5号館を出て

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アナログとデジタル(誘因と事故)

 事故は、起こるか起こらないかという2者択一のデジタルな存在です。どんなに事故がおこりそうになってヒヤッとしたりハッとしたりしたとしても、事故にさえ至らなければ物理的には無傷です。

 一方、事故の原因になる可能性のあるものはそこいら中に転がっております。

 今回の列車事故でも、鉄道そのものがなければ事故は起こりえないという極論はさておき、スピードの出し過ぎ、過密ダイア、ダイア遵守に関する会社側のプレッシャー、前の駅でのオーバーランによる運行時間の遅延、運転士と車掌の緊張感の欠如あるいは緊張のしすぎ・体調不良、線路のカーブ、レールの上の小石、旧式のATS装置、ガードレールの不整備、レール整備(脱線防止ガード)の不備、満員の乗客、軽量化した車体の脆弱性、車輌の不調・整備不良、線路脇にある建物、などなど考えられる理由の中のいくつか、あるいはたった一つでも除かれていたならば大きな事故には至らなかったのかもしれません。あるいは、事故そのものが起こらなかった可能性もあります。

 数え切れない理由がどんどんと積み重なって、ある臨界を越えたときに事故が起こるのではないでしょうか。つまり、アナログに累積される理由から、デジタルな結果への飛躍が起こるように思えます。

 逆にいうと、事故というものはそのくらい起こりにくいものなのだと思います。なぜかという理由の一つは、動物でもあるヒトは死に至る可能性のある事故を恐れ嫌いますから、出来る限りそれを避けようとするからなのだと思います。

 道具を持たなければ、ただの動物に過ぎないヒトが、自分の筋肉などの生理的パワーだけでは制御しきれない文明の利器を持っている限り、大きな事故が起こりうるのは宿命とも言えます。

 非力な存在である人間(ヒト)が、巨大な道具を駆使するとき、自分たちの作った道具で殺されないようにしっかりと対策を立てるというのが、リスク管理の基本なのだと思います。

 便利なものを最大限に利用しつくそうということ自体が、間違っているのかもしれません。文明の利器から最大の効率を引き出すのではなく、余裕を持って6・7割くらいの効率で利用するようにしておくというのは、地球をボロボロにしてしまった我々が与えられた教訓の一つではなかったでしょうか。
Commented by それでも地球は回る at 2005-04-26 22:26 x
事故は文字通り、カタストロフィックなものである、ということでしょうか。
原因が重なり、ある臨界点を超えて事故として表面化する、というのは仰る通りだと思います。
個々の原因が起きないようにする「仕組み」が必要だと思いますが、人間の「努力」に任せていれば、いつかは要因が重なってしまう可能性を排除できませんね。
今回の事故原因は、恐らく、複数の要因が重なった結果でしょうから、この際、事故に繋がる要因というものを一切合切洗い出して欲しいと思います。
Commented by おやじのつぶやき at 2005-04-27 00:18 x
現時点ではどうだか知りませんが、昨日、JRは事故原因として置き石説を大々的にアピールしていましたね。これは、もう立派な責任転嫁。これって、得意のやり方じゃないかですか、官僚諸君の。この間どこかでもあったような気がします。ごまかし写真とは言いませんが。そして最後は運転手にすべてかぶせるのですかね
by stochinai | 2005-04-26 20:26 | つぶやき | Comments(2)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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