2005年 05月 07日
日本国憲法 前文
ちょっとタイミングが悪いですが、また日本国憲法の前文を読んでみたくなりました。
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前 文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動しわれらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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下線は、私が勝手に引いたものですが「ここ重要だからね」です。いくら憲法改正が議論されているといっても、日本国籍を持つすべての人は、現時点ではこれを守らないといけないのですが、守れているでしょうか。
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前 文
日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動しわれらとわれらの子孫のために、諸国民との協和による成果と、わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し、、政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。そもそも国政は、国民の厳粛な信託によるものてあつて、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。
日本国民は、恒久の平和を念願し、人間相互の関係を支配する崇高な理想を深く自覚するのであつて、平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した。われらは、平和を維持し、専制と隷従、圧迫と偏狭を地上から永遠に除去しようと努めてゐる国際社会において、名誉ある地位を占めたいと思ふ。われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する。
われらは、いづれの国家も、自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであつて、政治道徳の法則は、普遍的なものであり、この法則に従ふことは、自国の主権を維持し、他国と対等関係に立たうとする各国の責務であると信ずる。
日本国民は、国家の名誉にかけ、全力をあげてこの崇高な理想と目的を達成することを誓ふ。
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下線は、私が勝手に引いたものですが「ここ重要だからね」です。いくら憲法改正が議論されているといっても、日本国籍を持つすべての人は、現時点ではこれを守らないといけないのですが、守れているでしょうか。
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ぢゅにあ
at 2005-05-11 23:21
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主権について興味深い話を読みました。
主権とは絶対的な権力であって神様でもないかぎりそんなものを人間が所有するという事は大きな危険をはらんでいる。かつて、天皇の名の下に軍部が好き勝手したことと、国民の名の下に政治家が好き勝手することは同じことに思える。戦前、天皇は神聖化された故に主権を得た。具体的な対象ではなく象徴だからこそ持ち得たのだ。国民の主権は、現存する国民だけではなく、過去および未来の国民を包括し象徴としてとらえられた国民に対し与えられるべきである。つまり、今だけではなく、未来の国民に対しても利益が享受されること、そのためには過去の国民に学ぶことが国民主権の意味と考える。そうとでも考えなければそんな強大なパワーを誰かに与える事などおそろしくてできない。
主権の危うさ、という視点は思いつきませんでした。
主権とは絶対的な権力であって神様でもないかぎりそんなものを人間が所有するという事は大きな危険をはらんでいる。かつて、天皇の名の下に軍部が好き勝手したことと、国民の名の下に政治家が好き勝手することは同じことに思える。戦前、天皇は神聖化された故に主権を得た。具体的な対象ではなく象徴だからこそ持ち得たのだ。国民の主権は、現存する国民だけではなく、過去および未来の国民を包括し象徴としてとらえられた国民に対し与えられるべきである。つまり、今だけではなく、未来の国民に対しても利益が享受されること、そのためには過去の国民に学ぶことが国民主権の意味と考える。そうとでも考えなければそんな強大なパワーを誰かに与える事などおそろしくてできない。
主権の危うさ、という視点は思いつきませんでした。
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stochinai at 2005-05-12 16:19
危険だから、国民全員に分散しておくというのが「主権在民」ということだと思っていました。過去はともかく、未来の国民に対する義務というのは、最近の倫理学ではわりと普通な考え方になってきているみたいですね。
今はなんとか住めるけれども、100年後には住めなくなってしまうような地球を作るのは、未来人に対する権利の侵害であるということのようです。
そんなに難しいことを考えなくても、子供達に健康な環境を渡したい、というのも同じことですよね。
今はなんとか住めるけれども、100年後には住めなくなってしまうような地球を作るのは、未来人に対する権利の侵害であるということのようです。
そんなに難しいことを考えなくても、子供達に健康な環境を渡したい、というのも同じことですよね。
by stochinai
| 2005-05-07 13:03
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Comments(2)