5号館を出て

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ETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久・吉岡忍」

 震災関係でありながら、久々に「信じるに足る報道」に出会った気がしました。NHK教育テレビのETV特集「原発災害の地にて~対談 玄侑宗久・吉岡忍」です。もしも再放送やオンデマンドで見ることができるようなら是非ともご覧になることをお勧めします。

 番組を見ながら、とったメモです。

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 ウメとモモとサクラが一緒に咲く。三つの春が一緒にやってくる福島の町、三春町。「今年は春風がやってきて欲しくないですね」という玄侑宗久さんの言葉。

 原発近傍の町は、町ごと移住して新しく町をリセットしなければならない。

 事故発生当初:東京電力は「我々も被害者だ」と住民に言っていたことに憤る住民。とうの住民達も、まさか自分たちが避難することになるとは思っていなかった。

・玄侑宗久さんの言葉

 :想定内とか想定外とかいう傲慢。自然の中に生きているということは、想定できないのが当たり前。

 :安全だとか危険だとかいうことは聞きたくない、データを示して欲しい。

 :震災後に起きた水素爆発で福島県民はかなりの衝撃を受けた。その瞬間から、漏洩放射線物質と風向きを知りたいと思ったにもかかわらず、その瞬間からデータが出てこなくなった。

 :どうして野菜の汚染発表が「福島県」がひとつの単位になっているのか。

 :国から「自主的に避難することをお勧めされた」ことに対する不快感

・吉岡さんの20キロから30キロ圏内のルポ

 :取り残された飼い犬たち。

 :車窓から見えるまわりの景色は森林浴でもできるような感じ。

 :ペットのイヌやネコをおいて遠くまで避難はできない。

 :ほとんどの人がさらに遠くへ退避して、残された放射線濃度の高い「避難小屋」で続けられる奇妙な共同生活。

・玄侑宗久さん

 :自分の親を説得することは難しいが、町ごと退避が決まれば親も納得して非難してくれるのではないか。

 :檀家さんの一部が残っている限り自分が町を捨てて避難してしまっては、何も言えなくなってしまう。

 :一番ストレスを感じているのは、一部を町に残して町から避難している人だろう。

 驚いたことに、三春町では安定ヨウ素剤が配られていた。

 1986年に放射線検知器を購入していた元高校教師が最初に放射線の上昇を計測していた。その後の継続的計測で風向きと放射線の関係を検出している。

・玄侑宗久さん

 :我々は原発という飼い慣らせるはずのない龍を飼っていた。

 :人は地球の上に仮住まいしていただけだということを今回の地震・津波・原発事故でひしひしと感じる。

 :これだけの災害を受けて我々がどれだけ変化できるのか。

 :きっと変わるということを肯定的に思っていたい。

エンディング

 避難を続ける原発周辺住民の流浪の生活がいつ終わるのか誰にもわかりません。

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 飼い慣らせるはずのない龍を飼っていたという感慨は私はとても共感を持てるものなのですが、社会というものを数字や統計で考え、原発は自動車よりも人を殺さない安全なものであると肯定する「経済学者」が今の社会で大きな力を持っていることを考えると、そういうことを納得して脱原発へと舵を切ろうということに同意してくれる人がどのくらい増えるのかということが、この番組の最後に出てきた「希望」が実現されるかどうかの分かれ目になるのだと思います。

 人間の営みである科学技術が自然に対して危険度を想定して、そこそこの対策で済ませてしまうこと、つまり効率や経済性を考える限り、我々はこの手の「人災」から逃れることはできないのだというのが、私のもう一つの感想でした。

 そういう意味で、答や結論が得られたわけではありませんでしたが、良い番組だったと思います。
Commented by ヨシダヒロコ at 2011-04-03 23:59 x
stochinaiさんのツイートを見てチャンネルを合わせました。視聴してよかったと思っています。ありがとうございました。
by stochinai | 2011-04-03 23:51 | 環境 | Comments(1)

日の光今朝や鰯のかしらより            蕪村


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