2011年 10月 27日
暗室が消えた!
私の部屋の隣も、私の部屋と同じ大きさなのですが、前後に半分ずつの2つの部屋に分けられています。その部屋に今日、工事が入りました。これは、アフター・ザ・工事の写真です。
奥に実験室っぽい流しがある以外は、特にどうということのない部屋に見えるかもしれませんが、実はこの部屋の窓は真っ暗に封印されて暗室になっていました。
流しの上の壁についているものを見て、ピンとくる人もいると思います。
オレンジ色の光を放っている小さな光源ライトです。実際に部屋を暗くして使う時にはこんな感じです。
ライトの右側に書かれたHANZAの文字を見て、懐かしいと思う人は我々とそう年齢が違わない方かもしれません。
HANZA
カメラや写真用品のアクセサリを販売している会社で、暗室用品などはかなりのシェアを持っていたと思います。HANZAのホームページを見ても「販売終了」の文字が氾濫しており、この先それほど長くは持たないだろうと感じられます。
我々が大学院に入った頃には、写真の撮影と現像・焼付・文字入れなどはすべて自前で行なっていました。基本的にはモノクロ写真でしたが、後期にはカラーの撮影と時にはカラーの現像もちょっとやった記憶があります。特に我々のような形態学を主とする研究室では光学顕微鏡、電子顕微鏡、電気泳動のゲル撮影、グラフや表の作成、学会発表用のスライド作成など、自分たちの手で行う写真関連の技術が研究生活のかなり大きな部分を占めていました。研究室に入ったら、まずはガラス器具の洗浄と写真テクニックを教わるといっても過言ではない時代ががほんの20年くらい前まではあったのです。
そんな時代に育った我々ですから、このビルに移ってきた11年前にはすでにデジタルカメラの時代が来ていたにもかかわらず、当然のごとくに研究室の中に暗室を用意したのです。結果的にその暗室で写真の現像や焼付はほとんど行われることがなく(覚えているだけでも、ほんの数回でした)、暗室はエチディウム・ブロマイド染色したDNAの電気泳動の蛍光写真を撮影するための部屋となっていました。その蛍光写真も今や暗室を必要としなくなり、さらにはエチディウム・ブロマイド自体も使われなくなってきています。
そういう写真を使わない時代になっても、暗室を使う実験をやっている研究室もありますが、我々の周辺ではとうとう暗室というものが無用の長物になってしまった象徴が今日の工事だったと言えるでしょう。
流しの下には、捨てられそこねた暗室用品がまだ残っていました。洗濯ばさみは現像したフィルムや印画紙の乾燥のためにぶら下げる道具です。印画紙を切るカッターや現像の時のイーゼルなども無造作に重ねられています。遅かれ早かれ捨てられてしまうでしょう。
暗室に入るドアの上には、中にある電灯がつくと消えて、消えて真っ暗になると点灯する赤いライトがまだ生きていました。
ほとんど使われることなく今日に至っていますので、「使用中」の文字がやたらときれいなままです。
暗室がなくなりました。
流しの上の壁についているものを見て、ピンとくる人もいると思います。
HANZA
カメラや写真用品のアクセサリを販売している会社で、暗室用品などはかなりのシェアを持っていたと思います。HANZAのホームページを見ても「販売終了」の文字が氾濫しており、この先それほど長くは持たないだろうと感じられます。
我々が大学院に入った頃には、写真の撮影と現像・焼付・文字入れなどはすべて自前で行なっていました。基本的にはモノクロ写真でしたが、後期にはカラーの撮影と時にはカラーの現像もちょっとやった記憶があります。特に我々のような形態学を主とする研究室では光学顕微鏡、電子顕微鏡、電気泳動のゲル撮影、グラフや表の作成、学会発表用のスライド作成など、自分たちの手で行う写真関連の技術が研究生活のかなり大きな部分を占めていました。研究室に入ったら、まずはガラス器具の洗浄と写真テクニックを教わるといっても過言ではない時代ががほんの20年くらい前まではあったのです。
そんな時代に育った我々ですから、このビルに移ってきた11年前にはすでにデジタルカメラの時代が来ていたにもかかわらず、当然のごとくに研究室の中に暗室を用意したのです。結果的にその暗室で写真の現像や焼付はほとんど行われることがなく(覚えているだけでも、ほんの数回でした)、暗室はエチディウム・ブロマイド染色したDNAの電気泳動の蛍光写真を撮影するための部屋となっていました。その蛍光写真も今や暗室を必要としなくなり、さらにはエチディウム・ブロマイド自体も使われなくなってきています。
そういう写真を使わない時代になっても、暗室を使う実験をやっている研究室もありますが、我々の周辺ではとうとう暗室というものが無用の長物になってしまった象徴が今日の工事だったと言えるでしょう。
流しの下には、捨てられそこねた暗室用品がまだ残っていました。洗濯ばさみは現像したフィルムや印画紙の乾燥のためにぶら下げる道具です。印画紙を切るカッターや現像の時のイーゼルなども無造作に重ねられています。遅かれ早かれ捨てられてしまうでしょう。
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花見月
