない気がします。
Commented by stochinai at 2011-12-30 10:14
養子は生まれるまでに母親の身体を「生物学的」に利用しないという点では、借り腹とはその生物学的意味は大きく異なると思っています。もちろん、子孫に遺伝子を残すという意味では同じ点も多々あり、養子の生物学的起源もなかなかおもしろい研究テーマだと思います。
コメントをありがとうございました。
by stochinai | 2011-02-19 22:40 | 医療・健康 | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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