at 2011-10-27 18:16
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なぜか、とてもしんみりします。私も大学で新聞を作っていた頃は、編集部に暗室があって、酸っぱい匂いがしていました。現像した写真を洗濯バサミで部屋につってました。それが1時間以内に現像してくれるお店があちこちにできて、そこに持っていくようになって、そのうちデータ入稿になって・・・。さっき、大隈講堂の前で学生さんが座って「時代」を歌っていたのが耳に蘇ります^^。
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ぜのぱす
at 2011-10-28 05:00
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そう云えば、電顕も今やデジタルなんですもね。現像なんて要らない。学会等の発表も、僅か10年ちょい前迄は、未だ、スライドがメインだったと思いますが、今やパワーポイントが当たり前の時代。この先、どう云う進化をするのでしょう。
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flypusher48
at 2011-10-28 07:01
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旧教養動物片桐研最後の卒研生だったYTです。私が学部生として教養動物に入ったのは14年前ですが、その時まだ「研究室に入ったら、まずはガラス器具の洗浄と写真テクニックを教わる」という時代でしたよ。真っ暗な中でフィルムをリールに巻き付けるのがエライ難しかったのを懐かしく思い出しました。今思えば不便なものですが、あの頃の技術は知識として今現在デジタル画像を撮る際に役立っている気がします。
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stochinai at 2011-10-28 17:19
>花見月さん
写真用暗室の「酸っぱい匂い」なつかしいですね。写真の現像も焼き付けもカラー写真の時代になるにつれて価格破壊が起こって、自分たちでやる意味がなくなってしまいました。そして、今やそうした町の現像・プリント屋もデジカメの自動プリント機にとって代わられてしまいました。
>ぜのぱすさん
確かに電顕は高価ですから機種を買い換えるのに時間がかかったぶん、デジタルに置き換わるのにもっとも時間がかかったかもしれません。この先、ポスターが液晶のデジタルサイネージの置き換わるんだと思います。ポスターの中で動画が動くようになりますよ(笑)。
>flypusher48さん
ぜのぱすさん同様、アメリカでご活躍の様子、「先輩」のひとりとしてうれしく思います。貴兄が入った頃のガラス器具洗浄と写真テクニックの習得はどちらかというと「実用」よりは「修行」になっていませんでしたか。もうそろそろ写真は外注のカラーが主流でしたし、ガラスはプラスチックに置き換わっていたと思います。今では、修行としてやるぞなどというと完全に「イジメ・アカハラ」の領域です(笑)。
>皆さま
そうか、レトロな話が意外と受けるのかもしれませんね(汗)。
写真用暗室の「酸っぱい匂い」なつかしいですね。写真の現像も焼き付けもカラー写真の時代になるにつれて価格破壊が起こって、自分たちでやる意味がなくなってしまいました。そして、今やそうした町の現像・プリント屋もデジカメの自動プリント機にとって代わられてしまいました。
>ぜのぱすさん
確かに電顕は高価ですから機種を買い換えるのに時間がかかったぶん、デジタルに置き換わるのにもっとも時間がかかったかもしれません。この先、ポスターが液晶のデジタルサイネージの置き換わるんだと思います。ポスターの中で動画が動くようになりますよ(笑)。
>flypusher48さん
ぜのぱすさん同様、アメリカでご活躍の様子、「先輩」のひとりとしてうれしく思います。貴兄が入った頃のガラス器具洗浄と写真テクニックの習得はどちらかというと「実用」よりは「修行」になっていませんでしたか。もうそろそろ写真は外注のカラーが主流でしたし、ガラスはプラスチックに置き換わっていたと思います。今では、修行としてやるぞなどというと完全に「イジメ・アカハラ」の領域です(笑)。
>皆さま
そうか、レトロな話が意外と受けるのかもしれませんね(汗)。
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花見月
at 2011-10-29 17:47
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読者の高齢化?^^。
by stochinai
| 2011-10-27 17:46
| 大学・高等教育
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Comments(5)